平成28年8月15日 お盆で実家へ
青柳 伊勢崎連取店でお土産のお菓子を購入
紙袋に「ノコギリ屋根」が描かれていた
ノコギリ屋根の織物工場は伊勢崎市内に平成12年(2000)には16ヶ所存在した
佐波郡境町、東村、赤堀町との合併(平成17年)前である
16ヶ所の内でレンガ造が6か所と多く、地理的に深谷市が近いからと思われる
桐生市にはノコギリ屋根は当時(平成12年)300ヶ所以上存在していた
参考引用資料 日本の産業遺産Ⅱ 織物工場 鋸屋根 野口三郎著
青柳 伊勢崎連取店で
上州織物のまち
「ノコギリ屋根さぶれ」を購入
ノコギリ屋根の目的は北側の窓から工場内への明かりの取り入れである
直射日光や電気の明かりでは繊細の色合いを見分けられない
1、ノコギリ屋根にすることにより採光面積が確保出来る
2、北側から光を取り入れるため天候に左右されずに一定の光量である
ノースライト
3、明治、大正、昭和初期と電力事情がよくない時代に建築された建物が多い
4、現在は電力事情が良く照明技術の発達で、ノコギリ屋根の耐震性等からして
建設されていない
大正元年(1912)
上毛撚糸株式会社
後に 富士重工業(株)伊勢崎製作所第2工場
現在は 伊勢崎ショッピングモール
(伊勢崎市平和町19)
足利県道からの入口(南東)のモニュメント
昭和9年(1934)
橋勝織物工場(橋本勝)
三郷村大字太田 レンガ造工場新築
昭和32年上毛撚糸(株)伊勢崎工場
として使用
平成11年(1999)
上毛撚糸(株)伊勢崎工場を売却
イギリス積のレンガをそのまま取り込んだ
建物である
平成12年9月伊勢崎メモリードホール完成
(伊勢崎市太田町545-3)
現在、斎場として営業している
平成28年(2016)6月撮影
伊勢崎銘仙の機屋で唯一現存する
ノコギリ型三角屋根織物工場
北向き窓で内部に柔らかく安定した光が入り
色使いの作業に向いた建物
所在地 伊勢崎市福島町 本竜織物
伊勢崎市東本町382
元 石英株式会社 代表 石原英治郎
石原英治郎は戦後伊勢崎織物統制組合理事長
に就任し戦後復興に尽力し伊勢崎貿易会館建設 を行った
また、昭和21年12月土屋文明が石原宅に
宿泊し短歌「伊勢崎にて」を詠んだ
上つ毛の風をさまりし朝かげに一むらのこる紅葉のかがやき 朝のひかり泰山木(たいざんぼく)の葉にありて湧きあがるごとくに機(はた)の音きこゆ うづだかく白絹つみぬいそしみて国のつぐなひ果さむがため 雪つもる谷よりいでて国なかに青き葱(ねぎ)ふく寒風(さむかぜ)もよし 麦青き畑しめりて大きなる白菜運びいだす三貫目もありぬべし 新しき君が家居にくれなゐの木の実しづけき冬の日となる ややどもる君と思ふにその後より新つま君のさやかなる声 をどり子の如くに匂ふ山茶花(さざんか)に暖き今年の冬をよろこぶ |
石原聰一(いしはら そういち)略歴
年 | 年齢 | |
昭和 7年 1932 |
0 | 5月7日 伊勢崎市に石原英治郎の長男として生まれる |
昭和26年 1951 |
18 | 3月 群馬県立前橋高校卒業 |
昭和30年 1955 |
23 | 3月 慶応義塾大学経済学部卒業 4月 鐘淵紡績(現 カネボウ)入社 |
昭和48年 1973 |
41 | 新町工場長 (旧 新町紡績所) |
昭和55年 1980 |
48 | 人事部長 |
人事部長の時に 石英(株) を継ぐために鐘紡を退職する | ||
昭和60年 1985 |
53 | 石英(株)の代表として 6月 伊勢崎商工会議所議員に就任 |
昭和62年 1987 |
55 | 6月 伊勢崎商工会議所議員に再任 |
鐘紡の社長からの要請により鐘紡に再入社する | ||
平成 元年 1989 |
57 | 会長室長兼秘書室長 |
取締役、常務、専務を歴任 鐘紡に復帰後は昇進の一途 |
||
平成 6年 1994 |
62 | 社長に就任 |
平成10年 1998 |
66 | 会長に就任 |
平成14年 2002 |
70 | 石英(株)相談役 10月 群馬県教育委員会委員就任 |
平成17年 2005 |
73 | 10月 群馬県教育委員会委員長就任(任期一年) |
平成20年 2008 |
75 | 2月8日 逝去 |
「レフュッジ伊勢崎」
ダストボウル伊勢崎のライブハウス
平成元年(1989)開業
伊勢崎市東本町103-4
下島株式会社の敷地に下嶋昭夫氏が
社長時代に建設したものである
明治27年 (1894) 6月 下嶋喜次郎 米沢市に誕生
参考引用資料
伊勢崎の洋風建造物 昭和59年(1984) 伊勢崎市
日本の産業遺産Ⅱ 平成12年(2000) 玉川大学出版部
織物工場 鋸屋根 野口三郎 分担執筆
紹介図書(当ホームページで紹介しているノコギリ屋根と内容は異なります)