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伊勢崎市民有志で町田佳聲生誕130周年実行委員会を組織し氏の偉業を郷土の記憶遺産と
して後世に伝えるために諸事業を実施しました。
町田佳聲の業績は大きくは二つ
一つは新民謡の作曲家で北原白秋作詞の「ちゃっきりぶし」を代表とする新民謡等
を大正後期から昭和初期の約10年間に100曲以上を手掛ける。その中で伊勢崎を唄っている
新民謡は三曲あり「からりこ節」、「伊勢崎小唄」、「機場むすめ」がある。
新民謡とは、大正後期から昭和初期にかけて、地方自治体や企業などの依頼によって、観光地
・名産品などをPRする目的で制作された歌曲で、依頼者・作詞者・作曲者が判明している
県内では太田市立尾島小学校校歌が現在も歌われている。
「ちゃっきりぶし」は芸者の市丸で全国的にヒットし、美空ひ
ばり、三橋美智也、ザ・ピーナッツ等がカバーし国民に歌われ
た。
浅草寺「金龍の舞」の作曲は昭和33年
(1958)町田佳聲 年齢70歳
町田佳聲生家前で撮影
写真提供 故 小杉英雄氏
二つ目は、民謡の採集である。日本には古くから各地に労働歌をはじめとする民謡が存在するが近代化の波の中で多くの民謡が忘れられ消えて行く、町田佳聲は民俗学者柳田国男の指導や援助を仰ぎ、民謡の採集に13kgの録音機(町田式写音機)を担ぎ北は北海道から南は九州までを昭和12年(1937)から回りはじめ昭和55年(1980)「日本民謡大観」(全9巻)の完成まで実に43年を費やし2万曲の採譜の偉業を成し遂げた。民謡の採集はNHKの事業ではあるが、町田佳聲が私財をも投じ執念で完成し叙勲や吉川英治文化賞を受賞。
大正13年 町田佳聲は島崎藤村の「初恋」に
作曲し、水谷八重子が帝国ホテルで踊りをつとめた
主婦之友 昭和3年10月1日号に掲載
流行銘仙くらべ 「瑞祥」・・・ 水谷八重子さん
八重ちゃん・・・で通ってゐる、あどけない水谷八重子
さんの銘仙姿です。柄は和田三造畫伯が特に主婦之友
伊勢崎銘仙のために御考案くださつたもので、横にかる
くひいた瑞雲の配色と調子は、さながらオーケストラの
名曲に接してゐるかの如き心もちがいたします。すらり
とした八重子さんの姿が、如何に調和されてをりますこ
とか、さうした點にも、お心をとめて御覧のほどを願ひ
ます。