伊勢崎銘仙アーカイブス
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BANK 銀行

 伊勢崎の機屋が中心で銀行を設立






 明治時代
伊勢崎織物同業組合が
 地元経済のセンター
 として機能

 金融機関2行が組合
 の周辺にオープン

 明治37年刊行
「群馬県営業便覧」
 より作成





  機屋は原料の糸を仕入れてから、買継商から代金を受け取るまでの期間が長く糸商や
 下職・出機への支払資金が必要とされた また買継商からはサイトの長い手形での支払いも
 多かった
  こ のことから、取引を大きくする上にも金融機関が必要とされた






 昭和9年(1934)
 伊勢崎町勢要覧より














   1、群馬大同銀行伊勢崎支店   伊勢崎町523番地
   2、安田銀行伊勢崎支店
   3、足利銀行伊勢崎支店
   4、伊勢崎信用組合       伊勢崎新町(現 大手町)
   5、上毛貯蓄銀行伊勢崎支店   伊勢崎新町(現 大手町)
   6、群馬大同銀行東支店     伊勢崎町973番地     旧 上毛銀行





 昭和59年(1984)
本町2区商店会商店街診断
報告書

伊勢崎の金融センターは東へ
移動

1、太陽神戸銀行
2、日本生命保険
3、三井生命保険
4、大生相互銀行
5、群馬銀行
6、新興証券
7、朝日生命保険
8、東毛信用組合
9、伊勢崎信用金庫













 第三十九国立銀行の出張所開設

  明治20年(1887)5月に下城弥一郎は前橋にできた第三十九国立銀行の出張所を
 伊勢崎の市場開設日に開設させた


 三星社(さんせいしゃ)から伊勢崎銀行へ

  明治20年(1887)11月21日 三人で金融会社 三星社を設立
   本社所在地 佐位郡伊勢崎町 太織講習所内
    今村(現 稲荷町) 中澤徳次郎(1864~1910)県会議員
    連取村       森村堯太(初代)
    連取村       森村米治
  織物組合の前で1・6の日に開催される市場に出張して太織仲買人の小切手や手形の割引
  をした
  



 伊勢崎銀行の設立


 明治21年10月15日に機屋が中心になり
 株式会社伊勢崎銀行を設立した
 取締役の5名は
 頭取  小暮英三郎 伊勢崎織物同業組合理事長歴任 
 副頭取 森村堯太(初代)
     中沢豊七(初代)
     町田傳七郎(初代)町田佳聲の祖父
     羽尾勘七  伊勢崎織物同業組合理事長歴任



 所在地:現在の伊勢崎織物協同組合西門の西側


 境銀行の設立

 明治29年6月機業家と小売商が中心となり境銀行を設立
        社 長 栗原大三郎  後に世良田村村長?
        取締役 森村熊蔵   伊勢崎織物商工組合組長(明治30年8月逝去)
            永井伝松   糸繭商
            市橋鷲五郎  鉄物商
            堀米鷲太郎  不明
        監査役 石原清助   後に剛志村村長?

 明治37年4月 伊勢崎銀行境支店となる


 群馬商業銀行の設立



 伊勢崎銀行の規模は小さく十分な貸出は出来ず、
下城弥一郎は中央から金融機関の誘致を画策してきた
明治33年人脈を生かし伊勢崎出身の代議士細野次郎の紹介により安田財閥の安田善次郎からの出資で
株式会社群馬商業銀行の設立を果たした




 所在地:現在の足利銀行伊勢崎支店の付近で伊勢崎織物同業組合の正門に位置した






 明治37年2月 群馬商業銀行境出張所開設
 明治39年1月 群馬商業銀行境支店に昇格
 大正 5年9月 合併により明治商業銀行境支店
 (写真は大正9年の明治商業銀行境支店の新店舗)






   設立の動機 明治三十三年一月
 明治三十年我が国の貨幣制度金本位となり諸外国との貿易及為替関係が有利に転回さるヽや
 諸物価は一様に変則なる昂騰膨張を示せり茲に於て伊勢崎縞の産出地たる伊勢崎機業地に於
 ても生糸の暴騰に伴い伊勢崎縞の市価頓に急騰し稀有の好況時代出現せり、機業家は異様な
 る緊張を以て事業の膨脹を計り日清戦争以来の幸運に恵まれたり、当時伊勢崎地方の有一の
 金融機関としては株式会社伊勢崎銀行あるのみにて資本金僅かに拾八万円の該銀行としては
 急膨脹せる金融界を完全に處理する能はず勃興せる産業金融には些か不足の感を抱かしめた
 り、この現状に鑑み土地の有志は当時の伊勢崎銀行頭取中沢豊七氏を再三訪問し増資を以て
 目下の金融不足を緩和せられ度き旨の勸説を試みしが実現に至らず、然れども默する能はず
 当時の商工経済界の発達に鑑み金融を円滑にし以て伊勢崎縞の名声を高むるには一銀行を設
 立するの外なしと決心し伊勢崎町を中心として東奔西走して同志を募り当行誕生の胚胎につ
 き共力する所ありたり、茲に有志は斯くも新銀行設立に努力したるも如何せん銀行業に無経
 験なる為容易に其段取りすら見出し得ず種々協議考慮の結果下城弥一郎氏以外数名をして土
 地出身の代議士細野次郎氏を東京に訪ね意中を披瀝して銀行設立に関して同氏の斡旋を請へ
 り
 代表の月余の苦心の奔走は茲に酬いらるヽ所となり一同欣喜雀躍して帰郷の途に就き有志に
 之を報告して時を移さず設立に関する準備行動を開始せり
                      株式会社群馬商業銀行発起人



 伊勢崎銀行と群馬商業銀行の沿革


  伊勢崎は2行の金融機関が争い産地の発展に貢献した

和 暦   伊勢崎銀行
合併し現在の群馬銀行
 群馬商業銀行
合併し現在のみずほ銀行
 その他
 明治20年
1887
 11月21日
森村堯太が中心で
三星社設立
  5月 
三十九銀行出張所開設
下城弥一郎が要請
 明治21年
1888
10月6日
佐位郡伊勢崎町523
 ㈱伊勢崎銀行設立
   
 明治33年
1900
  6月1日
 ㈱群馬商業銀行設立
 
 明治37年
1904
 3月15日
境町309に
境町支店設立
   
 大正5年
1916
  10月1日 
明治商業銀行に合併し
伊勢崎支店となる
 
 大正8年
1919
     5月17日
伊勢崎町973に
上毛銀行設立
 大正10年
1921
    3月 2日
足利銀行伊勢崎支店
開設
 大正11年
1922
 12月2日
上毛銀行と合併
上毛銀行は
伊勢崎銀行東支店となる
   
 大正12年
1923
  11月1日 
安田銀行に合併し
伊勢崎支店となる
 
 昭和3年
1928
 7月1日
群馬銀行(第1次)と
合併し
群馬中央銀行伊勢崎支店
となる
   1月21日
伊勢崎町996
伊勢崎信用組合設立
(現在のアイオー信用
金庫)
6月18日
上毛貯蓄銀行(第2次)
伊勢崎支店新町に完成
 昭和6年
1931
 3月1日
群馬銀行(第2次)と
改称
   
 昭和7年
1932
 11月20日
群馬大同銀行伊勢崎支店
に改称
   
 昭和16年
1941
   4月1日
伊勢崎市金庫に
安田銀行伊勢崎支店
を指定
 
 昭和17年
1942
     9月30日
大生無尽(株)伊勢崎
出張所本町4丁目に開設
 昭和18年
1943
 4月1日
伊勢崎市金庫に
群馬大同銀行伊勢崎支店
に指定変更
   
 昭和23年
1948
  10月1日
 財閥解体により
富士銀行伊勢崎支店
に改称
 
 昭和25年
1950
     3月15日
日本無尽(株)伊勢崎支店
開設
 昭和28年
1953 
 11月24日
群馬大同銀行伊勢崎支店
が伊勢崎本町支店の場所
へ新築移転
旧伊勢崎支店を栄町支店
とする
  1月8日 
伊勢崎信用金庫
現 大手町支店に移転
 昭和29年
1954
    5月17日 
東毛信用組合設立
(現在のあかぎ信用
組合)栄町公民館で
業務開始
 昭和30年
1955
1月1日
 群馬銀行(第2次)
に改称
   
 昭和42年
1967
     7月13日
伊勢崎信用金庫
中央町に本店新築移転
 昭和43年
1968
    12月 
日本相互銀行が
太陽銀行に改称
 昭和47年
1972
   7月22日
富士銀行伊勢崎支店
廃止(現 みずほ銀行)
 
昭和48年
1973
     10月
太陽銀行が
太陽神戸銀行に改称
 昭和53年
1978
 12月18日
群馬銀行栄町支店が
三光町へ新築移転
伊勢崎西支店に改称
   
 平成元年
1989
     2月1日
大生相互銀行
東和銀行に改称