伊勢崎銘仙アーカイブス
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 FUZOKU 風俗


 



  伊勢崎銘仙の全盛時代
 花街(現・伊勢崎市緑町)では昼間から
 芸妓のサービスで商談がスムーズに運んだ
  (写真はイメージ)










  伊勢崎銘仙の宣伝に芸妓も一役

 「貴女のきもの いせさきめいせん
     妻のきもの いせさきめいせん
        ためがよくつて がらもよく
           価格も安い 伊勢崎めいせん」
     (大正12年頃のポスター)






  伊勢崎銘仙の生産高と芸妓の数がほぼ比例している
  近年では中心商店街の空洞化を埋めるように本町通りに風俗店が出店し社会問題化している

 伊勢崎織物総生産高(万反)と芸妓(通称 芸者)数の推移

 和暦 織物総生産高
(万反)
 
芸妓数  出 来 事
 明治 5年 9     富岡製糸場操業開始
ペルー奴隷船マリア・ルース号事件
明治政府は芸娼妓解放令を布告
 明治 7年  12    楫取素彦熊谷県権令(熊谷県改変)
 明治 9年  13    楫取素彦群馬県令
 明治15年  14 3   楫取素彦六年の猶予で廃娼実施を布告
高崎より芸妓が3人
伊勢崎の南町(現・緑町)へ
 明治17年  20 20   楫取素彦転任
 明治26年  55    群馬県廃娼実施
 明治28年  56 40   伊勢崎に見番発足
 明治39年  104    (株)芸妓取締所の発足
 明治43年 134    芸妓のだんなの8割は機屋
南町では「おめかけ横丁」が存在した
 大正 元年  127 150   群馬県令「飲食店貸座敷取締規則」制定
 *別表参照
 大正 3年 107     伊勢崎市四大甲種料理店揃い花街を彩る
白水楼、大津屋、湖川屋、伊勢崎館
 乙種料理店は南町に約30軒
 昭和 4年 389  30   伊勢崎にカフェが出現し不況とダブルで
芸妓減少
 昭和 5年 456     伊勢崎町長 石川泰三氏「銘仙週間」を実施
し芸妓、酌婦、女給に銘仙を着用させる
料亭30軒、置き屋36軒
 昭和15年 276  138  伊勢崎市制施行 祝典で
伊勢崎芸妓最後の晴れ姿
カフェ80軒
 昭和18年 74     伊勢崎の料亭、軍の施設に接収徴用され
料亭は営業停止
芸妓にも徴用がかかり電気部品工場で働く
 昭和22年 12  25   戦後の伊勢崎の花街は見番なしで始まる
 昭和33年 160     伊勢崎の南町にあった赤線13軒が廃業
買継商の倒産、機屋の転廃業相次ぐ
芸妓の一部は草津・伊香保温泉へ
 昭和34年 125     群馬県風俗営業等の規制及び業務の適正化等
に関する法律の施行でソープランド営業は
沼田市利根町根利字トザワの区域に限定
 昭和42年 170     南町から緑町に町名変更
 昭和51年 68     宮子町に伊勢崎オートレース場開業
 昭和52年 58  4   伊勢崎の芸妓は4人で平均年齢50歳
 平成 8年 3     宮子町にベイシア西部モール店開業
 平成11年 2     オートレース場近くに性風俗店出店
 平成16年 2     伊勢崎市内の性風俗店数
緑町地区 約60店、宮子地区 約38店
その他  約43店 合計 141店

             参考文献:紅灯今昔 伊勢崎編 根岸瑞夫(昭和52年 上毛新聞)
                  筑波大学卒業研究 「郊外型市街地における風俗街の
                  幹線道路沿道表出についての研究」臂徹(平成17年)



 群馬県 飲食店貸席取締規則(大正元年)

 A 貸座敷の種類
 甲種料理店(芸妓による酒間周旋)
 乙種料理店(芸妓以外の女性による酒間周旋)
 B 乙種料理店の取締規則
 1 婦女は満16歳以上であること
 2 宿屋の兼業をしないこと
 3 家族の婦女を客席に使用するのは1人に限る
 4 養女を使用する場合は満2年以上経過した後
 5 40歳未満の酌婦は、1人に付き3坪の割とする
 6 酌婦は健康診断書を提出する
 7 健康診断は警察指定の医師により月3回以上実施し、治療する 

                  参考文献:三田学会雑誌99巻3号