
よみがえれ!銘仙作詩:飯田加菜作曲:黒田雄治 ![]() またひとつ消えてゆく 私の心 私たちの姿 儚(はかな)い花の命のように 美しい時代が過ぎ去ってゆく またひとつ生まれては 消え去る技 受け継がれたその技が 時代の渦にのみ込まれ 最後の糸が 今 切れる 時代に流され さまよえる銘仙 這(は)い上がり 立ち上がる 私の心で 心を捉(とら)えてはなさない よみがえれ銘仙 華を咲かせよう 私たちの夢 私たちの誇り 糸をつなごう 今 よみがえれ |
ミュージカル「愛しの銘仙 機織り物語」挿入歌、写真撮影 管理人
永い歴史のある銘仙
ついにミュージカルに
「愛しの銘仙 機織り物語」
横浜の関内大ホールにおいて
(公社)服飾文化研究会
が2010年3月に公演
「坂東大橋之碑」 篆額者(てんがくしゃ) 若槻礼次郎(わかつきれいじろう)
坂東大橋之碑 内閣総理大臣 正三位勲一等男爵 若槻礼次郎閣下題額
上武の境を画り、刀水洋々として東する処一大長橋を架す題して坂東大橋という
長九百一七米五幅十米七工費百二十八万余円其建築の剛堅と其結構の壮麗とは兩々相まって 完璧に近く橋の姿巍然威容堂々なお蜿々たる蒼龍の深淵を出でて、将に九天に騰らん
とするが如く真に近代の一大偉観たるに庶幾し 蓋(けだし)此の地や上武の要津に
当り夙(つと)に八山架橋組合(八斗島・埼玉県山王堂両村の組合)なるものあり
梁舟を浮へて交通の便を図りたりと雖(いえど)も潦漲一たび奔会すれは行路忽
(たちま)ち断絶して亦施すに術なし殊に輓近産業発達して物資の輸送益繁激を加へ
長くその旧態に在るを許さす有志依て相謀り速に之か済策を講せられんことを其筋に
願ふや切なり 此間に於ける地元町村特に機業団の犠牲と本郡選出県会議員等の努力
とは実に此橋をして今日あらしめし所以なり謂ふへし 即大正十三年其管理県に移り
無賃橋となりしも而も尚不便不備尠からざりしを以て之れを稍(やや)完備せる耐久橋
に架換せんことを冀ひ日夜奔走財貨の寄付を求め普く地方の有志に訴えて多大の協賛を
得之を本県に致す県亦見る所あり十五年木橋架設の経綸を樹て埼玉県の同意を需め
之を内務大臣に禀請す適上毛電気鉄道株式会社亦此と雁行して専用橋敷設の計画あり
合同の慫慂を受く乃同会社と交渉議漸く熟す 爰に設計を変更して木橋を鉄橋となし
昭和四年認可を得同年二月起工式を行ふ爾来鋭意工を董し幾多の障碍を排して
営々二十余月全く工を竣へ六年六月日をとして落成式を挙く 想ふに我上毛の地峻嶺西北
に起伏して北越、腹背相隔絶し東南に坂東太郎ありて長江滔々上武の脣歯相沮む
今や北に上越鉄道の開通ありて比隣相呼応し南に坂東大橋成りて輔車相来往す県民の幸福
夫幾何そや 茲に有志相謀り碑を建てて本橋完成の由来を述へ之に参与せし名士の芳躅を
録し永く後昆に伝へんとす予会本県に知たり嘱に応じ文を撰し併せて書す 銘に曰く
山聳水漲 神創鬼造 鉄橋蟠処 車馬周行 済民鴻沢 共天地長
昭和六年六月 群馬県知事 正五位勲四等 堀田 鼎(ほった かなえ)
中村雲鳳刻