伊勢崎地方では古くから機織がおこなわれていた
倭文(しどり)とは楮(こうぞ)や麻等の繊維で織り、その布に赤や青の縞目をつけた
布を言う
しかし、伊勢崎銘仙とは素材、組織、技法等においてDNAは異なる
伊勢崎銘仙のルーツはグローバルである
要 素 |
発祥地 |
日本へ伝来時期 |
備 考 |
生糸 |
紀元前3000年
中国 |
弥生時代中期 |
海のシルクロードによる |
着物 |
3世紀中頃
中国 呉 |
奈良時代 |
呉服 諸説がある |
絣
(括り) |
インド |
江戸時代後期 |
インドのイカットの技法が
5~6世紀にフィリピンを経由し
関東へ伝播した |
デザイン
(解模様) |
19世紀末
ヨーロッパ |
大正時代 |
アールヌーヴォー、アールデコ |
参考図書 「絣」 福井貞子著 法政大学出版局 2002
「きものの基本」 全日本きもの振興会 2007
パトラサリー
原産国:インド グジャーラート州
絹 経緯絣 菱形文様
インドネシア
ロマンを求めて倭文神社へ
倭文氏(しどりし)は天羽槌雄(あめのはづちの)の神の子孫で機織りの神である倭文氏
を祀った倭文神社は平安時代に建てられた
倭文神社の主祭神 は天羽槌雄(あめのはづちの)の神
所在地 伊勢崎市東上之宮町(ひがしかみのみやまち)380
4月16日 例大祭(れいたいさい)
服織(はたおり)初祭り
神社総代・年番は早朝から集合し幟(のぼり)
を立てる
午前11時になると拝殿に
伊勢崎織物協同組合や織物業者、地元議員が
拝殿に着席
昔は神楽殿に神楽の奉納や芸人を招き
また、境内には露天商が出たとある
神官より例大祭の神事が執り行われ
参加者に対して繁栄を願った御神札(ふだ)
が賜れる
一同は社務所に移り、直会(なおらい
神酒をおろしていただく酒宴)となる
拝殿には織物組合を設立した下城弥一郎氏の
孫にあたる下城一郎氏より献納された
「棚機姫(たなばたひめ)」が掲げられている
下城一郎氏が戦後、機屋さんが倭文神への
関心が薄れてきたことを嘆いて献納されたと
伝えられる
* 天照大神が天の岩戸に隠れた際に、思兼神(おもいかねのかみ)が
「棚機姫(たなばたひめ)」に命じて神御衣(かむみそ)を織らせたとある
*
「棚機姫(たなばたひめ)」は伊勢崎の日本画家 石原紫雲(いしはら しうん)氏が
絹布に描いた 絵の上部中央には雨のシミが見える
参考図書等
月間 上州路 4月号 特集 群馬の織物 第一回 伊勢崎編 倭文神社と伊勢崎織物 橋田友治
あさを社 昭和52年(1977) 発行 あさを社
上之宮町の民俗 伊勢崎市 昭和60年(1985) 発行 伊勢崎市
倭文織と倭文神社 松田昇著 平成17年(2005) 発行 上毛新聞社 非売品
パンフレット 社務所 平成17年(2005)