伊勢崎銘仙アーカイブス
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 新聞で辿る 伊勢崎銘仙

 

 「東京朝日新聞群馬版」に大正13年(1924)7月~昭和20年(1945)3月
 までの記事の中から「伊勢崎銘仙」に関係した記事をピックアップしコメントを加筆

和暦
西暦
東京朝日新聞群馬版 掲載日と記事
大正13年
 1924 

 8月28日 伊勢崎銘仙の発展を講ず 新販路の開拓に努力せん
10月10日 売行き凄じき 県下の織物界 就中伊勢崎 桐生は大繁忙
        生産過剰を注意せよ
10月15日 伊勢崎銘仙を桐生で製織す 有名な大工場が賃織をやる
        桐生無視さる
       *桐生産地では伊勢崎銘仙を下請けとして製造した
        いせちん を言われた

10月26日 桐生と伊勢崎 機業の特質 賃業者の面倒を見てやれ
11月15日 警戒せよ油断は大敵だぞと 市毎に百万円の取引ある
        伊勢崎組合で警告を発す
11月19日 順風に帆を上ぐ 伊勢崎織物界 製品の争奪行はれ
        一市百万円の取引で二割昂騰
11月26日 桐生の伊勢崎銘仙 賃織益増加の傾向がある
 大正14年
 1925
 1月 7日 優秀な成績を挙げた 伊勢崎銘仙 158万1860疋
        3,503万円に達す
 1月10日 桐生足利の賃織を如何見る 伊勢崎織物界の大問題
        賃織は永久的産業の基礎でない 此際大方針を樹立せよ
       *足利産地でも桐生産地と同じく伊勢崎産地の賃織
        いせちん
 1月31日 群馬産業界の偉勲者買継王逝く 伊勢崎町の大恩人
        奮闘的人格者羽尾勘七翁
 2月 1日 羽尾翁の功績は偉大のものだ 大正九年の恐こう切り抜けが
        第一の功=葉住松堂氏談
 2月22日 積極方針で発展に順応する 伊勢崎組合の新事業 本紙記事
        の反響から当局の努力 一千台以上の力織機工場を建設
        賃機廃止方針確立
 2月27日 伊勢崎銘仙競技会 異常なる進歩を認む 四大問屋の代表者
        講評す
 3月24日 熊本共進会で 伊勢崎銘仙好評 観客の注意を引き
        第一日に大部分売約済となる
 4月 3日 損失を見て猛進する伊勢崎機業界 警戒して製織継続に決す
 4月16日 関西九州の呉服店には 伊勢崎銘仙が主要品 織物の視察か
        ら帰った 多賀谷理事語る
 4月28日 伊勢崎織物は 気を付けないと声価を失墜する
 5月 2日 伊勢崎工業会から 組合へ警告す 品質の低下防止
        ゆがんだたがをしめろ
 5月15日 飛ぶように 売れる夏織物 伊勢崎織物の活況
 6月14日 三十年来見ぬ 織物業の不景気
       うらやまれた伊勢崎が此の通り
       倒産者の出ない理由 伊勢崎石原善平氏談
 8月16日 程よい値段で 冬物戦展開 堅実一方で取引の
        伊勢崎織物界現状
 8月19日 伊勢崎銘仙 冬秋向一期戦に入りて当業者に望む
        伊勢崎組合多賀谷理事談
10月 7日 織物税改正反対の記事が10月23日までほぼ毎日続く
10月27日 県下野球界の恩人 惣(鈴木惣太郎)さんの渡米
       「欧米の野球を研究して御土産にします」
11月15日 伊勢崎銘仙 宣伝盛況を極む 大阪市での催し大成功
11月25日 羽尾商店の 株式組織実現 社長以下重役決定 二十三日
        創立総会開会
12月 5日 織物消費税と 伊勢崎の決議 現行税率維持
 大正15年
 1926
  1月 7日 不景気に打ち勝った 伊勢崎織物界 見よ此の生産高を
        製品の向上顕著
 4月20日 伊勢崎を亡ぼす 文化銘仙織 非風惨雨 一時に至る
        織るなら品質を宜くせよ
 4月21日 伊勢崎の不況は 賃織が原因だ 生産過多は之が爲め
        = 羽尾勘七氏の観測 *羽尾勘七は襲名
 4月22日 利益のあるは十分の三だ 伊勢崎ではかすりを多くするの
        が急務 石原善平氏の伊勢崎織物意見
 4月25日 姫路で好評の 伊勢崎織物
(7月~12月新聞欠)
 昭和 2年
 1927
 1月11日 大正回顧録㈢ 発展の一路を 伊勢崎銘仙
        十五ヶ年間の成績 全国切望のまと
 1月12日 大正回顧録㈣ 落ちてこそ 浮かぶせもあれ
        大正十五ヶ年の 伊勢崎銘仙その二
 1月13日 大正回顧録㈤ 震災も物かは 結束の威力
        禍を福に転じた 伊勢崎銘仙その三
 1月14日 大正回顧録㈥ 大正記念の 織物競技会
        施設したかずかず 伊勢崎銘仙その四
 3月 8日 伊勢崎織物の将来は 海外相手の広幅に進む
        現在六百台の機械は何れも並幅物を織ってる状態
        広幅の発展せぬ理由
 3月15日 伊勢崎組合の ころも替え なんの滞りもなく
        予定通り役員改選
       郷党の後援に 伸びゆく芸術 天才的工芸家
        森村(酉三)さん 近く郷里へ錦を

 4月23日 財政安定に善処する為め 全県の銀行休業・・・
        銀行の休業から 伊勢崎織物休市 問屋筋も休市を喜ぶ
        組合では対策を協議
 5月 7日 手形の決済期 延期しない 伊勢崎組合の決議
        今後の方針は委員会一任
 8月 2日 伊勢崎織組合に 県から警告を発す 同業組合法の違反
        を認む 組合当事者も非常にろうばい
        伊勢崎織物の模造品を生産 不景気からの手段
        (桐生、足利方面で)
 8月 5日 伊勢崎銘仙の 自衛索は結構 名声維持 当然の手段
12月23日 ほぐし織の 特許権を買収(伊勢崎織物組合)
 昭和 3年
 1928
 1月12日 御大典に因む 夏向き銘仙 地色は鉄系統が中心か
        伊勢崎工試の予想
 1月17日 伊勢崎市場増設問題 買継商の反対で当分は実現不可能
 3月15日 アメリカへ帰る 野球でおなじみの惣(鈴木惣太郎)さん
        来月の四日またも出発

 4月 7日 不良織物に 組合から警告 問屋から突っ込まれ
        伊勢崎で協議の結果
 4月14日 絹糸紡績は 生産せぬ 伊勢崎の協議
 5月 3日 値が安いには 生産過剰から 伊勢崎では協議の結果
       計画を立てゝ制限
 8月11日 苦心の割合に よい物が少ない 伊勢崎織の競技に
        三都市代表呉服店の批判
 8月17日 知事夫人伊勢崎へ 織物組合でお買ひもの
 8月22日 本庄の加盟は 絶対に許さぬ 商工省からの回答に
        伊勢崎で対策を
 9月15日 一時景気にせよ 伊勢崎織は盛り返す 組合では粗製品を
       どしどし やり玉にあげる取締方針
10月19日 商業会議所 新設は困難 伊勢崎織物組合冷淡で
        大島かすり 宣伝売出し(伊勢崎大島進興会)
10月30日 白秋(北原白秋)氏等視察 桐生民謡の作歌作曲のため
       (伊勢崎町にも)

11月30日 伊勢崎民謡 北原白秋氏作
12月 8日 伊勢崎銘仙好評 名古屋博で賞賛さる
        伊勢崎織物組合書記帰って大喜び
 昭和 4年
 1929
 1月16日 花のパリを飾る 初の日本美術展 大家として選ばれた
        上州人 森村酉三の出品

 1月22日 文化銘仙改織 三月一日実施(伊勢崎織物同業組合)
 1月31日 官界から実業へ 伊勢崎織物組合の理事に
        一転期の羽鳥升平氏
 2月12日 カラリコ節 あす放送 伊勢崎の芸者
 3月 6日 埼玉の九町村 伊勢崎に編入(織物組合)
 3月17日 商工会議所設置 調査費を予算に計上
        伊勢崎に来年度実現する
 5月 7日 地区外織は拒絶 伊勢崎の申合せ 不況対策の協議会で
        組合と町当局に代表陳情
       夏物晩季近づく 伊勢崎の並物四五銭安 他産地の侵略防止
 5月16日 秀れた人絹九寸 伊勢崎は意匠が優秀
        東日本織物共進会の概評
 5月18日 深刻な不況対策に 伊勢崎全体を決議 織組も賛成して
        市価維持努力 組合員に通牒警告
 5月21日 全町の智を集め 不況対策懇談会 生産調整の徹底を期して
        伊勢崎が深刻を切抜
 8月28日 伊勢崎織物 製織難に陥るか 市場相場に伴はぬ織賃で
        織工争奪猛烈となる
10月15日 礒部草丘氏入選 佐波郡宮郷村の出身
11月10日 森村(堯太)を中心に 膳桂之助氏擁立 呼声高まり近く
       交渉 実現すれば郡外散票せん(佐和民政クラブ)

11月22日 金解禁期日発表されて 各方面の影響いかに
        織物界は立直し気分で進み 製糸家は安定予想
       銘仙の前途 洋々あるを確信 平常難局に処す準備
        下城伊勢崎織物組合長談
       原料安で 無影響 羽尾社長語る
12月18日 伊勢崎織物界 危機を脱す 不況にも生産四分減
        明春は更生の堅実へ
       夜逃に直下げ 歳末行進曲 さても賑やか伊勢崎
        洋品店が挑戦売出の広告
 昭和 5年
 1930
(1月~6月新聞欠)
 7月 9日 全国にさきがけ 消費税低減を運動 伊勢崎織物同業組合で
        陳情決議 猛運動を申合す
 8月29日 美しい貴女の曲線美が 感涙にむせぶ人造絹糸
        伊勢崎銘仙宣伝の八重子(水谷八重子)嬢
 8月30日 相場が下がる度に 銘仙を突き返す 横着極まる問屋側に
        伊勢崎織で返品対策協議
 9月12日 無傷の織物 むやみに返品 伊勢崎織買継制度に 一問題は
        免れぬ形態
 9月13日 伊勢崎銘仙 断然 他産品を圧倒す
 9月17日 秋風身にぞしむ 不況色街の女達 伊勢崎だけで五百七十名
        白粉も煙草も買えず

 9月19日 銘仙時代に 活気づく機業家 然し採算は不引合 伊勢崎の
        織元は四苦八苦 伊勢崎織で注意 今後は補充的の程度
        特に無謀な生産は避けよと
10月10日 北海道へ 宣伝会 伊勢崎の銘仙
10月12日 銘仙の局面打開 行詰った意匠に一工夫と
        伊勢崎組合で新研究
10月16日 南画二点が入選 礒部草丘氏(帝展)
12月 7日 今が銘仙の買時 春物は三四割高 一時的でない玉糸の高値
        に 伊勢崎の機屋恐慌
12月23日 不景気は逃げた すごい伊勢崎織物 銘仙の世界は目覚しい
        売行 歳晩の市場めぐり
 昭和 6年
 1931
 5月 3日 日曜日の話題 夢二(竹久夢二)画伯の見た銘仙街
        伊勢崎織に苦言 敷物を平気で着用の日本人
        古きものに新味
 昭和 7年
 1932
 1月16日 銘仙座談会 伊勢崎物の 特徴発揮 褒める言葉よりも
        苦言を遠慮なく進呈
 1月23日 草花模様はもう駄目 伊織に百貨店の要望
 1月26日 買継店を排除 ふらつく伊織の相場に直接取引きを要望
 3月 5日 酷評を浴ぶ 文化締切銘仙の低調
 3月 6日 織物合戦遂に爆発 類似の粗悪品流出販売問題から
        伊勢崎が館林を告発
 6月11日 解雇 事業縮小の伊織会社
 6月16日 伊織を革新 工業組合設立の叫び
 8月28日 伊勢崎銘仙 五七十銭高 各品一斉狂騰
12月16日 新に八雲織 伊勢崎で伝統を破って 人絹交織を認める
12月20日 遂に決裂す 伊織工業組合と買継商 相互組合を解散
        買継商の行く末 業界注目の的
12月24日 七年回顧 波瀾の織物界 伊勢崎
 昭和 8年
 1933
(1月~6月新聞欠)
12月28日 絹毛交織の会社 いよいよ明春実現して
        伊勢崎織物を更生
 昭和 9年
 1934
 1月27日 やっと解決 伊織の市場安定問題
 3月 9日 力織機十台で いよいよ絹毛交織開始 伊勢崎で会社創立
 4月25日 伊織組合の 貴賓室 近く設計決定
10月17日 美術の秋に 上州の誇り 森村(酉三)氏八年連続入選
10月24日 「機場むすめ」 けふ伊勢崎で上演(横堀恒子作詞)
 昭和10年
 1935
 1月11日 一千万を目標 製糸、織物の聯携成立して
        伊勢崎輸出物の躍進
 3月15日 日本絹手毛整染会社 きのふ創立総会をひらき
        初夏には事業開始
 5月11日 手織に帰れ 伊織にデパートの注文
 8月 4日 特許権の確認 伊勢崎勝つ 千代田織問題解決
 8月23日 カーテン・壁張地 伊勢崎で織り出す 滞貨生糸の消費新案
 8月28日 銘仙の多産時代 もう絶対に来ぬ 伊織組合長の予言
11月 7日 伊勢崎と館林 毛織で握手 仲よく新境地開拓
 昭和11年
 1936
 4月 3日 機場粛正 暗い取引き 断然一掃 伊織機業家の要望
 5月17日 日曜談話室㉕ ふるさとの民謡 気風がかもしたリズムの
        強靭さ 語る人町田嘉章氏

 6月23日 一週二回の 取引を全廃 伊織が率先して実行
 8月18日 伊織の毎日取引問題8月20まで続く
 9月 4日 伊織勝訴か 千代田御召加工の特許問題 大体の見通しつく
 9月 8日 伊織でも塩縮加工法 いよいよ下旬から実施
10月 8日 児童が結ぶ国際親善 伊勢崎織物で キモノのお人形
        瑞典(スウェーデン)へお礼に贈るへ
11月 3日 織機五百台を 農家に貸し 伊織が躍進の計画
 昭和12年
 1937
 1月30日 職場の女性挙(こぞ)って銘仙を着る
        伊勢崎勇壮・郷土認識の旗風
 2月21日 資本家代表の 膳(桂之助)さん帰省
        廿七墓参に伊勢崎へ

 2月27日 特輯(集)談話室 52 回想の上州ツ魂 寿府(ジュネーブ)
        鹿児島立つ日を前にけふの帰省 膳桂之助氏

 4月22日 考古学研究に 全国行脚の旅へ ジッとしてゐられぬ
        伊勢崎の相川(之賀)翁

 6月 4日 マンガン織に着色 自由自在の新発明 伊勢崎からヒット
 6月11日 伊勢崎銘仙を着なさい運動
 6月27日 遂に争議へ 伊勢崎捺染型付組合
 6月30日 桐生伊勢崎は増産 制限違反の通告 手厳しい人絹統制
 7月 9日 伊勢崎の特殊事情を読む 人絹統制座談会
 8月 5日 手形支払延期決定 伊織 銀行会の対策
 8月 7日 消極的生産統制へ 伊勢崎銘仙対策決定
 8月12日 他産地尻目に 伊勢崎の輸出織 寧(むし)ろ増産の計画
 8月13日 時局影響の窮境に 賃銀値下げ同意
        伊勢崎織物整理組合労使協調 難局打開に邁進!
 8月26日 伊勢崎の高級 輸出独り増産 他産地に逆行現象
 8月27日 伊勢崎の発展に 足利から苦情
        赤人絹ナフトール織の生産 全国統制を紊(乱)す
10月13日 伊勢崎に毛織工業組合 認可の申請
12月24日 銘仙時代来る! 伊勢崎織十年来の好売行き
 昭和13年
 1938
 1月30日 銃後の服装は〝銘仙〟十数年来の伊勢崎黄金時代出現
        この機に大飛躍計画
 2月 2日 羽尾商店 排撃決議 足織買継商組合で
 2月15日 伊勢崎で紬の会 技術向上のために
 3月12日 毛織組合(伊勢崎)
 4月 6日 断然〝伊勢崎!〟 銘仙時代の王者へ
 4月 8日 銘仙百万反 目指し伊勢崎の新計画
 4月27日 銘仙時代の 値頃は六、八円 伊勢崎苦心の新方針
 4月29日 桐織と伊勢崎織 向上に拍車 製品高級化 委員会組織
 5月27日 戦線の二勇士から 贈〝伊勢崎銘仙音頭〟
 6月26日 伊勢崎織の 返品問題 名案も結局お流れか
       秋冬物も 正絹物断然好評 伊勢崎織へ快ニュース
 6月29日 綿製品非常管理に 悲喜交々の業界 従業員四万転業か
        失業か 絹織物界は有卦(うけ 幸運)
 6月30日 綿の風に揺ぐ県下機業界 重工業の下請工場に 大部分
        は転向か 県で急遽調査に着手
       〝これぞこそ国力強化だ〟 銘仙伊勢崎に歓声
        気遣はれるは絣職工の首
(7月~12月新聞欠)
 昭和14年
 1939
 1月13日 統制時代 いよいよ登録 伊勢崎の手織機 伊織工理事会
 2月16日 伊勢崎銘仙服地に 日独交驩風景展開
        イヤモウ大はしゃぎ
 2月22日 伊織査定場 別棟新設決定
 2月25日 織物値下げ絶対支持 各産地も国策に自粛自戒
 3月 4日 低物価は賛成だが これは重大事だ 絹織追加と伊勢崎の
        恐慌 けふから当分休市 陳情の結果芳しかららず
 3月 5日 〝絹織抑制〟の旋風下 国用各方面恐慌 各代表者の意見
 3月 8日 機業家には同情 専門委員会に下城氏経済部長帰来談
 3月 9日 伊勢崎当分休市
 3月14日 新組合長に小暮(重三郎)氏 伊織総会副長銓衡紛糾
 3月16日 機業家は上ったりだ 絹織標準価格に下城伊勢崎組合長談
 3月17日 他産地に比較して 伊勢崎のは余り酷だ
        休業継続上京反対運動へ
 3月18日 伊勢崎 必死の猛運動 今さら変更困難か
        陳情の趣は本省へ伝達すると 土屋知事の協力
        (銘仙の公定価格問題)
 3月21日 一ヶ月振りできのふから 伊勢崎銘仙の開市 運動は遂に
        断念する
 3月25日 伊勢崎銘仙大売行き
 5月10日 多難の伊勢崎織組 絹紡暴騰 人絹欠乏 問屋の嵐
        難局打開に慎重結果
       銘仙聯盟を解消 絹工聯に銘仙部会新設 一織機一工聯
        伊勢崎織組は一工場に反対
 5月11日 統制の重圧下に 横の結束を強化 伊織に各種別の『会』
 5月17日 絹紡糸の伊勢崎 八方塞がり 公定価格の悩み深刻
       広幅人絹は 黒字 同絹織は不成績(伊勢崎織物工業組合)
 5月24日 一織機一品制に変更 商工省の態度緩和の報
       銘仙の売行 北海道で圧倒的
 5月25日 入用な長さが買える銘仙 伊織の新試み
 6月21日 自粛値発表 伊勢崎呉服商
 6月25日 地区外の賃織 登録はどうする 果然伊織で問題化
 9月 2日 結局は繁栄か 伊勢崎輸出織物組合の見解(欧州紛争)
       伊勢崎登録織機数
 9月13日 八方塞の内地織物 伊勢崎も政府へ泣付く
10月 1日 休電で輸出物板挟み 〝外国の註文品が間に会わぬ〟と
        桐生・伊勢崎大恐慌
10月28日 絹紡糸入手難から 大会社の『賃織』へ
        伊織界に重大岐路
11月 3日 配給機構改革 伊勢崎織物組合幹事会
11月11日 絹紡糸も品切れ 銘仙業者当局に愬ふ
11月23日 絹紡糸の配給方 業者窮余の陳情速射作戦
        けふ伊織で対策委員会
12月27日 伊織同組を解消 愈工組に統合か 明春に実現の気運
 昭和15年
 1940
 1月23日 織物規格統一 二百四十一種
 2月 6日 絹紡糸配給洩れ 伊勢崎機業界で問題化
 5月 5日 昼食は〝うどん〟 伊織の両組合
 5月16日 伊勢崎に痛手 織物課税価格引上げ
 5月29日 伊勢崎機屋さん 個人経営者の税金調べ
 6月26日 伊勢崎織組 全国各地視察
 7月 7日 奢侈品禁止と県下 対策は結局転向
        問題は金錦糸に手持品の処分も問題
 7月11日 七・七禁令
       一ヶ月以上の休機へ 伊勢崎銘仙全国に呼応
 7月12日 七・七禁令の反響 奢侈品と疑義解説
 7月13日 続く繊維の国策化
       伊織第一部会 休機 あすから実行
 7月14日 七・七禁令と各地 伊織の対策
 7月16日 休機と従業員問題 絹工聯各部緊急措置
        伊勢崎の対策協議
       両毛織物聯 けふ総会 下機業五万人
 7月17日 両羽(毛)織組聯合会 休機中の対策を決議
       休機の対策 伊織各会聯合幹事会
 7月19日 七・七禁令の 金銀糸物処分に 伊織集散地へ代表派遣
 7月24日 投売を防げ 七・七禁令と集散地視察報告
        (伊勢崎織物同業組合)
 7月28日 結局は金融問題 金銀糸禁止と伊織の対策
 7月30日 織都の興隆祝して 新死市歌に寄せる希望(伊勢崎)
       中金から低資 伊織百五十万円に交渉
 8月 1日 融資諒解成る 伊織の休機一日から解除
 8月 2日 休機見舞金 賃織業に手交(伊勢崎織物同業組合)
 8月 9日 小売廿二円目標 伊勢崎織物の新銘仙
       七・七禁令新職業(伊勢崎)
 8月14日 新時局銘仙と 市価安定委員会伊織で新設
 8月16日 伊勢崎の華(花)街も 衣類は銘仙 其他厳しい申合せ
       七・七禁制品 検査停止解除(伊勢崎織物同業組合)
 8月23日 時局新銘仙 出品千五百点(求評会)
 8月27日 銘仙四産地の申合
 9月 6日 市になる伊勢崎① 国策銘仙を旗印 世紀を画して雄々
        しく立上る
 9月 7日 市になる伊勢崎② 五十倍の飛躍 昔は機屋なし
 9月 8日 市になる伊勢崎③ 織都たる所以 銘仙の語源
 9月13日 栄光あれ!新伊勢崎市
 9月14日 産声高く伊勢崎市 きのふ晴朗の誕生
12月 3日 合同より組織強化を 伊勢崎機業界の意見
12月 8日 配電を陳情 伊勢崎織組合
 昭和16年
 1941
 1月 9日 銘仙は生産増加 昨年度の伊勢崎織物
 1月18日 銘仙に玉糸を使用 伊勢崎で新生面へ一歩前進
       銘仙は真価発揮 伊勢崎織物の関西視察報告
       新体制図案 伊勢崎の発表会
       伊勢崎毛織の合同協議
 1月23日 六十年目で解散 銘仙の伊勢崎織物組合
 2月26日 伊勢織の解散 来月四日総会に付議
 3月15日 絹紡糸難に悲鳴 産地伊勢崎 深刻さに業者は狂奔
       縮緬の註文 産地伊勢崎へ
 5月 6日 合同が再燃 伊勢崎地方の機業家
 5月 9日 崎織清算人
 5月28日 工組を鞭撻 伊勢崎の原料糸確保運動
 6月15日 絹物の新規格 伊勢崎工組の見通し
       返品処理組合解散(伊勢崎織物同業組合)
 6月21日 銘仙の公価対策 伊織で万全の手筈
 7月 4日 伝統さらば! 伊勢崎織同の解散式
 7月 9日 伊織同組解散式 慰霊祭と功労者表彰
 7月10日 伊織の解散式
 7月11日 伊織の慰霊祭 けふから厚生の第一歩
 8月 8日 功労金に不平 崎織揉める
 8月 9日 理事は総辞職 崎織の内紛
 8月10日 崎織の内紛解決す
 8月12日 崎織の改組 十三日総代会
 8月14日 崎織の新理事
 8月16日 理事長決る 揉めた崎織
 8月24日 崎織の企業合同協議会
 8月26日 崎織合同方針
 8月28日 崎織の合同審議
 9月 6日 我等の臨戦態勢④ 織る『国防調銘仙』
        伊勢崎地方の賃機屋さん隣組
 9月 9日 織物の合同審議会二つ(伊勢崎、桐生)
 9月17日 合同案新規蒔直し 崎織けふ賃織業者らの協議会
11月15日 伊勢崎で卅万円の商工会議所を建設 
 昭和17年
 1942
 1月21日 衣料切符制の波紋 市場取引なし 伊勢崎
 3月29日 理事、監事総辞職 伊勢崎織工組の新発足
 4月 3日 伊織元売会社役員問題解決
 4月26日 謹慎する伊勢崎織物業者
 5月 9日 崎織工組の新発足
 7月15日 手機織りの実況 銘仙産地伊勢崎の栄光(入江侍従来県)
 7月17日 織機の移動厳禁 違反者は原糸の配給停止
 7月28日 伊勢織の南方進軍 米英品撃滅の一役買って
 8月22日 伊勢崎に商議所 設置いよいよ本極り
11月10日 銘仙の適正取引 工組と産元で協議会を組織
12月 8日 戦闘機献納 下島(喜次郎)十二万円
 昭和18年
 1943
 1月 8日 飛行機一台を献納 伊勢崎市の下島(喜次郎)さん
 2月20日 織機回収は古物から 伊勢崎の民の声を上通
 2月28日 転業者で製縄工場 伊勢崎で織姫さんを工員に
 4月30日 下島号の命名式 五日伊勢崎市北校で
 5月 6日 下島号の命名式 きのふ伊勢崎市で
 6月23日 銃後女性敢闘譜⑧ 機械に誓ふア島の仇討ち
        日の丸立てゝ励む織機の女性(伊勢崎毛織会社)
       陰に社長夫人の力 貯金王国・関東整染会社
 6月24日 銃後女性敢闘譜🈡 川と流れる国防色服地
        宮郷の整染会社の女工員達(関東整染会社)
 6月27日 新時代の模様創成へ 大和(半弥)が織出す歴史的研究
       取引配給の一元化 伊勢崎織物産地元売会社が
 6月30日 解説と提唱 会服と銘仙主義
 7月30日 決戦色は濃紺 伊勢崎で色調を図案化展
 8月10日 衣生活の革新を聴く 進路は国策一筋道
        新規格突進の伊勢崎織業者
 昭和19年
 1944
 6月16日 十六組合に 伊織の整備 




  引用・参考資料:伊勢崎市史研究 第9号 平成3年発行 伊勢崎市史編さん専門委員会