伊勢崎銘仙アーカイブス

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 細野次郎家譜



 細野次郎(ほその じろう) 号:天真  政治家 実業家
 文久2年(1862)8月3日~
 大正5年(1916)6月15日 享年55歳
 2021年現在 生誕159年 没後105年
   明治21年(1888)~明治25年(1892)群馬県会議員
   明治35年(1902)~大正 2年(1913)衆議院議員
   明治38年(1905) 日比谷焼打事件の指導者






   両親の墓碑


同聚院(どうじゅいん)
伊勢崎市曲輪町14-5


 右:父 細野時敏の墓碑
 篆額「細野時敏翁碑」

 左:母 細野和可の墓碑
 篆額
「細野孺人澁澤氏墓碑銘」







  細野・渋沢 家系

 本人  細野次郎
ほその じろう
 文久2年(1862)8月3日~
大正5年(1916)6月15日
享年55歳
 華蔵寺公園に石碑在り
 父  細野時敏
ほその ときとし
 文政5年(1822)5月11日~
明治19年(1886)3月21日
享年65歳
 農業、穀物商
明治2年藩籍奉還の功で士籍
 母  細野和可
ほその わか
 文政8年(1825)推定~
明治6年(1873)2月19日
享年48歳
 旧姓 渋沢和可 後妻
渋沢喜作の長姉で渋沢栄一
従姉
 叔父  渋沢喜作
しぶさわ きさく
 天保9年(1838)6月10日~
大正元年(1912)8月30日
享年74歳
 渋沢栄一の従兄、名は成一郎
(せいいちろう)明治以降は
喜作と改名





     渋沢家系図

             従姉弟    
 (ニ代)渋沢宗助  一  長男  (三代)宗助  一    (四代)宗助    
    |           
     次男  文平  一  長女  細野和可  一  次男 細野次郎
         |      
    |     長男  渋沢喜作    
               
     長女  やへ  一  長男  尾高惇忠  一  長女 工女 ゆう
    |           
     三男 市郎右衛門   一  長男  渋沢栄一    


 細野次郎関係者の活動(存命)期間グラフ

 渋沢喜作  1838(天保9年)  1912(大正元年) 享年74歳
   ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
 渋沢栄一  1840(天保11年)  1931(昭和6年) 享年91歳
   ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
 石川泰三  1853(嘉永6年)  1943(昭和18年) 享年91歳
     ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
 下城弥一郎  1853(嘉永6年)  1905(明治38年) 享年52歳
     ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬
 細野次郎    1862(文久2年)   1916(大正5年) 享年55歳
       ▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬▬







 豪額「天真細野次郎君碑」















 説明板(翻刻)









  細野次郎は伊勢崎本町の政治家細野時敏の二男。幼時から、郷学責善堂の設楽天僕に教え
 を受け、20才のころ上京して商業講習所から商科大学に学んだ。27才で父に続いて県会
 議員に当選、伊勢崎太田県道の建議を行い開通に尽力した。明治35年(1902)衆議院
 議員となり前後三回の選挙にも当選。日露戦争直後の講和条約を不満とする日比谷焼打事件
 では、指導者として活躍した。
  大正元年(1912)伊勢崎に上毛撚糸株式会社を創設、工業試験所や県下で最初の工業
 学校の設立、染織業の振興、渡良瀬水力電気と利根発電の合併など、郷土の産業発展に数々
 の貢献を果たした。
                   (墓所 東京芝高輪 東禅寺)

               昭和63年8月 伊勢崎市
                       (社)伊勢崎青年会議所創立25周年記念
                    制作 街づくり市民ゼミナール歴史班




   コメント:織物組合や工業学校の資料からは細野次郎の名前は出てこないが、
        下城弥一郎との関係では名前が出てくる
        伊勢崎に金融機関の誘致を切望した下城弥一郎は細野次郎の紹介で
        公爵松方正義に会い、安田善次郎に群馬商業銀行を設立させたとある



  細野次郎が関わった主な企業

     
 沼尻鉱山
(福島県猪苗代町)
 明治21年
1888
 沼尻鉱山は福島県猪苗代町に以前存在した硫黄鉱山
明治21年7月に細野次郎・渋沢仁之助両氏が欧米式
蒸気精錬製錬を取入れ開発
明治33年7月安達太良山大噴火で火砕流が採掘場を
襲い死者72名・負傷者10名の被害が発生し全滅
 渋沢倉庫株式会社
(東京)
 明治30年
1897
 3月 渋沢栄一邸にて渋沢倉庫部を創立
明治42年7月 渋沢倉庫株式会社
 群馬商業銀行
(伊勢崎町)
 明治33年
1900
 2月 細野次郎の紹介で安田善次郎が
6月に群馬商業銀行を設立 (下城弥一郎)
監査役 細野次郎
 東上鉄道株式会社
(東京)
 明治44年
1911
 11月 東京と上州を結ぶ鉄道計画で創立(監査役)
大正3年5月 池袋~田面沢間33.5km営業開始
大正9年7月 東武鉄道と合併し東武東上線
 上毛撚糸株式会社
(現 伊勢崎市平和町)
 大正元年
1912
 9月20日 新築設立 後に 中島飛行機
旧 富士重工業伊勢崎製作所第2工業
現 とりせん平和町店
 渡良瀬水力電気
利根発電
 大正元年
1912
 12月 合併に尽力





 年 代  年齢  できごと
 1862
文久2年
1   8月3日 伊勢崎町に父 細野時敏、母 和可の次男として生まれる
 1873
明治6年
11   2月19日 母 (渋沢)和可逝去 享年48歳
     伊勢崎時代 藩校に学び、後に設楽天僕に教わる
     東京遊学時代 渋沢栄一が設立した現 一橋大学の前身の
 商業講習所(?)その後が大学に学ぶが中退
 1879
明治12年
17  11月 母 (渋沢)和可の墓碑を同聚院に建立
 1886
明治19年
24  3月21日 父 細野時敏逝去 享年65歳
 1888
明治21年
26  1月28日 群馬県会議員に当選
7月 沼尻鉱山(福島県猪苗代町) に細野次郎・渋沢仁之助両氏が
欧米式蒸気精錬製錬を取入れ開発
11月 通常県会で廃娼論を述べる
 1891
明治24年
29  2月25日 群馬県会議員に当選
3月23日 伊勢崎織物業組合に門柱を寄贈
 1892
明治25年
30  12月29日 群馬県会議員を辞職
 1897
明治30年
35   政治結社 三岳クラブを設立
 1900
明治33年
38  2月 細野次郎の紹介で安田善次郎が6月に群馬商業銀行を設立
 監査役 細野次郎
7月 沼尻鉱山 安達太良山大噴火で火砕流が採掘場を襲い死者72名
・負傷者10名の被害が発生し全滅
 1902
明治35年
40  8月 第7回 衆議院議員に当選 壬寅会(じんいんかい)に所属
 1905
明治38年
43  9月5日 日比谷焼打事件の指導者
 1908
明治41年
46  5月 第10回 衆議院議員に当選 憲政本党に所属
 1912
明治45年
大正元年
50  5月 第11回 衆議院議員に当選 無所属
9月20日 上毛撚糸株式会社を設立(現 とりせん平和町店)
 1913
大正2年
51  5月 病気のため衆議院議員辞任
 1916
大正5年
55  6月15日 逝去 享年55歳 戒名 天真院本光不昧居士
 細野次郎の墓所は 東京芝高輪 東禅寺
 1918
大正7年
  3月 父 細野時敏の三十三回忌 墓碑を 同聚院に建立

6月15日 三回忌 「天真細野次郎に事蹟紀念碑」
伊勢崎公園に完成し除幕式が行われる






 明治24年3月23日
 伊勢崎織物業組合に事務所完成

 正門に御影石(みかげいし)の
 門柱が4本建設されていた










 門柱の1本が組合敷地内に保管され
 寄贈者 細野次郎 と彫られている

  高さ 2m93cm
  横幅   46cm
  厚さ   45cm

 門柱の台座部分
  高さ  68cm
  横幅  54cm
  厚さ  45cm








 「両毛機業大観」 大正6年(1917) 発行 足利町 岡田重五郎

   上毛撚糸株式会社 伊勢崎町 取締役社長 島田由五郎
  上毛撚糸株式会社は、大正元年九月細野次郎主唱の下に、伊勢崎機業の発展進歩を目的
  として創立せられた会社である。
   重役は社長たる島田由五郎氏の外に、取締役として、永井篤三郎、関広吉、八田栄蔵、
  徳江弥三郎の四氏、監査役として葉住利蔵、星野源三郎、星野雷作、大沢惣藏の四氏が
  就任している。

   而して現勢力は、
    一,資本金     二拾一萬圓(21万円)
    一,建築、土木   事務所、寄宿舎、食堂、工場、機関室、倉庫
              工場(六百坪)、運搬軌通
    一,機械      伊太利式五十六台、一萬七百五拾二錘(つむ)
    一,繰返機     二拾台
    一,揚返機     三台
    一,動力      三十馬力、電動機二台
    一,蒸気機関
    一,職工      百三拾名
    一,業務      二 三本合せの縮緬材料

   戦後(第一時世界大戦)、英国の工業は偉大なる力を以て其能力を恢復(かいふく)し、
  我国の工業を圧倒せむと予想されて居る而して最も力を入れて、紡績業であるそうである、
  すでに英国が我国よりの紡績撚糸の器械の注文を拒絶して居るのは、その準備であるといふ
  ことである、両毛の撚糸業者の大いに留意攻究すべき近き将来の問題である。


   社歴 ことがら 
 1912
大正元年
   細野次郎主唱で伊勢崎町に上毛撚糸株式会社を設立
本社工場にて絹織物用撚糸の製造販売を開始
 1937
昭和12年
   前橋市に六供工場を開設
(前橋市六供町370 )
 1943
昭和18年
   伊勢崎の本社工場を中島飛行機に売却
本社を前橋市に移転
 1957
昭和32年
  橋勝織物工場(伊勢崎市太田町545-3)跡を
上毛撚糸(株)伊勢崎工場として使用
 1979
昭和54年
   上毛撚糸(株)六供工場跡に上毛シルクプラザを建設し
ダイエーを誘致
 1999
平成11年
   上毛シルクプラザからダイエー撤退
上毛撚糸(株)伊勢崎工場売却
 2000
平成12年
   上毛撚糸(株)伊勢崎工場跡に
伊勢崎メモリードホール完成
 2001
平成13年
   株式会社上毛に社名変更
 2008
平成20年
   価値開発株式会社に社名変更
 2021
令和3年
109   6月 ポラリス・ホールディングス株式会社に社名変更
予定



                     所在地 華蔵寺公園 遊園地 南門
 天真細野次郎君碑(翻刻)



   正二位公爵二条基弘卿篆額









君通称次郎號天真上野國伊勢崎人其先里見氏系出于清和源氏天文年間里見義尭居稲村城其子安勝居高萩城屬
上杉氏永禄六年爲由良國重所攻戦死子榮重走膳城改氏細野五世孫貞榮有四男季曰榮正是爲君中祖家世爲里生
考諱時敏出仕藩主酒井侯妣澁澤氏君其第二子也以文久二年八月三日生幼而穎悟嬉戯異群童初學藩黌藩廢受業
設楽天僕及長游學東京入商業講習所及大學業成帰郷明治十九年選群爲馬懸會議員會監獄移転問題起君率先提
出不信任案釐革秕政在職八年棄私殉公侃諤論事爲衆所推服三十年自由黨國民協會連衡抗進歩黨也君爲謀主革
地方小黨分立之弊風組織三嶽倶楽部尋群馬同盟會成適廟堂有政變本県政黨被其餘響分爲二派互相軋轢君居閒
調停不成乃助弱挫強新興一政黨又深慨中央政黨之溷濁糾合同志以謀其革新三十五年爲衆議院議員後再膺其選
三十八年日露講和條約成也國論囂々君亦憤外交失機宜與同志謀欲訴天閽飛檄開國民大會於日比谷公園先期警
官拘留君及同志臻期會衆與警官争闘有死傷法官問君曰鎭暴擧無方歟君慶聾曰有爲首相引責待罪闕下則熄矣法
官矍然既而君等被釋世謂之日比谷事件四十二年本懸行衆議院議員選擧也政友會推他郷人爲候補君説同郷人某
蹶起爭衝極力助之終達其志世稱爲模範選擧其他盡力興工業試験場設工業學校以振作染織業又合渡瀬水力電気
及利根發電之二會社以統一電気事業更託事于追貝探勝陽示豪奢而陰擴張其業曩者君所有磐城沼尻硫黄山爆發
也死傷殆百人君得報直抵其地懇問傷者厚葬死者救護撫恤無所不至爲蕩盡資産而不顧大正二年以疾辞衆議院議
員爾来卜居東京優游養痾五年六月十五日終不起享年五十五葬千東京芝高輪東禪寺法諡曰天真院本光不昧居士
先配澁澤氏無子後配岡田氏有二男一女長男忠夫嗣次信夫女節子皆幼君性俊爽豁達有機略接人不設畛域談論風
發處事果断任侠好義敬先進愛後進以故老壮多集門下又深重師恩二受教則終身執弟子禮不敢渝頃日郷人胥謀將
建碑于華蔵寺公園以表景慕之意以余與君有奮來徴文乃略敍其平云

  大正七年六月           樞密顧問官従二位勲一等子爵金子堅太郎撰
                              東禅寺 霄絶学書

                                    北原信年刻

  篆額(てんがく 篆文で書いた題字) 二条基弘
  撰者(せんじゃ 文章の作家)    金子堅太郎
  書者 霄絶学(おおぞら ぜっがく)東京芝高輪 東禅寺(細野次郎の墓所)の住職
  石工 北原信年

 碑陰
  上段は判読不能 最下段のみ、一部翻刻

  題字 建碑賛同者芳名
  (法 人) 伊勢崎織物同業組合       株式会社 伊勢崎銀行
        利根発電株式会社        明治商業銀行伊勢崎支店
        上毛撚糸株式会社

  (世話人) 伊勢崎町 石川泰三       伊勢崎町 板垣清平
        三波川村 飯塚志賀       伊勢崎町 羽尾勘七
        茂呂村  八田栄蔵       伊勢崎町 星野源左衛門
        大間々町 星野信蔵       前橋市  千輝仙蔵
        駒形村  高橋雄吉       前橋市  田島義万
        桐生町  高橋勝太郎      伊勢崎町 大和房吉
        大間々町 藤生丈三郎      宮郷村  森村堯太
        館林町  杉本八代




  大正7年(1918)6月15日 「天真細野次郎に事蹟紀念碑」伊勢崎公園に完成し
                  除幕式が行われる

 「上毛及上毛人」第31号 P44 大正8年6月発行 上毛郷土史研究会

  伊勢崎町華蔵寺公園に6月15日第三忌辰を卜して除幕式を行う、県下各方面の有志
 二百余名、当主 忠夫 外三名の遺孤は渋沢義一(渋沢喜作の三男)その他数氏と東京より列席。
  地元からは中川友次郎県知事(代理 渡辺警務課長)、安間佐波郡長、本間代議士、
 飯塚県議長、菊地伊勢崎織物同業組合長、篠原上毛新聞社長、戸谷伊勢崎町助役、


  除幕式の後、場所を華蔵寺本堂に移し、午前11時半に一同着席し挨拶

    1,世話人 千輝仙蔵(ちぎら せんぞう 前橋市)
    2,中川友次郎 県知事(なかがわ ともじろう)
    3,安間喜太郎 佐波郡長(やすま きたろう)
    4,本間三郎  衆議院議員(ほんま さぶろう 赤堀村)
    5,飯塚志賀 県会議長(いいづか しが 三波川村)
    6,篠原叶 上毛新聞社長(しのはら かのう 初代社長)
    7,菊池順之 伊勢崎織物同業組合長(きくち のぶゆき 茂呂村)
    8,戸谷清一郎 伊勢崎町助役(とや せいいちろう 伊勢崎町新町)
    9,世話人 杉本八代(すぎもと やよ 県会議員 館林町)
   10,遺族総代表 渋沢義一(しぶさわ ぎいち 渋沢喜作の三男)
   11,世話人総代表 石川泰三(いしかわ たいぞう 伊勢崎町長)

  食事後散会、「同地方稀に見るの盛儀にして轉た故人の声望の高かりしを想はしめたり」




 細野時敏(ほその ときとし) 政治家 豪農
  文政5年(1822)5月11日~
  明治19年(1886)3月21日 享年65歳
  2021年現在 生誕199年 没後135年






  「細野時敏翁碑」篆額
   伊勢崎市曲輪町 同聚院







翁諱時敏通稱季六郎幼名萬助細野氏生群馬懸伊勢崎町考諱節之稱逸平田口大佐
衛門次男祖考傅左衛門養爲嗣配其女諱季和翁其次男也翁幼英敏好學與藤森天山
野田笛浦寺門靜軒等交又學兵法造詣尤深矣家世爲里正翁亦継其職革田制進民利
明治三年任伊勢崎藩權大属尋官群馬縣及大蔵内務両省八年罷爾来帰郷爲伊勢崎
町戸長又選爲縣會議員専従公共之事翁資性温直好義夙抱勤王之志武田耕雲齋藤
田小四郎等擧兵於常陸來上毛也翁竊通款助其擧幕府捕翁幽閉者數月矣當時政令
不行暴民蜂起所在放火掠奪民財翁鎮撫之二年參血藩籍奉還以功列士籍蓋異数也
翁設義倉法發行米券開鑿道路架設橋梁改良蠶種其他盡力殖産興業者不逞枚擧伊
勢綺今日之盛翁之力居多焉十九年適罹病竟不起實三月二十一日也距生文政五年
五月十一日享年六十有五葬于白華山先塋之次先配新島氏生一女後配澁澤氏生二
男二女長男恒一長女壽美夭次男次郎襲家次女歸福岡氏次郎君徴余文未幾而歿末
亡人訪余曰良人在時告妾曰亡父碑文請金子子爵見諾追孝之念幸遂矣無復遺憾焉
語尚在耳願果前諾余曰翁之有功于世如此寧可沒哉又不記而傅因何稽其事蹟余雖
不文欲人之美者義不可辭乃據其行實以敍其梗概云
大正七年三月        枢密顧問官従二位勲一等子爵金子堅太郎譔文
                 正七位小林春成書并篆額 鱸猛鱗刻字




 文政5年(1822)伊勢崎町に生まれる
 幼い頃から英敏で学を好み、兵法も学んだ
 文久2年(1862)40歳 次男の次郎誕生
 明治2年(1869)47歳 藩籍奉還の功で士籍を授かる



    細野時敏年譜

 年 代  年齢  出来事
 1822
文政5年
1   5月11日 伊勢崎町に生まれる
 1841
天保12年
19   町年寄(町役人)
 1852
嘉永5年
30   名主(町役人)
 1862
文久2年
40   次男 次郎誕生
 1864
元治元年
42  勤王に志を抱き上州にきた水戸藩の武田耕雲らを助け、入獄数ヶ月
 1869
明治2年
47   藩籍奉還の功で士籍を授かる
 1870
明治3年
48   伊勢崎藩 伊勢崎藩權大属
続いて群馬県及び大蔵内務両省に転じる
 1873
明治6年
51   妻 和可(享年48歳)逝去
 1875
明治8年
53   辞して郷里に帰る
 1878
明治11年
56   伊勢崎町 初代戸長
 9月 石川泰三が卓然協同社(たくぜん きょうどうしゃ 政治結社)
を結成、顧問に就任
 1883
明治16年
61   8月 群馬県会議員に当選
 1884
明治17年
62   石川泰三「回天義塾」設立
教授に 細野時敏
 1886
明治19年
65   3月21日 享年65歳
 1918
大正7年
3月 三十三回忌 墓碑を 同聚院に建立
 故 細野次郎 後妻の(岡田)喜理からの依頼による




  細野和可碑
    伊勢崎市曲輪町 同聚院
   「細野孺人澁澤氏墓碑銘」篆額












孺人諱和可武蔵國榛澤郡血洗島澁澤君英芳長女也年二十七爲伊勢崎
町細野君時敏之継室爲人貞静而敏慧善事其姑撫先室之女如己出郷黨
歎美焉時敏君天資慷慨嘗憤時事罹奇禍繋獄數日孺人饋食寄衣百方救
護君遂得免既而大政維新君蒙抜擢奔走于王事在家日少孺人鞠育子女
訓誨有法使奴婢接郷閭皆得其宜使君毫無内顧之憂明治六年癸酉二月
十九日病歿享年四十有八葬于白華山先塋之側子女各二人長曰恆一夭
次曰次郎女一夭一尚在家葬後六年墓碣未建時敏君使次郎君徴豫文孺
人弟喜作君餘舊知也義不可辭乃敍其略如此且作之銘曰
賢哉孺人 治家有法 能助夫子 實成厥業

   明治十二年十一月    湖山居士 小野長愿撰
               從五位 長光書并篆額


   孺人(じゅじん 奥様)の和可(わか)は渋沢喜作の長姉で渋沢栄一の従姉(いとこ)、
  血洗島の出身27歳(1852年?)で伊勢崎町の細野時敏の継室(後妻)となる。
   細野時敏が勤王や明治維新後の公務に奔走するなか、内助に務めた
  明治6年(1873)2月19日病死、享年48歳 (1825年生?)
  先妻の新島氏との間には一女あり、可愛がること自分の子供の如し
  和可は二男二女を儲けるが長男の恒一と長女の寿美は早く亡くなり、次男の次郎が
  後継ぎ、次女は福岡氏へ嫁ぐ
  葬儀後6年経過したが墓碣が未だ建立されず。渋沢喜作と旧知の余が細野次郎に撰を
  依頼される
                  撰 小野湖山(おのこざん)



 出典・参考図書

  上野国 伊勢崎郷土誌 発行 伊勢崎町長 大野和信 明治43年((1910)6月
    複製 昭和56年(1981)3月 発行 伊勢崎郷土文化協会
     P58 小学校に250円寄付

  財界一百人  著者 遠間平一郎 発行所 中央評論社 明治45年(1912)3月
    国立国会図書館デジタルコレクション P311~314

  人物評論 得意の人・失意の人 著者 鵜崎鷺城 出版者 東亜堂書房
    大正元年(1912)9月 国立国会図書館デジタルコレクション P172~176

  両毛機業大観 著者 足利 岡田重五郎 大正6年(1917) P206~207

  群馬県議会議員名鑑(群馬県議会史 別巻) 昭和41年(1966)12月
    P410~411

  郷土人物叢書② 下城弥一郎 伊勢崎郷土文化協会 昭和52年(1977)3月

  群馬銀行五十年史 群馬銀行 昭和58年(1893)6月

  伊勢崎市史 通史編3 近現代 伊勢崎市 平成3年(1991)4月

  群馬の漢文碑(續) 著者 濱口富士雄 平成24年(2012)8月
    P9~13 細野次郎、P54~57 細野時敏、P285~286 細野和可




上段は判読不能 最下段のみ、一部翻刻

  題字 建碑賛同者芳名

 位置 住所   建碑賛同者芳名 ことがら 
 下四  赤堀村  本間千代吉
   赤堀村  本間三郎  
     小此木庫吉  
   殖蓮村  小保方栄次郎  
   采女村  岡崎清次郎  
   殖蓮村  川田勇作  群馬県会議員
   殖蓮村  川端兵作  
   三郷村  横堀八十吉  
   芝根村  髙橋清平  
   芝根村  髙橋嘉策  
   芝根村  高井惣吉  
   采女村  田島●三郎  
   豊受村  多賀谷三郎  
   名和村  髙橋敏太郎  
   宮郷村  力丸心平  
   采女村  長沼宗雄  
   赤堀村  中島祐八  
   赤堀村  中島雄太郎  
   上陽村  内山●十郎  
   殖蓮村  矢島次平  
   三郷村  矢内角太郎  
   三郷村  矢内信一  
     松本宗蔵  
   玉村町  町田孝五郎  
   殖蓮村  古郡仲三郎  
     新井安太郎  
     ●●太郎  
     斎藤●●  
     北爪●●  
 下三    北爪●●  
   茂呂村  菊池順之  
   采女村  宮崎●吉  
   名和村  宮田左京  
   殖蓮村  下城弥一郎  
   殖蓮村  下城雄策  
   殖蓮村  下城連三  
   境町  正田虎四郎  
   三郷村  平田源作  
   豊受村  平田隆寿  
   名和村  森川抱次  
   伊勢崎町  稲村伝吉  
     伊佐久蔵  
     飯島四郎  
     板垣庄七  
     橋本末吉  
     西脇豊次郎  
     星野雷作  
     星野貞次  
     本間億次  
     細野右左二  
     細野仲次郎  
     戸谷清一郎  
     徳江弥三郎  
     大沢虎雄  歯科医、硬式野球 赤石倶楽部会長
     岡田清平  
     大島宗平  
     大沢熊七郎  
     大竹高次郎  
 下二  伊勢崎町  若林源右衛門  
   伊勢崎町  川井菊太郎  市史299、301
   伊勢崎町  川上銀蔵  
   伊勢崎町  川端庄三郎  
   伊勢崎町  金井千代吉  
   伊勢崎町  金井直次郎  
   伊勢崎町  川田岩男  
   伊勢崎町  觀月祐願  
   伊勢崎町  武孫平  
     武要之助  
     田辺栄太郎  
     滝沢勝美  
     田口常三郎  
     高畑喜三郎  
     多賀谷伊勢松  
     中沢豊七  
     長屋新介  
     長島倉治  
     中沢時太郎  
     内山和助  
     野崎信之助  
     栗原虎吉  
     町田傳七  
     近藤治吉  
     阿部徳次郎  
     天田仙蔵  市史197 俳句 言霊碑
     天笠順蔵  
     新井甚五右衛門  
     新井新六  
     佐藤藤三郎  
 下一    斎藤太七  市史197 俳句 言霊碑
     設楽次郎  
     下城好雄  
     平野新三郎  
     平野清七  
     関重兵衛  
     関根貫之  
   吉井町  安藤馬五郎  
 法人  伊勢崎町  伊勢崎織物同業組合  建碑時の組合長 菊池順之
   伊勢崎町  株式会社伊勢崎銀行  現 群馬銀行(合併)
   東京市  利根発電株式会社  
   伊勢崎町  明治商業銀行伊勢崎支店  現 MIZUHO みずほ銀行(合併)
   伊勢崎町  上毛撚糸株式会社  現 伊勢崎市平和町19-1 とりせん
 世話人  伊勢崎町  石川泰三  
   伊勢崎町  板垣清平  
   三波川村  飯塚志賀  現 藤岡市
   伊勢崎町  羽尾勘七  
   茂呂村  八田栄蔵  
   伊勢崎町  星野源三郎  
   大間々町  星野信蔵  
   前橋市  千輝仙蔵  
   駒寄村  髙橋雄吉  現 北群馬郡吉岡町
   前橋市  田島義方  
   桐生町  高村勝太郎  
   伊勢崎町  矢本房吉  
   大間々町  藤生丈三郎  
   宮郷村  森村堯太  
   館林町  杉本八代  




 備忘録 今後の研究テーマ

  1,未読図書 「日本相場師列伝Ⅱ」 平成20年(2008)5月
    日本経済新聞出版 鍋島高明著
    第6章 侠気、侠骨、任侠の面々

  2,明治44年 華蔵寺公園において一大園遊会を催す
    其の費用実に五千円(明治の1円は現在価値2万円?)
    次期選挙対策 「財界一百人」より

  3,日比谷焼打事件 日比谷騒擾(そうじょう)事件 の指導者
    明治38年(1905)9月5日

  4,明治43年(1910)大逆事件(たいぎゃく)
    幸徳秋水(こうとく しゅうすい)との関係は?

  5,父 細野時敏 元治元年(1864)
    勤王に志を抱き上州にきた水戸藩の武田耕雲らを助け、入獄数ヶ月
    義弟 渋沢喜作との関係は 尊王攘夷、彰義隊等