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現在であれば ICレコーダーやラジカセの話
スマホがあれば、動画も撮れる
今から約80年前の話である日本は西洋化、
社会構造の変化で古くから唄われた労働歌・
俚歌が唄われなくなり、消えて行ってしまう。 まだ、間に合うと・・・
現在の様に小型の録音装置が無い時代に
町田嘉章は私財を売却し録音機材を調達し
民謡採取に出かける
昭和12年(1937)春、町田嘉章49歳
蓄音機の原理を逆にした写音機が発売されたが
町田嘉章は独自にこれを改良し「町田式写音機」
を完成させた
丈夫ではない40kg余りの身体に13kg
の「町田式写音機」を担ぎ、全国の民謡を訪ね
歩き2万曲の採譜を自費にて成し遂げた
*肩にかけた重い写音機は知れるところであるが、
右手には未録音のレコード盤と着替えの衣類、
記録帳等を入れた重いカバンを持つ
SP盤レコードとは
レコードはエジソン等が発明したことで知られる
規格: 78 rpm(1分間に78回転)
直径と収録時間: 直径10インチ (25cm) で
3分、12インチ (30cm) で5分
重量: 1枚 約200g
*蚊取り線香で溝を表現
レコードの溝を右回りで回転
昭和10年4月
町田嘉章に東京トーキー製作所
(現 東京都港区芝白金)より電話でラジオ放送
出演の記念レコード制作の売り込みある
代金は1枚5円 登録商標「GALVER」
*当時の5円は、現在価値にして約9,000円
町田嘉章は民謡収集にレコード録音が活用でき
ないかを考えた
昭和12年春
日ノ本フォンから写音機が販売される
価格12円(現在価値にして約17,000円)
町田嘉章はすぐに購入するが、日ノ本フォン
は倒産する
そこで町田嘉章は写音機のカッター部分を
取り外し、他のメーカーの録音機に取り付け
「町田式写音機」を知人に制作させた
メカニカル(Mechanical)「機械仕掛け」からエレキ(電気)へ
当初の写音機は、ゼンマイ仕掛でレコードを回転させ、レコード盤への録音はラッパに
顔を入れ大声で歌い、その振動をカッターでレコードの溝に横振れに刻んだ
再生にはカッターに替わり、レコード針を使用する
昭和12年11月、録音はラッパに替えマグネットスピーカーを使用し且つ増幅用の真空管
2本を用いる方法に改良した
昭和51年(1976)年に
群馬テレビで放映
この時、町田佳聲は88歳(米寿)
写音機に真空管2本を用いた
アンプリファイヤを取り付けたと
流暢な英語で amplifier(増幅器)
を発音された
酒井正保氏より借用したテープレコーダー(ソニー製)
型式 | 製造(販売)年 | 備考 | ||
1 | PT-3型 | 昭和34年(1959 | 手巻き式 | |
2 | モデル262 | 昭和34年(1959) | 真空管式 10.5㎏ | |
3 | TC102 |
昭和30年代後半 |
3球+1TR | |
4 | PT-5型 | 昭和41年(1966 | 肩掛録音機 | |
5 | TC365 |
昭和44年(1969) | ||
6 | TC2850SD |
昭和48年(1973) | プロ用ステレオ カセットデンスケ |