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酒井正保氏の代表作に「上州の民謡を訪ねて」があり
管理人(私)が興味を持ったのが「赤城馬子唄」である
赤城馬子唄の取材で勢多郡富士見村
(現 前橋市富士見町)を訪れる
馬に乗るベレー帽を被った町田佳聲
馬子は樺澤芳勝
赤城馬子唄 歌:樺澤芳勝
(ハーイハイ)
山で床とりゃ 木(き)の根が枕 ハイ
落ちる木(こ)の葉が ハァ やぶとなる〜よ
(ハーイハイ)
かわいい男に 馬方させて ハイ
鈴が鳴るたび ハァ 出てみたい〜よ
(ハーイハイ)
赤城山の覚満淵(かくまんぶち)に冬季から保存しておいた氷を春に馬で前橋、高崎、
沼田等へ運んだ
氷の用途の一つとして「蚕種」の低温保存で、年に1回の養蚕が年間を数回の養蚕が可能
となり繭の増産が図れた
馬から荷を降ろした帰り道に馬をいたわり「赤城馬子唄」を歌った
年代 | 町田佳聲 | 酒井正保 | ことがら |
明治21年 1888 |
伊勢崎に 誕生 |
ー | ー |
昭和 4年 1929 |
41歳 | 埼玉県に 誕生 |
ー |
昭和23年 1948 |
60歳 | 19歳 | 酒井正保 学生時代に民謡研究でNHKの資料室を見学し 町田佳聲の民謡収集の資料を知る 東洋音楽学会で町田佳聲と一緒になる |
昭和24年 1949 |
61歳 | 20歳 | 酒井正保 町田佳聲と二人で民謡採集に来県 国鉄前橋駅から録音機を担ぎ徒歩で富士見村小暮 (現 前橋市富士見町小暮)へ 籾(もみ)すり唄、木挽(こびき)唄等を採取する |
昭和46年 1971 |
83歳 | 42歳 | 酒井正保「群馬のわらべうた」を刊行、 町田佳聲が刊行に寄せてを記す |
昭和47年 1972 |
84歳 | 43歳 | 町田佳聲は群馬県教育委員会編「群馬県郷土民謡集」 発行にあたり指導助言を行い、並びに序文を寄せる 楽譜編を酒井正保が担当する |
昭和56年 1981 |
93歳 逝去 |
52歳 | 酒井正保 地元紙に「町田佳聲先生の死を惜しむ」を掲載 |
平成26年 2014 |
85歳 | 酒井正保 代表作の一つ「上州の民謡を訪ねて」を発行 |
Q1、町田佳聲先生に師事と有りますが、具体的な期間(年月)
Ans 昭和24年6月大学の研究室で町田先生と初対面から、先生の晩年まで。
Q2、民謡の採集に同行されたと有りますが、具体的な期間と採集先の場所
Ans 民族音楽の調査採集は、東京、埼玉、群馬、その他多数ヶ所。
Q3、民謡採集の「写音機」はどの様の機器でしたか わかれば(数種類ある)
Ans 写真機・テープレコーダー(町田先生より下さった貴重なソニーテープレコーダー
「ゼンマイ式デンスケ」、ソニーテープレコーダー「真空管式」)計2台共大切に
保管してある。更に、録音した民謡等多数も保管済みである。写真も同様。
Q4、町田佳聲先生の功績は
Ans 町田先生は邦楽研究の大家である。特に誰も手掛けなかった全国の民謡の調査採集
「日本民謡大観(楽譜付き)」を完成させた偉業。民謡を担っている団体の育成に
も力を注いできたが、民謡を担っている個人を大切にしてきた町田先生には只々敬服
です。
Q5、町田佳聲先生がやり残したことは
Ans 日本の民俗音楽で埋もれているのがたくさんある。調査採集を継続すること、更に
日本伝統音楽を義務教育で実施すべきであることを強く述べられてきた。
先生は過去に文部省(現 文部科学省)に実施する旨交渉されてきた・・・数年前から
文部科学省は実施。
Q6、その他
Ans 私に調査を通して「一つの芸能には深い民俗がある」を深く教えて下さったのは
町田先生、このことがきっかけで、それが私の生涯の仕事になってしまいました。
そして先生のふるさと群馬県に住む事に成る。
11月はじめには町田先生と採取した民俗音楽等を楽譜付で出版の運びと成って
おります。
以 上
平成30年10月 酒井正保氏を囲んで
町田佳聲生誕130周年実行委員会の
メンバー有志と
伊勢崎市図書館にて
町田佳聲との出会い
昭和23年(1948)大学一年生のとき講師をしていた岸辺成雄(きしべ しげお)に
町田佳聲を紹介される
*岸辺成雄(1912年~ 2005年) 音楽学者、東京大学名誉教授
町田佳聲の人柄
民謡採集において、演唱者との距離を置かない
演唱者の大半は日の目を見ない、日陰の方である
東京から来た民謡研究の第一人者と言うことを微塵にも見せない
服装(菜っ葉服とよれよれのズボン)や食事(大衆食堂)も質素である
演唱者との共通の話題等を見つけ遠回しに雰囲気を作り採集に入る
町田先生に「酒井君」ではなく、「酒井さん」と呼ばれた
「上州最後のマタギたち」
長野県には「熊曳き唄」があるので、上州(群馬県)にもあるかと調査
柳田国男は血生臭いことは嫌いだったようで、宮崎県の椎葉村だけのようだ
民話・民謡は人間の生き方を教える
「三つ子の魂百まで」、上州人の典型的な精神文化 動物愛が人間愛に変わる
町田佳聲先生には大変お世話になった 恩返しを
昭和48年秋から、NHK前橋FM放送で「群馬の民俗」を担当し18年間続いた
町田先生の力添えがあったからである
町田先生の恩に報いるとこは、本を出すことである
タイトル「にんげん町田佳聲」
日時 11月16日(金)~27日(火)
休館日 21日(水)
AM10:00~PM5:00
会場 伊勢崎市図書館展示室
伊勢崎市曲輪町22-21
電話0270-23-2346
町田佳聲企画展示に酒井正保氏より借用した資料一覧
資料名 | 解説 | ||
1 | 町田佳聲からの手紙 | 1通 | 昭和45年「群馬のわらべうた」発行時のもの |
2 | 日本労作民謡集成 | 1冊 | 昭和39年 町田佳聲と共同採譜の曲を含む |
3 | テープレコーダー | 3台 | 町田佳聲にいただいたゼンマイ駆動、手巻き式機等 |
4 | テープレコーダー | 3台 | オープンリール式、カセット式 |
5 | カメラ | 6台 | 町田佳聲と共同採譜時に使用した当時のカメラ |
6 | 著書 | 13冊 |
町田佳聲の民謡採取に出かける写真
町田式写音機と愛用のベレー帽
酒井氏が戦後、町田先生より戴いた
デンスケ録音機、カメラ
酒井氏が町田先生より戴いた
日本労作民謡集成
ゼンマイ式デンスケ録音機等
町田先生から酒井氏への手紙
昭和45年「群馬のわらべうた」発行時のもの
礼状に合わせて、境町剛志の「桑摘唄」
を酒井氏にたずねている
酒井正保氏より借用したテープレコーダー
(ソニー製)
1、PT-3型 昭和34年 手巻き式
2、モデル262 昭和34年 真空管式10.6kg
3、TC102 昭和30年代後半 3球+1Tr
4、PT-5 昭和42年 肩掛録音機
5、TC365 昭和44年
6、TC2850SD 昭和48年 プロ用カセット