伊勢崎銘仙アーカイブス

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 石川泰三物語

   石川泰三(いしかわ たいぞう) 雅号:是我(ぜが)
   嘉永6年(1853)12月26日~昭和18年(1943)12月22日 享年91歳
   2020年現在 生誕167年 没後77年


 諸家の観たる石川泰三翁(キャッチコピー)
 
(大沢一郎)
 吉田茂翁の如きもので、誰からも怖(おそ)れられ、亦敬(うや)まわられた方。

(下城雄策)
 政治家として「先見の明」・「見透しと決断」の二大要素をかね備えた市政治上まれに
みる大人物。

(中島徳蔵)
 精神的活動では、上州の一角に佐位那波郡が常に一歩他に抜ンでて居たのは翁の功。
 早く田舎に落ちつかず兎に角政治の中心地を離れなかったら・・・清浦以上の総理さへ
得られただろうと想像する。









  大正4年(1915)62歳から
  昭和7年(1932)80歳まで
  18年間わたり
  伊勢崎町長として活躍した












   年齢
町長としての治績(ちせき 政治上の功績)
 明治11年    政治結社 協同社を結成
 明治12年    伊勢崎町々議員に当選
 明治13年    回天義塾(かいてんぎじゅく)設立
 大正4年  62  伊勢崎町長に就任
 大正4年    4月 町立伊勢崎実科高等女学校(現 県立伊勢崎清明高)
 大正5年    伊勢崎町報(現 広報いせさき)を発行 毎月5日 月刊
   〃    自治講話会18回 町区内毎に開催 町長ら町政説明
 大正6年    町立商工補習学校(現 県立伊勢崎商業高等学校)
 大正7年    職業紹介所設置
 大正8年    母 栄子逝去、神葬祭で簡素な葬儀を自ら行う(現 新生活)
 大正9年    佐波郡立佐波農業学校 設立(現 県立伊勢崎興陽高等学校)
 (中学校は設置せず)
 大正10年    町立伊勢崎図書館
   〃    「町行政改善アンケート」を町民に配布し実施
 大正11年    
 大正12年    伊勢崎耕地整理組合を設立
   〃    方面委員(現 民生委員)を設置 群馬県下初
 大正13年  72  六間道路開通
 大正14年    
 大正15年    11月 町役場庁舎完成
 昭和2年  75  新開橋の完成、県道伊勢崎前橋線の開通
 昭和4年  77  桐生新道(県道)開通
   〃  77  伊勢崎郵便局の局舎完成
 昭和5年  78  南小学校校舎を町外の茂呂村に完成 全国でも例がない
昭和15年の茂呂村との合併への繋がった
   〃  78  「銘仙週間」実施
     10月 公益質屋の設置 庶民金融の便宜を図る
 昭和6年  79  伊勢崎競馬場開設(現 新栄町)昭和14年軍馬供出で廃止
競馬コースの内側に公認競技場を設置、陸上・野球・庭球・相撲大会
を開催する
 昭和7年    夏祭りを7月20~23日の3日間、
お盆は1か月遅れの8月14~16日と改めた
 昭和7年  80  12月 伊勢崎町長を辞任





 石川泰三翁のエピソード
 

























 石川泰三翁寿像建設記
  翁ハ嘉永六年十二月廿六日伊勢崎二生ル夙二教育ノ振興二志シ十八歳郷学責善堂肝煎次デ
  赤石学校教員ヲ務メ又回天義塾ヲ開キテ青年ヲ指導ス明治十四年佐位那波両郡学事委員二
  推サレ同十六年郡書記トナリ県属ヲ歴テ郡長二任ジ大正二年退官ス同四年伊勢崎町長二選
  バレ昭和七年辞職ス在職十八年各種財産ノ蓄積町役場中等学校郵便局図書館ノ建築公認陸
  上競技場水泳場ノ設置職業紹介所方面委員公益質屋等ノ社会事業施設ヲ為シ且耕地整理事
  業ヲ完成シテ大都市計画ノ基礎ヲ確立シ市制ハ本日実施セラル曩二華蔵寺沼ノ払下ヲ為サ
  シメ現公園ノ基ヲ開ケリ尚佐波郡農会長其ノ他公私団体ノ要職二推サルル等教育産業自治
  ノ発展二尽瘁スルコト前後七十余年従五位勲四等二叙シ又紺綬褒章ヲ下賜セラル翁今鉉米
  寿ヲ迎フ有志之ヲ欣ビ相謀リテ銅像ヲ建テ聊カ功績ヲ顕彰シ永ク風貌ヲ景仰セントス
  昭和十五年九月十三日
        寿像建設委員長 星野源左衛門撰
  (撰文者 星野源左衛門氏は第七代伊勢崎町長及び群馬県会議長を勤めた人である。)





    和服(伊勢崎銘仙)を着る先駆者

   石川泰三翁は何時も「羽織袴」 トレードマーク

  銘仙(太織)の着物に晒絹(さらしきぬ)の大名の浴衣
  を重ね、セルの角襟(かくえり)の被布(ひふ)セルの
  行灯袴(あんどんばかま)を穿(は)く

   石川泰三翁は織物組合に時間があれば足を運んだ。
  また銘仙の販売促進目的に町から「宣伝助成金」を
  支給







 第四回内国勧業博覧会で伊勢崎銘仙を宣伝

   明治28年(1895)4月1日~7月31日 京都府京都市岡崎公園
   石川泰三翁(42歳)は群馬県属(現 県職員)として県商工課から1年にわたり博覧会
  の担当として京都へ出張し、その間は伊勢崎織物の宣伝に努め関西方面への販売先開拓を
  行った。
   下城弥一郎(42歳)は同博覧会の織物審査員、下城弥一郎は博覧会に出品し有功二等
  賞等を受賞
   二人は同い年で、京都で毎晩豪遊したとか


 伊勢崎町(いせさきまち)に於ける銘仙週間(昭和5年の出来事)

   
 伊勢崎町長石川泰三氏は、伊勢崎町の産にして夙に銘仙と
 蜜接の関係あり、前半生は殆んど官海の人として恪勤の跡
 を印したりしが、後半生は自町自治體の経営に全力を傾注
 し、現に齢八十、第五期の町長として活躍、壮者を凌ぐの
 慨あり、銘仙の進興に関しては陰に陽に常に貢献せられつ
 つあり、本銘仙週間も亦同氏の考案にして、町内に於ける
 芸妓、酌婦、女中、女給凡て毎月一日より七日迄は銘仙を
 着用し伊勢崎織物組合のマークを打出したる帯止を使用し
 て客に接することとし昨昭和五年六月より実施して今日に
 至る、最初は兎角の不平等もありしが、現今に於ては、彼
 等自ら進んで之を実行するに至り、間接に宣伝の効果を奏
 しつゝあり。
  (昭和5年 伊勢崎織物同業組合作成ポスター)






  石川泰三の生家は、郷学 責善堂(せきぜんどう)の南で、隣りには細野時敏(ときとし)
 が住み、時敏の次男 細野次郎(後に衆議院議員)とは兄弟付き合い。
  細野時敏・和可 夫妻は泰三の少年期には世話をした

  年齢   できごと
嘉永元年
1853 
1   12月26日伊勢崎町168番地(現 本町2丁目)に誕生
父 石川武八(たけはち)は幼時に失明し三味線の名手 芸名を勘六
母 栄子(えいこ)は仕出屋で鰻料理が有名
 元治元年
1864
12   細野時敏の推挙で設楽天僕(したら てんぼく)の日精堂学舎(にっせい
どうがくしゃ)に学ぶ
 明治3年
1870
18   12月18日 郷学 責善堂の肝煎(きもいり 教員助手) 
 明治5年
1872
20   志を立て東京に遊学、渋沢喜作の家に寄宿し、
(細野時敏の妻 和可は渋沢喜作の姉)
尾高淳忠(おだか あつただ 富岡製糸場の初代場長)に学ぶ
 明治6年
1873
21   設楽天僕に招かれて、赤石学校の教員となる
 明治10年
1877
25  本町の生家の借地が売却され、 栄町(現 曲輪町)に移転し
書店「栄新堂」を開業する
10月4日 星野久満子(くまこ) 21歳と結婚  安政3年(1856)
生れ
 明治11年
1878
26   9月 卓然協同社(たくぜん きょうどうしゃ 政治結社)を武孫平、
野村藤太 等と結成
 明治12年
1878
27   4月20日 伊勢崎町々会議員に当選
 明治13年
1880
28   回天義塾(かいてんぎじゅく)を設立
通信教育の嚆矢(こうし)
 明治15年
1882
30   1月26日 父 武八 逝去63歳
 明治19年
1886
34   3月21日 細野時敏 逝去65歳
石川泰三は細野時敏への恩返しとして、葬儀万端の世話を引き受けた
 明治24年
1891
39   群馬県属(県の職員)に任ぜらる
 明治28年
1895
42   群馬県商工課から出張 4月1日~7月31日
第四回内国勧業博覧会 京都市岡崎公園
伊勢崎織物の宣伝に従事
 明治37年
1904
51   3月発行「群馬県営業便覧」の地図では石川泰三は西町(現 三光町)に
居住している
 大正2年
1913
   7月29日 妻 久満子 逝去58歳
 大正3年
1914
61   1月 武孫平の 弟 久宜(ひさのぶ)を養嗣子(ようしし 家督相続人
となる養子)に迎える
3月8日 横山マサ子 37歳と再婚する
昭和26年1月26日逝去75歳
 大正4年
1915
62   3月27日 伊勢崎町 町長 に当選(第4代)
 大正5年
1916
63   石川町長「いせざき駅」を「いせさき駅」に
呼称変更を要請する
6月18日 前代議士 細野次郎葬儀 東京芝高輪 東禅寺
     
     
 大正8年
1919
   7月25日 母 英子 逝去 86歳
     
     
     
     
     
     
 昭和5年
1929
78   「銘仙週間」実施、芸妓に銘仙を着用させる
     
 昭和7年
1932
80   12月 伊勢崎町 町長 退任
     
     
     
 昭和15年
1939
88  9月 伊勢崎市制施行
12月26日(誕生日) 従五位勲四等石川泰三翁寿像記
 撰並書 前伊勢崎小学校長 未至磨大洲(みしま たいしゅう)
 昭和16年
1940
89  1月26日 米寿を祝い銅像(寿像)を市庁舎北に建設、
銅像記の揮毫は未至磨大洲、翌日に銅像撤去
 昭和18年
1943
 91 3月23日 銅像を金属回収令にて供出
9月13日 銅像に換え、石像除幕式挙行
12月22日 逝去 菩提寺は本光寺、墓誌撰並書は未至磨大洲
 昭和19年
1944
   3月26日 故石川泰三翁の市葬が北国民学校(現 北小)講堂で行われる
 昭和26年
1951
   1月26日 故石川泰三翁の後妻 マサ子 逝去(75歳)
 昭和43年
1968
  5月30日 市役所新庁舎が今泉町に落成 
10月 故石川泰三翁の石像を移設
 平成29年
2017
   12月25日 「伊勢崎市石川泰三教育みらい基金」を設置
祖父 石川泰三翁の遺志を継いだ孫の石川昭三氏の篤志による
子供たちが国際的に活躍するための教育に必要な事業の財源に充てる






 出典・参考図書

 「伊勢崎織物同業組合」 昭和6年(1931) 伊勢崎織物同業組合
   伊勢崎町に於ける銘仙週間  P454

 「是我 石川泰三伝」 昭和47年(1972) 長谷川龍雄 伊勢崎郷土文化協会

 「街は生きている」 昭和58年(1983) 社団法人 伊勢崎青年会議所
   石川泰三はP8 石川町長時代に大事業

 「郷土に光をかかげた人々 1巻」 昭和60年(1985) 群馬県教育委員会
   石川泰三はP1~6 「計画的なまちづくり 信念と実行の人」
   他に礒部草丘、岡孝学、金井烏洲、設楽天僕、下城弥一郎、鈴木惣太郎、武孫平、
   田島弥平、本間千代吉 等が掲載されている

 「図説 伊勢崎・佐波の歴史」 昭和60年(1985) あかぎ出版
   五十嵐富夫著 P172 「町政の功労者石川泰三翁」

 「群馬県を築いた人びと」 昭和61年(1986) 県小中学校教育研究会社会部編旺文社
   石川泰三はP170~175 「伊勢崎の発展に尽くした町長」
   他に金井烏洲、下城弥一郎、野間清治、清水善造 等が掲載されている

 「諸家の観たる石川泰三翁」 平成2年(1990) 伊勢崎郷土文化協会
   未至磨大洲(みしま たいしゅう)編者「寿叢」の一部
   諸家(しょか 諸氏と同義 皆さん)の観(み)たる石川泰三翁

 「伊勢崎市史 通史編3 近現代」 平成3年(1991) 伊勢崎市
   石川泰三はP298~418 大伊勢崎計画と市制準備 石川町政の始まりと諸施策 等

 「地域における教育の伝統とソーシャル・キャピタルの形成 」
   ー伊勢崎地域における近世の地域教育と明治期の指導者ー 平成26年(2014)
   浦和大学・浦和大学短期大学部 浦和論議 第51号 松嵜久実

 「石川泰三展講演会レジュメ」 平成28年(2016)伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館主催
   「石川泰三と大伊勢崎構想」 講師:丑木幸男

 「是我 ━石川泰三伝━  講演会レジュメ」 平成30年(2018)伊勢崎市図書館
   郷土文化講座2 講師:三巻健一



 昭和15年(1940)12月26日
  従五位勲四等石川泰三翁寿像記                未至磨大洲

 石川泰三翁諱ハ敬明、号ハ是我又自惚一ニ酔古堂卜称ス。容貌魁偉眼光煩々闘志満々頗ル威重アリ。識見高邁毎二人ノ意表二出ヅ。東洋大学長中島徳蔵嘗テ翁ノ古稀ヲ祝シテ毫閣二列スペキノ材ナリト曰ヘルル至言卜娼フベシ。翁ノ教育自治産業社会事業等各般二亘リテ功績著大ナルハ洵二偶然二非ズ。父勘六母栄子翁ハ其ノ長男ナリ。嘉永六年十二月二十六日伊勢崎町二生ル。若ウシテ東都二遊学シ、明治三年十二月十八歳郷饗責善堂肝煎トナリ、六年九月赤石学校教員トナル。十一年一月同志相謀り協同社を設立シ図書新聞雑誌ヲ蒐集シ、毎日曜日会読論評シテ之ヲ公開シ、図書館ノ基ヲナス。十二年四月町会議員二当選シ、自由民権拡張藩閥打破国会開設請願地租改正監獄費国庫支弁等ノ政治運動二参画シ、雑誌自治ヲ発刊ス。同年五月卒先献金ヲ纒メテ電信局設置ノ請願ヲナス。十三年五月青年教養ノ為回天義塾ヲ開キ漢学・英学・数学等ノ講演ヲナシ、之ヲ講義録トシテ印刷頒布ス。蓋シ通信教育ノ嘴矢ナラン。十四年佐位那波両郡学事委員二推サレ、十六年十二月郡書記二任ジ郡内教育ノ発達改善ヲ計り、ソノ成績県下第一位卜称セラル。二十三年五月華蔵寺沼ノ無償交付及堤塘樹木ノ払下ヲ為サシメ、公園設置ノ基ヲ開ケリ。二十四年二月群馬県属トナリニ十九年吾妻郡長二任ジ、佐波・山田・勢多ノ郡長ヲ経テ従五位勲四等二累進ス。到ル処功労ヲ積ミ令名ヲ博セリ。大正二年九月退官ス。四年三月伊勢崎町長二当選シ、昭和七年十二月迄在職十八年其ノ間町役場ヲ建築シテ自治体ノ基礎ヲ固メ、高等女学校・商業学校・青年学校・図書館・公認陸上競技場・水泳場等ヲ建設シテ教育ノ発達普及ヲ計り、大正七年四月職業紹介所ヲ設ケ、十二年一月県下二率先シテ方面委員ヲ置キ、公益益質屋ヲ設立シ、慈恵資金・罹災救助資金ヲ積立ツル等社会事業二尽庫セリ。昭和三年十一月郵便局舎ヲ建築シニ十五年間政府二貸付ク、其ノ収入蓄積シテ拾鯨萬円二達スル予定ナリ。其ノ他各種財産ノ蓄積ヲ計レルモノ甚ダ多シ。大正十二年四月都市計画ノ前提トシテ道路街街水路ノ改善ヲ計ル為、伊勢崎耕地整理組合ヲ起シ、且佐波新田用水耕地整理組合卜契約ヲ締結シ永久二常時十箇ノ水量ヲ得、下水道ノ疏通ヲ計りシ等経営十八年経費四拾絵萬円ヲ以テ夫々目的ヲ遂ゲ、昭和十五年七月十二日華蔵寺公園二耕地整理事業完成ノ記念碑ヲ建設セリ。大正六年四月佐波郡農会副会長、十四年一月同会長二選バレ郡内農業ノ改良発達ヲ期シツツアリ。昭和十年七月伊勢崎織物同業組合顧問二推薦セラル。大正十二年十一月群馬県町村長会副会長二、昭和四年一月同会長二当選シ退任ノ後顧問二挙ゲラル。大正十五年九月満洲戦跡ノ視察ヲナス、其ノ際奉天ニテ自動車衝突シ大傷ヲ負ヒシモ幸ニ回生セリ。爾来衛生二留意シ讐鎌壮者を凌グモノアリ。昭和七年十一月新宿御苑二於ケル観菊会二夫人卜共二招待セラル。十三年八月紺綬褒章ヲ賜フ、曇二金壱萬四千六百円ヲ町費中二寄附シタルニ依ル。爾絵褒章ノ類挙ゲテ数フベカラズ。本年九月十三日市制ヲ施行セラル、翁が宿望タル大伊勢崎ノ実現亦期シテ待ツベキナリ。十一月十日紀元二千六百年式典挙行二際シ首相近衛公爵ヨリ県民総代トシテ宮城外苑二招待セラル。家門ノ光栄加フルニナシ。配久満子当時星野三郎次長女淑徳ノ聞高シ、大正二年七月逝ク。後配マサ北甘楽郡一ノ宮町横山八老寿次女、共二内助ノ功有リ。子無シ、同三年一月武孫平弟久宜ヲ養嗣卜為シ、横浜市小林樹こ二女登志ヲ娶り男女二孫ヲ挙グ。翁今鉉米寿ヲ迎へ寿像ヲ営ムニ当り文ヲ予二徴ス。翁(予ノ学祖タルノ々`ナラズ其ノ知ヲ辱ウスルコト茲ニ二十年、辞セズシテ梗概ヲ叙ス。

   昭和十五年十二月二十六日
        前伊勢崎小学校長 勲八等 来至磨大洲撰並書


 昭和16年(1941)1月26日
  石川翁寿像建設協賛会
    建設資金壹萬五千七百円也





 石川泰三翁胸像の裏側(東側)













  左側手前に緑色の石に
   拠出者芳名が彫られている









 拠出者芳名  職業・所属等
 伊勢崎町  
 佐波郡農会  
 伊勢崎耕地整理組合  
 伊勢崎織物同業組合  
 佐波新田用水耕地整理組合  
 境倉庫株式会社  
 伊勢崎町方面事業助成会  
 伊勢崎町農会  
 板垣清平 第2代目 板垣清平 いせもく社長
 板垣源四郎 初代伊勢崎市長
 武孫平 第11代武孫平(宜教)運送業、弟の久宜が石川泰三の養子
 山田喜作 土木工事業 臺石制作者 華蔵寺公園の燈台寄付者
 下城好雄 下城弥一郎の次男、買継商、第2代伊勢崎市議長
 大島宗平 肥料商 西町から中央町へ移転
 井下辰雄 第23代 織物同業組合 組合長、商工会議所 初代会頭
 板垣籐平 不明
 橋本末吉 大津屋 新生会設立
 橋本勝 伊勢崎市議会議員
 橋本康治 伊勢崎織物同業組合 評議員
 羽尾四郎 商工会議所(商工業報国会 )副会長、織物組合評議員
 本間千代吉 第2代目 本間千代吉、貴族院議員
 星野源左衛門 第7代伊勢崎町長
 星野善作 伊勢崎織物同業組合 評議員
 大沢三郎 第2代伊勢崎市長
 荻原喜代次 第24代織物同業組合 組合長
 吉沢惟雄 結核治療医、県会議員
 中沢豊七 第6代伊勢崎市長
 山田●六 不明
 小暮重三郎 第21代織物同業組合 組合長 
 天田清三郎 織物同業組合 副組合長
 佐藤籐三郎 佐藤籐三郎商店 糸商
 斎藤幸太郎 佐波郷友会
 下城虎次 第20代織物同業組合 組合長
 下城雄策 第18代 織物同業組合 組合長
 平田吾郎 第19代織物同業組合 組合長
 瀬下実 山楽荘 料理店
 森村堯太 第2代目 森村堯太(良策)、 銀行家
 杉原傳七郎 酒造業(杉原酒造)
 星野貞活 不明



 会長  星野源左衛門 第7代伊勢崎町長
 特別委員  板垣源四郎 第6代伊勢崎町長 僅か11日間で辞任、後に初代伊勢崎市長
   羽鳥升平 伊勢崎織物同業組合理事、組合史を編集
   大島宗平 商工会議所(商工業報国会 )会長
   大沢三郎 第2代伊勢崎市長
   太田鷲雄 不明
   鎌塚芳五郎 第3代伊勢崎市議長
   武孫平 第11代武孫平(宜教)運送業、弟の久宜が石川泰三の養子
   中島新三郎 伊勢崎市議会議員
   佐藤籐三郎 佐藤籐三郎商店 糸商
   下城好雄 下城弥一郎の次男、買継商、伊勢崎市初代議長
   白石海 伊勢崎織物同業組合 評議員
   森村茂樹 宮郷村長


    昭和十六年一月二十六日
      寿像制作者 東京都板橋区 石塚裕康
      臺石制作者 伊勢崎市本町 山田喜作
      未至磨大洲書


 昭和18年(1943)9月13日
  石川泰三翁銅像に換え石像設置



 大東亜戦争起ルヤ
 皇軍ノ戦果偉大ナ
 ルニ伴ヒ戦資ノ需
 要亦莫大ナリ是ニ
 於テ石川翁ノ銅像
 モ軍需資材トシテ
 献納セラル仍テ換
 フルニ瑞穂石ノ胸
 像ヲ以テス

  昭和十八年九月
    伊勢崎市長






 石川泰三関係者の活動(存命)期間グラフ

  明治・大正時代の平均寿命は44歳
   
 石川泰三  1853(嘉永6年)  1943(昭和18年)12月22日 享年91歳
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 下城弥一郎  1853(嘉永6年)  1905(明治38年) 享年52歳
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 武孫平(第10代)   1859(安政6年)  1911(明治44年) 享年53歳
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 中島徳蔵    1864(元治元年)   1940(昭和15年) 享年77歳
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 星野源左衛門  1872(明治5年)  1943(昭和18年)2月10日 享年72歳
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