伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎地域別 旧佐波郡 殖蓮村(うえはすむら)



 殖蓮村の地理

  旧佐波郡殖蓮村は現在の町名では三和町、本関町、鹿島町、上植木本町、豊城町、
 上諏訪町、日乃出町、昭和町、宮前町、東本町、下植木町からなる
  平成17年(2005)の 旧 伊勢崎市と佐波郡境町・東村・赤堀町が合併前で
 いえば
  旧 伊勢崎市の東北部に位置し、西は概ね粕川で境界する 北は赤堀町に接し、東は
 東村に接する

  粕川は染色に適した水質で、粕川に沿って染色業を中心に多くの織物関連企業が
 立地した



































      殖蓮村略図(明治43年 殖蓮村郷土誌より)


 伊勢崎銘仙の父 下城弥一郎は下植木村(現 宮前町)の出身

          詳しくは下城弥一郎のページへ

 下城勝麿(しもじょう かつまろ)明治11年(1878)~昭和10年(1935)





 下城勝麿は下城弥一郎の四男で三代目弥一郎を襲名
   (襲名期間 明治39年~昭和3年)
 力織機の設置、工場経営、大正7年(1912)(株)互盟商会を設立










  下城勝麿は明治45年(1912)3月
 現 下植木町411に西野式鉄製小幅力織機20台
 を購入し工場経営を開始し成功する


 *写真は現在稼動している小幅力織機
  手織り教室等では木製の高機(たかばた)
  が使用されるが
  プロの製織は力織機を一般的に使用する







  写真は力織機(動力式織機、電気モーターを使用する)
  伊勢崎町では明治43年(1910)、殖蓮村では大正8年(1919)通電された






 プロは鉄製力織機と高機を
 使い分ける

 鉄製力織機を操作する斎藤定夫氏










 文化御召(おめし)、文化銘仙の誕生
経糸に絹紡糸(英135番双糸)
緯糸にはタンニン鉄の生増量で力織機製織






 文化村



















 下城勝麿は大正7年(1918)に粕川の川南(右岸)に互盟商会を設立
 川北(左岸)には社員寮や互盟商会の協力企業群が集中した





  互盟商会では文化御召、文化銘仙を
 製造したことから
  粕川の川北(左岸)の一帯を「文化村」
 と呼ばれ、農村部においては名実ともに
 文化的な生活環境が整っていたようである






 粕川 川北から互盟商会があった場所




  互盟商会の粕川川南の工場と社員寮のある
 川北の文化村を繋ぐ、私設の橋架けられた
 橋の北詰にお稲荷様があったので「稲荷橋」
 と呼ばれた






  「稲荷橋」北詰辺り





 新粕川橋南詰(右岸)には元・石英(株)
ノコギリ屋根の工場がある

 *ここは文化村からは外れる






 セーミ加工 セーミはセイミとも言う オランダ語のchemie 舎蜜 日本語の化学 

  織物仕上げ法の一種で、一般に「銘仙」、「富士紡」などの平織の絹織物に
 縮緬(ちりめん)のようなシボを出す仕上げ法
  化学的な加工(処理)をするのでセーミ(化学)加工を言う
  平地の半練織物をエンボッシングロール(embossing 浮き出す)に掛け、縮型につけ
 これをアンダークロス(under cloth)に巻いた後に、高圧真空熱処理によって、縮型を
 固定化する 一種の「セリシン」定着を応用した整理法 



 下植木ねぎ

   「下植木ねぎ」は今から200年前の江戸時代から下植木で栽培され「下仁田ねぎ」に
  似ている 伊勢崎の機屋が全国の問屋に地元の贈答品とし 特に暮れのお歳暮時期には
  「お歳暮ねぎ」と呼ばれた
  数百セットも贈答する機屋もおり、「伊勢崎の風物詩」として伊勢崎駅には全国へ発送
  する沢山の「下植木ねぎ」が持ち込まれてねぎの臭いがしたという
   伊勢崎銘仙の隆盛に伴って全国に知れ渡った「下植木ねぎ」は戦後の銘仙の生産量の
  減少に伴い「下植木ねぎ」は姿を消した
   最近では地元有志により復活し暮れにはJA佐波伊勢崎「からか~ぜ」等で購入が出来る




西暦   和歴  できごと
 1366  貞治 5  宮前町赤城神社の石造多宝塔に秦(はた)の名前が刻まれている
泰氏は養蚕・機織の技術者の祖先と伝えられる
 1849  弘化 4  伊勢崎藩領地内に於ける機業家分布図で67戸中、で下植木に下城近右
衛門(弥一郎の父)外6名、上植木に梅原長右衛門以下11名
 1853  嘉永 6  下城弥一郎、下植木に生まれる(宮前町)
 1889  明治22  4月1日 上植木村、下植木村、八寸村(はちすむら)の3ヶ村が合併し
佐位郡殖蓮村となる
 1896  明治29  4月1日 佐位郡と那波郡が統合し佐波郡殖蓮村となる
 1897  明治30  初代下城雄策が織物製造業を下植木で始める
 1912  明治45  下植木の下城勝麿(かつまろ 三代目 弥一郎)が織機を購入し伊勢崎の
力織機経営始まる
 1918  大正 7  資本金20万円の株式会社互盟商会を設立
 1935  昭和10  下雄が県下初の毛織物工場設立
 1938  昭和13  下島商店法人化(東本町)
 1940  昭和15 2月27日 宮前町の下虎織物の寄宿舎出火女工7人焼死 
9月13日 伊勢崎町、殖蓮村、茂呂村が合併し伊勢崎市となる
 1945  昭和20 戦災で(現曲輪町)組合事務所焼失、戦後は一時的にいくつかの組合
が設立、それらの組合の理事長に下植木の石原英治郎が就任した理由
宮前町会議所へ仮事務所を事務所落成の昭和22年9月まで移す
 伊勢崎織物工業協同組合設立認可(宮前町)
 1954  昭和29  両毛線 東伊勢崎駅開業 無人駅(豊城町)
 1961  昭和37  昭和町 多賀谷善治が絣織力織機を考案する
 1990  平成 2  田部井竹次郎(東本町)展示会において通産大臣賞受賞(繰絣)









 昭和15年2月27日午後11時頃
宮前町の下虎織物の寄宿舎風呂場より出火
寄宿舎2階で寝ていた女工7名が焼死した

 昭和町の天増寺境内に正観音像が建立さ
れている













 引用・参考資料
  伊勢崎織物同業組合史    昭和6年  伊勢崎織物同業組合
  下城弥一郎         昭和52年 伊勢崎郷土文化協会
  殖蓮村郷土誌(明治43年) 昭和57年 伊勢崎郷土文化協会
  殖蓮風土記上巻       平成14年 殖蓮史談会
  思い出の記 中里を顧みて  平成17年 昭和町区長
  東本町の歴史        平成20年 東本町区長
  下植木町の歴史       平成26年 下植木町区長