伊勢崎銘仙アーカイブス

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 太平洋戦争と伊勢崎銘仙

  太平洋戦争が昭和20年(1945)に終戦を迎え70年を経過した

   太平洋戦争で日本人は300万人以上が亡くなりました 当時の日本の人口は
  約7,200万人ですから25人に1人が亡くなられたことになります
   また、犠牲者の3人に2人は民間人でした
   私(管理人)も叔父が近衛兵で昭和18年南方で戦死し、叔母の親子も満州から
  引き揚げ帰国後の昭和21年に相次いで結核で亡くなりました


  

 平和の象徴 女性を着飾る「美しい銘仙」にも戦禍が

  昭和13年 繊維産業統制に入り原料の配給等で銘仙生産にブレーキがかかる
       伊勢崎織物工業組合の美人ポスターの作成は昭和13年で終了した
       三越本店から玉糸を使い紬地風の銘仙の提案を受け伊勢崎産地が開発し
       業界からも注目を得た(時局銘仙)












            時局銘仙登場する


 皇紀二千六百年 伊勢崎市生る

   昭和15年(1940)9月13日 伊勢崎町、殖蓮村、茂呂村の1町2村が合併し
  伊勢崎市が誕生した 中村滋雄が小誌を発行し
  表紙裏に伊勢崎織物工業組合が広告を出している

        銃後服装界の白眉
  
    國防調”時局銘仙”
   
      伊勢崎織物工業組合

   銃後 じゅうご の意味  直接戦闘に加わらない一般国民
   白眉 はくび  の意味  同類の中で最もとびぬけ優れている



























  昭和12年に作成したポスターの写真が使用された
       モデルは槙芙佐子(まき ふさこ)




















    昭和15年7・7禁令後の地味な銘仙柄









  2012年8月4日(土)~26日(日)
  いせさき明治館で開催した
  「時代を映したビックリ和柄」展
  太平洋戦争中は着物の柄に戦車や戦闘機が
  デザインされた










 昭和16年(1941)4月30日 伊勢崎織物同業組合は戦時統制のため解散
   伊勢崎織物同業組合は明治31年(1898)10月15日に創立し43年間存続した


 伊勢崎織物同業組合(組長 小暮重三郎)は解散にあたり
 昭和15年に於ける生産高が1千疋以上の機業家230余名中
 222名を永く銘記し忘却せぬよう「伊勢崎機業家名鑑」を
 中村滋雄に作製を依頼し2年の歳月をかけ発行した

 「伊勢崎機業家名鑑」 昭和18年3月 納本
  P224
  著者 中村滋雄
  発行所 伊勢崎織物同業組合 解散記念臨時編集会

  中村滋雄(なかむら しげお)
  東京朝日新聞社勤務し各地で支局長、その後報知新聞社勤務
  「織物の日本」を主宰
  昭和15年に伊勢崎市制施行記念
  「皇紀二千六百年 伊勢崎市生る」を発行






 昭和16年(1941)12月8日(日本時間)真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる



 戦線の拡大に伴い飛行機の献納
運動が半ば強制的に全国に拡大し
 昭和17年9月には八王子織物
組合をはじめ関係者は三機を献納
 昭和18年 5月5日伊勢崎の
機屋 下島織物工場の下島喜次郎は
戦闘機一機を前橋連隊に献納









  北国民学校(現 北小)校庭で
  「伊勢崎下島号」の命名式が挙行
  された










 織機を鐵屑として供出
群馬県金属回収工作隊により
破砕された
(下島織物工場)






 

 昭和18年 力織機供出 軍事物資不足のため金属を供出

  伊勢崎の機屋は力織機の70%を供出し壊滅状態となった
  サンデン(株)の創業者 牛久保海平氏もこの年に機屋を廃業することになった

             力織機供出状況(昭和18年12月)
整備前力織機台数  供出台数   操業台数 供出鉄量 
4,635台  3,239台  1,396台  2,507トン 
100%  70%  30%   



 昭和20年8月14日 ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結

  伊勢崎市の戦災は1日早かったと言える








昭和20年8月14日に
織物組合・北国民学校が
空襲で焼失する














   伊勢崎市の戦災焼失地域図(昭和20年9月)より抜粋




 昭和16年4月 伊勢崎尋常学校が
市立北国民学校となる(国民学校令)
北国民学校の校舎には軍隊が駐留していた
昭和20年8月14日 北国民学校、織物会館等
空襲で焼失
昭和22年4月 学校教育法が制定され現在の
北小となる




 伊勢崎産地の機屋はリセットされた

  終戦から30年経過した昭和50年に発行された「伊勢崎和装織物業業界診断報告書」に
 よると 機屋の60%が戦後に起業した創業者であった
  昭和18年に力織機の70%が供出させられ、戦後の再稼働に多大な影響が有ったと思わ
 れる



暦   織物総生産高
(千反)
 できごと
 1937
(昭和12年)
2,123   日中戦争勃発し泥沼の長期戦へ
 1938
(昭和13年)
2,581   国家総動員法公布
 1939
(昭和14年)
2,675   国民徴用令公布
強制的に軍需工場で働かされた
 1940
(昭和15年)
2,762   伊勢崎市誕生(市制施行)
「贅沢は敵だ」
 1941
(昭和16年)
2,872   伊勢崎織物同業組合解散
太平洋戦争開戦
 1942
(昭和17年)
2,115   衣料品が切符制に
金属回収令発動
 1943
(昭和18年)
739   力織機4635台中3239台を供出
 1944
(昭和19年)
224   伊勢崎織物工業組合解散
 1945
(昭和20年)
117   戦災で組合事務所焼失
 1946
(昭和21年)
68   伊勢崎織物工業協同組合設立
 1947
(昭和22年)
118   組合事務所落成
 1948
(昭和23年)
195   繊維統制解除
 1949
(昭和24年)
420   織物市場落成
 1950
(昭和25年)
1,547   織物検査場落成
 1951
(昭和26年)
1,835   伊勢崎織物協同組合設立
伊勢崎貿易会館落成