氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
中島徳蔵 なかじま とくぞう |
教育 倫理学 |
1864 元治元年 ~ 1940 昭和15 |
佐位郡今井村に生まれる 明治18年群馬県中学校(現 前高)卒、 明治27年帝国大学哲学科専科終了、哲学館 (現 東洋大学)、東京工業学校(現 東京工業大学) 等で倫理学の教鞭をとる 徳蔵を有名にしたのが明治35年哲学堂事件である 大正元年東洋大学学長に就任 日本における倫理学の第一人者 |
武 孫平(第11代) たけ まごへい 武 宜教 たけ よしのり |
運送業 | 1882 明治15 ~ 1954 昭和29 |
第10代 武孫平(宜昭)初代伊勢崎町長の子 本名は宣教 明治34年前橋中学校卒業、一高 |
吉沢惟雄 よしざわ これお |
結核治療 県会議員 俳句 |
1885 明治18 ~ 1974 昭和49 |
母は小暮栄三郎(伊勢崎銀行 初代頭取)の三女、 明治37年前中卒、旧制一高、大正元年東京帝国 大学医学部卒、同大にて結核の研究 医学博士 関東大震災で帰郷し三郷村安堀に吉沢医院を開業 昭和17~22年県議会議員、俳号を「広瀬」 広瀬川畔に句碑がある |
高橋孝太郎 たかはしこうたろう |
労働 衛生学 |
1886 明治19 ~ 1970 昭和45 83歳 |
12月20日伊勢崎町1065 高橋惣吉の次男として生 明治39年前橋中卒(町田佳聲と同級) 明治44年千葉医専卒、陸軍軍医 兵器工場の 工場衛生を研究 ドイツ ミュンヘン大学へ留学 大正14年大阪帝国大学より医学博士を授与 労働衛生学の先駆者 昭和2年滋養強壮ドリンク「どりこの」を開発 昭和初期に佐波郷友会 共同宿舎の監督をする 田園調布の自宅付近に「どりこの坂」が現存する |
森村堯太(二代目) 森村良策 もりむら りょうさく |
群馬銀行 | 1887 明治20 ~ 1952 昭和27 |
森村堯太(初代)の長男 明治39年旧制前橋中学校卒、 明治45年慶応義塾理財科卒 大正12年家督を相続し名前を堯太に改名 群馬銀行(第1次)頭取 前橋共愛女学校理事 銀行のサイト |
中澤豊七 なかざわ とよしち |
肥料商 伊勢崎 市長 |
1894 明治27 ~ 1985 昭和60 |
伊勢崎町に生まれる 中澤豊七は襲名 早稲田実業本科卒、東京農大肥料分析講習部修了 昭和29年~昭和31年 大生相互銀行社長 昭和38年~昭和42年 伊勢崎市市長 |
矢島郡平 やじま ぐんぺい |
商船会社 | 1879 明治12 ~ 不明 |
明治12年 上植木に生まれる 中学への進学を希望し伊勢崎・前橋の塾へ通う 明治31年 上京し中学3年に入学 現 一橋大学卒業後、商船会社に入社し ニューヨーク、メルボルンに勤務 退職後は神奈川県藤沢市に在住 |
暦 | 校名の変遷 | 校舎所在地の変遷 | 事 項 |
1877 明治10 |
第17番中学利根川学校 | 東群馬郡曲輪町 現 前橋地方裁判所 付近(旧前橋城内) |
明治10年9月 本校の創立 2020創立143年 |
1880 明治13 |
群馬県中学校 | 群馬県師範学校内 現 前橋合同庁舎 付近(旧前橋城内) |
明治13年1月26日開校式 この日を本校の開校記念日 |
1882 明治15 |
(小暮校舎) | 自前の校舎 南勢多郡小暮村 現 前橋市富士見町 |
全生徒寄宿舎 |
1884 明治17 |
明治17年卒業生 大塚(小屋)保治 |
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1885 明治18 |
(修業年限5ヶ年) | 明治18年卒業生 中島徳蔵 |
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1886 明治19 |
群馬県尋常中学校 | 9月 中学校令発布 | |
1887 明治20 |
(紅雲町校舎) | 東群馬郡紅雲分村 現 前橋市紅雲町 群馬中央病院付近 |
新築移転 |
1892 明治25 |
佐波郷友会設立 | ||
1897 明治30 |
3月 群馬、甘楽、碓氷、利根、 新田、多野 6分校を設置 4月 矢島保治郎 入学 二年次退学 |
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1899 明治32 |
群馬県中学校 | 佐波郷友会 在京学生の寄宿舎を 東京本郷森川町に発足 寄宿舎の監督は中島徳蔵 会報を作成 |
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1900 明治33 |
群馬県前橋中学校 | 4月群馬(高崎)、甘楽(富岡) 新田(太田)の3分校独立 膳桂之助 入学 三年次退学 |
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1901 明治34 |
群馬県立前橋中学校 | 4月碓氷(安中)、多野(藤岡) の2分校独立 |
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1904 明治37 |
明治37年卒業生 吉沢惟雄 |
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1906 明治39 |
明治39年卒業生 町田佳聲、森村堯太(二代目) 高橋孝太郎 |
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1908 明治41 |
明治41年卒業生 鈴木惣太郎 |
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1910 明治43 |
4月 森村酉三 入学 二年次退学 同級生に礒部草丘 |
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1912 明治45 |
4月 利根(沼田)分校独立 | ||
1915 大正4 |
大正4年卒業生 磯部草丘 |
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1926 大正15 |
大正15年8月 第12回全国中学 野球大会(甲子園)で静岡中と対戦 延長19回で負けるが、球史に残る 名勝負 投手 丸橋仁 |
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1930 昭和5 |
佐波郷友会寄宿舎を 東京目黒区洗足に新築移転 監督は高橋孝太郎 |
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1933 昭和8 |
(天川原校舎) | 前橋市天川原町 現 前橋市文京町 生涯学習センター |
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1941 昭和16 |
(修業年限4ヶ年) | 中等学校令により修業年数が4年 に短縮、戦時非常措置で 昭和16年入学生から遡及適用 |
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1945 昭和20 |
3月4・5年生の合同卒業式 | ||
1948 昭和23 |
群馬県立前橋高等学校 (修業年限3ヶ年) |
4月 学制改革(6・3・3制) 10月 定時制課程開設 |
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1964 昭和39 |
前橋高校八十七年史 上下 発行 | ||
1977 昭和52 |
佐波郷友会 老朽化した寄宿舎の 土地を売却し資金を伊勢崎市に 委ねる(金四千四百参拾四万円余) |
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1978 昭和53 |
3月30日第50回選抜高等学校 野球大会 松本稔 完全試合を達成 |
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1979 昭和54 |
(下沖校舎) | 前橋市下沖町に新築 移転 |
創立百周年記念事業の一環として 新築移転、現在に至る 佐波郷友会の寄付金で伊勢崎佐波 広域市町村圏振興整備組合に 「育英金給与制度」が設けられた |
2017 平成29 |
創立140周年(1877創立) 11月2日記念講演会 講師 岡崎浩巳、桜井俊 |