父 | 膳浅次郎(好孝) | ||
長兄 | 元蔵 | 先妻の子 桂之助の母の姉 |
|
同妻 | ? | 隣りの下山求平の娘? | 下山求平 |
姉 | すま | 前橋へ嫁ぐ | 先妻の子 桂之助の母の姉 |
母 | 前橋 松井氏しげ |
晩年は東京で生活 大正12年3月3日逝去 |
糖尿病 高橋孝太郎診察 |
姉 | 梅子 | ||
姉 | 竜 喜代 | ||
次兄 | 岩田孝助 | ||
本人 | 膳桂之助 | ||
妹 | 飯塚稔(とし) |
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1887 明治20年 |
0 | 7月21日 伊勢崎町字新町 父 薬舗 膳浅次郎(好孝)50歳 母(前橋 松井氏)しげ 四男 |
1891 明治24年 |
4 | 4月 伊勢崎尋常小学校予習科入学 甥 貞二郎の入学に伴い年足らずで特別な入学許可 |
1896 明治29年 |
9 | 9月28日 父 膳浅次郎(好孝)逝去 59歳 この頃、近所でよく遊んだ友達に高橋孝太郎、中沢豊七がいた |
1900 明治33年 |
13 | 3月 伊勢崎組合立高等小学校首席で卒業 4月 群馬県立前橋中学校入学 (修業年5年) 姉 竜喜代の家(南曲輪町)に甥 貞二郎と寄宿 同郷の同級生 森村良策、武晴宜、下城虎一、森村茂樹等 |
1901 明治34年 |
14 | 4月 2学年進級 首席特待生 伊勢崎の薬舗 破産 秋より前中の寄宿舎に入る 伊勢崎教会 伊勢崎町字赤石(現 北小)牧師 富永徳磨は 近郊の青少年を集め日曜学校で講話をされていた 膳桂之助は富永牧師の影響を大きく受けていた |
1903 明治36年 |
16 | 3月 3年生にてストライキの首謀者として論旨(ゆし)退学 4月 家業 破産ご東京で事業を創めた長兄を頼り上京 退学処分のため公立中学に転校出来ず、渡米を夢みて 正則英語学校に入学 |
1904 明治37年 |
17 | 4月 築地 立教中学 4年に入学 甥 貞二郎が上京し 薬学校に入学 共に京橋に部屋を借りる |
1905 明治38年 |
18 | 4月 立教中学 首席にて5年生に進級 キリスト教の洗礼を受ける クリスチャンネームはパウロ |
1906 明治39年 |
19 | 3月 立教中学 首席卒業 9月 一高(第一高等学校) 独法(ドイツ法) 首席にて入学 一高の修業年3年、その後無試験で東京帝国大学 修業年3年 結核のため一年留学 |
1910 明治43年 |
23 | 6月 一高卒業 |
1914 大正3年 |
27 | 7月 東京帝国大学法科大学卒業(独法兼修) |
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1914 大正3年 |
27 | 7月 農商務省 商工局 監理課 勤務 9月18日 山口孝太郎二女 国と結婚 キリスト教会にて 11月 文官高等試験合格 |
1916 大正5年 |
29 | 5月 八幡製鉄所 副参事 |
1918 大正7年 |
31 | 1月 米国出張 製鉄所の調査(販売方法) 8月 帰国 |
1920 大正9年 |
33 | 4月 本省に戻り、工務局工場課勤務 8月 農商務省に労働課新設、初代の工務局労働課長に就任 |
1921 大正10年 |
34 | 健康保険法案の立案にあたる |
1922 大正11年 |
35 | 3月 健康保険法案の国会両院通過(説明答弁) 11月 工務局能率課新設、能率課長に就任 工業品規格統一(JIS)調査会 幹事被仰付(おおせつけられ) |
1923 大正12年 |
36 | 4月 商務局市場課新設 市場課長に就任 9月 関東大震災では、臨時震災救護事務局事務官 |
1924 大正13年 |
37 | 12月 農務局繭糸課長に就任 輸入生糸検査法を制定 |
1926 昭和元年 |
39 | 12月28日 官を辞して、日本工業倶楽部主事に就任 |
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1926 昭和元年 |
39 | 日本工業倶楽部では組織の活性化のため、大物の事務局長 (主事)として膳桂之助を迎えた |
1932 昭和7年 |
45 | 日本工業倶楽部常任理事に就任 |
1934 昭和9年 |
47 | 3月 日本団体生命株式会社創設 専務、社長、会長を歴任 |
1937 昭和12年 |
50 | 3月 第23回 I・L・O総会に使用者代表委員 |
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1945 昭和20年 |
58 | 4月 鈴木貫太郎内閣成立 9月 東久邇宮内閣成立 吉田茂外務大臣に就任 |
1946 昭和21年 |
59 | 5月 第 1次 吉田茂内閣成立 6月 膳桂之助 貴族院議員に勅選。国務大臣、経済安定本部総務長官、 物価庁長官に就任 |
1947 昭和22年 |
60 | 1月 国務大臣依願免本官 4月 参議院選挙に全国区より出馬、群馬県から23万余票とその他 3万余票、合計26万余を得て第16位で当選するが、 GHQから追放指定を受け即日当選を辞退 |
1949 昭和24年 |
62 | 1月 群馬県前橋市に日本団体生命保険株式会社群馬支社開設 |
1951 昭和26年 |
64 | 11月25日逝去 墓所 多摩霊園 霊名 フランシスコ 昭和26年11月1日受洗 従三位勲三等瑞宝章 |
1970 昭和45年 |
ー | 6月29日 伊勢崎商工会議所共済制度発足 |
1975 昭和50年 |
ー | 8月6日 伊勢崎商工会議所内に 日本団体生命保険株式会社伊勢崎分室開設 |