下城弥一郎 VS 森村熊蔵
下城弥一郎(しもじょう やいちろう) 弥一郎の初代 名は茂実 |
森村熊蔵(もりむら くまぞう) 名は英敬 |
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誕生 | 嘉永6年(1853)3月9日生 佐位郡下植木村(現 伊勢崎市宮前町) |
嘉永3年(1850)7月4日生 佐位郡上武士村(現 伊勢崎市境上武士) |
逝去 | 明治38年(1905)12月12日 享年52歳 |
明治30年(1897)9月5日 享年47歳 |
家業 | 織物業 | 代々名主 農業兼染色業 |
学識 | 長尾一雄に和漢、菊池憲七郎に算数を 学ぶ |
吉見俊庵に漢字を学ぶ |
政治 | 明治27年 県会議員 明治32年県会議長 |
明治25年 群馬県会議員 |
表彰歴 | 明治25年緑綬褒章 | 日本鉄道等の創設につとめ 渋沢栄一から感謝状を受ける |
織物組合 役員歴 |
(組合の名称は変わるが同じ組合 ) 明治14年伊勢崎太織会社 取締 明治15年伊勢崎太織会社 社長 明治20年伊勢崎織物業組合 組長 明治30年伊勢崎織物商工組合 組長 明治31年伊勢崎織物同業組合 組長 明治36年伊勢崎織物同業組合 組長 |
明治20年伊勢崎織物業組合 取締 明治26年改良織物業組合 組長 (伊勢崎織物業組合を脱退し136名で 設立) 明治27年両組合は和解し合併して 伊勢崎織物商工組合を設立 明治29年伊勢崎織物商工組合 組長 |
功績 織物関係 |
○明治14年2月 伊勢崎太織会社の設立 ○明治18年10月 伊勢崎太織の染色規則を作成する ○明治19年6月 六斎市から独立した太織、生糸、繭 の取引目的の市場を開設 ○明治19年9月 染色講習所の開設、群馬県から設備資 金 700万円の融資を受け私財を担保 にあてた ○明治24年3月 織物組合事務所及び講習所を新築 ○明治29年11月 下城支店買継部を曲輪町に開く |
○明治23年 縮緬織物製造を目的に 高機を数十台購入 伊勢崎織物用に 改良し産性を上げる ○明治26年 銘仙に絹紡糸の使用の 研究と普及に努める そのために別組 合を設立する |
功績 その他 |
○明治20年5月 前橋の第三十九国立銀行の出張所を 伊勢崎に開設させる ○明治21年5月 南勢多郡原之郷に上毛撚糸会社を設立し 社長に就任 |
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経営の 危機 |
明治34年2月 買継部の金融行き詰りと織物価格の低下 政治への資金の流れ等が要因 この負債は放棄せず 次の代までに渡り 明治43年までの10年で完済した |
明治29年 桐生の買継商佐羽商店の倒産による債権 回収不能 |