遠祖(えんそ 遠い祖先)は佐渡の守護で
本間能久(ほんま よしひさ)、1589年に
上野国佐位郡市場村(さいごおり いちばむら
現 群馬県伊勢崎市市場町)に帰農
本間三郎胸像 森村酉三制作
銅製胸像の石膏像
伊勢崎市歴史民俗資料館 所蔵
昭和4年(1929)11月27日
門人等が一千人集まり追善剣道大会
翌日、28日 胸像除幕式(旧 市場公園)
本間三郎胸像台座
安政6年(1859)3月10日~昭和3年
(1928)12月27日 享年69歳
一周忌にあたる 昭和4年(1929)11月
門人たちが胸像を大雷神社(たいらいじんじゃ
伊勢崎市西久保町3-859)前に建立
胸像は戦時中に供出され、現在は台座のみ残る
主要地方道 伊勢崎・大間々線西側で市場町。
本間仙五郎(襲名)本間千代吉(初代)と本間三郎 |
曾祖父 本間応郷 ( まささと)延亨元年(1744)~ 文化12年(1815)72歳 祖父 本間応吉 (まさよし) 天明4年(1784)~ 明治7年(1874) 91歳 父 本間応次 (まさつぐ) 文化13年(1816)~明治22年(1889)74歳 |
本間仙五郎 応郷(せんごろう まささと)は蓄財の才に優れ「本間大尽(ほんま だいじん)」
と呼ばれた
伊香保神社掲額事件(いかほじんじゃけいがくじけん) 文政6年(1823)4月
本間仙五郎 応郷 ( まささと)は剣術を学び、文化10年(1813)に馬庭念流(現
高崎市吉井町馬庭)から「永代免許」を授かり、市場村で練武館道場を開く。
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北辰一刀流の千葉周作(寛政5年 1793~安政2年 1856)が、上野国に進出
し流派を広め、門下を増やして行き、その証として文政6年(1823)4月 伊香保明神
(神社)に掲額(千葉周作と門下の芳名)を計画した。
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これを聞いた馬庭念流一門の筆頭 本間仙五郎 応吉 (まさよし)は千葉周作等の掲額を断
じて阻止するとして270人の門下が武装し駆け付けた
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伊香保温泉は大騒ぎとなり、これを聞いた代官所の仲介で事なきを得た。
国定忠治が本間念流を学ぶ 文政9年(1826)
隣村・国定村の国定忠治(くにさだ ちゅうじ)
文化7年(1810)~嘉永3年(1850)12月21日は文政9年(1826)
本間仙五郎 応吉に本間念流(剣術)の道場 練武館(れんぶかん)で学んだ
赤堀町(村)のできごと |
元禄2年(1698) 勢多郡から佐位郡となる 明治12年(1879) 連合戸長 初代に初代 本間千代吉 応家(まさいえ) 明治22年(1889) 4月1日 佐位郡赤堀村市場(合併による) 明治29年(1896) 4月1日 佐波郡に所属(合併による) 昭和61年(1986)10月1日 町制施行 平成17年(2005) 1月1日 伊勢崎市に合併 現 伊勢崎市市場町 |
群馬県選出貴族院議員名簿
県ごとに多額納税者(直接国税納付者)の上位15名より1名を互選任期は7年
大正14年(1925)からは県ごとに多額納付者100名につき1名または
200名につき2名に改正
名 前 | 住 所 | 貴族院議員就任期間 | ||
1 | 桜井伊兵衛(4代) さくらい いへい |
西群馬郡 高崎本町 (現 高崎市) |
明治23年(1890)6月 ~ 明治29年(1896)10月 |
在任中に逝去 絹太織問屋 大地主 |
2 | 小暮英三郎 こぐれ えいざぶろう |
佐位郡太田村 (現 伊勢崎市) |
明治29年(1896)12月 ~ 明治30年(1897)9月 |
残任期間 |
3 | 本間千代吉(初代) ほんま ちよきち |
佐位郡市場村 (現 伊勢崎市) |
明治30年(1897)9月 ~ 明治44年(1911)9月 |
2期 14年間 |
4 | 江原芳平 えばら よしへい |
東群馬郡 前橋町字新町 (現 前橋市) |
明治44年(1911)9月 ~ 大正7年(1918)9月 |
前橋商工会議所 初代 会頭 |
5 | 桜井伊兵衛(5代) さくらい いへい |
西群馬郡 高崎本町 (現 高崎市) |
大正7年(1918)9月 ~ 大正14年(1925)9月 |
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6 | 本間千代吉(2代) ほんま ちよきち |
佐波郡赤堀村 (現 伊勢崎市) |
大正14年(1925)9月 ~ 昭和7年(1932)9月 |
1期 7年 |
7 | 澁澤金蔵(3代) しぶさわ きんぞう) |
新田郡太田町 (現 太田市) |
昭和7年(1932)9月 ~ 昭和22年(1947)5月 |
貴族院廃止 東京帝大卒 中島知久平秘書 |
明治30年(1897)貴族院多額納税者議員互選人 名簿
各府県ごとに多額納税者(直接国税納付者)15名より1名が互選
氏 名 | 住 所 | 総納税額(円) | ||
1 | 小林弥七 | 群馬郡高崎町 | 1,388.907 | 長男は大正13年に衆議院議員 |
2 | 江原芳平 | 前橋市新町 | 1,187.378 | 前橋商工会議所初代 会頭 |
3 | 本間千代吉 | 佐波郡赤堀村 | 1,176.275 | 初代 農業 |
4 | 澁澤金蔵 | 新田郡太田町 | 811.824 | 東京帝大卒 昭和7年貴族院議員 |
5 | 大塚久右衛門 | 新田郡太田町 | 701.720 | |
6 | 若旅九八郎 | 邑楽郡小泉村 | 662.721 | |
7 | 中島伊平 | 群馬郡高崎町 | 652.101 | |
8 | 小暮英三郎 | 佐波郡三郷村 | 632.652 | |
9 | 阿部為作 | 北甘楽郡丹生村 | 608.756 | |
10 | 横尾寿平 | 北甘楽郡高田村 | 570.963 | |
11 | 引間米吉 | 邑楽郡小泉村 | 567・821 | |
12 | 大沢福太郎 | 山田郡桐生町 | 541.790 | |
13 | 黒岩佐太夫 | 利根郡川田村 | 523.755 | |
14 | 清水新次郎 | 群馬郡高崎町 | 521.839 | |
15 | 橋田銀四郎 | 邑楽郡館林町 | 490.860 |
大正13年(1924)6月 県内の百町歩地主 名簿
氏 名 | 住 所 | 所有耕地(田・畑の計) | 小作人の戸数 |
吉田直太郎 | 碓氷郡松井田町 | 157町6反 | 387戸 |
本間千代吉(2代目) | 佐波郡赤掘村 | 130町6反 | 435戸 |
千金楽喜一郎 | 邑楽郡館林町 | 108町1反 | 400戸 |
桜井伊兵衛 | 高崎市本町 | 103町1反 | 328戸 |
半田善四郎 | 碓氷郡原市町 | 101町7反 | 450戸 |
橋田銀四郎 | 邑楽郡館林町 | 100町2反 | 350戸 |
本間千代吉(2代目) 田 74町7反、畑 55町9反
貴族院多額納税者名鑑 大正14年(1925)6月1日現在
*大正14年(1925)からは県ごとに多額納付者100名につき1名または
200名につき2名に改正
*群馬県上位100名中で現伊勢崎市在住者は11名
*当該者の大半は襲名のため生年を記載
氏 名 | 住 所 | 職 業 | 直接国税総額(円) | 生 年 | |
1 | 羽尾勘七 | 伊勢崎町 | 太物商 | 8,667.13 | 明治13年 7代目 |
2 | 本間千代吉 | 赤堀村 | 農業 | 5,993.51 | 明治21年 2代目 |
3 | 関重兵衛 | 伊勢崎町 | 原料糸商 | 3,962.16 | 慶応3年 |
4 | 金井直次郎 | 伊勢崎町 | 太物商 | 2,970.68 | 安政2年 |
5 | 町田伝七 | 伊勢崎町 | 醤油醸造業 | 2,054.26 | 文久2年 3代目 |
6 | 大島宗平 | 伊勢崎町 | 肥料商 | 1,817.85 | 明治11年 |
7 | 佐藤藤三郎 | 伊勢崎町 | 原料糸商 | 1,662.32 | 明治12年 |
8 | 森村堯太 | 宮郷村 | 銀行員 | 1,252.55 | 明治20年 2代目 |
9 | 下城弥一郎 | 殖蓮村 | 機業 | 1,200.31 | 明治11年 3代目 |
10 | 石原善平 | 剛志村 | 機業 | 1,199.87 | 明治9年 |
11 | 徳江工 | 宮郷村 | 農業 | 1,190.10 | 明治2年 |
模範地主 本間千代吉
大正末期に、群馬県に於いて小作争議が続発したが、赤堀村は本百姓と水呑百姓の区分が
あった時代にほとんどが本百姓であり、小作料も低額のため小作問題は発生しなかった。
本間三郎(ほんま さぶろう)
伊勢崎市(赤堀村市場)出身の政治家・剣術範士
安政6年(1859)3月10日~昭和3年(1928)12月27日 享年69歳
2024年現在 生誕165年 没後96年
大正4年 56歳 衆議院議員総選挙に立憲同志会より立候補し連続3回当選9年間在任
年齢 | できごと | |
安政6年 1859 |
1 | 3月10日 本間仙五郎(応次 まさつぐ)、たに子の三男 として生まれる 名を応登 (まさと) |
(剣道) 本間家伝来の念流剣道を父に学び、後に江戸に出て榊原健吉に直心影流を、 山岡鉄舟に無刀流を学ぶ |
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(勉学) 赤堀在住の医者 足立竹陰(あだち ちくいん)等を家に招いて勉学 |
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明治25年 1892 |
33 | 群馬県で開催された警視庁の撃剣(げきけん 剣術)世話掛の内藤高治 を破った |
明治26年 1893 |
34 | 警視庁が誇る撃剣世話掛の兵(つわもの)に試合を挑み、ことごとく 破った |
明治30年 1897 |
38 | 9月 兄 本間千代吉(初代)貴族院議員に当選 明治44年(1911)9月まで2期14年間就任 |
大正2年 1913 |
54 | 11月 中島祐八 衆議院議員 現職で逝去 |
大正4年 1915 |
56 | 3月25日 第12回衆議院議員総選挙 2年 群馬県郡部当選1位 |
大正6年 1917 |
58 | 4月20日 第13回衆議院議員総選挙 3年 群馬県郡部当選5位 |
大正9年 1920 |
61 | 5月10日 第14回衆議院議員総選挙 4年 群馬県5区当選 |
大正10年 1921 |
62 | 大日本武徳会より剣道範士号を授与される |
大正13年 1924 |
65 | 衆議院議員 退任、森村熊蔵(2代目)が代って立候補するが落選する |
大正14年 1925 |
66 | 9月 次男 本間千代吉(2代)貴族院議員に当選 昭和7年(1932)9月まで1期7年就任 |
昭和3年 1928 |
69 | 逝去 |
本間千代吉 初代(ほんま ちよきち)応家(まさいえ)
伊勢崎市(赤堀村市場)出身の政治家・経営者・剣道
安政3年(1856)12月20日~
大正6年(1917) 2月26日 享年62歳
2022年現在 生誕166年 没後105年
妻 りむ との間に嗣子(しし 後継ぎ)はなく、
弟 本間三郎の次男を養子に迎える
明治30年 貴族院議員
大地主、質業 群馬県農工銀行 上毛貯蓄銀行
伊勢崎銀行 取締役
一周忌にあたり、石碑を大雷神社の前に
門人たちが大正7年(1918)2月建立
年齢 | できごと | |
安政3年 1856 |
1 | 12月20日 本間仙五郎(応次 まさつぐ)、たに子の次男 として 生まれる 名を応家 (まさいえ) |
慶応元年 1865 |
9 | 7月 兄 十四松 の逝去で、継嗣(けいし 後継ぎ)となる |
(勉学) 赤堀在住の医者 足立竹陰(あだち ちくいん)等を家に招いて勉学 |
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(剣道) 先祖伝来の本間念流の極意を極め、練武館で剣法を教えた |
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明治13年 1880 |
24 | 市場村他の戸長(こちょう)に就任 |
明治18年 1885 |
29 | 群馬県議会議員に当選 |
明治29年 1896 |
40 | 郡会議員 参事会員 |
明治30年 1897 |
41 | 9月29日 多額納税者として貴族院議員に選ばれる 2期14年 |
明治37年 1904 |
48 | 9月 貴族院議員に再選される |
明治44年 1911 |
55 | 9月28日 貴族院議員を退任 |
大正6年 1917 |
62 | 2月26日 逝去 墓所 大林寺 伊勢崎市市場町1-338-4 |
本間千代吉 2代目(ほんま ちよきち)応義(まさよし)
伊勢崎市(赤堀村市場)出身の政治家・経営者・本間念流教士号
明治21年(1888)6月25日 ~
昭和34年(1959) 享年71歳
2022年現在 生誕134年 没後63年
年齢 | できごと | |
明治21年 1888 |
1 | 6月25日 本間三郎の次男 として生まれる 幼名を仙八 後に伯父 本間千代吉(初代)の養子(嗣子)名を応義(まさよし) |
(剣道) 幼少より先祖伝来の本間念流を修行し、教士号を授かる |
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明治40年 1907 |
19 | 東京の錦城中を卒業 |
大正6年 1917 |
29 | 2月26日 義父 本間千代吉(初代)逝去 家督を相続し、千八を改め本間千代吉(2代)を襲名する |
(金融業等の役員) 大地主で質屋・貸金業を兼ねていた 群馬県農工銀行、上毛貯蓄銀行、伊勢崎銀行、群馬銀行等の役員 |
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(公職等) 赤堀村農会長、赤堀村会議員歴任 |
||
大正14年 1925 |
37 | 9月 多額納税者として貴族院議員に選ばれる 1期7年 |
昭和7年 1932 |
44 | 9月 貴族院議員を退任 |
昭和22年 1947 |
59 | GHQの指令に基づき、小作地を失う |
昭和34年 1959 |
71 | 逝去 |
本間仙五郎 (応郷 まささと) | 曾祖父 | |
↓ | ||
本間仙五郎 (応吉 まさよし) | 祖父 | |
↓ | ||
本間仙五郎 (応次 まさつぐ) | 父 | |
↓ | ↘ | |
次男 本間千代吉(初代) | 三男 本間三郎 (応登 まさと) | |
↓ | ↓ | |
養子 本間千代吉(ニ代目) | ← | 次男 本間千八 |
*慶応元年(1865)7月 本間千五郎(応次)の長男 十四松の逝去
により、次男の千代吉(初代)が後継ぎとなる
出典・参考図書等
1、幕末在村剣術と現代剣道 最終回 赤城山麓の念流・本間千五郎応次の巻
全日本剣道連盟 工学院大学 教授 数馬広二 WEBに在り
2、貴族院多額納税者名鑑 完 大正15年3月 国会図書館デジタルコレクション
3、まんが赤堀町誌 平成5年12月 赤堀町
4、司馬遼太郎全集 第12巻「北斗の人」 平成9年5月 司馬遼太郎著 (株)文藝春秋
P80~ 馬庭念流、P197~武道額、P204 ~馬庭の剣 等
5、国定忠治 平成16年3月 高橋敏著 岩波新書
P62~忠治と在村剣術本間念流
6、国定忠治 平成18年2月 津本陽 光文社
P11~
7、群馬県人名大辞典 昭和57年11月 上毛新聞社
8、群馬銀行五十年史 昭和58年6月 大日本印刷株式会社
9、赤堀村誌上巻 昭和53年 赤堀村役場
P320~ 伊香保神社掲額事件、P840~農会
10、赤堀町誌 平成16年 赤堀町役場
P272~
11、群馬県議会史 別巻 群馬県議会議員名鑑 平成5年 群馬県議会図書館
P420
12、森村酉三とその時代 平成31年9月 群馬県立近代美術館
備忘録
赤堀在住の医者 足立竹陰(あだち ちくいん)
石碑 (大雷神社境内)
本間千代吉(初代)と本間三郎に
漢学を教える