銘仙のルーツはインドに在り、括り絣は二進法なり、
織機のジャカード機はパンチカードシステム(PCS)の原理
情報産業(業界)今はIT産業(業界)である
伊勢崎市に在る(在った)企業や人物を
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電子計算機 → オフコン → パソコン
小型化・高速化・大容量・低価格化
有線・無線によるネットワーク化
著者 臂 守彦(ひじ もりひこ)伊勢崎市
ヒルズコンサルティング(株)CEO
(株)メディアライブ代表取締役
群馬県で最初の情報産業は
元 群馬県知事 清水一郎 税理士 (知事の在任 昭和51年~平成3年)が
昭和40年(1965)12月に設立した(株)群馬電子計算センターである
場所は前橋市千代田町 群信ビル内 嘗て在った喫茶店「田園」の南向かいのビル
松平緑常務(後に社長)が実務をされていた 計算機はパンチカードシステム
(PCS)で、ハンダで配線するものであった
業務内容は群馬県や市役所等の行政の税金等の発行事務
(株)群馬電子計算センターは現在(株)ジーシーシー 本社 前橋市上大島町
昭和42年(1967)12月 高崎市の公認会計士 本島三郎が
(株)本島ビジネスセンターを高崎市高松町に設立し現在に至っている
昭和43年(1968)5月 高崎市問屋町に井上物産(株)の井上卯一郎が
高崎卸商社街協同組合・組合員等の電子計算機共同利用を目的に
(株)高崎共同計算センターを設立(富士通FACOM230-20)
実務は弟の井上安平 専務(後に社長)があたった
昭和44年(1969)10月からテレビ・NHKコンピューター講座(FORTRAN)
6ヶ月が始まり、初年度のテキストの発行部数が70万冊を記録した
その後コンピューター講座はCOBOLも行われ昭和50年(1975)まで続いた
昭和45年(1970)通産省(現 経済産業省)情報処技術者試験が始まる
自動車運転免許の次に受験者の多い国家資格となった
コンピューターの爆発的な普及は多くの情報処理技術者 SE(システム エンジニア)、
プログラマー、オペレーター、キーパンチャー等を必要した そのため
(株)群馬電子計算センター、(株)本島ビジネスセンター、(株)高崎共同計算センター
とは違い、コンピューターでの事務代行を行わない、ソフトウェア企業が誕生
大企業で自社導入での経験者、計算センターでの経験者が次々と独立した
1、(株)マクロ情報処理研究所 現 マクロ(株) 竹内健(現 群馬県公安委員長)
と都丸弘文(伊勢崎市)が昭和45年(1970)9月に高崎市で創業
2、 板垣商事(株) 板垣源一郎(伊勢崎市)・ 板垣治明(伊勢崎市)並びに
廣山武雄(10年後に独立しシステム・アルファを設立)
板垣商事(株)は前橋市にて昭和46年(1971)創業
3、システム・アルファ(株) 廣山武雄 昭和56年(1981)9月
板垣商事(株)より独立し前橋市にて開業
伊勢崎市の状況
昭和40年代後半、富士情報産業(株)
が伊勢崎市連取本町1044-1(旧番地)
で創業、その後は不明(調査中)
昭和55年(1980)1月 システム開発(株)が伊勢崎市昭和町 三光ビル2F
で中村守司郎 社長が創業
昭和57年(1982)2月 佐波郡東村(現 伊勢崎市東小保方町)へ社屋新築移転
令和7年(2025)1月 (株)ITQUEST に社名変更
同時期に群馬総合電算(株)代表者 髙橋五郎
が伊勢崎市豊城町で創業し富塚町へ社屋新築移転
その後は不明(調査中)
電子計算機のラインプリンターで使用するビジネスフォーム、連続帳票の印刷業
大手はトッパンムーア等があるが、伊勢崎市では連取本町の第一印刷(株)の
油井寛治(後に社長)が昭和40年代後期から進出
分社化、スピンアウト、グループ企業等
県内で早かったのが桐生市の(株)三ッ葉電機製作所 現 (株)ミツバで
両毛電子計算センター 現 (株)両毛システムズを昭和45年(1970)1月設立
岡部工業(株)グループが昭和56年(1981)9月に(株)大倉コンピュータ
代表 榎良一 伊勢崎市中央町に設立
サンデン(株)がサンデンシステムエンジニアリング(株)を伊勢崎市宮子町に
昭和62年(1987)1月分社、現在は エクシオ・デジタルソリューションズ(株)
平成7年(1995)伊勢崎市「商店街振興組合本町百店会」がプロバイダー事業
を始めた