町田佳聲生誕130周年記念事業メモリアル

   町田佳聲(かしょう 本名 嘉章) 伊勢崎に明治21年(1888)6月8日生誕
     町田佳聲生誕130周年実行委員会(平成30年度事業で終了しました)

TOPページ  伊勢崎銘仙アーカイブス TOPページへ戻る 
町田佳聲  町田佳聲(嘉章)記念サイト TOPページへ戻る
         *町田佳聲又は町田嘉章の呼称は原則として出所に基づく


  からりこ節は「ダンピアいせさき」
       として市民に唄い踊り継がれている





平成22年(2010)
3月6日
伊勢崎市文化会館大ホール
「民謡民舞発表会」で
「伊勢崎小唄・からりこ節
保存会」会長 加藤義雄氏
 高機(たかばた)を舞台
に上げての演奏








 「からりこ節」制作時伊勢崎産地は銘仙ブームで史上最高の生産量
 昭和初期は「昭和恐慌」下ではあるが、伊勢崎銘仙はリーズナブル・高品質・消費者ニーズを捉えたデザインで巷とは裏腹に史上最高の生産量を誇り、伊勢崎織物同業組合では昭和初期には毎年現在金額にして1億円の広告宣伝費を懸けていた
 昭和3年に当時の人気女優水谷八重子を宣伝ポスターに起用
 昭和5年の伊勢崎銘仙の生産高456万反で、昭和5年の日本女性の人口数は3,206万人で
7人に1人が伊勢崎銘仙を着用した

 主婦之友 11巻10号(昭和2年10月)秋季特別号(1927.10.01)より
  伊勢崎銘仙に就いて 伊勢崎織物同業組合 組長 下城雄策
「伊勢崎銘仙は古来実用向きをもって唯一の目標としてをります。ゆゑに縞でも絣でも一定の制裁の下に製織してをりますから、品質本位に於て他にその類例を見ないほどであります。取り分け染料を独・瑞国等の製造会社から、組合が直接購入し、組合員に分譲し、使用させてをりますから、染色の堅牢で耐久力に富む点は全く匹敵するものが無いのであります。而して更に製品の
確実を保証するため、組合で製品の検査を厲行し、合格品に対し組合の標章竝に組合印を押捺して、責任を明らかにしてをります。
 而して近来織物界の趨勢は漸次外観本位に傾いて来たので、この点に大いに力をいたし、技術
の進歩に伴い意匠柄行にし而も高尚なる我が伊勢崎銘仙は、現代斯界の花形と推賞されてをります。従って生産高も年毎に増加し、全国から生産される銘仙級の過半数に当たる、三百五拾万反
を伊勢崎が占めるにいたりました。さうして伊勢崎といへば銘仙、銘仙といへば伊勢崎を聯想するやうにまで、需要者各位から歓迎されてをります。・・・」




 下城雄策(しもじょう ゆうさく)初代
明治12年(1879)~昭和15年(1940)
殖蓮村村長、昭和2年(1927)3月から昭和8年
(1933)3月まで伊勢崎織物同業組合組長に就任、
長男で二代目の雄策(本名 秋雄)は伊勢崎市長を歴任








  伊勢崎の伊勢崎甲種料理店組合から依頼を受けて、昭和3年10月29日に北原白秋
 と町田嘉章が伊勢崎を訪れ「からりこ節」の想を練り完成、昭和4年に発表会を開催。

  伊勢崎市四大甲種料理店揃い花街を彩る白水楼、大津屋、湖川屋、伊勢崎館
  乙種料理店は南町に約30軒


伊勢崎甲種料理店
 料亭の位置情報は
 明治37年刊行の
「群馬県営業便覧」の
 地図と取材による

 道路の拡幅や
区画整理事業により
現在の地図からは
正確な位置の特定は困難







上毛新聞 1928 昭和3年10月30日(火)より

桐生の土地と産業を紹介する民謡を作るため
28日午後3時北原白秋氏と山田耕作氏が桐生市
に来たり関口市長、萩野助役、市の勧業委員、
織物組合の宣伝委員会と桐生館に小憩の後市内
の新鷲、共立、金芳、北川の各工場と天満宮を
見物し同夜懇談会を開いた29日は午前8時から
堀工場と丸山公園と岡公園を見て同10時57分
列車で退桐白秋氏は伊勢崎に立ち寄り山田氏は
帰京した





 昭和3年(1928)に北原白秋は「桐生音頭」と「からりこ節」を同時に作詞「桐生音頭」の作曲は山田耕筰、「からりこ節」は町田嘉章が作曲した。
「桐生音頭」はヒットせず、現在普及している同名の「桐生音頭」は昭和32年(1957)
桐生市選定曲。西沢爽作詞・服部逸郎作曲、青木光一・島倉千代子の両歌手のもの。




昭和4年2月13日「からりこ節」は
伊勢崎の芸者 春子、旭出次らにより
NHKで全国へ生放送
(東京朝日新聞群馬版 からりこ節放送)

 春子は人品賤しからず三味線など芸事
にたけ威厳があった
 旭出次は若者に人気があり、後に料亭
を始めた(市街地の風俗より)












































座敷舞・地唄舞
 酒宴席の座敷での舞で、埃をたてぬ様に一畳の空間でも舞う事が出来る

花柳徳次(はなやぎ とくじ 五条珠実)明治32年(1899)~昭和62年(1987)
 大正13年(1924)に町田嘉章(博三)は花柳徳次より舞踊曲「春信幻想曲 はるのぶげん
 そうきょく)」の作曲を依頼される




新民謡トリオ

作詞 北原白秋
作曲 町田嘉章
振付 花柳徳次











 

「からりこ節」か「ちゃっかりん節」か?

 「からりこ節」が制作された昭和3年の各新聞は「からりこ節」と称している
 北原白秋詩集「白秋全集30 歌謡集2」P76で「からりこ節」は俗に「ちゃっかりん節」
 とも称しているとある

 昭和8年に日本ビクターが「ちゃっかりん節 ~上州伊勢崎機織唄~」として販売
  国立国会図書館 歴史的音源 伊勢崎市図書館で試聴可能
  北原 白秋 キタハラ ハクシュウ [作詞]
  町田 嘉章 マチダ カショウ [作曲]
  日本ビクター管弦楽団 ニホンビクターカンゲンガクダン
  製作者(レーベル) ビクター
  出版年月  昭和8年(1933)9月

  戦後販売された「からりこ節」のカセットテープに付属している解説書に間違った記載が
 され「ちゃっかりん節」を後から「からりこ節」に改称されたとある
  間違った解説がコピーされ民謡・民舞の愛好者に定着しているようだ

 

 からりこ節

 (昭和3年制作) 21節
                  作詞 北原白秋
                  作曲 町田嘉章
                  振付 花柳徳次

 1.わたしや伊勢崎 機場(はたば)の育ち       *伊勢崎 いせざき とルビ
    チャッカリン チャッカリン
   筬(おさ)のネ とんはた テイホロ テイホロ

   聴き暮らす とんはた 聴き暮らす
   (イヤ カラリコリンリン  チャッカリンノセッセ)

 2.昔ゃ国定 長脇差よ
    チャッカリン チャッカリン
   今にネ 赤城の テイホロ テイホロ
   空っ風 赤城の 空らっ風
     (以下 囃子略)

 3.山は赤城よ 妙義に榛名
   どれにネ 着しょうぞ
   大絣 着しょうぞ 大絣

 4.男なりゃこそ さらりとほぐし
   さすがネ 心は
   広瀬川 心は 広瀬川

 5.さあさ織りましょ 思へばつまる
    筬にネ 杼(ひ)が鳴りや
    気が晴れる 杼が鳴りや 気が晴れる

 6.筬は杼につれ 杼は筬次第
   添はにやネ 音(ね)が出ぬ
   ぬし次第 音が出ぬ ぬし次第      *ぬし 女から親密な男の呼称

 7.糸のはたへの 千すぢよりも
   胸のネ ほぐれが
    ままならぬ ほぐれが ままならぬ

 8.おまへ銘仙 絣か縞か
   ほんにネ おまへは
   珍絣り おまへは 珍絣り        *珍絣(ちんがすり) 括り絣・板締め絣

 9.人目忍べど 機場の織子
   色のネ 紋織
   綾に出る 紋織り 綾に出る

10.いつか伊勢崎 見そめて染めて
   わたしゃネ 心も
   乱れ縞 心も 乱れ縞

11.糸のたてよこ ぬしや知り乍(なが)ら
   恋のネ 縦横
   なぜか分けぬ たてよこ何故か分けぬ

12.心だてなら 機場の織子
   とんとネ からりこ
   絶やしやせぬ からりこ 絶やしやせぬ

13.三機五機(みはた いつはた) 持たせりや持たうが  *三機五機は力織機を1人で担当
   しんぞネ 守るは
   ただひとり 守るは ただひとり

14.華蔵寺出て見よ 妙義が晴れた
    筬のネ 響きが
   よく晴れた 響きが よく晴れた

15.こちら晴れても あちらは晴れぬ   *初出 上州晴れても 信濃は晴れぬ
   西のネ 浅間の
   よな曇り 浅間の よな曇り     *よな 火山灰のこと

16.お前連取 笠松ならば
   なぜにネ わすれた
   雨に蓑(みの) わすれた 雨に蓑

17.ぬしは加工屋 色よいけれど
   恋のネ 型紙
   型ばかり 型紙 型ばかり

18.姉は小絣 小意気(こいき)な伊達者(だてしゃ)
   好きなネ 妹は
   大絣 妹は大絣

19.糸の切れ目と ご縁の切れ目
   わたしやネ 目で見ぬ
   感で知る 目で見ぬ 感で知る

20.桑は枯れるし 日は日でつまる
   赤城ネ 颪(おろし)が
   また冴(さ)える 颪が また冴える

21.機屋旦那衆は ぞろりとぞろり
   家のネ かかさん
   目がぎょろり かかさん 目がぎょろり


 「からりこ節」解説
1、囃子詞(はやしことば)
 ①チャッカリン チャッカリン
 ②テイホロ テイホロ
 ③イヤ カラリコリンリン  チャッカリンノセッセ
  囃子詞は歌詞の意味には関係無いとされるが、北原白秋は違う
  昭和初期の織機は高機(たかばた)から力織機に代わる時である
  チャッカリンやカラリコは織機の音を語源としている
  ティホロは赤城颪(あかぎおろし)、空っ風の音を語源としている
2、第13節に、三機五機(みはた いつはた)とある 1人で力織機を持つ台数である
  緯糸(よこいと)が無地の銘仙
3、「からりこ節」の囃子詞はチャッカリンが多い、このことが「ちゃっかりん節」と
  言われた所以である。囃子詞がそのまま曲名となったものも多い。



「ダンピアいせさき」制作の経緯


平成4年(1992) YOSAKOIソーラン祭りは、高知県の「よさこい祭り」をルーツに
   よさこい祭りの「鳴子」と北海道の民謡「ソーラン節」をミックスして誕生

平成7年(1995) 「前橋まつり」で「前橋だんべえ踊り」
   「前橋まつり」に伊勢崎から参加するグループ、また「いせさきまつり」に前橋から
   「いせさきまつり」の自由参加に「前橋だんべい踊り」が参加

平成8年(1996) 伊勢崎市制55周年記念事業 オリジナルソング 通称「伊勢崎サルサ」
    ロス、ニーニョス~未来のこどもたち~ オルケスタ・デ・ラ・ルスを制作

平成9年(1997) 桐生商工会議所青年部で伝統ある「桐生八木節」に「YOSAKOIソーラ
    ン祭り」を融合した第1回「桐生ダンス八木節」開催、現在第21回を迎え、総出場
     563チーム延べ参加1万人規模に成長

平成16年(2004) 「ダンピアいせさき」の制作開始

平成17年(2005)8月 いせさきまつりで「ダンピアいせさき」デビュー
    1,300人が伊勢崎本町通りを繰り出す

平成30年(2018)現在は1800人ほどの人が「ダンピアいせさき」へ参加
    ちびっ子ダンススクールや新体操クラブ、市内の幼稚園児、保育園児と先生方、
    ダンスサークルや踊りのグループなど、老若男女問わず多くの皆さんに楽しんでいる




      これからも語り唄い、そして踊り継がれる
                 町田佳聲(かしょう 本名 章)



 いせさきまつり

  8月に開催される「いせさきまつり」では
  民謡流しで「からりこ節」を
  平成17年(2004)からは「からりこ節」
  を中心にメドレーでアップテンポな曲
  「ダンピアいせさき」が「いせさきまつり」に
  デビュー











  6月から伊勢崎市内各地区で民謡流し(からりこ節他)と「ダンピアいせさき」の講習会
 が開催される
 民謡流しの講習会  「ダンピアいせさき」の講習会
   


















 ダンピアいせさきとは?

「ダンピアいせさき」は、「いせさきまつりをもっと盛り上げよう」「全員参加ができるまつりをつくろう!」というコンセプトで、市民全員がまつりで踊れるダンスを目指して作られた伊勢崎市オリジナルのダンス

 「ダンピアいせさき」制作者

  企画 作曲:鈴木宜男(元 伊勢崎市副市長)
  写真は ISESAKI SMC BIG BAND でSaxを
  担当する鈴木宜男氏

  編曲 制作:Office kanai 金井清





 曲は、伊勢崎市に馴染みの深い4曲で「からりこ節」をメインにアレンジ

 ①イントロ
 ②からりこ節  作曲 町田佳聲 伊勢崎出身の民謡研究家
 ③八木節    作曲 群馬県民謡
 ④伊勢崎囃子  作曲 山口俊郎 歌:春日八郎
 ⑤歩いてみたい 作曲 小林聡  旧伊勢崎市民の歌
 ⑥からりこ節

 アップテンポな曲調のメドレーで、誰にでも聞きやすいダンス音楽になっている
 英語の「dance ダンス」とイタリア語で広場を意味する「piazza ピアッツァ」を短縮して 「ダンピアいせさき」と名付けられた



「からりこ」を福島県の川俣町(かわまたまち)に発見

 キーワード からりこフェスタ、からりこ会館、川俣音頭(からりこ機の音)

 川俣町(かわまたまち)は古くから養蚕と絹織物が盛んな町で、特に力織機が導入された
明治以降は、海外への輸出により羽二重の一大産地として栄えました。
 「からりこ」は、力織機が導入される前の手織機の時代に、織物の緯糸を通すために動かす
シャトルの音「からんころん」が「からりこ」になったと伝えられています。
 また、作曲家の古関裕而は、川俣銀行に勤めていた時代があり、古関が昭和22年に作曲した
「川俣音頭」には、「絹の川俣八千八機 ひびく世界に品のよさ いつでもからりこ機の音
どんどと織り出せ国の富」という歌詞があることから、昭和22年には「からりこ」という言葉
が普通に使われていたものと思われます。
  福島県伊達郡川俣町 川俣町産業課

 からりこフェスタ 毎年8月14日に開催
 「道の駅川俣」内にある「からりこ館」は、絹織物の歴史、伝統技術の紹介に加え、機織り、
 染色に関する研修や体験学習のできる施設となっている

 所在地:福島県伊達郡川俣町大字鶴沢字東13-1


「からりこ」を栃木県足利市に発見

 キーワード 足利市「からりこターン」、足利音頭(カラリコトントン  カラリコトン)

足利音頭
作詞:西条八十
作曲:藤本秀夫

足利くるなら  織姫様の 
赤いお宮を  目じるしに
※カラリコトントン  カラリコトン
足利絵の街  機(はた)の街※

織姫山から  町々ながめ
可愛いあの娘も あの中に
※繰り返し

嫁にもつなら  足利娘
機(はた)はふるなり トリコット
※繰り返し

足利音頭にゃ  鳴り物いらず 
機(はた)の響きが  音頭とる
※繰り返し

 藤あや子

 おばこ巡礼歌

 3、・・・・・
 カラリ、コロリ・・・運命(さだめ)から回り
   ・・・・・