伊勢崎銘仙アーカイブス
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小学生のページ


AKG

 絹の国ぐんま 未来へ続く
 GUNMAはシルクカントリー
 カイコが育て まゆを作り
 生糸が 織物になる
 キラリ光る 絹の糸は
 明治からの 情熱の証なのさ


 AKG 世界遺産登録応援ユニット
くるくるしるくが歌った「GUNMAはシルクカントリー」よりイントロ


2012年7月14日 イオンモール高崎にて

 この歌はそのまま伊勢崎銘仙にもあてはまります
 「富岡製糸場と絹産業遺産群」はAKGの若い女性に応援され登録が実現しました


「伊勢崎銘仙」についてわかりやすく説明します。

 質問1 伊勢崎銘仙はいつ頃からどうして有名になったのですか ?
 質問2 まゆから製品になるまで何日ぐらいかかるのですか ?
 質問3 機織り機には、どんな種類がありますか ?
 質問4 しばり絣(くくり絣)、板じめ絣、ほぐしもよう絣、へいよう絣の他にも種類
     がありますか、一番売れた種類は何ですか ?
 質問5 伊勢崎銘仙は、今どういう人が買っているのですか ?
 質問6 伊勢崎銘仙は何人で作っているのですか ?


  参考:平成17年に伊勢崎市教育委員会の委託で伊勢崎絣技術保存記録委員会が作成した
     生徒向けのCDの一部が下記にアップされています

   群馬県生涯学習センターのHPに関東絹の道→絹に関する産業→伊勢崎絣 HP


 質問1 伊勢崎銘仙はいつ頃からどうして有名になったのですか ?
 
回答  明治時代後半期から昭和時代前半期にかけて有名になった。有名となった理由は
     購入される方から考えると、絹織物としては値段が安くて柄(デザイン)が豊富
     であるからです

  参考   グラフは明治元年(1868年)から平成19年(2007年)までの140年間
     の伊勢崎銘仙の生産高の推移です(生産総数は1億5千万反)
     単位は万反です(用語の解説 反とは、標準体格の大人1着分の生地)
   グラフ
      NHK連続テレビ小説「花子とアン」の主人公 村岡花子の生涯(明治26年~
     昭和43年)がちょうど銘仙がよく着られた期間になります。番組では銘仙を着た
     女性が良く出演してます。
      銘仙生産のピークは昭和5年(1930年)で456万反が生産され、
     昭和5年の国勢調査で女性の人口は3,206万人ですから、女性の7人に1人
     伊勢崎銘仙を着ました。
      その後、戦争に入り平和産業の象徴である女性を着飾る織物業の多くは廃業しま
     した。
      戦後は銘仙の生産は徐々に回復し、昭和31年(1956年)には292万反
     (生産金額50億円)になりましたが、生活様式の洋風化、女性の社会進出、マイ
     カーの普及等により急速に銘仙は着られなくなりました。
           

      なぜ、伊勢崎では多くの銘仙が生産され売れたのでしようか
     1)明治19年に下城弥一郎が染色講習所(後の県立伊勢崎工業高校)を設立し
       化学染料の技術を導入しました。これにより藍染等に変わり若い女性に好まれる
       派手な色合いやデザインが可能となりました。
     2)明治26年森村熊蔵が積極的に低価格で作業性の良いな絹紡糸(用語の解説
       絹紡糸とは養蚕製糸などで生ずる屑物を精練し紡績した糸)
の使用を進めました
     3)伊勢崎には絣を織り出す技術・技法の全てが有り、常に改良を加えました
     4)伊勢崎産地では大企業は存在しなく、家族労働による小企業が数多く存在し
       お互いに絣の柄や価格を競い合いました。
  

  質問2 まゆから製品になるまで何日ぐらいかかるのですか ?
 
回答  伊勢崎産地では、機屋が糸を糸商(生糸、絹紡糸等の卸売業)から購入します。
     新しい柄のデザインをし糸を染め織り上げるまでに約2ヶ月(60日)かかります。
 
  参考
  蚕種(蚕の卵)から生糸が出来るまでの流れの例です

伊勢崎市の田島弥平旧宅は優良な蚕種
(蚕の卵)を生産
する「清涼育」を確立


            

 下仁田町の荒船風穴蚕種(蚕の卵)を
冷蔵保存
し年に複数回養蚕が可能となる 


藤岡市の高山社では「清温育」を確立、
養蚕農家を指導した         


             

富岡製糸場は器械製糸で生糸を生産した 


     伊勢崎産地では機屋が糸を産地の糸商(絹糸、絹紡糸等の卸売業)
   
から 購入し銘仙を製造し、産地の買継商(中間の問屋)へ販売します

 糸 商
(絹糸、絹紡糸等の卸売業)

   機屋(織物製造業)
外注で図案・染・織り等をする

     買継商
 (機屋から織物を購入) 


 質問3 機織り機には、どんな種類がありますか ?
 回答  1)居座機(いざりばた)
     2)高機(たかばた こうき)
     3)力織機(りきしょっき) 電気を用いて運転する織機



いざりばた

 

居座機 地機(じばた)ともいう 脚のない
    原始的な織機
 
 写真は結城紬を居座機で織っている







たかばた

 

高機  
居座機より進歩した手織り織機
     腰を掛けて踏木を踏む

 写真はイベント会場での手織り体験教室






 質問4 しばり絣(くくり絣)、板じめ絣、ほぐしもよう絣、へいよう絣の他にも種類
     がありますか、一番売れた種類は何ですか ?
 回答  経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の染め方の組み合わせで、色々な種類の
     絣が出き、伊勢崎では七つの絣技法が有ります。
    

     経糸(たていと)・緯糸(よこいと)の染色法による絣技法分類
     伊勢崎産地の特徴は7種類の絣の技法を有し、正に絣の宝庫です

 緯糸\経糸 無  地  括  り  板 締 め  型紙捺染
 無  地    締切絣   締切絣  解絣
 括  り    括り絣    
 板 締 め      板締め絣  
 型紙捺染  緯総絣      併用絣

     一番売れた種類は何ですか ?
     伊勢崎織物140年の歴史上では正確なことはわかりませんが、戦後の60年間
     機屋をされていた方に聞きました 売れた順位です。
      1、併用(へいよう)絣
      2、括り(くくり)絣 伊勢崎ではしばり絣と言う
      3、板締(いたじめ)絣
      3、解(ほぐし)絣 解模様絣とも言う 板締絣と同じぐらい売れた
      5、緯総(よこそう)絣
      6、締切(しめきり)絣(括り)
      7、締切(しめきり)絣(板締)

 質問5 伊勢崎銘仙は、今どういう人が買っているのですか ?
 回答  伊勢崎銘仙のことを「おしゃれ着」と言われます 日曜日に友達と遊びに行くとき
     おしゃれをして着て行く着物でした 今は洋服になり、銘仙は一部の方が趣味で着
     るぐらいです

 参考  着物には、いろいろな種類があります
     着て行く場所により着物が異なります
     洋服でも仕事(学校)、スポーツ、遊び、くつろぎ等により着る服が違うように 

     基本となるきものの種類は次のようになります

礼装   打掛、黒留袖、本振袖、喪服
 略礼装  色留袖、訪問着、振袖、色無地、江戸小紋の紋付
 外出着  付け下げ、付け下げ小紋、小紋(友禅)、小紋、紬の訪問着、無地の紬、絞り、
お召、更紗
 街着  紬、、黄八丈、ウール、銘仙


 質問6 伊勢崎銘仙は何人で作っているのですか ?
 回答  伊勢崎銘仙を作るのには2つの面があります
     1、工程毎に難しい技術を必要とする(絣技法等)
     2、大量生産をして安く提供する(生産技術)
     このために分業化を図りました

     伊勢崎銘仙関連業種
     ①整経業、②板締染色業、③括り捺染業、④板捺染加工業、⑤浸染加工業
     ⑥整理加工業、⑦型紙加工業、⑧引揃え加工業、⑨経巻加工業、⑩絣板製造業
     ⑪バサ返し業、⑫引込加工業、⑬製織業

      13の業種があり、作る絣の種類により違いますが、だいたい10人ぐらいの人が
     関わりました
      現在では生産する銘仙の量が少ないため、1人でほとんどの工程を行います