伊勢崎銘仙アーカイブス

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 ブルーノ・タウト


 ブルーノ・タウトが伊勢崎銘仙を図案し境野三次が織り上げる




 ブルーノ・タウト 1880(明治13年)~1938(昭和13年)
 ドイツ生まれの建築家でナチスの迫害から逃れ54歳で来日
 1933(昭和8年)に来日し1936(昭和11年)までの3年半
 滞在し、その間に著書により桂離宮を世界に広めた






    滞在中の内2年間は高崎市の井上房一郎(いのうえ ふさいちろう)に招かれ
   高崎市・達磨寺境内の洗心亭で過ごし、この間井上房一郎が東京銀座に開店した
   日本の素材を活かした工芸品の店「ミラテス miratiss」でブルーノ・タウトの
   作品を販売した
    この「ミラテス」では伊勢崎銘仙の図案をブルーノ・タウトに描かせ伊勢崎の
   機屋・境野三次(さかいの さんじ)に広幅銘仙を織らせホームスパン等を販売、
   また銘仙で洋傘を製作したとある

  井上房一郎 1898(明治31年)~1993(平成5年)
    高崎市出身の実業家 高崎白衣観音を建てた井上保三郎の長男 井上工業社長を歴任
    井上工業は田中角栄が政界入りする前に働いていた会社である
    ブルーノ・タウトの招聘、群馬交響楽団の創設、群馬県立近代美術館の設立に尽力






  ブルーノ・タウトと親交のあった
 高崎市の故 水原徳言(みはら よしゆき)
 がその後も大事に保管していた銘仙見本

  織り見本 銘仙 水原徳言所蔵









 ブルーノ・タウトが滞在中に書いた
「忘れられた日本」の中で「キモノ」について
の記述がある 要約すると・・・

 キモノの布地は一尺巾で身体に合わせ正確
な寸法をとらず裁ち屑を出さない、エコである
 キモノを着る人により異なった襞(ひだ)が
出来てそれが美的である(おはしょりでは)
 映画テルマエ・ロマエに出てくる阿部寛が着
ている「トーガ」と「キモノ」には時空を超え
た共通点がある
 絹のキモノは糸を解いて洗張りし、またキモノ
に縫い上げる・・・等






 ブルーノ・タウト、井上房一郎、境野三次、境野満による銘仙広幅化計画

   境野親子は2代にわたり伊勢崎銘仙の広幅に取り組んだ括り絣の機屋であった
  境野三次はブルーノ・タウト図案の広幅銘仙を織り上げた
  境野三次は(社)日本工芸会の日本伝統工芸展において昭和40~50年代にはよく
  出品し入賞された





 境野三次の作品

 万国旗文様括り絣掛軸
 昭和9年(1934)制作










  境野三次の後継者、境野満は(社)日本工芸会の
 日本伝統工芸展において昭和60年~平成にかけよく
 出品し入賞された

 格子に幾何学文様紬絣織着尺
 平成11年(1999)制作
 藍染手括り絣織、大絣







  2009(平成21年)4月22日東京新聞が
 「織物の街 消えゆく遺産のこぎり屋根の機織り工場取り壊し 伊勢崎」と題し
  伊勢崎市の境野満さん方は昨年三月で廃業「のこぎり屋根」工場の取り壊しを決めた
  境野さんは手織りで巾が約九十センチと通常の三倍もある「広幅」生地を生産した
  伊勢崎市文化財保護課では市内では珍しい広幅の機織り機三台を譲り受けた
  と報道(抜粋)




 引用・参考資料
  ブルーノ・タウトの工芸品と絵画 群馬県立歴史博物館 上毛新聞社  1989
  伊勢崎の織物展         群馬県立日本絹の里 上毎印刷   2000
  忘れられた日本         ブルーノ・タウト  中央公論新社 2007
  消えゆく遺産のこぎり屋根    新聞記事 4月22日 東京新聞   2009
  群馬学の確立にむけて 5 第18回群馬学連携シンポジウム
  「群馬の匠たちー繭・糸づくりから染・織まで」基調講演 黒田亮子
                  群馬県立女子大学  上毛新聞社  2013