伊勢崎銘仙アーカイブス

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 伊勢崎銘仙 絹の道
 輸送(大量に生産された伊勢崎銘仙どの様に運んだのか)

 プロローグ

  テレビやラジオを聞いていると「東武伊勢崎線」と伊勢崎の地名が入った言葉をよく聞く
 東京スカイツリーが完成してからは一段と「東武伊勢崎線」が使われる
  伊勢崎と言えば昔は「伊勢崎銘仙」だったが現在は「東武伊勢崎線」をよく耳にする




 伊勢崎駅は明治22年
(1889)に開設、
昭和9年に左写真に建替え、平成元年(1989)に
100年を迎えた

 レトロな駅舎は映画「嫌わ
れ松子の一生」
にも登場した
が高架化に伴い 平成22年
現在の駅舎に建替えられた




     平成元年(1989)に作成したQSLカード






「街とともに歩み明日へ伊勢崎駅100年史」
昭和63年(1988)3月からJR伊勢崎駅長
を務めた故 竹沢章氏が制作費の一部を同級生
の大平順弥氏(当時東和銀行役員)に頼んで一時銀行から融資を受け発行した

 コンテンツの中心は「駅と街の一世紀の歩み」
で青木宏氏(当時 早稲田大学本庄高等学院教諭)
が執筆された








   伊勢崎市図書館にて貸出可能


 本 論

 江戸時代 伊勢崎は平坦地で、南には利根川が流れ 流通には適地








 伊勢崎は起伏が無く平坦地で、機回り
(はたしまわり)や荷の運搬には適地である














 大八車(だいはちぐるま 八人分の仕事を
 する意味の人力荷物運搬二輪車)

 明暦3年(1657)1月18日の江戸の
 大火の際に活躍し、近年まで使用された













      機回し(はたしまわり)

  引込みをした緒巻(おまき)
  一疋(いっぴき 2反分)を自転車の荷台に積み
  織子(おりこ)へ届け、製織上の指導を行う
  帰りには織り上がった反物を荷台に積み機屋へ帰る

    夏の夕立には・・・雨宿りが一番とか







 写真は「東本町の歴史」平成20年発行



  また、南には利根川が流れ船で荷物を遠方まで舟運ができた


 伊勢崎銘仙 絹の道 水上(利根川水系)ルート

  伊勢崎河岸(いせさきかし) 広瀬川(利根川
   水系左岸、川岸町 現 三光町)より荷積
           ↓
  平塚河岸(ひらづかかし) 利根川左岸(現
   伊勢崎市境平塚) 本船への積替え中継地
           ↓
  関宿河岸(せきやどかし) 千葉県野田市関宿
   より江戸川(えどがわ)を南下し東京湾へ





 明治17年(1884)高崎線が開通し水上(利根川水系)ルートは徐々に衰退した

 

 経済学者 田口卯吉の日本版マンチェスター構想

  明治17年高崎線が開通、明治18年東北線が開通すると
 小山と前橋間に鉄道建設の要望が起こり、後に両毛鉄道会社初代社長になる経済学者である
 田口卯吉はイギリスのリバプール・マンチェスター鉄道をモデルにした構想を繊維産業が盛
 んな両毛地方に抱いた
    *田口卯吉は日本のアダム・スミスといわれた民間の経済学者
  明治19年 渡辺洪基(東京大学初代総長、工学院大学創立者)は田口卯吉の依頼を受けて
 学生に線路の測量を実施した
  明治22年に両毛鉄道会社が東北線小山駅と前橋駅間の営業を開始し、11月20日に
 伊勢崎駅は開業した
  伊勢崎駅の場所であるが、前橋駅と桐生駅を直線で結ぶとほぼ国道50号線となる
 両毛線に乗車していると分からないが伊勢崎駅は南に位置している 当初は華蔵寺公園付近
 に両毛線が通る案であった 伊勢崎町長の武孫平や織物業界は伊勢崎駅の敷地を募金で金を
 集め寄付することで現在地に決定した
 (栃木県の栃木市は県庁所在地であったが、東北線が栃木市を通過する計画に反対し小山市
  を通過することになった その後の都市の格差はいうまでもない)

  伊勢崎駅の開業により伊勢崎駅から高崎駅経由で上野駅まで4時間30分で直結、
 明治43年(1910)伊勢崎駅では1日に上下16本で内 貨物専用車4本、混合編成車8
 本が伊勢崎織物の運送に使われた 秋葉原駅には常時伊勢崎織物専用車両が置かれた
 大量に生産された伊勢崎銘仙は両毛線で最大消費地の東京へ、更に東海道線で関西方面へ
 運ばれた

 

 東武伊勢崎線の開通

  高崎線、東北線、両毛線に囲まれた鉄道の不便な三角ゾーンを解消するために計画された
 明治43年(1910)に浅草駅と伊勢崎駅の全線が開通し 伊勢崎駅から浅草駅まで
 3時間30分と両毛線より1時間の短縮がはかれた 東京以西への運送となると現在のとうき
 ょうスカイツリー駅から舟運に積み替え北十間川から隅田川、中川を通って全国に運ばれた
  しかし、東海道線へのアクセスの便からして東武伊勢崎線の利用は少なかった
 (東武鉄道の本社はとうきょうスカイツリー駅にあり 頭脳は伊勢崎から一番遠い所にある)
 

 伊勢崎駅に関係する色々な構想や要望続出

  1、ミニ新幹線構想 上越新幹線の一部を高崎駅で切り離し両毛線で小山駅まで行く
     山形新幹線と同じ方式である
  2、両毛線シャトル化計画
  3、東武電車の両毛線乗り入れ計画
     伊勢崎駅から両毛線に乗り入れ前橋駅まで延長する計画である
  4、東武伊勢崎線に伊勢崎駅発着の特急りょうもう号の増発
    
    これらの構想に対してJRや東武鉄道の回答は空気を運ぶ(乗客の無い)車両は
    無いとする

    伊勢崎市は車両の保有台数と女性ドライバーの割合が全国でも指折りである