だいぶ前の話ですが、ある企業の社長室に額に入った「青春の詩」が掛けられていた
社長に聞くと桐生市の友人の祝賀会で記念品として頂いたとのこと
早速、「青春の詩」のコピーを頂き今でも大事にしている
何かの機会、集まり等で「青春の詩」のコピーを配り紹介すると、特に年配の方に大変喜ばれ
た
米国人のサムエル・ウルマンの詩の然る事ながら、桐生市の群馬大学工学部繊維工学科で
非常勤講師をされていた岡田義夫氏の訳が素晴らしい
また、この詩を桐生出身の森 平三郎氏(岡田氏と東京高等工業学校での同級生)が新聞で
紹介したので多くの方に知れ渡ることになった
岡田義夫
1891年~1968年(明治24年~昭和43年)
埼玉県蕨市に生まれる。東京高等工業学校(現・東京工業大学)紡績科卒、英国留学歴有り、日本フェルト工業に勤務、リーダーズダイジェスト英語版1945年(昭和20年)12月号に掲載されていた「青春の詩」を日本語に翻訳する。晩年は群馬大学工学部繊維工学科の非常勤講師をされた。
青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相をいうのだ。 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、 怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、 こういう様相を青春と言うのだ。 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。 苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、 こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、 精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。 曰く「驚異えの愛慕心」、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に 対する欽仰、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への 歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受け る限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥 までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全 くに老いて神の憐れみを乞うるほかはなくなる。 |
サムエル(サミュエル)・ウルマン
1840年~1924年(天保11年~大正13年)
ドイツ生まれのユダヤ人、アメリカへ移民する。アラバマ州バーミングハム市で教育者・ユ
ダヤ教の指導者・実業家として活動する。晩年は詩をつくり1922年(大正11年)に80
歳の記念に家族が詩集を発行し、巻頭に「青春の詩」を掲載した。
ダグラス・マッカーサー
1880年~1964年(明治13年~昭和39年)
昭和20年、連合国軍最高司令官として日本を占領する。座右の銘として執務室に「青春の
詩」が掲げてあった。昭和20年9月27日に昭和天皇がマッカーサーと面会した際の写真に
「青春の詩」が写っていて話題になった。
群馬大学工学部の沿革
大正4年12月 大正9年4月 昭和19年4月 昭和24年5月
森 平三郎
1891年~1980年(明治24年~昭和55年) 羽仁五郎が実弟
桐生市に生まれる。東京高等工業学校(岡田義夫と同級生)、一高、東大卒業後、桐生高等工
業学校教授、山形大学学長を最後に退官し、故郷の桐生の東毛毎夕新聞社の社長に迎えられる。
1958年(昭和33年)9月16日の東毛毎夕新聞のコラムに森 平三郎が「青春とは」と題
して岡田義夫の「青春の詩」を名訳として紹介し、初めて世に送り出した。
「前橋青春の会」で平成10年に
前橋文学館前の広瀬川湖畔に英文と和訳で
「青春の碑」を建立する
場所:前橋市千代田町3-12-10
前橋文学館の前
田子和則 1952年(昭和27年)~
前橋市在住の宮大工、1993年(平成5年)にサムエル・ウルマンの故郷アラバマ州バーミングハム市から依頼により茶室を建設する。1997年(平成9年)茶室の建設によりサムエル・ウルマン賞を受賞する。
1998年(平成10年)「前橋青春の会」会長・金子才十郎発足、前橋文学館にてサムエル・ウルマン企画展を開催し、前橋文学館前に「青春の碑」を建立する。前橋市とバーミングハム市友好都市を結ぶ。