伊勢崎銘仙アーカイブス
TOP  topページへもどる

 組合が一時分裂


 絹紡糸(絹糸紡績糸)騒動勃発 ?

  伊勢崎産地では明治20年フランス製の絹紡糸(仏蘭西紡績)を輸入し使用したところ
 「原糸の整一、価格の比較的低廉等、幾多の便益多い 之を応用するもの漸てを追うて増加
  したり」とある
  ところが、明治24年に京都呉服商栄組合が絹紡糸の使用にクレームをつけ、
  伊勢崎織物業組合(組長 下城弥一郎)に善処を求めてきた 組合は求めに応じて自主規制
  を打ち出したが、有力機屋の森村熊蔵がこれに異を唱えて136名(組合員の三分の一)
  が組合を脱退し、明治26年の初めに伊勢崎改良織物業組合を設立した
  しかし同年12月に桐生織物商工組合の総代 白石弥太郎を仲介にした武孫平の斡旋が成功し
  2組合は合併し明治27年2月新たに伊勢崎織物商工組合(組長 下山求平)が発足した


  伊勢崎太織会社  明治13年(1880)設立 358人 5年期限のため
  伊勢崎織物業組合 明治19年(1886)に移行
  
 合併願い
  伊勢崎織物業組合惣代
                下城弥一郎 殖蓮村
                石原太七  茂呂村
                門倉京四郎 剛志村
                石倉三男藏 伊勢崎町
                渡邊市藏  豊受村
                五十嵐安藏 豊受村
                石原清助  剛志村
                星野雷作  伊勢崎町
                大澤林太郎 茂呂村
                新井三郎平 伊勢崎町
  改良伊勢崎織物業組合惣代
                森村熊藏  剛志村
                高木鷹五郎 采女村
                羽尾近藏  伊勢崎町
                石井庄作  采女村
                椎名勤次郎 剛志村
                坂田庄次郎 剛志村
                高木啓次  豊受村
                金井重五郎 不明
                天田政五郎 不明
                茂木松五郎 不明

     下城弥一郎 VS 森村熊蔵

  下城弥一郎(しもじょう やいちろう)
  弥一郎の初代 名は茂実 
森村熊蔵(もりむら くまぞう)  
  名は英敬
  誕生   嘉永6年(1853)3月9日生
佐位郡下植木村(現 伊勢崎市宮前町)
 嘉永3年(1850)7月4日生
佐位郡上武士村(現 伊勢崎市境上武士)
 逝去  明治38年(1905)12月12日
享年52歳
 明治30年(1897)9月5日
享年47歳
 家業  織物業  代々名主 農業兼染色業
 学識  長尾一雄に和漢、菊池憲七郎に算数を
学ぶ
 吉見俊庵に漢字を学ぶ
 政治  明治27年 県会議員
明治32年県会議長
明治25年 群馬県会議員
 表彰歴  明治25年緑綬褒章  日本鉄道等の創設につとめ
渋沢栄一から感謝状を受ける
 織物組合
役員歴
(組合の名称は変わるが同じ組合 )
明治14年伊勢崎太織会社 取締
明治15年伊勢崎太織会社 社長
明治20年伊勢崎織物業組合 組長
明治30年伊勢崎織物商工組合 組長
明治31年伊勢崎織物同業組合 組長
明治36年伊勢崎織物同業組合 組長
 明治20年伊勢崎織物業組合 取締
明治26年改良織物業組合 組長
(伊勢崎織物業組合を脱退し136名で
設立)

明治27年両組合は和解し合併して
伊勢崎織物商工組合を設立

明治29年伊勢崎織物商工組合 組長
 功績
織物関係
 ○明治14年2月
 伊勢崎太織会社の設立
○明治18年10月
 伊勢崎太織の染色規則を作成する
○明治19年6月
 六斎市から独立した太織、生糸、繭
 の取引目的の市場を開設
○明治19年9月
 染色講習所の開設、群馬県から設備資
 金 700万円の融資を受け私財を担保
 にあてた
○明治24年3月
 織物組合事務所及び講習所を新築
○明治29年11月
 下城支店買継部を曲輪町に開く
 ○明治23年 縮緬織物製造を目的に
 高機を数十台購入 伊勢崎織物用に
 改良し産性を上げる
○明治26年 銘仙に絹紡糸の使用の
 研究と普及に努める そのために別組
 合を設立する
 功績
その他
 ○明治20年5月
 前橋の第三十九国立銀行の出張所を
 伊勢崎に開設させる
○明治21年5月
 南勢多郡原之郷に上毛撚糸会社を設立し
 社長に就任
 
 経営の
危機
 明治34年2月
 買継部の金融行き詰りと織物価格の低下
政治への資金の流れ等が要因
この負債は放棄せず 次の代までに渡り
明治43年までの10年で完済した
 明治29年
桐生の買継商佐羽商店の倒産による債権
回収不能
             参考文献:下城弥一郎(伊勢崎郷土文化協会)