年 代 | できごと |
天保 3年 1832 (誕 生) |
宮崎有敬は 宮崎有成の三男として佐位郡采女村伊与久(現 伊勢崎市境)に生れる 父の有成は儒者で、有敬は父に学ぶ |
安政 3年 1856 (24歳) |
農兵を募り、義倉法を施行 |
安政 4年 1857 (25歳) |
生糸改良を藩に上申し、改良に成功する |
元治 元年 1864 (32歳) |
勤皇運動の疑いで幽閉される |
明治 元年 1868 (36歳) |
岩鼻県、伊勢崎藩、群馬県、大蔵省、内務省勧業寮等を歴任 官に在ること8年 |
明治 9年 1876 (44歳) |
楫取素彦初代の群馬県令に就任 |
明治10年 1877 (45歳) |
踏転製糸器機を作り、製糸教授所を伊勢崎に新築し女子に教授 |
明治12年 1879 (47歳) |
県議会議員に選ばれ、初代の議長 |
明治13年 1880 (48歳) |
伊勢崎太織の粗造を視て伊勢崎太織会社を設立させた 現在の行政指導である 社長には同郷の宮崎栄蔵が就任した 星野長太郎と共に前橋の上毛繭糸改良会社の創立に奔走し、後に社長に就任する |
明治17年 1884 (52歳) |
楫取素彦転出 |
明治24年 1891 (59歳) |
県経済協会を創立し、農事試験場を設ける |
明治26年 1893 (61歳) |
土地抵当銀行を建議するが時期早々で失敗に終わる 後の農工銀行である |
明治28年 1895 (63歳) |
逝去63歳 |
明治40年 1907 |
楫取素彦撰文の宮崎有敬翁紀功之碑 建碑 |
佐波郡 | 子爵酒井家家令 | 石原蔵蔵 | 下山求平 | 下城栄作 | 星野雷作 |
大和房吉 | 八田栄蔵 | 椎名勤次郎 | 田島滝三郎 | 竹内登一郎 | |
笠原萬之助 | 斉藤百助 | 羽尾勘七 | 石原清助 | 芹澤真太郎 | |
長谷川定次郎 | 森川抱次 | 町田考五郎 | 新井恭邦 | 田島秀一郎 | |
石川泰三 | 徳江八郎 | 森村堯太 | 田島弥平 | 髙橋清平 | |
星野源左衛門 | 町田伝七 | 中澤豊七 | 武孫平 | 下城弥一郎 | |
五代卓尓 | 井下久馬 | 星野栄作 | 正田虎四郎 | 森村富蔵 | |
田島定邦 | 高井愛蔵 | 深町亮太郎 | 松本詢 | 服部梅吉 | |
石原太七 | 高井庫蔵 | 伊羅子八郎 | 宮崎石蔵 | 宮崎勇三郎 | |
宮崎有斐 | 宮崎傳三 | ||||
東京市 | 細野次郎 | ||||
斡旋者 | 野村藤太 |