伊勢崎銘仙アーカイブス

TOP  topページへもどる

PROFILE  人物紹介へもどる


 野村藤太物語


 野村藤太(のむら とうた) 嘉永元年(1848)~明治43年(1910)




  堀口村出身(現 伊勢崎市堀口町) 県会議員、製糸・染色・
 織物買継を行う


  伯父の田部井謙斎より教育を受け、後には堀口村の栗原順庵
 (くりはら じゅんあん)、大正寺村の松本宏洞(まつもと こうどう)
  に就き学ぶ





 明治12年(1879) 第1回の群馬県議会議員
に当選し16年間在任した
 明治25年(1892)4月、明治27年12月
(1894)12月 2回 県会議長

 明治23年(1890)第1回衆議院選に出馬す
るが、僅差にて落選する




  伊勢崎市堀口町の生家
 昭和57年に建て替えのために解体
 (参考 伊勢崎の民家より)





 埜(野)村藤太著
 秋蚕飼育一斑(あきご しいく いっぱん)全
 上毛高崎 明良社 梓(版)

 秋蚕の発明は明治8年に富岡製糸所所長の
尾高淳忠で、前年の春蚕種を信州安曇郡風穴に貯蔵し
秋に至って飼育せしを以て秋蚕飼育の初めとす・・・

 秋蚕(あきご)とは晩夏から晩秋にかけて
飼育する蚕のこと
 その頃は秋蚕は公認されておらず、蚕を年に複数回行
うことで養蚕農家の収入は上がり、生糸の量的確保が可
能となった













 明治21年8月10日印刷
 同   年同月 同日出版
              定価金八銭

  著述者 群馬県 野村藤太
      上野國那波郡堀口村三十番地









「めいせんや」を発見

    「めいせんや」の幟(のぼり)を立てたのは東京日本橋南伝馬町に開店した
   伊勢崎太織の販売店は「伊勢崎織物商会」とある
   「伊勢崎織物商会」は明治22年(1889)頃に三郷村の小暮録郎や名和村の
   野村藤太らが出資したものである
   伊勢崎市太田町の小暮家の文書で明治27年(1894)7月「伊勢崎織物商会」
   から小暮録郎宛のはがきに「銘仙」の文字が年号のわかる資料の初出とある

    参考資料:伊勢崎織物の歴史 平成12年 監物聖善(けんもつ まさよし)著




 年代 できごと 
 嘉永 元年
 1848
 (誕生)
 嘉永元年7月23日 上毛那波郡堀口村に生まれる
父 籐右衛門、母 カメ子
野村家は門閥旧家で代々里正を勤める
母の兄、伯父の田部井謙斎から学んだ後に堀口村の栗原順庵、
大正寺村の松本宏洞に就き学ぶ
 明治 4年
 1871
 藩臣 五十嵐匡里等と数村の寺院を廃し寄付させ郷学を興す
 明治 7年
 1874
 10月 小暮録郎等が機械製糸工場「共研社」を伊勢崎町片町東
(現 大手町)に設立 この共同経営に加わる
 明治 9年
 1876
 富岡製糸場・初代所長の尾高淳忠(おだか あつただ、渋沢栄一の義兄)
と共に秋蚕(あきご)飼育を奨励する
 明治12年
 1879
 第1回の群馬県議会議員に当選し16年間在任した
伊勢崎機業の粗製乱造対策として初代佐位郡那波郡長石原蔵臧と共に
太織製造組合の設立を指導
 明治13年
 1880
 徳江八郎と共に温暖育論を唱える(上毛近世百傑伝・上 P188)
 明治17年
 1884
 石川泰三等と「回天義塾」を設立し英語教育を行う
 明治19年
 1886
 キリスト教に入信し伝道に努める
 明治21年
 1888
 伊勢崎教会堂を新設
8月「秋蚕飼育一斑」を出版
 明治22年
 1889
 6月小暮録郎、石倉源三郎と「伊勢崎織物商会」を東京日本橋南伝馬町に
開店した
 明治23年
 1890
 第1回衆議院選に出馬するが、僅差にて落選する
 明治25年
 1892
 4月 群馬県議会議長
 明治27年
 1894
 12月 群馬県議会議長
 明治31年
 1898
 12月 鹿児島県大島郡伊津部村の登 庸実(のぼり ようざね)と
大島紬の共同製造の契約を交わす(群馬県立文書館)
 明治43年
 1910
 (62歳)
 9月10日病死 享年62歳






 参考・引用文献

  明治21年(1888) 秋蚕飼育一斑       野村藤太著  国会図書館デジタル
  明治23年(1890) 上毛衆議院議員候補者小伝 山中敬一編  国会図書館デジタル
  明治24年(1891) 上毛近世百傑伝・上    山中敬一著  国会図書館デジタル
  昭和57年(1982) 伊勢崎の民家       伊勢崎市発行
  平成12年(2000) 伊勢崎織物の歴史     監物聖善著
  平成19年(2007) 群馬県農業史上      宮崎俊弥著 みやま文庫
  平成21年(2009) 群馬県農業史下      宮崎俊弥著 みやま文庫