伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎地域別 旧佐波郡伊勢崎町(まち)




     明治9年度書上(佐位・那波郡の各町村が群馬県に報告した書上書)

 旧町村名  合併の変遷  太織(疋)
 伊勢崎町  明治15年伊勢崎市 186 
 殖蓮村  明治15年伊勢崎市 1,398 
 茂呂村  明治15年伊勢崎市 1,514 
 三郷村  昭和30年伊勢崎市 398 
 赤堀村  平成17年伊勢崎市 26 
 東村  平成17年伊勢崎市 ー  
 采女村  昭和30年境町 410 
 剛志村  昭和30年境町 786 
 境町(旧)  平成17年伊勢崎市 ー  
 島村  昭和30年境町 227 
 宮郷村  昭和30年伊勢崎市 346 
 名和村  昭和30年伊勢崎市 713 
 豊受村  昭和30年伊勢崎市 5,965 
 玉村 芝 上陽   1,115 
 16町村計   13,084 









  伊勢崎町(いせさきまち)は群馬県佐波郡の
 中央にあり

  南北に長く
   東西 10町    1,090m
   南北 27町50間 3,033m

  佐波郡の中心で佐波郡役所、警察署、郵便局、
 官公署があった

  現在の町名は
 曲輪町(くるわちょう)、大手町、平和町、
 本町(ほんまち)、中央町、緑町、三光町、
 若葉町、喜多町、宗高町、柳原町、寿町、西田町、
 華蔵寺町(けぞうじまち)、堤西町、堤下町、
 八幡町、末広町、乾町









 上野國 伊勢崎郷土誌(明治42年 群馬県訓令により作成)より抜粋

 機業戸数 128 
 同工場を有する者 28 
 賃織戸数  385
 職工数(男) 80
  〃 (女)  500
 機台数  450


 伊勢崎郷土誌 P280より抜粋
  現時字赤石にある組合事務所は、其位置につき、茂呂村と大なる競争を惹起(じゃっき)
  し、紛擾(ふんじょう)数月に亘りしが、遂に伊勢崎に確定し、明治23年10月建築
  せり。建坪66坪総二階建にして、市場の敷地1,280坪を有せり。・・・

  一時関西方面に於いては、伊勢崎縞と呼ばずして森村縞又は伊勢崎銘仙と称する程なり・・


 羽尾商店(六代目 羽尾勘七)


 羽尾勘七(はねお かんしち)は襲名である
 ここでは伊勢崎織物同業組合の組合長を務めた六代目の羽尾勘七を主に解説する
  (昭和6年発行の伊勢崎織物同業史)


 羽尾勘七(はねお かんしち)の祖先は江戸中期(享保)から雑貨店
 を始め、江戸後期(嘉永)には酒井下野守(さかいしもつけのかみ)
 より絹買商の免許を受ける
 明治の初年に買継商を開始し、桐生の書上氏に次ぐ取引高となる
 経営手腕はずば抜け
 1、郵便販売で支那、印度、フィリピン遠くはシベリアに達した
 2、全国重要な地に2、3名の店品を派して其取引状況嗜好品を
   調査させ、時勢に遅れざらんことに努めた





明治21年10月 伊勢崎銀行創立に参画
明治38年 3月~明治40年12月
         伊勢崎織物同業組合 組合長
明治42年11月~明治44年3月
         伊勢崎織物同業組合 組合長
大正14年 1月 逝去(90歳以上の年齢)
(群馬県の代表的人物並事業 大正6年発行)




  羽尾商店
  群馬県佐波郡伊勢崎町956番地


 大正14年11月23日 七代目の羽尾勘七は株式会社に組織変更し、株式会社羽尾商店
             取締役社長に就任
             八代目の羽尾四郎(明治35年生)は専務取締役に就任


 

 羽尾商店の倉庫・作業場のレンガ塀が残存





 伊勢崎市大手町11-20
 旧設楽外科医院の西塀

 伊勢崎織物会館の北東の信号の交差点
 から一方通行の道を東へ10m
 区画整理で交差点付近から見える





  レンガ塀の外側(南から北)





 羽尾商店は
 明治43年館林町に出張所を設ける
 大正6年に買継部を分離し大手町(当時は
 新町)に店舗を移転
 レンガ塀は羽尾商店の倉庫・作業場として
 利用された建物の塀である


 レンガの積み方はイギリス積である
 (富岡製糸場はフランス積)







  レンガ塀の入口(外側)





 設楽家のご厚意により特別に
 レンガ塀の内側から撮影が出来た








  レンガ塀の入口(内側)



 昭和20年8月14日の伊勢崎空襲で建物は
 焼失し、レンガ塀が残る
 その後は伊勢崎製糸株式会社(所在地
 栄町20番地 昭和23年~昭和33年)
 の工女さんの 2階建寄宿舎としてされ、
 設楽外科医院になった





  内側から(東側)北端


 羽尾商店に関する備忘録

   栗豊株式会社 窪田涛三郎は大正12年に羽尾商店に丁稚奉公に出され、後に番頭とな
  り、戦時下羽尾商店が栗豊鋳物工場を買収した際に経営を任せられた
   丸太商店の石原博司の羽尾商店に勤務し、その後独立した
   戦後、伊勢崎織物組合の役員名には羽尾商店の名は見られなくなり、栗豊と丸太商店が
  承継した

   八代目の羽尾四郎(羽尾呉服店)は昭和39年10月に3商店で合同デパート幸越を
  本町2丁目に開店、昭和48年8月7日 合同デパート 株式会社幸越廃業