伊勢崎銘仙アーカイブス
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SCHOOL 学校




 明治24年3月
 織物組合事務所兼染織講習所を新築






  江戸時代後期から明治初頭にかけて外国から化学染料が入ってきました
 伝統的に使用していた藍染や草木染に代わるもので、染色業者は充分な知識がないまま化学
 染料を使用したために変色や色がさめる問題が発生した

  化学染料を販売する業者や薬局では染色業者と舎密染め(せいみぞめ)や化学染めの研究を
 行っていた
  伊勢崎産地の染色業者 森村熊蔵も化学染料に取り組んでいましたが、充分な成果は出せな
 かったようです

  明治18年(1885)の府県聯合五品共進会で「絹織物業は組織染色等依然として旧観を
 改めさるのみならす、動もすれは染色粗濫に流れ紋様配色見るに足らさるなり」審査概評より
 このため農商務省では急遽「両毛地方を始め各産地に技師を派して泥縄式に講習会を開催し」
 引き続いて「各織物産地に染織講習所の設立を促し」「先づ桐生、足利、伊勢崎、八王子、山
 梨等に講習所が開催又は常設さるに至り平賀義美、山岡次郎等の諸氏出張され、後に蔵前工業
 学校卒業の山岡勉(貴雄)、岡本金一郎、平田専太郎の諸氏に出張講習させた」
  各織物産地はこれに応えて明治18年11月11日足利織物講習所が開設し 続いて京都、
 伊勢崎、桐生、八王子、川越等が相次いだ 染織五十年史より
            参考文献: ジェトロ・アジア経済研究所(http://www.ide.go.jp)


  伊勢崎産地に対する行政指導
  殖産興業をすすめる明治政府は相次いで伊勢崎産地に行政指導を行った




①明治13年11月16日に佐位名波郡役所
 から伊勢崎市三光町(現在)の本光寺に機屋
 の代表を集め会社設立を進める会議を開いた
 ものの参加者が少なく11月29日に再度開
 催。その結果、12月28日太織会社設立の
 運びとなった





 ②農商務省は化学染色を教える講習所の設立を強力に指導した
  伊勢崎産地には米国で化学染色を修めた山岡次郎の指導のもと、岡本金一郎を伊勢崎染織
  講習所の教師に招いた









明治31年11月27日
組合立伊勢崎染織学校 校舎落成式を挙行








 下城弥一郎は
 ①太織会社設立に当たっては、下城弥一郎は当時27歳と若くて充分な学識を持ち合わせて
  いたので書記に任命され会社設立の事務を担当した
 ②明治19年に下城弥一郎が社長を務める太織会社から織物業組合への移行時期と重なるが、
  農商務省の指導を受け染色講習所を開設する
 ③染色講習所の運営には教師に支払う給与等に多額の資金が必要とされ、伊勢崎織物業組合で
  は群馬県に拝借金願いを提出するが担保を要求される 組合には担保物件が無く下城弥一郎
  は私財を担保に提供した

 群馬県立伊勢崎工業高等学校は
  明治19年に伊勢崎染織講習所が開設し伊勢崎織物が盛んだった昭和30年までの70年
  間は機屋の後継者養成機関としての機能も持ち、群馬県繊維工業のエリート校として君臨し
  その後は産業構造の変化に対応し機械・電気を中心に多くに技術者を養成してきた


 伊勢崎工業高等学校の沿革

 和暦 伊勢崎工業高等学校   その他
 明治19 染色講習所開設  
 明治29  伊勢崎織物商工組合立
伊勢崎染織学校
 
 明治33  群馬県伊勢崎染織学校
と改称(下城弥一郎県会
議長時に県立へ移管)
 
 明治34  群馬県立伊勢崎染織学校
と改称
 
 明治38  群馬県財政悪化にて
3月で廃校し桐生織物学校
と合併 校舎は群馬県工業
試験場となる
 
 明治43  群馬県立工業学校開校  
 大正 2 国立桐生高等染織学校設置
に伴い  群馬県立織物学校
(桐生)廃校 
 
 大正 3  校舎現在地(中央町)へ移転  
 大正 9    佐波郡立農業学校
設置
 大正15    町立伊勢崎商業学校
設立
 明治 9  群馬県立伊勢崎工業学校と
改称
 
 昭和23  群馬県立伊勢崎工業高等学校
と改称し色染科、紡織科、工業
化学科、機械科と定時制機械科
を置く
群馬県立佐波農業
高等学校と改称

群馬県立伊勢崎高等
学校(商業、工業、
普通科を設置)
 昭和38    群馬県立伊勢崎東
高校第1回入学式
 昭和40    群馬県立伊勢崎商業
高等学校に改称
 昭和61  色染化学科、繊維工学科
募集停止
 
 平成 5    群馬県立伊勢崎興陽
高等学校と改称
 平成17    群馬県立伊勢崎高等
学校となる(合併

              参考文献:伊勢崎工業八十年史






平成3年発行

群馬県立伊勢崎工業高等学校
同窓会「伊勢崎工業八十年史」
平成3年発行 







 

伊勢崎工業高等学校の卒業生は 

伊勢崎工業高等学校卒業生(分類上重複有り)
 昭和60年伊勢崎市と伊勢崎商工会議所
の会議が開催された 出席者の顔ぶれは
伊勢崎工業高等学校の卒業生が多かった
 市長   下城雄索 (昭和4年卒)
 収入役  平塚豊治 (昭和25年卒)
商工会議所
 会頭   牛久保海平(大正13年卒)
 副会頭  田村直之 (昭和20年卒)
 副会頭  金井康治 (昭和27年卒)
 専務理事 相模基  (昭和24年卒)

歴代織物組合理事長
 小暮重三郎     (明治34年卒)
 松本計三      (大正 3年卒)
 関口守男      (昭和20年卒)
 田村直之      (昭和20年卒)
 牛込喜一      (昭和24年卒)

政治家
 下城義三郎(大正4年卒)伊勢崎市長
 下城雄索(昭和4年卒) 伊勢崎市長
芸術家・スポーツ選手・その他有名人
 関川哲夫(昭和44年卒)プロレスラー
      ミスターポーゴ
 今井清隆(昭和51年卒)舞台俳優
 黒岩守(昭和56年卒)ボクシング
 back number(バックナンバー)
  小島和也(中退)
  栗原寿(電気科卒)

大島紬の指導者
 高橋長吉(大正7年卒)

サンデン(株)の創業者の3人
 牛久保海平(大正13年卒)
 牛久保守司(昭和6年卒)
 天田鷲之助(昭和4年卒)

    *ここでの下城雄策は二代目の下城秋雄である
    参考文献:群馬県人名大事典、伊勢崎工業高等学校同窓会会員名簿(平成2年度版)