伊勢崎銘仙アーカイブス
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 四大料亭と買継商・機屋



 四大料亭と買継商の系列

   高級料亭にはそれぞれ馴染みの大手買継商があった




 料亭の位置情報は
 明治37年刊行の
「群馬県営業便覧」の
 地図と取材による


 道路の拡幅や
区画整理事業により
現在の地図からは
正確な位置の特定は困難







 


 白水楼(はくすいろう)




 開業:明治維新前後開業し昭和32年に廃業
    店主:斎藤太七 斎藤武次

 場所:銭兵商店(本町22-15)の東隣りで
    地続き 現在は月極有料駐車場である
    白水楼の廃業後は映画館 中央劇場を経営







 経歴:料亭旅籠(はたご)銭屋太七(通称 銭七)と
    呼ばれたが後に白水楼に変更
    塩原太助、国定忠治が宿泊した
    また、渋沢栄一が明治44年10月15日に
    講演会で来伊した際によっている

 馴染みの買継:戦後は羽尾商店から分離した丸太商店が    利用










 伊勢崎市三光町の(株)ヤマト所有の斎藤茂の絵画
 3つの光は天井のライトの反射
 門柱に「御料理 白水楼」
 隣りに「電話 参拾七番」とある
 ハーモニカを吹く少年は斎藤茂本人か?

 昭和24年発行の「伊勢崎展望」に掲載の広告文には
 住所:宮元町一番地 とある




 備忘録:斎藤太七の孫 斎藤茂は前中(現 群馬県立前橋高等学校)、早稲田大学を
     卒業し平凡出版(現 マガジンハウス)に勤務し編集長を歴任、画家としても活躍
     俳優の加山雄三とはビジネスや絵画を通じての交流があった
     前中時代は俳優の小林桂樹(1923~2010)とは同級生で生涯交際があった


 大津屋(おおつや)



 場所:伊勢崎織物会館の東側で田部井歯科医院
    (大手町26-1)の南地続き
    大手町26-7に橋本姓で花道・茶道教
    室がある
 店主:橋本末吉
 経歴:元は牛鍋屋
 馴染みの買継:栗豊(戦後 羽尾商店から分離)

























 湖川屋(こかわや)




場所:伊勢崎神社南通り、本光寺の入口西側の駐車場
   本木洋服店(三光町8-4)東隣りの空き地
   神社コロッケの屋台の場所であった

店主:大橋孫太郎
























 伊勢崎館(いせさきかん)



 開業:明治23年
 店主:瀬下宇太次
 場所:三光町1-1 三光公園
 経歴:伊勢の湯が伊勢崎館に名称変更
    昭和10年の頃にカフェ対策として
    広瀬川に「水上カフェ」を開業








 新橋より伊勢崎館跡を望む
 左端から新開橋、三光公園、ピオテスハイツ
 伊勢崎館の「水上カフェ」が存在した






 山楽荘(伊勢崎館の別館)

     開業:明治23年  平成22年12月廃業
     店主:瀬下実 瀬下実一(じついち 正雄 から改名)
     場所:広瀬川畔にて開業し、その後 茂呂町1-389 へ移転し
        (株)ホテル ザ サンラク、(株)ザ・クレインパーク山楽荘と名称変更
     経歴:画家 山下清、映画俳優 石原裕次郎が宿泊した



四大料亭に関する
 参考引用資料
  伊勢崎繁昌記 春野弥生之助 明治39年 国会図書館デジタルコレクション
  GUID ISEZAKI 伊勢崎案内 明治43年 川端市郎発行
  紅灯今昔 伊勢崎編 根岸瑞夫 昭和52年10月9日~11月7日  上毛新聞
  市街地の民俗 付録2 群馬県営業便覧(明治37年3月) 昭和61年 伊勢崎市発行

 取材協力
  銭兵商店    伊勢崎市本町      白水楼、伊勢崎館
  ㈲ヤマト    伊勢崎市三光町     白水楼、大津屋
  本木洋服店   伊勢崎市三光町     湖川屋

 管理人の備忘録
   (株)ザ・クレインパーク山楽荘が平成22年に幕を閉じた丁度120年続いた伊勢崎を
  代表した最後の料亭であった
   仕事柄山楽荘をよく利用し、先代の経営者瀬下実一氏や役員の山岡氏、青木氏には大変
  お世話になった思い出がある
   山楽荘以外の料亭は管理人の年代的に記憶が無く、白水楼と大津屋は名前だけは聞いた
  ことがある程度