前田君のお父さん |
中学・高校と同級生だった前田君(令和5年没)には自慢のお父さんがいた。 お父さんは足利中、早稲田大学卒後にJR新前橋駅の西にあった軍需工場の理研に勤め、 戦後は群馬県庁に奉職。群馬県で最初の中小企業診断士に任命されたようだ❓ |
大正3年(1914)生(推定)
昭和7年(1932)に旧制前中卒後、立教卒 伊勢崎市三光町2-21
昭和31年(1956)2月 社団法人日本経営士会 経営士(財務部門)登録
町田佳聲の甥で町田とくの次男を思われる
国会図書館デジタルコレクションより
立教大学では陸上で業績をあげている
陸軍 経理部に所属、戦後は公職追放
DM(ダイレクトメール)の第一人者 郵便局と共催で全国各地で講演会
細野恒充(ほその ひさみ)
大正11年(1922)生
昭和18年(1943)東京農大卒、同年学徒動員
昭和23年(1948)ソ連より引揚げ、闘病生活
昭和28年(1953)伊勢崎市本町で毛糸小売店
開業
昭和35年(1960)婦人服を加え(株)細野を
設立
昭和30年頃から商業界の倉本長治(くらもと ちょうじ)に学び、
新保民八(しんぼ たみはち)に師事し、小売店の宣伝広告コンサルタント
として活躍する
著書
伊勢崎商工会議所 議員を歴任
群馬県を代表したプロコン 誰もが知る県内の大企業を指導
小暮欽一郎(こぐれ きんいちろう)
大正13年(1924)~平成6年(1994)享年70歳
大正13年7月 佐波郡三郷村(現 伊勢崎市三郷地区)生
戦後、一時 伊勢崎市役所に勤務
後に群馬銀行に入行 経営相談室長、支店長を歴任
昭和36年 (1961)日本経営士会・経営士登録
昭和44年 (1969)小暮経営研究所 所長 経営コンサルタント独立開業
県内の中堅企業を中心に経営指導を行う、伊勢崎商工会議所の商工調停士として
企業再建に尽力
小暮欽一郎氏のご長男
小暮裕明(こぐれ ひろあき)
小暮技術士事務所
技術士(情報部門)
東京理科大学工学博士
東京理科大学・東京都市大学・拓殖大学非常勤講師
アマチュア無線局 JG1UNE
アマチュア無線局に関する著書多数
「アパマンハムのアンテナ」研究の第一人者
当時は画期的なニュービジネス
青木道夫(あおき みちお)
大正15年(1926)生(推定)
通産省登録 中小企業診断員
昭和36年(1961)
「企業診断」3月号に寄稿
昭和47年(1972)
求人募集の「テレホン情報センター」を
伊勢崎市平和町(桜町59)に開設
経営コンサルタントはニセ税理士❓ |
E氏は県内の大手家電メーカー 半導体事業部に勤務していた。 中小企業診断士(鉱工業部門)と経営士(生産部会)を取得し、JR前橋駅の近くに 事務所をかまえて経営コンサルタントを開業、そして新聞に広告を出すと、 地元の税理士会から早速電話がはいる。 1,税理士業務を行わないこと 2,クライアント企業の税理士と問題を起さないこと E氏には税務の知識は無くその気も無い。原因は黎明期の民間中小企業診断士 の速成登録にあった。 |
伊勢崎市内の商店100社以上を診断指導
高瀬昌康(たかせ まさやす)
昭和5年(1930)生
横浜市立大学商学部卒
昭和28年(1953)横浜商工会議所勤務
昭和38年(1963)(有)高瀬店舗設計室設立
中小企業診断士資格認定委員
中小企業大学校(診断士 商業部門)講師
人生いつまでも創造力を持ち、社会貢献をと 講演会で全国行脚
平野欽一(ひらの きんいち)
昭和10年(1935)生(推定)
逝去年 不明(調査中)
日本大学法学部卒
三共電器(株)入社 知的財産部長
平成4年(1992)コンサルタント会社
として伊勢崎市今井町にて創業
「テクイ総研」代表
著書(小冊子)11冊
群馬県立図書館にて閲覧可能
Consultant Office から Consulting Firm へ
Consultant Office コンサルタント オフィス
自宅を事務所にお一人で経営コンサルタントされて方が多いい
中小企業診断士で開業されている方は30%弱である
時流に乗った「売り」を!
PAC(Performance Analysis & Control)の導入指導
QC活動 TQC QCサークル
カンバン方式 just・in・time
オフコン パソコン
ISO9000 ISO14000取得指導
SDGs
カスハラ・パワハラ
Consulting Firm コンサルティング ファーム
専門家の集団と解する
群馬県を代表する経営コンサルタント企業
1985(昭和60年) | 日本ハイコム(株) 創業 島田政彦 |
2001(平成13年) | コンサルファーム群馬(株)創業 清水邦宏 |
2018(平成30年) | ぐんぎんコンサルティング(株)設立 |
昭和23年(1948)商工省(現 経済産業省)は外局として中小企業庁を設置し、
中小企業の育成・発展を目的とした政策を担った。
中小企業政策は農業政策の後追いで「中小企業診断員、経営改善普及員 等」の名称から
も知ることが出来る。
国は昭和26年(1951)経済安定本部(後の経済企画庁)において
座長 上野陽一で経営士と技術士の代表が集まり「マネジメント コンサルタント」の制度化
を協議、後に技術士は昭和33年(1958)に法制化され、経営士は保留となった。
年 | ことがら |
1946(昭和21年) | 経済安定本部を設置 |
1948(昭和23年) | 中小企業庁設置 農業改良助長法施行 普及指導員資格試験 |
1951(昭和26年) | 経済安定本部において座長 上野陽一で 「マネジメント コンサルタント」の制度化を協議 |
1956(昭和31年) | 町田泰通 日本経営士会 経営士(財務部門)登録 |
1958(昭和33年) | 中小企業診断員 養成講習会開催(15日間) |
1960(昭和35年) | 商工会・商工会議所に経営改善普及員(現 経営指導 員)を設置 |
1962(昭和37年) | 群馬銀行経営相談室を開設 |
1964(昭和39年) | 中小企業診断員 試験制度導入 |
1967(昭和42年) | 群馬銀行経営相談室を経営相談所と改称し、 群馬土地ビルへ移転 |
1969(昭和44年) | 中小企業診断士に名称変更 小暮欽一郎経営コンサルタント創業 |
1970(昭和45年) | 福田赳夫総理の甥で経済学博士 住谷甲子郎の指導で ㈳日本経営士会群馬県会を設置初代県会長小暮欽一郎 |
1985(昭和60年) | 日本ハイコム(株)創業 島田政彦 |
1986(昭和61年) | 中小企業診断士 登録部門に商業、鉱工業に情報部門 が追加 |
2000(平成12年) | 中小企業指導法の改正により中小企業診断士の 扱いが大きく変る |
2001(平成13年) | コンサルファーム群馬(株)創業 清水邦宏 |
2018(平成30年) | ぐんぎんコンサルティング(株)設立 |