伊勢崎織物同業組合が水谷八重子をモデルとするきっかけとなった写真
(主婦之友 昭和2年10月1日号より)
日本三大名女優 初代 水谷八重子、杉村春子、山田五十鈴
その筆頭の水谷八重子が人気の出盛りの昭和初期 昭和3年
(1928)~昭和11年(1936)
伊勢崎織物同業組合は昭和16年(1941)戦時下の解散
時において組合の成果を挙げている
その第3として・・・宣伝費を多額に計上して大いに宣伝
に勉めたことで、当時伊勢崎町の予算より織物組合の予算が
遥かに多かったのは、予算の中に宣伝費が多額に占めたこと
による。又宣伝ポスターの製作は伊勢崎が嚆矢(こうし
最初)であって、当時の花形女優水谷八重子をモデルとし
て、全国の店頭に貼られた水谷八重子のポスターを見れば
伊勢崎銘仙かと思われる程で、水谷八重子が着た銘仙の柄を
指定してくる問屋も多く、伊勢崎の名を全国に流布させた
初代 水谷八重子(みずたに やえこ)
明治38年(1905)~昭和54年(1979)
本名 松野八重子 東京生れ
新派女優 新派の大黒柱的存在
主演作「女系図」、「鹿鳴館」等
昭和12年(1937)守田勘弥と結婚
昭和14年(1939)長女好重誕生
後に良重、二代目水谷八重子を襲名
人間の記録14
水谷八重子「女優一代」
1997 日本図書センター発行
新舞踊運動
藤陰静枝 (ふじかげ しずえ)が大正6年(1917)に藤陰会(とういんかい)を設立
北原白秋、町田嘉章(博三)、初代 水谷八重子等が協力した
花柳徳次(はなやぎ とくじ 五条珠実) 町田嘉章(博三)は花柳徳次より舞踊曲
「春信幻想曲 はるのぶげんそうきょく)」と北原白秋作詞「紺屋のおろく」の
作曲を依頼される
大正13年(1924)帝国ホテルで発表会が開催され、町田嘉章(博三)が三味線や
オーケストラを率いた 踊り「初恋」を水谷八重子がつとめた
年 度 | 伊勢崎町 歳入 (円) |
伊勢崎町 歳出 (円) |
伊勢崎織物 数量(万反) |
伊勢崎織物 価格(万円) |
平均単価 円/反 |
|
大正 4年 | 45,255 | 42,539 | 90 | 379 | 4.21 | |
大正 8年 | 125,150 | 118,567 | 200 | 2,973 | 15.00 | |
大正13年 | 360,957 | 213,719 | 317 | 3,503 | 11.10 | |
昭和 元年 | 377,636 | 337,370 | 312 | 3,234 | 10.41 | |
昭和 2年 | ー | ー | 363 | 3,359 | 9.29 | |
昭和 3年 | 313,288 | 281,163 | 412 | 3,812 | 9.29 | |
昭和 4年 | 468,847 | 406,675 | 389 | ー | ー | |
昭和 5年 | ー | ー | 456 | ー | ー | |
昭和 6年 | ー | ー | 414 | 2,489 | 6.01 | |
昭和 7年 | ー | ー | 385 | 2,311 | 6.00 | |
昭和 8年 | ー | ー | 302 | ー | ー | |
昭和 9年 | ー | ー | 300 | ー | ー | |
昭和10年 | ー | ー | 276 | 1,962 | 7.11 | |
昭和11年 | ー | ー | 216 | 1,587 | 7.35 |
科 目 | 決算額(円) | % |
昭和5年 歳入 | 132,573.43 | ー |
歳出 | 124,879.75 | 100.0 |
販路拡張費 | 54,537.24 | 43.7 |
販売拡張費物価換算 | 10,820万円 | 1,984倍 |
昭和9年 歳入 | 128,724.60 | ー |
歳出 | 108,568.69 | 100.0 |
販路拡張費 | 50,751.39 | 46.7 |
販売拡張費物価換算 | 9,196万円 | 1,812倍 |
昭和14年 歳入 | 217,294.93 | ー |
歳出 | 137,652.10 | 100.0 |
販路拡張費 | 28,113.21 | 20.4 |
販売拡張費物価換算 | 3,365万円 | 1,197倍 |