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町田嘉章は色々な名前で呼ばれている
全ての名前は間違いでは無い
彼は大病を何度は患っている
その度に占いで改名をしているからだ
その甲斐(かい)があったのか93歳と
長寿であった
そして、素晴らしい数々の業績を残された
名前の変遷 | 使用された時期 | 備 考 | |
町田 英(まちだ はなぶさ) | 戸籍名 | 明治21年~大正15年 (1888~1926) |
明治21年6月8日生 |
神来(しんらい) | 筆名 | 明治37年~明治39年 (1904~1906) |
前中時代 、萩原朔太郎 の筆名は美棹(みさお) |
箱入り娘(萩原朔太郎が付けた) | あだ名 | 明治37年~明治39年 (1904~1906) |
前中時代 、萩原朔太郎 のあだ名は田舎ハイカラ |
町田 博三(まちだ ひろぞう) | 筆名 | 大正2年~大正15年 (1913~1926) |
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富士松 千代太夫 (ふじまつ ちよたゆう) |
芸名 | 大正5年~不明 ( 1916~ ) |
新内、浄瑠璃 引用:邦楽いろは歌留多 |
杵屋四郎三朗 (きねや しろうさぶろう) |
芸名 | 大正7年~不明 (1918~ ) |
長唄 |
町田 嘉章(まちだ よしあき) | 戸籍名 | 大正15年~昭和56年 (1926~1981) |
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町田 嘉章(まちだ かしょう) | 筆名? | 大正15年~昭和56年 (1926~1981) |
作曲時代、国会図書館、 広辞苑、歌碑等全国的 に使用 |
町田 佳聲(まちだ かしょう) | 筆名 | 昭和37年~昭和56年 (1962~1981) |
邦楽関係、晩年及び没後 地元紙「上毛新聞」、 伊勢崎市で使用 |
大森 白象(おおもり はくぞう) | 筆名 | 不明 | 引用:三味線音楽の旋律 型研究 博三を「はくぞう」と 呼んだのか? |
妙音院徳翁佳聲大居士 | 法名 | 昭和56年9月19日 (1981) |
逝去 |
町田嘉章の出生時の戸籍名は英(はなぶさ)
父 町田賢兵衛 | ー | 母( 横山)タツ | ||||
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(和泉)ふさ | ー | 次男 町田嘉章 | 長男 町田浜次 | ー | (小林)とく | |
| | | | |||||
三女(西岡)旬子 |
次女 圭子 |
長女 行子 |
長男 一弥 |
町田嘉章の生家は江戸時代後期 初代の伝右衛門は下川淵村公田から川岸町へ
当地で荒物醤油渡世(明治4年戸籍簿による家並より)明治26年(1893)に醤油醸造業
に転じ、明治37年(1904)に合資会社、平成11年(1999)に閉店する
父 | 町田賢兵衛 1862~1901 |
八代目 伝七 | 明治26年(1893) 醤油醸造業を始める |
母 | 町田タツ 1864~1924 |
現 伊勢崎市赤堀地区出身 明治13年(1880)結婚 |
常磐津を嗜み、その影響で妹の静が長唄や 三味線を子供の頃から弾く邦楽一家 |
兄 | 町田浜次 1881~1936 |
九代目 伝七 | 町田嘉章の前橋中学進学に父賢兵衛の反対 を説得し進学させる 伊勢崎町議員を3期務め、市制施行で市長 に望まれるが逝去 |
義姉 | 町田とく 1887~1950 |
現 前橋市住吉町出身 明治35年(1902) 兄の町田浜次と結婚 |
群馬県初の女性県議会議員 小説好きで、 その影響から町田嘉章が小説を読みだし、 文学雑誌の挿絵に興味を抱いた 詳しくは みやま文庫 「近代群馬の女性たち」 昭和46年4月発行 |
参考資料 町田家菩提寺 善応寺のホームページ並びに墓碑銘 (町田嘉章の墓所ではない)
町田嘉章の前橋中学時代の戸籍名は英(はなぶさ)、筆名は神来(しんらい)
絵画の作者名には英、短歌等のペンネーム(筆名)に神来を用いた
萩原朔太郎のペンネーム(筆名)は美棹(みさお)である
前橋文学館
(前橋中学時代に町田嘉章と親交のあった
萩原朔太郎を紹介)
前橋市千代田町三丁目12-10
電話027-235-8011
観覧料:通常100円
前橋中学は修業年限5年で高等小学校を修了した12歳以上が入学出来た
町田嘉章は3学年までは伊勢崎の自宅から両毛線で通学していたが、身体をこわし4学年
からは前橋の親戚の家に下宿し通学した それからの2年間を萩原朔太郎との親交を深めた
萩原朔太郎を通しての二つの文学活動
1、野守会(のもりかい)
萩原朔太郎が主宰し明治37年頃から数年間続いた回覧雑誌「野守」
メンバーには前橋中学生以外も加わっている
各自原稿を持ち寄り1冊の回覧雑誌を作製し各自3日間閲覧し次へ回した
(写真)明治37年12月23日撮影
回覧雑誌「野守」の同人写真
前橋高等学校文芸部発行 昭和32年(1957)
「萩原朔太郎」桑弓(そうきゅう)第15号
口絵写真より
「萩原朔太郎」桑弓 第15号の中で、町田嘉章が写真を説明されている(抜粋)
後列右端に萩原自身が立っていて田舎ハイカラと記し ・・・略・・・
左端の私(神来と称す)に箱入娘と名をつけてくれました
吁(ああ)。多謝す。三味線の人よ。卿(きみ)が三筋の糸を除く
外、予が胸の煩悶(はんもん)を唄うべき楽器遂にあらざるなり。
學校でも唄ひ藝者も唄ひオルガンにのり三味線にも合ふ歌は、恐ら
く一トツトや~節のみであらう
神來
2、前橋中学校友会雑誌部
町田嘉章は前橋中学校友会雑誌「坂東太郎」に3学年末頃?から「詩」を投稿
5年生(明治38年)には雑誌部の部長に町田嘉章、幹事に萩原朔太郎が就任
西暦 | 出来事 |
1886 明治19年 |
萩原朔太郎11月1日 現 前橋市千代田町 医師 萩原密蔵 の長男として生まれる |
1888 明治21年 |
町田嘉章 6月8日 現 伊勢崎市三光町 醤油醸造業 町田伝七 の次男として生まれる 名前を英(はなぶさ) |
1900 明治33年 |
4月 萩原朔太郎(13歳) 前橋中学(現 群馬県立前橋高校)入学 |
1901 明治34年 |
4月 町田嘉章(12歳)前橋中学(現 群馬県立前橋高校)入学 |
1904 明治37年 |
町田嘉章(15歳) 脚気のため2ヶ月休学、家で三味線を習う 復学後は前橋の親戚の家に下宿し通学 萩原朔太郎(17歳)は進級ならず町田嘉章と同級になる 萩原朔太郎等に誘われ回覧雑誌「野守」に参画する |
1905 明治38年 |
4月 前橋中学校友会雑誌部の部長 町田嘉章、幹事 萩原朔太郎 |
1906 明治39年 |
3月 町田嘉章、萩原朔太郎 前橋中学卒業 同年の卒業生には森村尭太がいる |
1907 明治40年 |
4月 町田嘉章(18歳)東京美術学校(現 東京芸術大学美術学部) 図案科に入学 |
回覧雑誌「野守」第3巻第2号 明治37年(1904)が平成8年(1996)に発見され、
町田嘉章の絵が随所に描かれている
表紙画「暗香」 英筆 梅花に美女 |
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口絵「除夜」 英筆 |
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戀草(恋草) 短歌 神来 |
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雪の月の徒然(画) 英筆 FEELING IRKSOME |
町田嘉章は文学よりも文学雑誌に掲載されている一条成美(いちじょう せいび 男
1877~1910)の挿絵や藤島武二(ふじしま たけじ 1867~1943)の
洋画に興味を持ち洋画家を志した
また、萩原朔太郎は前橋中学卒業後は一時音楽家を志望したとある
備忘録:萩原朔太郎の来伊
大正10年(1921)5月7日 伊勢崎小学校講堂で前橋マンドリン倶楽部
主催の「マンドリン大演奏会」を催す
昭和 2年(1927)8月6日~8日 伊勢崎町の夏季大学に出席
明治39年(1906)3月 前橋中学を卒業後は家業を手伝う
明治40年(1907)4月 東京美術学校 図按科に入学
兄 浜次が薦める銘仙の図按描きではなくて建築設計である
明治42年(1909)結核や眼底出血で絵を諦める
大正 2年(1903)3月 東京美術学校卒業
洋画担当は中学時代に憧れていた藤島武二 助教授
また、同級生には今和次郎(こん わじろう)がいた
柳田国男 | ||||
↙ | ↘ | |||
今和次郎 | 町田嘉章 |
柳田国男(1875~1962) 民族学者
今和次郎(1888~1973) 民家採集(文化財や豪農では無い)
町田嘉章(1888~1981) 民謡採集
北原白秋 明治18年(1885) ~ 昭和17年(1942) 詩人・歌人
萩原朔太郎 明治19年(1886) ~ 昭和17年(1942) 詩人
町田嘉章 明治21年(1888) ~ 昭和56年(1981) 邦楽・民謡研究家
町田嘉章は「萩原朔太郎君の思い出」の中で「絵の修行で上京するようになり、東京で
萩原君と二三度会いましたが疎遠になって・・・」と述べている
西暦 | 出来事 |
大正元年 1912 |
萩原朔太郎 雑誌「朱欒(ざぼん)」を読み北原白秋に詩や短歌を送り、数年間にわたり 激しく傾倒 |
大正3年 1914 |
萩原朔太郎 北原白秋を訪問 |
大正4年 1915 |
北原白秋 萩原朔太郎の家に1週間滞在 |
大正11年 1922 |
萩原朔太郎 室生犀星夫妻に同行し小田原の北原白秋を訪ねる |
大正12年 1923 |
北原白秋夫妻ら萩原朔太郎の家に一泊 町田嘉章、北原白秋の童謡詩に三味線曲付けの許可を貰いに小田原の北原白秋 を訪ねる |
昭和2年 1927 |
町田嘉章 北原白秋の依頼で新民謡「ちゃっきりぶし」の曲付けを行う |
大正時代後期から 新日本音楽・新民謡・新舞踊運動が始る
西洋化の波に飲み込まれてしまう危機感
町田嘉章(筆名 博三の時代)は新しい動向に積極的に参画する
新舞踊運動
藤陰静枝 (ふじかげ しずえ)が大正6年(1917)に藤陰会(とういんかい)を設立
北原白秋、町田嘉章(博三)、初代 水谷八重子等が協力した
花柳徳次(はなやぎ とくじ 五条珠実) 町田嘉章(博三)は花柳徳次より舞踊曲
「春信幻想曲 はるのぶげんそうきょく)」と北原白秋作詞「紺屋のおろく」の
作曲を依頼される
*「春信幻想曲」と「紺屋のおろく」は
国立国会図書館デジタルコレクション歴史的音源・公立図書館で試聴可能
大正13年(1924)帝国ホテルで発表会が開催され、町田嘉章(博三)が三味線や
オーケストラを率いた 踊り「初恋」を水谷八重子がつとめた
国民的アイドル 初代 水谷八重子
明治38年(1905)~昭和54年(1979)74歳
伊勢崎織物同業組合では昭和3年(1928)~昭和11年(1936)
にかけて毎年高額な契約で水谷八重子を起用し販売促進目的の
ポスター、絵葉書を制作した
「東京朝日新聞群馬版」昭和5年8月29日 見出しより
美しい貴女の曲線美が 感涙にむせぶ人造絹糸
伊勢崎銘仙宣伝の八重子(水谷八重子)嬢
町田嘉章が作曲した一覧(編曲は除く)
同じ曲名(作詞者)でも複数の作曲者が存在することがある
国会で〇印は 国立国会図書館デジタルコレクション歴史的音源・公立図書館で試聴可能
曲 名 | 作 詞 | 国会 | |
1 | 春信幻想曲 | -- | 〇 |
2 | 紺屋のおろく | 北原白秋 | 〇 |
3 | 池の真菰に | 北原白秋 | |
4 | 初恋 | 島崎藤村 | |
5 | ちゃっきりぶし | 北原白秋 | 〇 |
6 | 狐音頭 | 北原白秋 | |
7 | 新調小唄 | 北原白秋 | |
8 | 多摩川音頭 | 北原白秋 | |
9 | 伊東音頭 | 北原白秋 | |
10 | ぶり網 | 北原白秋 | |
11 | 沼津節 | 北原白秋 | |
12 | 八幡小唄 | 北原白秋 | |
13 | 鉄の都 | 北原白秋 | |
14 | 唐津小唄 | 北原白秋 | |
15 | 米沢小唄 | 久保田金倦 | |
16 | 新丸子節 | 内田蝶二 | |
17 | 館林小唄 | 永田竜雄 | |
18 | 宮小唄 | 巌谷小波 | |
19 | 川崎小唄 | 佐藤惣之助 | 〇 |
20 | 川崎音頭 | 佐藤惣之助 | 〇 |
21 | 府中小唄 | 野口雨情 | |
22 | 岡谷小唄 | 西条八十 | |
23 | 川越小唄 | 西条八十 | 〇 |
24 | 甲州小唄 | 西条八十 | 〇 |
25 | 奥利根新調 | 士岐善磨 | 〇 |
26 | 四季の川越 | 士岐善磨 | |
27 | 十二社音頭 | 須田栄作 | |
28 | 佐渡の印象 | -- | 〇 |
29 | 牡丹燈籠 | 佐藤惣之助 | |
30 | 島田音頭 | 北原白秋 | 〇 |
31 | 新潟小唄 | 北原白秋 | 〇 |
32 | 飛騨湯の音頭島 | 巌谷小波 | 〇 |
33 | わたしこのごろ変なのよ | 西条八十 | 〇 |
34 | 唐津新曲松浦潟 | 北原白秋 | 〇 |
35 | そなた待つ間 | 北原白秋 | 〇 |
36 | 旅は道づれ | 江崎武雄 | 〇 |
37 | すきときらい | 松村又一 | 〇 |
38 | 煙草の煙 | 久保田宵二 | 〇 |
39 | うわさの花よ | 松村又一 | 〇 |
40 | 冬木心中の唄 | 長田幹彦 | 〇 |
41 | 京舞子 | 長田幹彦 | 〇 |
42 | 雪の渡り鳥 | 塚本篤夫 | 〇 |
43 | 源太振袖勝負の歌 | 谷屋光次 | 〇 |
44 | 源太しぐれ | 谷屋光次 | 〇 |
45 | 悲恋高尾の唄 | 市村樵雨 | 〇 |
46 | オール横浜踊 | 佐藤惣之助 | 〇 |
47 | 伊勢ブラ小唄 | 佐藤惣之助 | 〇 |
48 | 爪さきおどり | 北原白秋 | 〇 |
49 | 好いて好かれて | 寺尾幸夫 | 〇 |
50 | 山国小唄 | 保坂文太郎 | 〇 |
51 | 機織る乙女 | 新井修 | 〇 |
52 | 伊豆の踊子(燃ゆる黒髪) | 長田幹彦 | 〇 |
53 | 一目にっこり | 藤田三郎 | 〇 |
54 | 戀の東京(二)下町娘 | 西条八十 | 〇 |
55 | 夜のくろかみ | 伊藤和夫 | 〇 |
56 | 吾妻温泉郷小唄 | 佐藤緑葉 | 〇 |
57 | 新祇園小唄 | -- | 〇 |
58 | 新羅漢廻し | 矢野目源一 | 〇 |
59 | 石山小唄 | -- | 〇 |
60 | 木ノ本小唄 | -- | 〇 |
61 | 夕すずみ | 西条八十 | 〇 |
62 | ちゃっかりん節(後の からりこ節) | 北原白秋 | 〇 |
63 | 尾島小唄 | 北原白秋 | 〇 |
64 | 尾島小学校校歌 | 北原白秋 | |
65 | 富山時雨れて | 立山光雄 | 〇 |
66 | 秋田ちょっきり | 水原環夫 | 〇 |
67 | 鷲津節 | 北原白秋 | 〇 |
68 | 浜名湖セレナーデ | 北原白秋 | 〇 |
69 | 名古屋囃子 | 岸時一 | 〇 |
70 | 神奈川シャンソン | 白田米一郎 | 〇 |
71 | 浦戸三里 | 三野卯三郎 | 〇 |
72 | 土佐小唄 | 西条八十 | 〇 |
73 | 吉備小唄 | 吉沢勝 | 〇 |
74 | 美濃小唄 | 喜志歌之助 | 〇 |
75 | 機場むすめ | 横堀恒子 | 〇 |
76 | 上毛小唄 | 佐伯孝夫 | 〇 |
77 | 兵庫小唄 | 竜膽寺保 | 〇 |
78 | 大利根節 | 山中煌樹 | 〇 |
79 | 信濃よいとこ | 小林邦夫 | 〇 |
80 | 伊予はよい国 | 西条八十 | 〇 |
81 | 愛媛小唄 | 越智虎一 | 〇 |
82 | 長岡温泉小唄 | 西条八十 | 〇 |
83 | 紀州和歌山 | 古谷浩章 | 〇 |
84 | 四国甚句 | 長田幹彦 | 〇 |
85 | 北陸甚句 | 長田幹彦 | 〇 |
86 | 三味線協奏曲 | -- | 〇 |
87 | スキーは躍る | -- | 〇 |
88 | 雲海の曙 | -- | 〇 |
89 | 花の日本 | 佐藤惣之助 | 〇 |
90 | 照葉狂言 | 里見淳 | 〇 |
91 | 白い野ばら | 塩谷貴美代 | 〇 |
92 | 水藻流れて | -- | 〇 |
93 | 峠の小道 | -- | 〇 |
94 | 梅若 | 林柳波 | 〇 |
95 | 堀之内小唄 | 宮柊二 | |
96 | 立川小唄 | 大関五郎 | |
97 | 梨木小唄 | 西条八十 | 〇 |
98 | 堀祐織物工場舞踊歌 | 堀祐織物 | |
99 | 平塚音頭 | 北原白秋 | |
100 | 伊勢崎小唄 | 西岡水郎 | |
101 | 金龍の舞 (昭和33年の作曲) | -- |
歴史的音源:国立国会図書館デジタルコレクション歴史的音源・公立図書館で試聴可能
桐生の歌復活:桐生の歌復活演奏会 BEST SELECTION CD 2003年 製作 県立図書館貸出可能
発売年月 | 曲 名 | 作詞者 | 試聴方法 | INTRO OR PHRASE |
昭和6年10月 (1931) |
梨木小唄 | 西条八十 | 歴史的音源 ユーチューブ |
梨木よいとこ 赤城の麓 クリスチャニアにテレマーク |
昭和8年1月 (1933) |
吾妻温泉郷小唄 | 佐藤緑葉 | 歴史的音源 | 草津、四万、川原湯温泉 |
昭和8年1月 (1933) |
奥利根新調 | 土岐善麿 | 歴史的音源 | 清水トンネル、宝川温泉 |
昭和8年9月 (1933) |
ちゃっかりん節 (後の からりこ節) |
北原白秋 | 歴史的音源 カセット CD |
私しゃ伊勢崎 機場の育ち チャッカリン チャッカリン |
昭和8年9月 (1933) |
尾島小唄 | 北原白秋 | 歴史的音源 ユーチューブ |
中島飛行機 ホイトセノセ 利根川べりよ |
昭和8年 (1933) |
尾島小学校校歌 | 北原白秋 | ユーチューブ | もやが立つ 朝は緑のもや が立つ そよげ桑の葉 |
昭和8年 (1933) |
伊勢崎小唄 | 西岡水朗 | 不明 | 妙義ゃ霞に 浅間は煙り |
昭和8年 (1933) |
堀祐織物工場舞踊歌 | 堀祐織物 | 桐生の歌復活 | わたしゃ雲つく 堀祐の タンク |
昭和9年1月 (1934) |
上毛小唄 | 佐伯孝夫 | 歴史的音源 | 筬の音から群馬は明けて |
昭和9年1月 (1934) |
機場むすめ | 横堀恒子 | 歴史的音源 | 心乱すな織場の娘 乱せば糸さえ切れたがる |
不明 | 館林小唄 | 永田竜雄 | 不明 |
歌碑名 | 建立場所 | 作曲年 作詞者 建立年 |
備 考 |
尾島小学校 校歌 |
群馬県太田市亀岡甲61-2 |
昭和8年 北原白秋 昭和62年1月 |
尾島小学校校歌 写真提供 成田裕美子さん |
新潟小唄 | 新潟県新潟市中央区万代 |
昭和4年 北原白秋 不明 |
ロシア語で ハラショ ブラタモリ 古町でお座敷 遊び「新潟小唄」 |
堀之内小唄 | 新潟県魚沼市八幡町 魚野川河畔 水車小屋公園 |
昭和14年 宮柊二 平成11年 |
宮柊二記念館 |
川越小唄 | 埼玉県川越市幸町 薬師神社 時の鐘 |
昭和4年 西條八十 昭和45年 |
春はうらうら 多賀町あたり |
立川小唄 | 東京都立川市曙町 旧 立川飛行第五連隊正門 |
昭和5年 大関五郎 平成29年 |
東京ばかりか 浅川青梅 |
ちゃっきり ぶし |
静岡県静岡市清水区 日本平山頂 |
昭和2年 北原白秋 昭和41年 |
うたは ちゃっ きりぶし |
町田嘉章 歌碑 |
広島県呉市豊町御手洗 恵美須神社横 |
町田嘉章作詞 平成9年 |
昭和14年9月 採集で訪問 |
町田佳声 詩碑 |
佐賀県佐賀市三瀬村杠 北山湖畔 町田佳聲が 好んだ詩が 刻まれている |
町田佳声作詞 平成7年 |
昭和14年8月 採集で訪問 |
町田佳聲 胸像 |
東京都品川区南品川 日本民謡会館ロビー 米寿祝 |
昭和50年 | (公財) 日本民謡協会 |
昭和12年 1937 |
町田嘉章は藤井清水(ふじい きよみ)と共同採取を 始める |
49歳 |
昭和16年 1941 |
NHKに民俗資料調査室が設立され、柳田国男の推薦で 町田嘉章・藤井清水・小寺融吉の三人が嘱託となり 「日本民謡大観」の編集を始める |
53歳 |
昭和19年 1944 |
共同研究者の藤井清水(1889~1944)病気で逝去(55歳) 「日本民謡大観・関東編」刊行 |
56歳 |
昭和20年 1945 |
共同研究者の小寺融吉(1895~1945)逝去(51歳) | |
昭和27年 1952 |
「日本民謡大観・東北編」刊行 | 64歳 |
昭和28年 1953 |
「日本民謡大観・関東編」第2刷刊行 | 65歳 |
昭和30年 1955 |
「日本民謡大観・中部編(北陸地方)」刊行 | 67歳 |
昭和35年 1960 |
「日本民謡大観・中部編(中央高地・東海地方」刊行 | 72歳 |
昭和37年 1962 |
柳田国男 逝去(87歳) 町田嘉章 肺炎で入院、筆名を「佳聲」 |
74歳 |
昭和41年 1966 |
「日本民謡大観・近畿編」刊行 | 78歳 |
昭和44年 1969 3月 |
「日本民謡大観・中国編」刊行 凡例では町田佳聲(嘉章)と紹介 あとがきには町田佳聲と本人が記載 |
81歳 |
昭和48年 1973 |
「日本民謡大観・四国編」刊行 | 85歳 |
昭和52年 1977 |
「日本民謡大観・九州(北部)編」刊行 序ではNHK会長が町田佳聲と紹介 凡例では町田佳聲(嘉章)と紹介 あとがきには町田佳聲と本人が記載 |
89歳 |
昭和55年 1980 |
「日本民謡大観・九州(南部)編」刊行 | 92歳 |
昭和56年 1981 |
町田嘉章 9月19日逝去 | 93歳 |
東京朝日新聞群馬版・伊勢崎市史(通史編3近現代)等による
出典 | 年月日 | 出来事 |
東京朝日 新聞 |
昭和3年(1928) 10月30日号 |
白秋(北原白秋)氏等視察 桐生民謡の作歌作曲のため (伊勢崎町にも) |
伊勢崎 市史 |
10月 |
北原白秋が町田嘉章と共に町田伝七別邸に泊まり、 「からりこ節」 |
伊勢崎 市史 |
11月29日 | 伊勢崎民謡「からりこ節」出来る 伊勢崎甲種料理店組合の依頼による機織り歌 |
東京朝日 新聞 |
昭和4年(1929) 2月12日号 |
カラリコ節 あす放送 伊勢崎の芸者 |
伊勢崎 市史 |
2月 |
「からりこ節」は伊勢崎の芸者春子、旭出次らにより NHKから放送された 2月13日放送 |
昭和4年 | 西條八十作詞、町田嘉章作曲「わたしこのごろ変なのよ」 発表 |
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昭和8年 | 現 太田市尾島町の依頼で「尾島小唄」、「尾島小校歌」 を北原白秋作詞、町田嘉章作曲 |
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東京朝日 新聞 |
昭和9年(1934) 10月24日号 |
「機場むすめ」けふ伊勢崎で上演(横堀恒子作詞) 西条八十補作、 町田嘉章作曲 |
伊勢崎 市史 |
昭和33年(1958) 4月 |
伊勢崎市の赤石民謡研究会の第1回発表会に 町田嘉章賛助出演 |
昭和51年(1976) | 群馬テレビに出演 |
生年月日 明治21年(1888)6月 8日
ご命日 昭和56年(1981)9月19日 93歳
生誕 平成30年(2018)6月 8日 130年
没後 平成30年(2018)9月19日 37年
行 事 名 | ||
1996 (平成8年) 生誕108年 没後15年 |
グラフいせさき 第18号1996 伊勢崎市制55周年特集 「いせさき人物伝 町田佳聲」 -民謡ひとすじ90年ー 発行:伊勢崎市 |
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1997 (平成9年) 生誕109年 没後16年 |
第21回県民芸術祭参加 ぐんま民謡フェスティバル 「町田佳聲展」 第1期 8月30日(土)~9月7日(日) 会場:群馬県生涯学習センター 第2期 9月13日(土)~20日(土) 会場:伊勢崎市文化会館 主催:実行委員会、群馬県等 |
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2000 (平成12年) 生誕112年 没後19年 |
伊勢崎市制施行60周年 いせさきまつり 8月6日(日)17:30~ 浅草寺「金龍の舞」を招待 「金龍の舞」は町田嘉章の作曲 寺舞保存会、浅草芸者の三味線と笛 主管:伊勢崎市経済部商業観光課 |
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2001 (平成13年) 生誕113年 没後20年 |
第16回 国民文化祭ぐんま2001 主催:文化庁等 民謡民舞の祭典 日時:11月4日(日) 10:00~17:15 会場:伊勢崎市文化会館大ホール 主催:伊勢崎市等 第3部 「日本民謡大観・町田佳聲の 足跡を訪ねて」 |
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2011 (平成23年) 生誕123年 没後30年 |
伊勢崎市収蔵美術展 「機織の町に生きた人達」 9月3日(土)~11日(日) 会場:ベイシアIS・ISホール 主管:伊勢崎市経済部文化観光課 内容:金井鳥洲の美術品と町田佳聲 の資料を展示、伊勢崎小唄・ からりこ節保存会が民謡実演 |
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2013 (平成25年) 生誕125年 没後32年 |
生誕125周年記念展示 民謡開拓の父「町田佳聲」 1月26日(土)~2月24日(日) 会場:伊勢崎市図書館 主管:伊勢崎市図書館 内容:著書の展示 全国の民謡を会場に流す |
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2018 (平成30年) 生誕130年 没後37年 |
生誕130年周年 |
ちゃっかりん節 ~上州伊勢崎機織唄~
国立国会図書館 歴史的音源 伊勢崎市図書館で試聴可能
北原 白秋 キタハラ ハクシュウ [作詞]
町田 嘉章 マチダ カショウ [作曲]
日本ビクター管弦楽団 ニホンビクターカンゲンガクダン
製作者(レーベル) ビクター
出版年月 昭和8年(1933)9月
日本コロンビア カセットテープ
A面 からりこ節(群馬県)
B面 素麺小唄
唄 晴海洋子(はるみようこ)
歌詞 1、3、4,6
演奏時間 3分28秒
演奏 コロンビア・オーケストラ
発売日 平成9年(1997)11月21日
価格 1,000円+税
ビクター伝統文化振興財団 シングルカセット
A面 笠野浜甚句
B面 からりこ節
北原白秋 作詞
町田佳聲 作曲(群馬県)
唄 多田隆章次 写真の女性
(おおた りゅうしょうじ)
歌詞 1、2、3、5
演奏時間 3分15秒
発売日 平成15年(2003)6月21日
価格 1,100 円+ 税
キングレコード(株)のCD
「こころの唄」の16番目に「カラリコ節(群馬県)」
唄 長瀬和子(ながせかずこ)
歌詞 1、2、3、4
演奏時間 3分9秒
発売日 平成23年(2011)12月21日
価格 2,571円(税込)
町田嘉章著書・編書
昭和35年(1960) 日本民謡集 浅野健二と共編 岩波書店
昭和37年(1962) わらべうた : 日本の伝承童謡 浅野健二と共編 岩波書店
昭和19年(1944) 日本民謡大観 関東編 NHK
昭和27年(1952) 日本民謡大観 東北編 NHK
昭和30年(1955) 日本民謡大観 中部編 北陸地方 NHK
昭和35年(1960) 日本民謡大観 中部編 中央高地・東海地方 NHK
昭和41年(1966) 日本民謡大観 近畿編 NHK
昭和44年(1969) 日本民謡大観 中国編 NHK
昭和48年(1973) 日本民謡大観 四国編 NHK
昭和52年(1977) 日本民謡大観 九州編(北部) NHK
昭和55年(1980) 日本民謡大観 九州編(南部)、北海道編 NHK
町田嘉章の門下、研究書等
昭和46年(1971) 群馬のわらべうた 酒井正保 音楽の友社
昭和47年(1972) 群馬県郷土民謡集 群馬県教育委員会 上毛新聞社
昭和49年(1974) 民謡に生きる 竹内勉 ほるぷ
平成 3年(1991) 邦楽いろは歌留多 岡本文弥 邦楽社
平成26年(2014) 上州路の民謡を訪ねて 酒井正保 上毛新聞社
平成27年(2015) 三味線音楽の旋律型研究 ━町田佳聲をめぐって━
京都市立芸術大学 山田智恵子・大久保真利子他
町田佳聲展のリーフレット等
平成 8年(1996) グラフいせさき第18号 いせさき人物伝 伊勢崎市
平成 9年(1997) ぐんま民謡フェスティバル 町田佳聲展 実行委員会
平成13年(2001) 第16回国民文化祭ぐんま2001 町田佳聲展 実行委員会
萩原朔太郎関係
昭和56年(1981) 萩原朔太郎撮影写真集 前橋市教育委員会
昭和58年(1983) 萩原朔太郎郷土詩集 前橋市教育委員会
平成 9年(1997) 野守(明治38年)復刻版 上毛新聞社
平成22年(2010) 萩原朔太郎の音楽 前橋文学館