伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎佐波前中・前高同窓会(非公式)サイト



 

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 伊勢崎佐波前中・前高同窓会の前身は明治25年に設立した
 佐波郷友会(さわきょうゆうかい)に始まる
 会では明治32年会報を発行し学生の父兄に学生の様子を伝えた
 また、在京学生の寄宿舎を東京本郷森川町で発足させた

 

 佐波郷友会の碑

 昭和56年7月
 同会の解散を記念して
 伊勢崎市営野球場
「鈴木惣太郎記念球場」
 西駐車場入口に建立









  佐波郷友会の碑(翻刻)

 佐波郷友会は明治三十三年頃東京本郷森川町の借家で在京学生寄宿として発足した
 郷友会はキョウユウカイと読み在郷軍人のゴウユウカイとは別である
 最初の寄宿生は郷土の大先輩中島徳蔵先生監督の下に矢島郡平氏外五名であった
 その後小石川富坂町の幾分ひろい借家に移り明治三十五年頃牛込通寺町の旧赤城小学校
 分教場の払下げを受け敷地は借りて宿舎として寄宿生は十数名であった
 この資金は当時の寄宿生が暑中休暇を利用し郡内の篤志家からの募金であった
 昭和の初めに牛込の寄宿も立退きを迫られ売却代金等の清算金は中島先生に預け
 寄宿舎は新宿西大久保の森村堯太氏所有の家に移転したこの時から監督は医学博士
 髙橋孝太郎氏となった
 昭和五年に監督髙橋氏の主唱により土地建物を所有する宿舎の建設計画を立て資金
 は中島先生への預け金と森村氏からの移転料及び髙橋孝太郎(東京)武孫平(伊勢崎)
 森村堯太(宮郷)吉沢惟雄(三郷)斉藤幸太郎(境)中沢豊七(伊勢崎)等の拠出金
 によった直ちに東京市目黒区洗足に宅地七十二坪を買取り木造スレート葺二階建て延べ
 坪五十坪五合の宿舎を新築した以来髙橋氏の監督下学生の自治により運営された
 昭和四十五年末髙橋氏も逝去され昭和五十年十一月に関係者が集まり佐波郷友会も
 星霜七十余年を経て三百余名を世の中へ送り出し使命を完うし建物も老朽化したので
 この際土地を売却しその金を公共機関に寄付してその金利を伊勢崎佐波の子弟の育英
 資金に役立てる事を遺族及び関係者の同意を見た昭和五十二年五月伊勢崎佐波広域
 市町村圏振興整備組合理事長の伊勢崎市長に一切の事務をゆだねた
 その結果売却代金から経費一切を除き金四千四百参拾四万円余の基金が創成された
 茲に佐波郷友会の歴史の概略を草して終焉の記とするものである

          昭和五十六年七月   佐波郷友会関係者一同


  碑文に記名の芳名者 紹介
 氏名 職業 生没年   経歴
 中島徳蔵
なかじま とくぞう
教育 
倫理学
 1864
元治元年
 ~
1940
昭和15
 佐位郡今井村に生まれる
明治18年群馬県中学校(現 前高)卒、
明治27年帝国大学哲学科専科終了、哲学館
(現 東洋大学)、東京工業学校(現 東京工業大学)
等で倫理学の教鞭をとる
徳蔵を有名にしたのが明治35年哲学堂事件である
大正元年東洋大学学長に就任
日本における倫理学の第一人者
 武 孫平(第11代)
たけ まごへい
武 宜教 
たけ よしのり
 運送業  1882
明治15
 ~
1954
昭和29
第10代 武孫平(宜昭)初代伊勢崎町長の子
本名は宣教 
明治34年前橋中学校卒業、一高
 吉沢惟雄
よしざわ これお
 結核治療
県会議員
俳句
 1885
明治18
 ~
1974
昭和49
 母は小暮栄三郎(伊勢崎銀行 初代頭取)の三女、
明治37年前中卒、旧制一高、大正元年東京帝国
大学医学部卒、同大にて結核の研究 医学博士
関東大震災で帰郷し三郷村安堀に吉沢医院を開業
昭和17~22年県議会議員、俳号を「広瀬」
広瀬川畔に句碑がある
 高橋孝太郎
たかはしこうたろう
 労働
衛生学
 1886
明治19
 ~
1970
昭和45

83歳
 12月20日伊勢崎町1065 高橋惣吉の次男として生
明治39年前橋中卒(町田佳聲と同級)
 明治44年千葉医専卒、陸軍軍医 兵器工場の
工場衛生を研究 ドイツ ミュンヘン大学へ留学
大正14年大阪帝国大学より医学博士を授与
労働衛生学の先駆者
昭和2年滋養強壮ドリンク「どりこの」を開発
昭和初期に佐波郷友会 共同宿舎の監督をする
田園調布の自宅付近に「どりこの坂」が現存する
 森村堯太(二代目)
森村良策
もりむら りょうさく
 群馬銀行  1887
明治20
 ~
1952
昭和27
 森村堯太(初代)の長男
明治39年旧制前橋中学校卒、
明治45年慶応義塾理財科卒
大正12年家督を相続し名前を堯太に改名
群馬銀行(第1次)頭取
前橋共愛女学校理事
 銀行のサイト
 中澤豊七
なかざわ とよしち
 肥料商

伊勢崎
市長
 1894
明治27
 ~
1985
昭和60
伊勢崎町に生まれる 中澤豊七は襲名
早稲田実業本科卒、東京農大肥料分析講習部修了 
昭和29年~昭和31年 大生相互銀行社長
昭和38年~昭和42年 伊勢崎市市長 
 矢島郡平
やじま ぐんぺい
   1879
明治12
 ~
不明
明治12年 上植木に生まれる
中学への進学を希望し伊勢崎・前橋の塾へ通う
明治31年 上京し中学3年に入学
現 一橋大学卒業後、日本郵船に入社し
ニューヨーク、メルボルンに勤務
退職後は神奈川県藤沢市に在住




  沿革年表
暦   校名の変遷  校舎所在地の変遷 事 項 
 1877
明治10
 第17番中学利根川学校  東群馬郡曲輪町
現 前橋地方裁判所
付近(旧前橋城内)
明治10年9月 本校の創立
2020創立143年
 1880
明治13
 群馬県中学校  群馬県師範学校内
現 前橋合同庁舎
付近(旧前橋城内)
 明治13年1月26日開校式
この日を本校の開校記念日
 1882
明治15
(小暮校舎)  自前の校舎
南勢多郡小暮村
現 前橋市富士見町
 全生徒寄宿舎
 1884
明治17
     明治17年卒業生
大塚(小屋)保治
 1885
明治18
 (修業年限5ヶ年)    明治18年卒業生
中島徳蔵
 1886
明治19
 群馬県尋常中学校    9月 中学校令発布
 1887
明治20
 (紅雲町校舎)  東群馬郡紅雲分村
現 前橋市紅雲町
群馬中央病院付近
 新築移転
 1892
明治25
     佐波郷友会設立
 1897
明治30
     3月 群馬、甘楽、碓氷、利根、
新田、多野 6分校を設置
4月 矢島保治郎 入学 二年次退学
 1899
明治32
 群馬県中学校   佐波郷友会 在京学生の寄宿舎を
東京本郷森川町に発足
寄宿舎の監督は中島徳蔵
会報を作成
 1900
明治33
 群馬県前橋中学校    4月群馬(高崎)、甘楽(富岡)
新田(太田)の3分校独立
膳桂之助 入学 三年次退学
 1901
明治34
 群馬県立前橋中学校    4月碓氷(安中)、多野(藤岡)
の2分校独立
 1904
明治37
     明治37年卒業生
吉沢惟雄
1906
明治39
明治39年卒業生
町田佳聲、森村堯太(二代目)
高橋孝太郎
 1908
明治41
     明治41年卒業生
鈴木惣太郎
 1910
明治43
     4月 森村酉三 入学 二年次退学
同級生に礒部草丘
 1912
明治45
     4月 利根(沼田)分校独立
 1915
大正4
     大正4年卒業生
磯部草丘
 1926
大正15
     大正15年8月 第12回全国中学
野球大会(甲子園)で静岡中と対戦
延長19回で負けるが、球史に残る
名勝負 投手 丸橋仁
 1930
昭和5
     佐波郷友会寄宿舎を
東京目黒区洗足に新築移転
監督は高橋孝太郎
 1933
昭和8
 (天川原校舎)  前橋市天川原町
現 前橋市文京町
生涯学習センター
 
 1941
昭和16
 (修業年限4ヶ年)    中等学校令により修業年数が4年
に短縮、戦時非常措置で
昭和16年入学生から遡及適用
 1945
昭和20
     3月4・5年生の合同卒業式
 1948
昭和23
 群馬県立前橋高等学校
(修業年限3ヶ年)
   4月 学制改革(6・3・3制)
10月 定時制課程開設
 1964
昭和39
     前橋高校八十七年史 上下 発行
 1977
昭和52
     佐波郷友会 老朽化した寄宿舎の
土地を売却し資金を伊勢崎市に
委ねる(金四千四百参拾四万円余)
 1978
昭和53
     3月30日第50回選抜高等学校
野球大会 松本稔 完全試合を達成
 1979
昭和54
 (下沖校舎)  前橋市下沖町に新築
移転
 創立百周年記念事業の一環として
新築移転、現在に至る
佐波郷友会の寄付金で伊勢崎佐波
広域市町村圏振興整備組合に
「育英金給与制度」が設けられた
 2017
平成29
     創立140周年(1877創立)
11月2日記念講演会
講師 岡崎浩巳、桜井俊




 伊勢崎佐波前中・前高同窓会 役員

  就任年  役職名   氏 名  (卒業年)       主な職業

 1958  会長  板垣源一郎(昭和5年卒)    板垣商事(株) 社長
 昭和33年 副会長 丸橋敏夫 (大正14年卒)   (有)丸橋商店 社長
       幹事長 富岡郁夫 (昭和20年卒)   伊勢崎市区長会 会長

 1984  会長  本間健三 (昭和8年卒)    伊勢崎信用金庫 理事長
 昭和59年

 1987  会長  内山和夫 (昭和15年卒)   伊勢崎市教育委員会 委員長
 昭和62年 副会長 中澤啓二 (昭和16年卒)   (株)中澤豊七商店 社長
       
 2000  会長  内山和夫 (昭和15年卒)   前掲
 平成12年 

 不明    会長  富岡郁夫 (昭和20年卒)   前掲


 2006  会長  大平順弥 (昭和33年卒)   略
 平成18年

 不明    会長  石原重浩 (昭和39年卒)   略


 2016  会長  野田 伸 (昭和41年卒)   略
 平成28年