伊勢崎銘仙アーカイブス

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HEIYOU  併用絣のページで平田達男氏の作品(コレクション)を紹介

 平田達男物語

   平田達男さんの作品の見学や購入は
   伊勢崎市除ヶ町182  電話080-5389-9099



   平田達男(ひらた たつお)さんの名前
  を初めて知る方のために氏を一言で紹介す
  ると

  「伊勢崎銘仙の併用絣 最後の機屋」
です


   氏は併用絣の絣足(かすりあし)に魅せられ、
   併用絣の良い反物を作っても売れない時代に
   掛け軸や併用絵で技法を平成22年(2010)
   まで伝えた






尾瀬

 昭和58年に平田達男さんの工場を訪ねた際に
思わず購入した併用絵「尾瀬」である
 仕事上やプライベートで贈り物として良く
購入しました
 海外への贈り物として飛行機に持ち込んだこ
ともある逸品
正に「これが織物?」である








 伊勢崎駅前インフォメーションセンター
のショーウインドーに展示されている
併用絵「赤城山」







 遡(さかのぼ)ること100年前

  今から100年前は大正3年(1914)である 大正3年3月に父 平田角太夫は群馬県
 立工業学校を第2回生として卒業した 当時は群馬県に工業学校は当校だけで小学校高等科
 2年修了を入学資格とし、修業年限4年 現在のレベルで言えばカリキュラムや教諭陣の顔
 ぶれからして群馬工業高等専門学校相当である
  学校では図案教育が重視され図案の競技会を開催し機屋に図案の即売が行われた
 (参考:大正3年4月 群馬県物産陳列館伊勢崎支所設立 大正8年4月 伊勢崎図案調整所と
  改称 大正9年4月 伊勢崎図案研究所と改称)当時から機屋では販売を左右する図案が
  重要視された

  機屋とか織物職人を現代の感覚でみると学歴はあまり高く無く、叩き上げのイメージがを持
 つが実態はそうでない 当時としては最先端の技術・技能である
                        参考文献:伊勢崎工業八十年史

 大正14年(1925)平田達男誕生

  研究熱心な父 平田角太夫 母 とも の四男として達男は大正14年10月29日誕生する
 子供のころから絵が好きで、併用絣の虜になり家業を手伝ったと言う
  しかし、太平洋戦争により2人の兄(次兄 敏郎、三兄 賢吾)を失う

 平和織物有限会社の設立

  戦後、父 平田角太夫は長男 常夫、四男 達男の家族3人で「平角織物」を再開し、後に
 法人化を図り「平和織物有限会社」になる 法人名の由来は二つある
   1、戦争で二人の家族を失った「平和」を望む
   2、「平」は平田の苗字、「和」は家族3人争いの無い経営を

 平達(ひらたつ)の誕生

  伊勢崎銘仙は戦後の隆盛期を迎える(第3期黄金時代 昭和25年~32年)
 平田達男は昭和27年(27歳)に平和織物有限会社から独立して「平達 ひらたつ」を創業
 した
  矢島三郎氏が報告書「伊勢崎の絣」の中で、当時の平達のことを新聞記事で紹介している
  昭和39年1月の、ある地方新聞に「各地連続最高優勝、輝く平田達男氏の人柄」と題し
 大見出しで掲載
 「伊勢崎織物が近年、各四大集散地東京、大阪、京都、名古屋等において連続優勝の栄を勝ち
 得ているが、それには組合の指導よろしき事は勿論なるも其陰に業者の苦心、従事する人々の
 撓まざる熱心努力の結晶であることは見逃せない事実である。ここに常に常勝最高賞の受賞者
 に株式会社平達、平和織物有限会社が伊勢崎市除ヶ町に在る。両社とも兄弟にして非常な兄弟
 愛に厚く然も親孝行は誰も知るところである。平和織物の常夫氏が兄で平達の達男氏が弟で
 父、角太夫に幼少より温和の内にも不撓不屈の人間教育を受けたことだろうと推察する訳であ る。 云々・・・」


 新製品開発に取り組む

  創業後は平達では1日当たり300反を製造し工場には40人近い職人が働いていた
 伊勢崎銘仙は隆盛期であり、当時は特にポスト着物として新製品開発した訳ではないが
 得意先の問屋に年始挨拶挨拶のために「干支の掛け軸」を作成し贈った
 「産学官」と言われるが、平達さんは「併用絵」の制作においては群馬県繊維工業試験場
 (現在)と共同研究をされていた

 幻の銘仙 四面加工緯総絣(しめんかこうよこそうかすり)

  銘仙研究の第一人者 武藤和夫氏が織塾ワークショップで四面加工緯総絣を説明された
  その中で研究熱心な平達さんは行燈法(あんどんほう)で四面加工緯総絣を試みた
  「通常の緯板を立体的に組み立てて四面に捺染する方法」であるが実用化には至らなかった

 産業スパイの暗躍

  着物離れが進んで来ると指導機関やコンサルタントはポスト着物として「持ち得る技術・技
 法を生かした商品開発」をとお題目を唱える
  狭い業界である どこかの産地で着物生地を使った商品を開発し売れれば即似た様な商品が
 出回る
  ところが平達さんの「干支の掛け軸」や「併用絵」は真似が出来ない そのため産地外から
 もあの手この手とアプローチが有った

 平達さんは伝統工芸士で無いので勲章をもらえなかった

  昭和50年に伊勢崎産地は伝統的工芸品に伊勢崎絣が指定され伝統工芸士を認定した
 発足当時は伝統工芸士認定の枠があり従事者の10%であった このことから伝統工芸士の
 受験には機屋は遠慮して、機屋で働く職人や下職に受験させたそうである
  平達さんは「機屋」だったので伝統工芸士になれなく生涯 叙勲されなかった

 お世話になった方に挨拶を

  平成22年2月に平達さんから3月14日東京丸の内にある「相田みつを美術館」のバス
 ツアーを企画したので私を招待すると言う
  この頃の平達さんは入退院を繰り返しており、その時ふと思った・・・最後の挨拶ではと
 残念ながら私は仕事のためバスツアーには参加出来なかった
  平達さんは相田みつを氏の作品を数多く「併用絵」に織り上げている 平達さんと栃木県足
 利市の相田氏との関係は関心の有るところですが、平達さんにたずねると口を濁す
  相田氏は書家であるが生活は苦しく生計を立てるために昭和30年頃からろうけつ染めや
 地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていた 足利市は足利銘仙の産地で平達
 さんの併用絣とは共通する職人がいる場所である お互いに年齢も近くどこかで意気投合した
 のであろう
  バスツアーに参加された方の話では平達さんは車椅子に乗り医師も同行していた
 平達さんにはめずらしくが今までに作った併用絵の自信作を持ち込み参加者に紹介したと聞く
 そして最後に戦争で亡くした2人の兄が眠る靖国神社を参拝した
  ・・・・
 それから一か月後の平成22年4月平達さんは天国へ旅立った(84歳)
                     参考文献:平田達男・遺作展リーフレット
                          次女の夫 鳥海美朗氏制作





 相田みつを氏が二人の兄を戦争で奪われた
 平達さんのために作ったと思われる
    詩「ひぐらしの声」
 平達さんは晩年織り上げた





                  ひぐらしの声

    ああ 今年も ひぐらし が鳴き出した ひぐらしの声は 若くして戦争で死んだ
    二人の あんちゃんの声だ
    そして 二人のあんちゃんの名を 死ぬまで呼びつづけていた 悲しい母の声だ
    そしてまた 二人のあんちゃんのことには ひとことも ふれず
    だまって 死んでいった さびしい父の声だ
    ああ 今年も ひぐらしが鳴き出した
                                みつを



 平達さんの技術は承継されるのか ?

  絣の技法を分類すると
  1、オールド絣として括り絣(伊勢崎では 縛り絣 と呼ばれているが昭和49年の伝産法
    施行により、括り絣が標準用語となる)と板締め絣がある
   ①括り絣はインドに発祥し東南アジア、沖縄を経由して本土へ技術伝播してきた
   ②板締め絣はインドに発祥し中国を経由し奈良県に技術伝播(夾纈 きょうけち)
    共に数字の0(ゼロ)を発見したインドに発祥した「染める OR 染めない」
    染色はまさに2進法のデジタルの世界である
    伊勢崎産地の珍絣である
  2、モダン絣として型紙捺染と絹紡糸を使う解し絣、併用絣である
    明治後半から伊勢崎、足利、秩父の銘仙三大産地で研究し実用化したものである

   オールド絣は全国の織物産地で生産されているが、需要の減少で板締め絣の様な量産化
  の技法は厳しい、括り絣の技法は少量生産で生き残れる
   秩父銘仙が昨年12月に伝統的工芸品に指定され、伊勢崎の銘仙復刻プロジェクトに代
  わり銘仙ファンの支持を得て存続すると思われる

   さて、平達さんは自分なりに技術の承継を考えていたと思われる 亡くなられる前に同じ
  伊勢崎産地の機屋 富澤治美氏に手伝って欲しいと頼み動き出していた矢先であった
  残念ながら遅かった
   また、富澤治美氏も平達さんを追うように平成24年1月逝去された
  
  *衰退化する着物業界 負のスパイラルで他の機屋や他の織物産地を当てにしても、先方も
   同じ状態にある


 平田達男・(株)平達・報織会(報織協同組合)年表 

 西暦  和暦 年齢   出来事
 1921  大正10    172名で伊勢崎大絣有信会(報織会の前身)を結成
 1925  大正14 0   10月29日 達男は機屋を営む平田角太夫の四男として誕生
 1930  昭和 5 5   120名で報織会を結成
 1941  昭和16 16   次兄 敏郎戦死
 1942  昭和17 17   達男 軍属に志願し中国大陸へ
 1945  昭和20 20   三兄 賢吾戦死
 1946  昭和21 21   戦後、父 角太夫、長兄 常夫と 達男の親子3人で機屋を再開
 1949  昭和24 24   伊勢崎在住のあき子と結婚
 1952  昭和27 27   独立し平達織物を設立
 1958  昭和33 33   併用絣による干支の掛軸の制作に取り組む
 1960  昭和35 35   (株)平達 に法人成り
 1973  昭和48 48  33名で報織会を法人化し 報織協同組合を設立
 1980  昭和55 55   群馬県教育委員会で無形文化財「併用絣」を調査実施
 1987  昭和62 61   報織会結成55周年記念で石碑建立(理事長 平田達男)
(株)平達 赤字の着尺生産工場を閉鎖
 2002  平成14 75   群馬県「1社1技術」に「併用絣のインテリア製品」が選定される
 2009  平成21 82  10月16日 伝統的工芸品産業功労者として関東経済産業局長表彰
 2010  平成22 84   4月21日逝去 84歳
 2010  平成22    10月16日・17日伊勢崎織物会館にて遺作展を開催
        平田達男氏の略歴は遺作展等のリーフレット等を参考に作成


 

 平田達男ネットワーク(機業関連集団) 55名

   昭和54年(1979)当時の平田達男氏の併用絣の完成までには約10の工程がある
   重要な所は内作するが8工程はアウトソーシング(外注)となる
   外注先は伊勢崎市を中心に、群馬県内では佐波郡境町、勢多郡宮城村、前橋市、太田市
   県外では利根川の対岸 埼玉県児玉郡、大里郡、深谷市、栃木県足利市

   (株)平達  職務  氏 名  
 1    社長  平田達男  
 2    専務  平田忠三  
 3    事務  大和  
 4    板巻  小暮  
 5    〃  高橋  
 6    職人  山津  
 7    〃  永井  
 8    〃  品田  
 9    機回り  鈴木  
 10    〃  清水  
         
   アウトソーシング    氏名(名略)  所在地(番地略)
 1    整経  金井  伊勢崎市馬見塚町
 2    バサ返し  金井  伊勢崎市八斗島町
 3    〃  山津  伊勢崎市除ヶ町
 4    仮織  金井  伊勢崎市馬見塚町
 5    染色  井上  伊勢崎市山王町
 6    〃  長沼  伊勢崎市東本町
 7    引込  下田  伊勢崎市下道寺町
 8    整理  丸橋  伊勢崎市大手町
 9    型紙  野村  太田市古戸
 10    〃  田谷野  栃木県足利市五十部町
         
  出 機  製織  氏名(名略)  所在地(番地略)
 1      都丸  伊勢崎市富塚町
 2      木村  伊勢崎市下道寺町
 3      吉田  伊勢崎市柴町
 4      沼田  伊勢崎市柴町
 5      斉藤  伊勢崎市連取町
 6      中野  伊勢崎市宮子町
 7      伊東  伊勢崎市富塚町
 8      神倉  伊勢崎市八斗島町
 9      神倉  伊勢崎市八斗島町
 10      高橋  伊勢崎市堀口町
 11      奈良  伊勢崎市柴町
 12      金子  伊勢崎市柴町
 13      栗原  伊勢崎市柴町
 14      金井  伊勢崎市国領町
 15      富岡  伊勢崎市国領町
 16      高柳  伊勢崎市国領町
 17      深沢  勢多郡宮城村
 18      松村  勢多郡宮城村
 19      松村  勢多郡宮城村
 20      井上  勢多郡宮城村
 21      高木  佐波郡境町
 22      五十嵐  佐波郡境町
 23      岩崎  佐波郡境町
 24      矢端  前橋市後閑町
 25      須藤  前橋市後閑町
 26      飯塚  埼玉県児玉郡上里町
 27      吉野  埼玉県児玉郡上里町
 28      金子  埼玉県児玉郡秋山
 29      飯野  埼玉県児玉郡美里村
 30      安藤  埼玉県児玉郡上真下
 31      片貝  埼玉県児玉郡長浜町
 32      野坂  埼玉県児玉郡長浜町
 33      曾田  埼玉県大里郡岡部町
 34      茂木  埼玉県深谷市深谷
 35      片岡  埼玉県深谷市西馬

                    参考文献:伊勢崎の絣




 平達(平田達男)コレクション

   平田達男氏は併用絣による絵画(併用額、縁織り)を約150点織り上げた





 平田達男氏の最初の頃の作品「尾瀬」













 平田達男氏から毎年お歳暮として
 新年の干支の掛け軸を戴いた



 干支シリーズ
    子(ね)

















 干支シリーズ
    丑(うし)


















  関口コオの作品














  石原紫雲の雀


 横8cm × 縦12cm
 1,000円(税別)で販売していた