伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎地域別 旧佐波郡 三郷村(みさとむら)


































 明治22年(1889)4月1日 三村が合併し三郷村が成立

   波志江村(現 波志江町 はしえまち)
   安堀村 (現 安堀町  あんぼりまち)
   太田村 (現 太田町  おおたまち))


佐波郡三郷村 郷土誌(明治42年 群馬県訓令により作成)より抜粋

 第5節 工業
 本村は殆ど純農業地なるを以て専ら工業に従事するものは、甚少く僅に伊勢崎銘仙の製造に
 従事するもの及び農家の婦女子が副業として賃織をなすに止っている。

年 度 明治42年  昭和3年 
 機業戸数 145戸  276戸 
 賃織戸数 ー  ー  
 職工数(男)  ー  ー  
  〃 (女)  ー   -  
  〃 (計) 455人  277人 
 機台数 455台  277台 
 産額 (純絹織) ー   ー  
  〃 (絹綿交織) ー   ー  
  〃 (計) 11,256  9,600 
 価格  5,065円 67,200円 





 三郷村出身者

 



 吉沢惟雄(よしざわ これお) 雅号 広瀬
 三郷村大字安堀(伊勢崎市安堀町)












 氏名 専門 生没年   経歴
 吉沢惟雄
よしざわ これお
 結核治療
県会議員
俳句
 1885
明治18
 ~
1974
昭和49
 母は小暮栄三郎(伊勢崎銀行 初代頭取)の三女、
明治37年前中卒、旧制一高、大正元年東京帝国
大学医学部卒、同大にて結核の研究 医学博士
関東大震災で帰郷し三郷村安堀に吉沢医院を開業
昭和17~22年県議会議員、雅号を「広瀬」
広瀬川畔に句碑がある



 吉沢広瀬句碑

「一睡の夢の明るさ合歓の下  広瀬」

 所在地 伊勢崎市図書館西 広瀬川畔
 建立日 昭和53年3月
 建立者 吉沢先生を偲ぶ人々
     会長 大沢一郎
 施工  柏井建設株式会社
 石工  井田石材店








 赤城の言霊碑(あかぎのことだまのひ)

 「都をば垂り穂と伏して拝みけり  広瀬」

 所在地 伊勢崎市華蔵寺公園
     (戦前は 伊勢崎公園 )
     華蔵寺裏山(通称)
 建立年 昭和16年
 建設資金は吉沢広瀬の拠出
 吉沢広瀬の首唱 句数表裏42句中に広瀬
 の句は10句刻まれ内8句は赤城山を詠む












 表面上段の俳画 あやめ は礒部草丘
 書は宇野菜花洞(柳八)による





























 礒部草丘(いそべ そうきゅう) 宮郷村宮古出身 日本画家
  本名 礒部覺太 雅号 草丘(そうきゅう)句号 尺山子(しゃくざんし)
  明治30年(1897)3月24日~昭和42年(1967)1月9日 享年69歳

 宇野柳八(うの りゅうはち) 宮郷村宮古出身 小学校教師 礒部草丘の恩師
  句号 菜花洞
  明治4年(1871)8月15日~昭和18年(1943)5月1日  享年72歳