伊勢崎銘仙アーカイブス

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 OVERSEAS


 

 伊勢崎産地の海外取引の歴史

   伊勢崎の企業(蚕糸絹業)は今から130年以上前から海外と取引を行っていた






 下城弥一郎が明治29年(1896)5月に
清国の蘇州に到着

(写真は平成11年 蘇州駅を管理人が撮影)








 平成11年当時蘇州は繊維産業が盛んで
あった

 蘇州でファッションショーを見学







西暦   和暦  できごと
 1879  明治12  田島弥平、田島信、田島弥三郎、島村勧業会社によるイタリアへの蚕種
直販売を行う
第2回直販売を翌 明治13年田島武平、田島弥三郎がイタリアへ向かう
続けて第3回、第4回の直販売を田島啓太郎が長期にわたり行った
 1880  明治13  徳江八郎 徳江製糸場を創業し生糸を横浜の同伸会社より米国へ直接
輸出した
 1891  明治24  下城弥一郎 群馬県より明治26年米国シカゴで開催される「コロンブス
世界大博覧会」の臨時事務員に任命される 出品物の斡旋紹介
 1893  明治26  徳江八郎 米国シカゴ「コロンブス世界大博覧会」に群馬県より臨時事務
員として派遣される 米国の織物業の市場調査を行った
翌明治27年に米国視察をまとめた「米国紀行」を刊行する
 1894  明治27  森村熊蔵 日清戦争が起きると日韓貿易を開始、続いて店を韓国の京城
(現ソウル)と仁川(インチョン)に開設した
 1896  明治29  下城弥一郎 清国へ視察(視察目的 養蚕・製糸・織物の調査)
視察地(上海・蘇州・無錫等)
 この視察を契機に清国との貿易を横浜の商社(松村商店)を通じて直
輸入を始める(生糸や繭を扱ったと思われる)





 

 伊勢崎銘仙は戦後まもなくフランスのリオンで「まぼろしの東洋織物」と称賛
                しかし、米欧進出夢は消えた銘仙






昭和57年(1982)
4月30日 読売新聞群馬県版
ふるさと漫歩
伊勢崎織物(13)より








 記事の要約

 戦後間もなくフランスのリオンで開催された絹業博で伊勢崎銘仙は「まぼろしの東洋織物」
 と称賛され、これにニューヨークの繊維会社が目をつけ女性バイヤーが伊勢崎に派遣された
 産地では広幅手織機を製作、注文量は長さ1万メートルで米欧進出の夢を広げた しかし、
 生糸高騰、繊維不況等でこの計画は立ち消えた





 昭和26年 伊勢崎貿易会館落成





 昭和26年伊勢崎貿易会館が組合敷地内に建設
にされた
 伊勢崎の輸出織物は高級人絹織物を得意とし
バイヤー、サプライヤーの誘致機関として貿易会館
は機能した
 






 海外との交流 最近の話題

  秩父銘仙 × スウェーデンデザイナーとのコラボ

    ビジネスとして交流しているのは秩父産地だけである
    秩父市とスウェーデンのシェレフテオ市との産業交流事業としてスウェーデンの
   デザイナーのよるデザインを秩父銘仙の技法で織り上げた
   今年の夏にシェレフテオ博物館で展示会が開催された

    詳しくは秩父市役所のHP


  足利銘仙 × イタリア  「VIVID MEISEN」展

   栃木県の足利市立美術館と桐生織塾の協力で「VIVID MEISEN 」展が
  平成28年4月22日から6月4日までイタリアのローマ日本文化会館で開催された

    詳しくは足利銘仙のページ


  伊勢崎銘仙 × イギリス  Victoria and Albert Museum


   英国のデザインと芸術分野の美術館
  ビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムでアジア地域の責任者である
  アナ・ジャクソンさんが平成27年2月11日、伊勢崎の(有)木島織物所と伊勢崎絣
  伝統工芸士 石井宏実氏の染色工場を見学した。
  今後同館が収蔵する銘仙のコレクションを充実させていくと語っていた

    ビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムのHP来伊の記事

 



 

 英語による銘仙の出版




 長野県の須坂クラシック美術館
所有する銘仙コレクションを英語併記で解説