伊勢崎銘仙アーカイブス
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STORUCTURE 建物

 伊勢崎銘仙に関する(織物組合事務所、染織学校、織物工場等)建物を紹介します
 建物を切り口に考察します




  伊勢崎織物建物関係年表

 年  建物関係事項  一般事項
 1880
明治13年
   12月28日 伊勢崎太織
会社の認可日を以て設立日
 1881
明治14年
 6月 徳江製糸所(徳江八郎)字赤石北
(現曲輪町22-12辺り)に洋風三階建工場新築
 
 1886
明治19年
   6月20日 蚕糸繭太織市場
開業 (株主惣代 武孫平)
9月6日 染織講習所設立
11月13日 伊勢崎織物業
組合設立
 1887
明治20年
   フランス産の絹紡糸を
使用する
 1891
明治24年
 3月23日 伊勢崎織物業組合 字赤石
(現曲輪町)に洋式二階組合事務所、検査場、
染織学校完成
 
 1894
明治27年
   1月19日 伊勢崎織物
商工業組合設立
 1898
明治31年
 4月4日 伊勢崎染織学校校舎完成 字赤石
(現曲輪町24-26)
 10月15日 伊勢崎織物
同業組合設立
 1912
明治45年
 7月11日 今村医院(現黒羽根内科医院)
本町一丁目に完成
 
 1912
大正 1年
 9月20日 上毛撚糸(株)(社長 永井篤三郎)
鍛冶塚(現平和町)設立 工場新築
 
 1913
大正 2年
   模範染織整理(株)立花町
(現 平和町)に設立
大正8年伊勢崎織物(株)
に名称変更
 1914
大正3年
 3月25日 県立工業学校 字鍛冶塚
(現中央町)に完成
 
 1916
大正 5年
 1月8日 時報鐘楼 栄町(現曲輪町)に完成  
 1919
大正 8年
 11月30日 伊勢崎織物同業組合 レンガ造
二階建検査場新築完成
 
 1920
大正 9年
 伊勢崎織物(株)事務所等新築
(昭和18年から久保田兄弟鉄工所)
 
 1922
大正11年
 11月11日 伊勢崎織物同業組合 新館
最新式補強鉄筋入レンガ造二階事務所等落成
12月 伊勢崎銀行 栄町(現 曲輪町)店舗新築
後に群馬銀行栄町支店
 3月2日足利銀行伊勢崎
支店開設
 1923
大正12年
 10月1日 安田銀行伊勢崎支店 本町一丁目に
店舗新築
 9月1日 関東大震災
 1924
大正13年
 1月 佐藤藤三郎商店 栄町(現曲輪町32辺り)
店舗新築
 
 1931
昭和 6年
   11月14日
 組合創立50年祝賀会
 1934
昭和 9年
 橋勝織物工場(橋本勝)三郷村大字太田 レンガ
造工場新築 昭和32年上毛撚糸(株)伊勢崎工場
 
 1935
昭和10年
 3月 伊勢崎織物工業組合 貴賓館(記念館)
新築
 
 1938
昭和13年
 4月 三徳工業(株)伊勢崎織物工場 下植木(現
宮前町266-1)工場新築 後に帝国蚕糸(株)伊勢崎
工場 現在はイサカ絹美堂
 
 1939
昭和14年
 1月 井下輸出織物(株)(社長井下辰雄)下植木
(現宮前町)に工場新築し創立
 
 1943
昭和18年
   上毛撚糸(株)本社工場を
中島飛行機に売却し
本社を前橋市六供町へ移転
 1944
昭和19年
   7月20日
財団法人伊勢崎銘仙会館
設立(伊勢崎織物工業組合
の全財産の贈与を受ける)
 1945
昭和20年
 8月14日 夜半から市街地が空襲され
伊勢崎織物会館の全てを焼失
 
 1946
昭和21年
 組合事務所として宮前町会議所を1年8ヶ月使用  6月12日 伊勢崎織物統制
組合発会式
 1947
昭和22年
 9月10日 組合事務所落成  
 1948
昭和23年
 8月31日 織物市場落成  
 1950
昭和25年
 5月17日 織物検査場落成  
 1951
昭和26年
 6月1日 伊勢崎貿易会館落成  4月5日 伊勢崎織物協同
組合設立総会
 1962
昭和37年
 4月25日 二階建組合事務所新築落成  10月23日 伊勢崎織物
組合創立80周年祝賀会
 1964
昭和39年
 6月    二階建組合事務所増築(52坪)  
 1971
昭和46年
 5月8日 共同事業センター落成式典  
 1975
昭和50年
   5月10日 伝統的工芸品
伊勢崎絣が通産大臣指定
 1980
昭和55年
   5月15日 伊勢崎織物協同
組合創立100周年記念式典
 1999
平成11年
 3月 上毛撚糸(株)伊勢崎工場(太田町)を売却
翌平成12年9月伊勢崎メモリードホールとして
開業
 
 2008
平成20年
 7月1日 高齢者複合施設 銘仙の家 開設
(平和町19-10)
 
 2009
平成21年
 伊勢崎貿易会館老朽化のために解体  
 2020
令和2年
 二階建組合事務所 老朽化のために解体  




 伊勢崎織物組合事務所・伊勢崎織物会館



  明治14年1月 伊勢崎太織会社
       所在地 伊勢崎町本町三丁目南側 石倉兵五郎宅二階一室

  明治19年9月 伊勢崎織物業組合 染織講習所
       所在地 伊勢崎町 小林浦司宅二階

  明治20年  市場の独立後は本町一丁目(後の栄町、曲輪町)に一戸建を借りる
       所在地 伊勢崎町赤石 坂田善右衛門宅

  明治24年3月 伊勢崎織物業組合組合事務所新築移転
       所在地 伊勢崎町赤石乙635-1


 本組合は明治22年中に新築の必要に迫り組合員は勿論各地の有志に寄付金を募集
  当時建設地の候補として伊勢崎町と茂呂村であがり、時の郡長大野和信氏等の尽力の末、
  伊勢崎町に決定する
  茂呂村では北千木町(現)の北部で何もない畑を予定したが最終的には茂呂村が折れた
  明治22年には伊勢崎駅が開設し伊勢崎町での組合事務所建設は正解であったと言える
                         (図書 下城弥一郎より要約 P57)
  
  (参考)伊勢崎織物業組合事務所・講習所新築寄付者に新町紡績所が記載
                     (伊勢崎織物同業組合史より要約 P362)
      新町紡績所 三越 保右衛門 100円
      新町紡績所 役員 鶴見良憲  50円
     新町紡績所から絹紡糸を伊勢崎産地で購入した理由である

 伊勢崎郷土誌 P280より抜粋
  現時字赤石にある組合事務所は、其位置につき、茂呂村と大なる競争を惹起(じゃっき)
  し、紛擾(ふんじょう)数月に亘りしが、遂に伊勢崎に確定し、明治23年10月建築
  せり。建坪66坪総二階建にして、市場の敷地1,280坪を有せり。・・・























 写真は戦災前の織物組合の全景
  
  中央の建物 旧館 明治24年3月23日  洋式二階組合事務所、検査場、染織学校落成
  右の建物  新館 大正11年11月11日 最新式補強鉄筋入レンガ造二階事務所等落成
  左の建物  貴賓館(記念館)昭和10年3月 落成


















     戦災前の織物組合建築物平面図(昭和13年)









 左側 旧館
 右側 新館








 戦後 8月14日 夜半から市街地が空襲され伊勢崎織物会館の全てを焼失




  昭和22年9月に落成した組合事務所

  戦災前の新館の焼け残ったレンガ構築を
  利用し二階建を計画したが焼けたレンガ
  では県の許可が下りなく平屋とする




  起工 昭和22年3月  落成 昭和22年9月
  場所 組合敷地内 北東
  レンガ造りコンクリート 瓦葺平屋 建坪 約106坪 工費 約64万円
  施工業者 東京都 清水建設株式会社
   (戦前の新館の写真と比較するとそのまま利用し平屋にしたことがわかる
    また。昭和46年落成の共同事業センター建設のために解体し現存せず)



 昭和23年 織物市場落成
  落成 昭和23年8月31日
  場所 戦災前の場所
  木造鉄網コンクリート瓦葺二階建 4棟22室 延坪数 489坪 工費 625万円
  施工業者 東京都 清水建設株式会社
   (機屋が織物市場の一室を出張所として借りて販売した)




 昭和25年 織物検査場落成
  落成 昭和25年5月17日
  場所 現 赤石楽舎の辺り
  木造平屋221坪 工費245万円
  施工業者 東京都 清水建設株式会社




 昭和26年に落成した伊勢崎貿易会館

 広幅織物(洋服生地)の輸出振興目的施設






  財団法人伊勢崎貿易会館を設立し寄付金を受け入れ、織物組合敷地内に建設
  会館の管理は織物組合が行った

  起工 昭和25年9月2日 落成 昭和26年6月1日
  場所 組合敷地内 北西
  鉄筋コンクリート二階建 延坪 約202坪 工費 約607万円
  施工業者 東京都 清水建設株式会社

  寄付額
   群馬県 400万円、伊勢崎市 100万円、商社 250万円、商工会議所 50万円
   機業者 50万円

    戦後の伊勢崎市を代表するシンボル的な建物で、目的とする輸出入品展示会の開催
   やテナントに建設当初は伊勢崎輸出織物協同組合と伊勢崎商工会議所が2階に入居
    その後、幾多の団体や民間企業がテナントとして一室を借りている
    昭和45年から始まった中央土地区画整理事業の事務所も入室した
    一般市民の利用は伊勢崎市の文化会館等の公共施設が建設される前は市民の美術展等
   が開催された
    また、国会議員や県会議員の選挙事務所として利用され多くの一般市民が訪れた場所
   であった
    (平成21年に老朽化で危険な状態になり解体する)







昭和40年当時の全景

左側 伊勢崎貿易会館
中央 組合事務所新館
右側 組合事務所旧館




















 昭和37年 組合事務所新館(昭和39年6月更に52坪の増築)





 建物の左後方に時報鐘楼
が見える
 建物の左側の窓の部分が
昭和39年の増築箇所







 起工 昭和36年9月 落成 昭和37年4月25日
 場所 戦前(戦災前)の旧館の焼跡
 木骨モルタル塗り瓦葺二階建 延坪 約88坪(階下45坪 二階43坪) 工費600万円
 施工業者 伊勢崎市 吉岡建設株式会社




 昭和46年 共同事業センター







 屋上の広告塔の
「伊勢崎織物」が
遠方からもよく分かる









 起工 昭和45年8月30日 落成 昭和46年2月28日
 場所 組合敷地内 北西(昭和22年9月に落成した組合事務所の跡 昭和45年8月13日    取り壊し)
 構造 鉄筋コンクリート造 地上三階 塔屋一階
 総面積 1,502.505㎡(約455坪)
 1階    581.880㎡(約176坪) 共同検査場
 2階    450㎡(約136坪)     共同販売場
 4階    450㎡(約136坪)     共同保管場
 工費 53,108,000円
 施工業者 伊勢崎市 柏井建設株式会社

 構造改善事業の取引改善事業として共同事業センターが建設された




   伊勢崎市制三十年誌 昭和45年 伊勢崎郷土文化協会
   伊勢崎の洋風建造物 昭和59年 伊勢崎市





 組合立染織講習所~県立伊勢崎工業高等学校


 明治19年9月 設立時は組合事務所に同居していた
  明治19年9月 伊勢崎織物業組合立染織講習所
  所在地 伊勢崎町赤石 坂田善右衛門宅を実習所

  明治24年3月 組合事務所新築移転に伴い講習所も同所へ移転
  所在地 伊勢崎町赤石乙635-1

 明治19年4月 文部省認可組合立伊勢崎染織学校へ
  明治31年4月 伊勢崎町赤石に組合事務所から独立した校舎落成
   (現 伊勢崎市曲輪町24-26 伊勢崎市立第一幼稚園)
  *第一幼稚園は昭和43年に建て替えるまで染織学校の校舎を使用していた
  *旧第一幼稚園を解体する際に棟札(むねふだ)が発見され、
       明治30年6月16日起工
       明治31年1月26日竣工
       建築主 伊勢崎織物商工組合 組長 下城弥一郎と記銘されていた






 左記地図は「群馬県営業便覧」より
  明治37年3月12日発行
  発行所 全国営業便覧販売所

 組合事務所は現在と同じ場所に在り
 ヤクバ 「ヲリモノ組合」と記載されている

 「染織学校」は現在の北小学校の北に在る











 建物敷地 1,580坪
 運動場  1,557坪
当時の新聞に「諸機械の完全なる全国稀に見る所」
と評価






 昭和初期の伊勢崎第一幼稚園(染織学校の校舎を使用)
 現在と同じ場所


 明治38年3月 廃校となり、群馬県工業試験場となる
 明治43年4月 群馬県立工業学校仮校舎
 大正 6年4月 伊勢崎尋常小学校付属幼稚園
 大正8 年4月 伊勢崎町立商業学校
 大正11年   伊勢崎尋常小学校付属幼稚園
 昭和29年   伊勢崎市立女子高等学校仮校舎
 昭和33年   伊勢崎市立養護学校



 大正3年3月 群馬県立工業学校として現在地に新築移転
  所在地 伊勢崎町鍛冶塚 その後 伊勢崎町錦町64
     (現 伊勢崎市中央町3-8 群馬県立伊勢崎工業高等学校)


 左記地図は「伊勢崎町勢要覧」より
  昭和9年9月20日発行
  伊勢崎町作成


 地図の下方に「工業学校」が在る
 現在の県立伊勢崎工業高等学校の前身である

 「工業学校」の北には「上毛撚糸会社」が在る
 大正1年(1912)9月20日上毛撚糸会社
 紡績工場建設(社長 永井篤三郎)
 昭和18年 中島飛行機(後に 富士重工
       伊勢崎製作所第二工場)
 平成13年 伊勢崎ショッピングモール
       とりせん平和町店
       蔦屋書店伊勢崎平和町店等





 大正7年11月 群馬県立工業学校校地一部売却
  通常県会において財政難のため校地2,106坪が不要として縁故者に4,000円
 で払い下げた



 校門の北から上毛撚糸会社の南入口を挟んで
両側の保留地
 南入口道路の西側が伊勢崎町に
 東側(現 銘仙の家 等)が伊勢崎織物同業組合
の所有となった









 現在の校門を足利県道を渡って北へ進み











  「銘仙の家」の西側
  ブロック塀で閉鎖されているが
 上毛撚糸会社(後に 富士重工伊勢崎製作所
 第二工場)の南入口の門柱が残っている






 伊勢崎織物同業組合の所有地は
 昭和8年「銘仙ドライクリーニング工場」を建設
 栄養食調理場(織物工場の共同調理場)
 また、一部は分割し宅地として個人に売却
 現在は「銘仙の家」が大半を占めている




 絣の郷(かすりのさと)

  所在地 伊勢崎市昭和町1712-2 電話0270-21-6711




昭和33年(1958)2月
  伊勢崎市立女子高等学校円形校舎落成
平成5年(1993)
  伊勢崎市立伊勢崎高等学校と改称、男女共学化
  校舎を上植木元町1702-1新築移転





 廃校になった伊勢崎のシンボル「円形校舎」は伊勢崎市により時間をかけて検討し、
 地域の伝統を伝え、市民活動の拠点として平成16年7月「絣の郷」オープンした





 「絣の郷」1階には伊勢崎銘仙の製造工程の
 パネルや伊勢崎銘仙の反物が展示され

  3階には第1高機(たかばた)教室と
 第2高機教室とがあり、市内外の小学生に
 機織りをボランティアの方が教えた








 平成22年(2010)3月13日(土)
              14日(日)
「シルクカントリーin伊勢崎」の
「伊勢崎銘仙フェスティバル」が「絣の郷」で
 開催された


「思い出の伊勢崎銘仙&ファッションショー」
 が14日4階多目的ホールで開催








 しかし、平成23年(2011)3月 東日本大震災で被害を受け休館
 平成25年(2013)4月20日新築し「円形交流館」としてオープンした




 高機(たかばた)は
別棟の「市民交流館」3階
「機織室」に設置した










 「円形交流館」のエントランスには
 「絣の郷」に相応しく
  伊勢崎銘仙 併用絣 羽織が陳列されている








 東日本大震災で被害を受け休館し
  「絣の郷」で例年10月第3日曜日に開催していた「絣の郷交流まつり」は波志江沼
 環境ふれあい公園に移った
  また、「いせさき明治館」では「いせさき銘仙」の展示を年間実施するようになった




 いせさき明治館(黒羽根内科医院旧館 伊勢崎市指定重要文化財)

  所在地 伊勢崎市曲輪町31-4 電話0270-40-6885





 いせさき明治館は明治45年に伊勢崎市本町
に医院として建てられました
 平成14年に伊勢崎市では建物の寄贈を受け
現在地までの100mを曳き移転しました

現在は「伊勢崎銘仙」の発信拠点となっている

  詳しくは いせさき明治館





 銘仙の家(The House of Meisen)

    
    高齢者複合施設   事業主体 医療法人 原会グループ
    開設日 平成20年(2008)7月1日
    所在地 伊勢崎市平和町19-10


  「銘仙の家」は検索サイトで「いせさき銘仙」を検索すると当ホームページよりも上位に
  ヒットする
   伊勢崎銘仙とは関係のない「高齢者複合施設」で、名称を「銘仙の家」としただけである
  原会の原和隆(はら かずたか)氏に境島村でお会いした際に名称の由来を聞いてみた
  「伊勢崎市内に数ヶ所施設があるが、その地域に相応しい名称を考える 先に始めた施設で
  「まゆ玉」と付けたものもある」と語られた







  高齢者複合施設 銘仙の家
 http://www.house-meisen.jp/