伊勢崎銘仙に関するエピソードを紹介します。
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西 暦
和 暦
|
エピソード |
詳 細 |
1570
元亀 元 |
伊勢崎の初市(だるま市)はなぜ、1月11日なのか? |
当ページ
銘仙風物詩 |
1759 宝暦 9 |
今でもある絹宿 ? |
当ページ |
1846 弘化 3 |
鈴木マチ あまりの出来栄えで絵絣を疑われる ? |
併用絣
佐波郡豊受村 |
1880 明治13 |
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の楫取素彦が ? |
下城弥一郎 |
1888 明治21 |
ネーミング戦略に成功 |
銘仙の由来 |
1893 明治26 |
絹紡糸騒動勃発 ? |
組合が分裂 |
1908 明治41 |
乃木将軍 学習院の制服に伊勢崎銘仙を採用 |
当ページ |
1912 大正 元 |
伊勢崎になんと芸妓が150人も ? |
風俗 |
1915 大正 4 |
夏目漱石 の道草に伊勢崎銘仙が登場 |
夏目漱石 |
1918 大正 7 |
伊勢崎南部の流行言葉 織娘は「トッチャ、カッチャ、クイ」 |
当ページ |
1923 大正12 |
引く手あまたの伊勢崎銘仙 伊勢崎人口の過半数3万人が従事 |
織物の職人 |
1925 大正14 |
東京銀座での市場調査 女性の50%が銘仙を着用 |
当ページ |
1926 大正15 |
ぐんまちゃん? 織物組合で商標登録 |
当ページ |
1928 昭和 3 |
人気女優 水谷八重子(初代)を宣伝ポスターに起用 |
水谷八重子 |
1929 昭和 4 |
町田佳聲(嘉章) 誰 ? |
町田佳聲(嘉章) |
1930 昭和 5 |
伊勢崎銘仙の生産高456万反を記録 |
資料集 |
1931 昭和 6 |
竹久夢二 伊勢崎銘仙のデザインを酷評 |
竹久夢二 |
1943 昭和18 |
戦闘機一機を前橋連隊に献納、しかし終戦を迎えてGHQが ? |
太平洋戦争 |
1946 昭和21 |
商工会議所は織物関係者がつくった ? |
窪田涛三郎 |
1947 昭和22 |
上毛かるた「銘仙織り出す伊勢崎市」の絵札がなぜか洋服に ? |
伊勢崎銘仙 |
1949 昭和24 |
リヨン国際博覧会で「まぼろしの東洋織物」と称賛、大型取引? |
銘仙を海外へ |
1956 昭和31 |
がちゃまん景気 ? |
銘仙用語 |
1965
昭和40 |
ウール着尺は銘仙か? |
当ページ |
1975 昭和50 |
伝統的工芸品「伊勢崎絣」と伊勢崎銘仙はどこが違うの ? |
THINK |
伊勢崎の初市(だるま市)はなぜ、1月11日なのか?
室町時代(元亀元年 1570)現在の伊勢崎市本町に市(いち)が立つようになった
六斎市(ろくさいいち)である 六斎市とは、毎月6日(回)市が立つことで 本町では毎月
1、6、11、16、21、26日の6日(回)であった
正月は1、6日は休んで11日を初市として六斎市が始まったのでは ?
戦後、群馬県の各地で「だるまの販売」を主としたイベントとしてに復活した
高崎市 「
だるま市」 1月6・7日 二日間 少林山達磨寺にて開催
前橋市 「
初市まつり」1月9日 毎月4と9の日に開かれ日用雑貨や生糸の市が起源
伊勢崎市 「いせさき
初市」1月11日
初市(だるま市)のそれぞれの名称と開催日、開催場所からして、前橋市と伊勢崎市は
六斎市を継承しているものと考えられる
また、六斎市の中で絹市が開催され絹糸や絹織物(伊勢崎太織等)の取引が行われた
今でもある絹宿 ?
今でも伊勢崎には「絹宿」が現存する
とは言え居酒屋である 焼き鳥が美味い
ここで何度か宴会をしたことがある
「絹宿」のネーミングが気に入った
今から考えると店主の神沢氏は伊勢崎の
大手買継商に勤務していたことを思い出した
絹宿は江戸時代(宝暦9年 1759)に伊勢崎に15軒あり、絹糸や絹織物を扱う
買継商の始まりである 遠方から買付に見えた商人を宿泊させたことから絹宿と呼ばれた
来年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の楫取素彦が ?
明治13年(1880)12月8日に伊勢崎産地の太織業者358名が絹織物の粗製濫造
(そせいらんぞう)防止と織物産業振興を目的に「伊勢崎太織会社」の設立願を
群馬県令 楫取素彦に提出し同年12月28日に5年の期限付きで許可となった
乃木将軍 学習院の制服に伊勢崎銘仙を採用し銘仙の人気高まる
乃木希典(のぎ まれすけ)1849(嘉永2年)~1912(大正元年)
国民からは乃木大将、乃木将軍と呼ばれ日露戦争で旅順を攻略し、
明治41年(1908)に明治天皇から昭和天皇が学習院に入学するに
あたり学習院院長に指名された
乃木式教育方針として「勤勉と質素」を旨として取り組み
「女学部学生及び幼児の服装に関する心得」では
「衣服の地質は綿布・麻布・毛布・紬・銘仙及び交織の類に止む」
とし、実質的には銘仙が採用された
学習院女学部は華族女学校と合併した経緯もあり、女学生は派手な友禅等を着て通学して
いたが「銘仙以下の着物」を着ることになった
当時銘仙は無地で地味な柄であったが伊勢崎をはじめとする銘仙産地では「解模様銘仙」
を開発し、これが学習院の女学生に大好評で、これが更に波及して東京の女学校が相次いで
銘仙を制服に採用した
乃木希典は武士道、騎士道(ドイツ留学歴有り)、軍人魂を有し明治天皇の崩御により妻と
共に殉死
氏の住居があった場所を後に乃木坂と称し乃木坂46の乃木にも使われている
主婦之友 昭和4年10月「銘仙に就ての座談会」より抜粋
伊勢崎織物同業組合 組長 下城雄策の発言
「面白い話があります。ちょっと古いことですが、乃木大将が学習院の院長をしてをられた
頃、生徒の着物に、友禅はどうも贅沢でいけないし、銘仙は固すぎていけない、と言って、
なかなか難しかったさうです。その話が、私共の方に伝りましたので、種々と研究し始め
たのが、今日のやうな模様を織り出す初めでした。」・・・
大正7年(1918) 伊勢崎南部の流行言葉 織娘は「トッチャ、カッチャ、クイ」
伊勢崎の南部で流行した言葉に「トッチャ、カッチャ、クイ」と云うのがあった
織娘が織れば織るだけ金が入り「織っては食べ物を買い、食べてばかりいる」の意味と
機音を掛けたもの
大正14年(1925) 東京銀座での市場調査 女性の50%が銘仙を着用
今 和次郎(こん わじろう)1888(明治21年)~1973(昭和48年)
東京美術学校卒、早稲田大学建築科教授
1928(昭和3年)
「赤城型民家」を調査し命名する
大正14年(1925)
東京銀座風俗記録を「婦人公論」に発表
調査区間:東京銀座 京橋から新橋間
調査日:大正14年5月 7日(木) 曇天後微雨
9日(土) 曇天 微雨
11日(月) 晴れ (大正天皇の銀婚式)
16日(土) 曇時々晴れ
以上の4日間
調査結果の総括表である
右側は女性、左半分が和装姿で足元に
99%とある 右半分は洋装姿で1%である
女性の99%が和服
着物と羽織の地質調査
着物の地質では50.5%が銘仙を着用
羽織の地質では24%が銘仙を着用していた
女性の50.5%が銘仙
今和次郎氏は市場調査(マーケットリサーチ)
方法を研究した
考現学(こうげんがく)を考古学に対して、
今(現在)を調査する学問として確立
その手法は面白い 昆虫採取の方法である
今和次郎集 第1巻 考現学
には大正14年(1925)東京銀座風俗記録
「婦人公論」に発表の記事が掲載されている
昭和46年発行 (株)ドメス出版
図書館で閲覧・貸出可能
工学院大学図書館・今和次郎コレクション 関連する本を5,000冊近くを蔵書
詳しくは
今和次郎は赤城型民家の命名者である
赤城型民家 赤城山麓特有の民家で中規模養蚕農家を代表する建物
大正15年(1926) ぐんまちゃん? 織物組合で商標登録
明治18年の定款から馬首(ばくび)商標が記載されている顔の向きの違いがあるが、
大正15年5月31日 登録第181527号の団体登録とある
組合の団体商標は特許局に登録された左の図形で、
織物一点毎に押捺する。この商標の押捺なき織物
は販売することができない。これに違反した者、
又はこれと紛らわしい商標を表示した者も五円以上
二百円以下の過怠金を処す
(伊勢崎織物同業組合定款第95条)
馬首商標が価値を持ち、馬首商標を確認して織物を
購入する業者が増加し、偽の馬首商標が出回ったとか
昭和40年(1965) 昭和40ウール着尺は銘仙か?
ウール(羊毛)は100%輸入である
1950~1960に米国等においてウール製の服装の流行がおこる
日本においてもシルクに比べて低価格と扱いやすさから急速に普及した
和装も袷(あわせ 裏地のついた着物)から単衣(ひとえ)が流行し
ウールへの取り組みが昭和20年代後期から昭和30年代前期にかけて
各織物産地で行われた・・・京友禅でも
昭和36年のポスター いせさきおりもの
ウール絣・ウール併用・銘仙 伊勢崎織物協同組合
昭和36年織物総生産高 ウール着尺が66%を占めた
ウール括珍 451,000反
ウール板珍 205,000反
ウール併用 164,000反
正絹括珍 22,000反
正絹板珍 34,000反
正絹併用 252,000反
みゆき紬 112,000反
合計 1,240,000反
伊勢崎ウールローマ街をゆく
伊勢崎産地でのウール着尺の人気は
昭和50年近くまで続いたが
洋装に押され普及は下降して行った
西 暦 |
和暦
昭和 |
織物総生産高
(千反) |
純絹生産高
(千反) |
できごと |
1956 |
31 |
2,917 |
1,673 |
第3期黄金時代 |
1957 |
32 |
2,255 |
1,410 |
|
1958 |
33 |
1,602 |
1,017 |
|
1959 |
34 |
1,254 |
884 |
|
1960 |
35 |
1,175 |
394 |
|
1961 |
36 |
1,240 |
288 |
|
1962 |
37 |
1,423 |
12 |
|
1963 |
38 |
1,706 |
60 |
|
1964 |
39 |
1,837 |
25 |
|
1965 |
40 |
1,910 |
66 |
ウール着尺最盛期 |
1966 |
41 |
1,793 |
98 |
|
1967 |
42 |
1,696 |
105 |
第二次伊勢崎織物工業組合設立 |
1968 |
43 |
1,547 |
126 |
|
1969 |
44 |
1,406 |
411 |
|
1970 |
45 |
1,248 |
269 |
|
1971 |
46 |
1,144 |
243 |
|
1972 |
47 |
1,046 |
382 |
|
1973 |
48 |
774 |
381 |
|
1974 |
49 |
792 |
385 |
|
1975 |
50 |
813 |
417 |
伝統的工芸品に伊勢崎絣が指定 |
「関東機業地域の構造変化」付表より