伊勢崎銘仙アーカイブス
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 FUZOKU 風俗


 


  伊勢崎銘仙の全盛時代
 花街(現・伊勢崎市緑町)では昼間から
 芸妓のサービスで商談がスムーズに運んだ
  (写真はイメージ)











 愛の装い  いせさきのきもの
 (昭和47年伊勢崎織物工業組合作成ポスター)















  伊勢崎銘仙の宣伝に芸妓も一役

 「貴女のきもの いせさきめいせん
     妻のきもの いせさきめいせん
        ためがよくつて がらもよく
           価格も安い 伊勢崎めいせん」
 (大正12年頃の伊勢崎織物同業組合作成ポスター)






昭和4年2月13日「からりこ節」は
伊勢崎の芸者 春子、旭出次らにより
NHKで全国へ生放送
(東京朝日新聞群馬版 からりこ節放送)

 春子は人品賤しからず三味線など芸事
にたけ威厳があった
 旭出次は若者に人気があり、後に料亭
を始めた(市街地の風俗より)





昭和7年10月19日
「好きや道楽の女給商売じやないわ」
女給税新設の攻防 伊勢崎町飲食店組合では
南町共栄館において反対運動の臨時総会開催
女給連150名
(写真は審議未了で万歳)







昭和8年撮影
 裏町通り街並み「サロン白夜」










  伊勢崎銘仙の生産高と芸妓の数がほぼ比例している
  近年では中心商店街の空洞化を埋めるように本町通りに風俗店が出店し社会問題化している

 伊勢崎織物総生産高(万反)と芸妓(通称 芸者)数の推移

 和暦 織物総生産高
(万反)
 
芸妓数  出 来 事
 明治 5年 9     富岡製糸場操業開始
ペルー奴隷船マリア・ルース号事件
明治政府は芸娼妓解放令を布告
 明治 7年  12    楫取素彦熊谷県権令(熊谷県改変)
 明治 9年  13    楫取素彦群馬県令
 明治15年  14 3   楫取素彦六年の猶予で廃娼実施を布告
高崎より芸妓が3人
伊勢崎の南町(現・緑町)へ
 明治17年  20 20   楫取素彦転任
 明治26年  55    群馬県廃娼実施
 明治28年  56 40   伊勢崎に見番発足
 明治39年  104    (株)芸妓取締所の発足
 明治43年 134    芸妓のだんなの8割は機屋
南町では「おめかけ横丁」が存在した
 大正 元年  127 150   群馬県令「飲食店貸座敷取締規則」制定
 *別表参照
 大正 3年 107     伊勢崎市四大甲種料理店揃い花街を彩る
白水楼、大津屋、湖川屋、伊勢崎館
 乙種料理店は南町に約30軒
 昭和 4年 389  30   伊勢崎にカフェが出現し不況とダブルで
芸妓減少
2月13日「からりこ節」は伊勢崎の芸者春子、
旭出次らにより
NHK生放送
4月28日女給のお酌厳禁、伊勢崎署の厳しい
取締に、エプロン嬢恐怖時代
10月4日女給さん大恐慌 県でもカフェーの
取締規則近く公布に決る(東京朝日新聞群馬版) 
 昭和 5年 456     伊勢崎町長 石川泰三氏「銘仙週間」を実施
し芸妓、酌婦、女給に銘仙を着用させる
料亭30軒、置き屋36軒
8月29日美しい貴女の曲線美が 感涙にむせぶ人造
絹糸 伊勢崎銘仙宣伝の(水谷)八重子嬢
9月17日秋風身にぞしむ 不況色街の女達 伊勢崎
だけに570名 白粉も煙草も買へずは
モンパリ 伊勢崎地方の流行る結び方
11月27日県会情史⑵ 私娼は拒絶可能 が公娼は
絶対服従 悩みもうれひも去った公娼廃止
 昭和 7年 385    10月20日女給税なんて 天下の悪税と・・・
いはんばかりに 各地に揚がる紅い気焔 伊勢崎
10月29日女給同志会 伊勢崎に生る
 昭和 9年 300     5月3日ダンス教授も禁止 ホール認可是非 決せぬ
中に 伊勢崎署で取締断行
 昭和10年  276    3月3日カフェー異変(伊勢崎)
5月15日泣く泣く店仕舞い 伊勢崎でも(パチン
コ屋四軒)
 昭和15年 276  138  7月23日けふの話題 伊勢崎花街に新体制
8月16日伊勢崎の花街も 衣類は銘仙、其他厳し
い申合せ
9月13日伊勢崎市制施行 祝典で伊勢崎芸妓最後の
晴れ姿
9月17日制服のお料理登場 伊勢崎の繁華街で共同
調理
カフェ80軒
 昭和18年 74     伊勢崎の料亭、軍の施設に接収徴用され
料亭は営業停止
芸妓にも徴用がかかり電気部品工場で働く
 昭和22年 12  25   戦後の伊勢崎の花街は見番なしで始まる
 昭和33年 160     伊勢崎の南町にあった赤線13軒が廃業
買継商の倒産、機屋の転廃業相次ぐ
芸妓の一部は草津・伊香保温泉へ
 昭和34年 125     群馬県風俗営業等の規制及び業務の適正化等
に関する法律の施行でソープランド営業は
沼田市利根町根利字トザワの区域に限定
 昭和42年 170     南町から緑町に町名変更
 昭和51年 68     宮子町に伊勢崎オートレース場開業
 昭和52年 58  4   伊勢崎の芸妓は4人で平均年齢50歳
 平成 8年 3     宮子町にベイシア西部モール店開業
 平成11年 2     オートレース場近くに性風俗店出店
 平成16年 2     伊勢崎市内の性風俗店数
緑町地区 約60店、宮子地区 約38店
その他  約43店 合計 141店

             参考文献:紅灯今昔 伊勢崎編 根岸瑞夫(昭和52年 上毛新聞)
                  筑波大学卒業研究 「郊外型市街地における風俗街の
                  幹線道路沿道表出についての研究」臂徹(平成17年)
                  東京朝日新聞群馬版



 群馬県 飲食店貸席取締規則(大正元年)

 A 貸座敷の種類
 甲種料理店(芸妓による酒間周旋)
 乙種料理店(芸妓以外の女性による酒間周旋)
 B 乙種料理店の取締規則
 1 婦女は満16歳以上であること
 2 宿屋の兼業をしないこと
 3 家族の婦女を客席に使用するのは1人に限る
 4 養女を使用する場合は満2年以上経過した後
 5 40歳未満の酌婦は、1人に付き3坪の割とする
 6 酌婦は健康診断書を提出する
 7 健康診断は警察指定の医師により月3回以上実施し、治療する 

                  参考文献:三田学会雑誌99巻3号