伊勢崎銘仙アーカイブス

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 竹久夢二 VS 伊勢崎銘仙

   大正ロマンを彷彿とさせるものに 竹久夢二と伊勢崎銘仙がある
  昭和6年 竹久夢二が伊勢崎を訪問し、伊勢崎銘仙を酷評したとあるが・・・真意は?

   竹久夢二(たけひさ ゆめじ)

    明治17年(1884)9月16日~昭和9年(1934)9月1日





 竹久夢二は「夢二式」美人画家で知られるが、詩・歌謡等
も創作、広告宣伝物・日用雑貨等のデザインも手がけている
 現在のグラフィックデザイナー、イラストレーターである

 晩年(昭和5年)群馬県榛名湖畔に地元の援助でアトリエ
を建てた 更にそこで「手による産業」今で言う伝統工芸の
育成の場「榛名山産業美術学校」構想を抱いた

(正式の名称は定まっていなかった 榛名山産業美術学校、
 榛名山産業美術研究所、榛名山美術研究所等があった)







  みやま文庫 萩原進編「群馬と夢二」
  昭和60年(1985)発行


  竹久夢二が作成した趣意書

              榛名山美術研究所建設につき

 あらゆる事物が破壊の時期にありながら、未だ建設のプランは誰からも示されていない。吾々
はもはや現代の権力闘争及政治的施設を信用し待望してはいられない。しかも吾々は生活せねば
ならない。快適な生活のためには、各々が最単位の自己の生活から建ててゆかねばならない。
まず衣食住から手をつけるとする。そういう吾々の生活条網を充たしてくれるために、今の所、
僅かに山間が残されていた。幸い榛名山上に吾々のため若干の土地が与えられた。美術研究所を
そこへ建てる所以である。
 吾々は地理的に手近かな材料から生活に即した仕事から始めようと思う。吾々の日常生活の必
要と感覚は、吾々に絵画・木工・陶工・染織等々の製作を促すであろう。同様の必要と感興を持
つ隣人のために、最低労銀と材料費で製作品を頒つことが出来る。或は製作品と素材とを物々交
換する便利もあろう。
 そこで商業主義が作る所の流行品と大量生産の粗製品の送荷を断る。また市場の移り気な顧客
を強いて求めないがゆえに、吾々は自己の感覚に忠実であることも出来る。
 こういう心構えから、生活と共にある新鮮な素朴な日用品をつくる希望をもつ隣人のために研
究所を開放する。
 吾々の教師はあくまで自然である。しかし吾々は既製品を模倣するためでなくに、先人が自然
から学んだ体験をきくために、時に講演会・講習会を開く。また吾等の製作品を人々に示すため
に、時に展覧会を開く。
 榛名山美術研究所を設ける所以である
   1930年5月
                            榛名山美術研究所
                                竹 久 夢 二



  この趣意書からして竹久夢二は自然主義の影響をうけている
 また、この趣意書には竹久夢二没後40年の昭和49年5月25日に公布された「伝統的工芸
 品産業の振興に関する法律」通称「伝産法」制定の根拠・背景と似た内容が記載され竹久夢二
 の先見性が伺える


 




 昭和に入ると竹久夢二の人気も陰り「榛名山
産業美術学校」設立の資金は思うように集まら
ない、そんななか突然外遊を計画する

 竹久夢二氏後援会主催で「榛名山美術学校
 建設・夢二画伯外遊送別」と銘打って
 「舞踊と音楽の会」を群馬県内各地で開催
   淡谷のり子等出演
  後援 上毛新聞社・報知新聞社

 昭和6年4月26日(日) 前橋
     4月28日(火) 富岡
     4月29日(水) 桐生
     4月30日(木) 伊勢崎
     5月 1日(金) 高崎

  5月7日(木)横浜から秩父丸にて渡米、
 病に倒れ2度と群馬を訪れることは無かった

  参考文献:みやま文庫「群馬と夢二」






 上毛新聞 昭和6年(1931)5月2日の内容と解説

  「モダン化した 伊勢崎織物 今後の進路はどうか  画家、夢二氏の観測は斯う」

 昭和6年4月30日の夜に伊勢崎大盛座(現在の伊勢崎市三光町)において竹久夢二画伯の
外遊送別会「舞踊と音楽の会」(榛名山美術学校建設寄付募集を兼ねる)を会費80銭で開催
 そこで竹久氏は語った
 伊勢崎町は今回で二度目の訪問で下城雄索(初代)織物組合長や森村堯太(初代)群馬銀行重
役等は知っている
 土蔵や倉庫等が町内外に沢山ありゆたか(豊)なところだと常日頃から感じていた
 私が榛名山に美術学校を建設する理由は色々の意味から意義のある事と思ってやっている事で
今後共県民の後援をお願いしたい 地方産業の発達に資したいと思っている私のために
 伊勢崎銘仙織物は一頃から較べて大変時代に迎合して来て所謂(いわゆる)先端的になって来
た様だが それだけに色目柄合、手ざはり等が全然趣を異にして来た様だ
 それがよいか悪いか私は専門的に云ひ度くはないがモダン化したと云う事は伊勢崎の名に於い
て一寸淋しい感じがする
 伊勢崎織物の今後進べきは、新しく走るのもよいがローカルカラーを充分現した真に伊勢崎織
物としての誇り得るものがガッチリとし何地(いづち)でこの真価を発揮し得るものを出したら
より多く売行がよくなると思う
 私が外遊帰朝後は伊勢崎は勿論県下織物図案其他の上に一新紀元を図たいと思っている事を公
表して置く (写真は夢二氏)







 大盛座
  明治29年1月 西町(現 三光町)に
  町田傳七郎(町田佳聲の祖父)、中条巳之吉等が創立
  庶民の健全娯楽場として活動写真、芝居、浪曲
  等を上演した








 上毛新聞に掲載された翌日(昭和6年5月3日)、今度は東京朝日新聞群馬版に同様の内容が
掲載された
 その記事の内容が平成15年に「図説 東京流行生活」に紹介され、多くの方に周知された




 民衆の好む新奇をねらひ外国雑誌の図案や色調をソックリそのまゝ着物に利用して居るから新し好みの人は外国人の足にする敷物やカーテンを着て居る様なものだー私は思ふ、古いものの中に一番新しいものがあることを、そしてその土地のローカルカラーをガッチリだしたものが要求される時代のくることを。
  東京朝日新聞群馬版 昭和6年5月3日

 江戸開府400年 江戸東京博物館10周年記念企画展
「東京流行生活展」 平成15年(2003)
 展示図録を兼ねて編集 第2章は小山周子氏が担当
 発行 河出書房新社





 ここで 竹久夢二 VS 伊勢崎銘仙 となる

   当時(昭和初期)伊勢崎産地は約3万人の織物製造従事者を擁し、昭和5年には
  456万反の生産高があった 正に黄金時代

西 暦   和 暦  織物総生産高
(千反)
 1926  昭和 元 3,121 
 1927     2 3,629 
 1928     3 4,119 
 1929     4 3,890 
 1930     5 4,565 
 1931     6 4,140 
 1932     7 3,853 
 1933     8 3,023 
 1934     9 3,002 
 1935    10 2,758 

               昭和初期の伊勢崎産地の生産高


 竹久夢二は伊勢崎産地を「大変時代に迎合して来ている」、「敷物やカーテンを着て居る」と
酷評しているが、伊勢崎銘仙が大量販売出来た要因としてメーカーサイドだけでは無く消費者に
近い百貨店による商品開発(図案作成)や宣伝活動にあった・・・現在で言う消費者志向である
 当時の百貨店は呉服系と言われ大型の呉服店が業務拡大として呉服以外を扱った形態で呉服に
関しての経営のノウハウを所有し、当時は百貨店の売り上げ70%を衣料品で更に呉服のウエイ
トが高かった

 竹久夢二の思想、考え方は現在でも通用する素晴らしいものであるが・・・
しかし、大量生産方式はフォードの自動車生産システムが庶民にも自動車を所有することを可能
とした様に、伊勢崎銘仙は高嶺の花である絹織物を大衆化させ多くの日本女性に支持された

 平成27年3月までNHKテレビで放送されている朝ドラ「マッサン」の鴨居社長と政春の意見
の対立と同じである「ウイスキーを買うてくれる人に媚びること無く、自分の理想とするウイス
キーを造る」政春と、「お客さんが買うてくれるウイスキーを造り、従業員とその家族を養って
いかなければならない」と言う鴨居社長 政春が竹久夢二で、鴨居社長が伊勢崎織物業者である

   竹久夢二は自らをストレンジャー(旅人)と言い
   ストレンジャーの心で全てを見直したい
   住民でありたくない
   ただ流人(るじん)でありたい と言っている
   竹久夢二はストレンジャーとして群馬、伊勢崎を訪れたのでは・・・

 竹久夢二は伊勢崎で送別会を開催した1週間後に渡米し、その後2度と群馬を訪れること無く
3年後の昭和9年に最愛の女性 彦乃(ひこの)と同じ病 結核で亡くなられた(享年49歳)


 参考文献:みやま文庫   萩原進編「群馬と夢二」1985
      河出書房新社 「図説 東京流行生活展」2003
      山内雄気著  「絹の大衆化と昭和モダン 流行商品 銘仙の誕生」一橋大博士論文
             概要はネットに有り 2009
             山内雄気氏は現在 同志社大学准教授、
             伝統的工芸品指定小委員会委員
      NHK 日曜美術館 「 響き合う絵と詩 竹久夢二の大正ロマン」2014年12月放送











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 足利銘仙と竹久夢二








 足利織物伝承館にある
 竹久夢二のコーナー

 足利では昭和初期に足利銘仙のPRのために
 竹久夢二に宣伝用ポスターの原画を依頼した

























 秩父銘仙と竹久夢二






  ちちぶ銘仙館にある
  竹久夢二のハガキ