佐波郡境町は平成17年(2005)1月1日に
平成の大合併で伊勢崎市になった
伊勢崎市の東南部に位置し、東には太田市に接し
南部は利根川を挟んで埼玉県の深谷市に接する
養蚕七分に米作三分と言われる畑作地帯で、少し
の米は年貢に取られ,、貧しい農民は養蚕に活路
を求めた
収繭による糸引き、更に織物による現金収入へと
発展
「富岡製糸場と絹産業遺産群」が平成26年(2014)6月25日世界遺産に文化遺産
として登録され、その構成4資産の1つある田島弥平旧宅が伊勢崎市の旧佐波郡境町地区
に在る
旧境町は古くから蚕糸絹業(蚕種 養蚕 製糸 銘仙)は盛んであったが、田島弥平等に
関する蚕種の資料は多々見られものの、伊勢崎織物組合設立に携わった多くの先人がおられ
るが特に境地区を纏めた資料はないようだ
旧境地区出身者が伊勢崎織物組合でのイニシアティブを取ったので、伊勢崎銘仙に関する
ことは伊勢崎織物組合に委ねたものと考える
明治13年11月 伊勢崎町の本光寺で会議を開き、太織会社の役員は投票で旧境町出身者
が占める
社長 宮崎栄蔵 旧境町出身
副社長 高木孝四郎 旧境町出身
取締役 天田定吉 旧境町出身
〃 森村富蔵 旧境町出身 森村熊蔵の父親
検査役 五十嵐安蔵
〃 久保田武十郎
計算方 鈴木浅次郎
書記 下城弥一郎
宮崎有敬(みやざき ゆうけい) 群馬県会議員、実業家
天保3年(1832)~明治28年(1895)
佐位郡采女村伊与久(現 伊勢崎市境伊与久)
明治12年(1879)初代県会議長に選任される
明治13年(1880)伊勢崎太織の粗造を視て伊勢崎太織会社を
設立させた 行政指導である
社長には同郷の宮崎栄蔵が就任した
伊勢崎市境地区(旧 佐波郡境町)が島村の田島弥平旧宅に続いて
旧市街地が絹遺産としてクローズアップされてきた
関係者の努力の成果であると思われる
赤レンガ倉庫
東武鉄道境駅前に大正8年(1919)
境運輸倉庫が繭の保管用に建造した2階建の
総レンガ造り
平成28年(2016)ぐんま絹遺産に登録へ
旧群馬県蚕業(さんぎょう)取締所境支所
明治39年(1906)に蚕種の「微粒子病」対策
を目的に設けられ
昭和2年(1927)に現在の建物に建替えられた
旧群馬県蚕業取締所境支所の正面扉上部には
この建物の風景をモチーフにしたステンドグラス
がある
絹の館
金子仲次郎は明治20年(1887)境町
で生まれ、織物で成功した
「富を残さず徳を残せ」の信念を貫き
遺志を継いだ家族は昭和54年(1979)に
時価3億円の家屋敷を境町(現 伊勢崎市)
に寄付をした
旧金子仲次郎邸 伊勢崎市境724-1(境図書館と同じ敷地)
絹の館には銘仙や織物関係の器械が
展示されている
平成27年2月21日(土) 郷土史講演会 演題「伊勢崎銘仙」 講師 青木宏氏
伊勢崎市の境東公民館において標記講演会が境史談会(会長 関口吉範氏)と公民館
(館長 長谷川氏)との共催で開催された
講演会の最後に質問の時間が有り、境史談会の役員から
境町の元機屋が「境銘仙」として売り出したら大当たりしたが、直ぐに伊勢崎町の元機屋が
「伊勢崎銘仙」として売り出したと・・・地域ブランド名を伊勢崎に取られたと紹介した
講師の青木氏は・・・伊勢崎織物同業組合史等に記載されている絹紡糸使用による組合分裂
騒動を説明された
しかし、平成3年(1991)発行
みやま文庫 「佐波伊勢崎史帖」しの木弘明著
P72に「銘仙」は境町の専売であると訴訟したが
通らず、しばらく境銘仙と伊勢崎銘仙の競争があっ
たとしている