伊勢崎銘仙アーカイブス

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 五十嵐吉蔵家譜

        五十嵐家の家訓 『権門に媚びず 金門に下らず』


 はじめに

      五十嵐吉蔵氏は伊勢崎市出身の国会議員として年配者には知られる存在である
     氏や氏の先代が伊勢崎織物の振興に多大なる貢献されたことをここにまとめた
 
   お名前  略 歴 ・ 功 績 
 祖父  五十嵐安蔵
天保14年(1843)生
五十嵐新蔵の長男
明治13年伊勢崎太織会社を設立
  父  五十嵐栄三郎
慶応元年(1865)生
五十嵐安蔵の長男
機屋の切望 坂東大橋架橋に尽力
 本人  五十嵐吉蔵
明治34年(1901)生
五十嵐栄三郎の長男
衆議院議員通算5期
 子  五十嵐俊夫
昭和2年(1927)生
 五十嵐吉蔵の長男
群馬県会議員連続8期
伊勢崎市に工業団地造成を尽力
 孫  五十嵐清隆
昭和27年(1952)生
 五十嵐俊夫の長男
群馬県会議員4期
平成20年(2008)より
伊勢崎市長





 五十嵐家のルーツを求めて




 新潟県三条市飯田に鎮座する五十嵐神社(いらしじんじゃ)
 近くには五十嵐川(いらしがわ)が流れる

 新潟大学の所在地は新潟市西区五十嵐(いらし)で
 近くには五十嵐浜(いらしはま)がある

 新潟県民の苗字ランキングで五十嵐の姓は第9位と多いい

 五十嵐の読み方は全国的には いらし と  であるが
 新潟県では半数は いらし と  で濁らない姓

 五十嵐の姓は新潟県と隣県(特に東北地方)に多く存在する





 新潟から伊勢崎へ




 伊勢崎市柴町 臨済宗円覚寺派萬松山 泉龍寺
 (せんりゅうじ)

 豊臣秀吉の奥州仕置で那波顕宗は上杉景勝に
従って参戦、九戸政実の乱(1591)で家臣
と共に討ち死にする






 写真 那波顕宗候(中央)供養塔、家臣十四騎の慰霊碑(右)





  家臣十四騎の慰霊碑の一番目(右端)には
     五十嵐近江 と記銘されている

















 五十嵐安蔵(いがらし やすぞう)
        天保14年(1843)~大正15年(1925)84歳

   伊勢崎太織会社から伊勢崎織物同業組合と組合に対する法が改正され名称が変わるが
  同じ組合員(構成員)である
   五十嵐安蔵は伊勢崎太織会社の設立から25年間、組合のナンバー2として貢献、
  明治19年伊勢崎織物講習所の設立、明治24年組合事務所の新築、明治26年の
  分裂問題等に対して組合長を支えてきた


            功労表彰状
                          五十嵐安蔵
    多年染織業に従事し本組合創設及事務所の新築に尽力し又数次重役に選はれて
    地方の産業に貢献せらる其の功績に顕著なりとす仍て銀杯壹個を贈呈して永く
    表彰す
       明治四十四年六月十八日
                  伊勢崎織物同業組合 組長 星野栄作

            (功労表彰状の本文以外はイメージ)



 五十嵐安蔵の組合役員歴

  伊勢崎太織会社   明治13年(1880)12月28日認可
               取締  明治14年3月 当選
               取締  明治16年3月 当選
               取締  明治18年3月 当選
               副社長(通称) 明治18年3月~明治19年3月

  伊勢崎織物業組合  明治19年(1886)11月13日認可
               取締  明治20年1月 当選
               取締  明治26年2月 当選

  伊勢崎織物商工組合 明治27年(1894)1月19日認可
               取締  明治29年4月 当選

  伊勢崎織物同業組合 明治31年(1898)10月15日創立総会
               評議員 明治32年1月 当選
               評議員 明治36年3月 当選(任期2年)




 五十嵐栄三郎(いがらし えいざぶろう)
         慶応元年(1865)~昭和8年(1933)68歳







 五十嵐栄三郎は五十嵐安蔵の長男として生まれ
大正寺村の松本宏洞に学ぶ
 郡会議員を経て大正12年(1923)に
群馬県会議員に選ばれ三選し昭和6年
(1931)には県議会副議長となった






     不完全ナル仮橋(舟橋)

  利根川は伊勢崎市と本庄の間を流れ 渡舟や舟橋・仮橋で地元民や豊受村・茂呂村の機屋は
 鉄橋の建設を願望した
  渡舟や舟橋・仮橋は豊受村・茂呂村の機屋が機回り( ハタシマワリ )で埼玉県本庄周辺の
 織り娘に引込みをした緒巻 (オマキ)を届け、織り上がったら回収でよく利用した





 五十嵐栄三郎は利根川に鉄橋を架ける大事業
に尽力し、昭和6年(1931)6月15日に
開通した








     旧橋のモニュメント

  現在の坂東橋は平成16年(2004)3月6日に架けかえたものである
  五十嵐栄三郎が尽力された当時の橋は坂東大橋北詰(伊勢崎市側)に記憶を後世に伝え
  ようと部材の一部を使用したモニュメントが建立されている




 五十嵐吉蔵(いがらし きちぞう)
       明治34年(1901)~昭和34年(1959)58歳





   五十嵐栄三郎の長男として生まれる
   大正7年(1918)旧制 安中蚕糸を卒業し、
   明治大学に進むが中退
   伊勢崎で絹織物業の経営に従事する
   昭和8年(1933)に父 栄三郎が県議会議員を
   現職で亡くなると、後継者として
   県議会議員を3期務める




  昭和17年(1942)翼賛会から衆議院議員選に立候補し当選するが、戦後は連合国
  最高司令官公職追放を一時受けたが昭和26年(1951)に復帰
  昭和27年に改進党から衆議院議員に当選、保守合同後は自由民主党に属し
  衆議院議員を連続4期、通算5期務めた


   蚕糸行政に一生を捧げた
   『権門に媚びず 金門に下らず』 清廉潔白な政治家

   五十嵐吉蔵の業績や人柄は昭和34年6月30日第32回衆議院会議において
   の追悼演説 同じ選挙区対立政党 日本社会党 茜ケ久保重光(あかねがくぼ しげみつ)
    追悼演説の全文が記載されている官報
   歴史の残る名演説であった




  五十嵐吉蔵と群馬社の関係

  *管理人が群馬社に関心があったので作成したもので、五十嵐吉蔵が関わった1つである

  五十嵐吉蔵   群馬社
 大正15年12月15日
(1926)25歳
   群馬県議会は養蚕農家救済に
関する建議書を可決
 昭和 2年 2月 6日
(1927)26歳
   有限責任組合「群馬社」の設立認可
 初代社長に大久保佐一
(原富岡製糸所長を兼務) 
 昭和 8年 6月19日
(1933)32歳
 群馬県議会議員に当選
父栄三郎逝去による補選
 
 昭和 9年10月22日
(1934)33歳
   「群馬社」社長大久保佐一自害
行幸取りやめの責任を負った
所謂「群馬社事件」
 昭和10年 9月22日
(1935)34歳
   「群馬社」の二代目社長に上田蚕
糸専門学校の早川直瀬教授を迎える
 茜ケ久保重光の追悼演説文より
 五十嵐吉蔵は昭和10年「群馬社」
に入り専務理事、副社長となり・・・
 昭和10年12月11日
(1935)34歳
 県議会で他府県の資本を
導入しない「ブロック経済」
樹立を訴えた
 
 昭和13年 8月 1日
(1938)37歳
   「群馬社」三代目社長に後閑祐次
受諾
 社長の候補に五十嵐吉蔵が一時
浮上した
 昭和17年 4月30日
(1942)41歳
 大政翼賛会の推薦を受け
第21回衆議院議員に当選
 後閑祐次 翼賛運動に専任する
ために社長を辞任する
 昭和17年 6月    「群馬社」は戦時下蚕糸業の一元
統制により群馬県の指導で群馬県
繭糸販売組合連合会(県糸連)に
合一された
 昭和18年
(1943)42歳
   「群馬社」は東京芝浦の沖電気に
身売り、軍需工場となる
 昭和20年 8月 5日
(1945)44歳
   「群馬社」は前橋大空襲で焼夷弾
の集中攻撃を受け全焼し潰滅
 昭和22年
(1947)46歳
   「群馬社」の焼跡に「群馬製糸」
として釜数130で再建
 昭和26年
(1951)50歳
 公職追放解除  「群馬製糸」倒産
 昭和27年10月 1日
(1952)51歳
衆議院議員選に出て当選
その後連続4期、通算で5期
務める
 
 昭和32年10月
(1957)56歳
 伊勢崎織物協同組合顧問に
就任
 
 昭和34年 6月24日
(1959)58歳
 逝去  


 群馬社の概要

  名称    有限責任組合 群馬社
  設立年月日 昭和2年
  所在地   群馬郡元総社村字稲葉152番地(現 前橋市元総社町)
  初代社長  大久保佐一(原富岡製糸所長を兼務)
  組合員数  12,228名
  出資総額  1,228,250円
  釜数    400
  敷地面積  28,000坪




















 群馬社の所在地跡(黒く塗りつぶした所)

 JR新前橋駅の北
 現在の群馬銀行本店、NHK前橋放送局の南








































 昭和初期 伊香保温泉の石段で記念写真
 群馬社の慰労会 工女さんで溢れた

















 群馬社事件の概要

  昭和9年(1934)「群馬社」組合員と経営上のトラブルから11月陸軍大演習の際に
 「群馬社」への行幸が取りやめとなり、大久保佐一社長が自害




 組合製糸(南三社は座繰製糸の製糸組合)と営業製糸(マニュファクチャー)
 南三社(碓井社、甘楽社、下仁田社の3つの組合の総称)と群馬社について

  明治5年(1872) 官営富岡製糸場操業開始し全国各地に器械製糸の普及を図ったが
 地元の群馬県においては器械製糸の導入は少なく、養蚕農家は組合を設立し組合製糸を行った
 組合製糸は改良座繰製糸で座繰製糸を組合製糸場において揚げ返ししたものである
 改良座繰製糸は明治初・中期にはよく売れ、上物は米国へ輸出された しかし明治後期からは
 器械製糸が要求され群馬県の指導等で器械製糸への転換を図ったが思うように進まなかった
  昭和2年群馬県の指導により器械製糸の組合「群馬社」を設立した




 参考文献
  五十嵐神社作成「五十嵐神社案内」
  五十嵐神社作成「五十嵐一族について」
  昭和 6年(1931) 伊勢崎織物同業組合史 国立国会図書館デジタルコレクション
  昭和34年(1959) 官報号外 昭和34年6月30日 故五十嵐吉蔵君追悼演説
  昭和54年(1979) 上州の苗字と家紋・上巻 萩原進編 上毛新聞社
  昭和57年(1982) 群馬県人名大辞典 上毛新聞社
  昭和59年(1984) 前橋市史 第五巻 前橋市
  平成10年(1998) 「かがやけ」稲葉 元総社町78区自治会誌編集委員会
  平成15年(2003) ぐんまの昭和史上 石原征明(ゆくあき)著 みやま文庫
  平成19年(2007) 群馬県農業史上  宮崎俊弥著 みやま文庫
  平成21年(2009) 群馬県農業史下  宮崎俊弥著 みやま文庫
  平成21年(2009) 絹先人考     上毛新聞社
  平成23年(2011) 南三社と富岡製糸場 今井幹夫著 上毛新聞社
  平成23年(2011) 私論上州伊勢崎  五十嵐一族小史 五十嵐基興(もとおき)著
  平成28年(2016) 富岡製糸場と群馬の蚕糸業 高崎経済大学地域科学研究所編