野村藤太(のむら とうた)
嘉永元年(1848)7月23日~明治43年(1910) 9月10日享年62歳
2024年現在 生誕176年 没後114年
「めいせんや」を発見
「めいせんや」の幟(のぼり)を立てたのは東京日本橋南伝馬町に開店した年代 | できごと |
嘉永 元年 1848 (誕生) |
嘉永元年7月23日 上毛那波郡堀口村に生まれる 父 籐右衛門、母 カメ子 野村家は門閥旧家で代々里正を勤める 母の兄、伯父の田部井謙斎から学んだ後に堀口村の栗原順庵、 大正寺村の松本宏洞に就き学ぶ |
明治 4年 1871 |
藩臣 五十嵐匡里等と数村の寺院を廃し寄付させ郷学を興す |
明治 7年 1874 |
10月 小暮録郎等が機械製糸工場「共研社」を伊勢崎町片町東 (現 大手町)に設立 この共同経営に加わる |
明治 9年 1876 |
富岡製糸場・初代所長の尾高淳忠(おだか あつただ、渋沢栄一の義兄) と共に秋蚕(あきご)飼育を奨励する |
明治12年 1879 |
第1回の群馬県議会議員に当選し16年間在任した 伊勢崎機業の粗製乱造対策として初代佐位郡那波郡長石原蔵臧と共に 太織製造組合の設立を指導 |
明治13年 1880 |
徳江八郎と共に温暖育論を唱える(上毛近世百傑伝・上 P188) |
明治17年 1884 |
石川泰三等と「回天義塾」を設立し英語教育を行う |
明治19年 1886 |
キリスト教に入信し伝道に努める |
明治21年 1888 |
伊勢崎教会堂を新設 8月「秋蚕飼育一斑」を出版 |
明治22年 1889 |
6月小暮録郎、石倉源三郎と「伊勢崎織物商会」を東京日本橋南伝馬町に 開店した |
明治23年 1890 |
第1回衆議院選に出馬するが、僅差にて落選する |
明治25年 1892 |
4月 群馬県議会議長 |
明治27年 1894 |
12月 群馬県議会議長 |
明治31年 1898 |
12月 鹿児島県大島郡伊津部村の登 庸実(のぼり ようざね)と 大島紬の共同製造の契約を交わす(群馬県立文書館) |
明治43年 1910 (62歳) |
9月10日病死 享年62歳 |