伊勢崎銘仙アーカイブス

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 森村酉三物語


    森村酉三(もりむら とりぞう) 伊勢崎市出身の鋳金工芸家
    明治30年(1897)6月12日~
    昭和24年(1949)7月9日 享年52歳
    2020年現在 生誕123年  没後71年


 酉三 37歳 昭和9年(1934)
 高崎市観音山の高崎白衣大観音の原型
 像を制作

 昭和11年(1936)建立、
 同年10月20日開眼供養











  「上州群馬漢字歌留多」より

   制作者 多文化茶論 粋庵












 上毛かるた

 新田義貞の祈りのポーズ
 酉三作の新田義貞像がモデル

 昭和5年(1930)制作










 伊勢崎市連取町の森村姓は現在40~50軒存在する
 那波の五十嵐をルーツとし、天正19年(1591)頃
 旗本の駒井氏より森村の姓を賜った










 森村家は350年以上続く旧家
 住所 伊勢崎市連取町377-1
 伊勢崎市指定重要文化財
 平成15年10月31日指定

 酉三は森村総本家16代当主連太(れんた)
 の3男として明治30年(1897)誕生



















  昭和56年3月発行
  みやま文庫「群馬の近代美術」で
  黒田能勝氏が「森村酉三」の執筆
  を担当(P212~240)

  黒田能勝(くろだ よしかつ)
  伊勢崎市在住 彫刻家、教育者
  東京藝術大学卒、群馬大学教授










   森村酉三年譜

 西暦  年齢  出来事
 1897
明治30年
  0  佐波郡宮郷村大字連取(現 伊勢崎市連取町) 森村総本家16代当主
森村連太の三男として、6月12日誕生
 1910
明治43年
 13  群馬県立前橋中学校(5年制)入学
明治45年 (1912)病欠やストライキで退学処分
 1913
大正2年
 16  群馬県立沼田中学校(県立前橋中学校利根分校から独立)に再入学
大正6年(1917)卒業
 1918
大正7年
 21  東京美術学校鋳造科入学 香取秀真(かとり ほつま)、
津田信夫(つだ しのぶ)に師事
 1923
大正12年
 26  東京美術学校鋳造科卒業
 1924
大正13年
 27 1月伊勢崎町「佐藤籐三郎商店」社屋完成 酉三は1階の噴水装置
の鋳物と2階の窓上にあるブロンズ製草花置物を制作
 伊勢崎町字西町の須賀寿々と結婚 自由恋愛のため親から勘当される
 1925
大正14年
 28  伊勢崎市華蔵寺公園に板垣源次郎先生胸像制作
 1927
昭和2年
 30  第8回帝展に新設された工芸部門に入選 「鋳銅飾花瓶・燈」
3月15日東京朝日新聞「郷党の後援に のびゆく芸術天才工芸家
森村さん 近く郷里へ錦を」
 1928
昭和3年
 31  東京・池袋に住居兼アトリエを新築
昭和9年7月江戸川乱歩が隣りへ越してくる
 1929
昭和4年
 32  1月16日東京朝日新聞「花のパリを飾る 初の日本美術展 大家
として選ばれた上州人 森村酉三氏の出品」「鋳銅鳳凰香炉」出品
 1934
昭和9年
 37 高崎市観音山の高崎白衣大観音の原型像を制作
10月17日東京朝日新聞「美術の秋に 上州の誇り 森村氏8年連続入選」
 1936
昭和11年
 39 3月「関川機関兵胸像」制作 伊勢崎市昭和町 天増寺 
 1941
昭和16年
 44 前橋中学校時代の同級生礒部草丘(日本画家)・横堀角次郎(洋画家)と
三酉会を結成、会が中心になり小室翠雲(すいうん 日本画家 館林市出身)
を会長に群馬美術協会を創設
11月5日 群馬美術協会第1回展覧会を群馬会館で開催 森村酉三、
礒部草丘、石原紫雲出品
 1944
昭和19年
 47  文展無監査となる
伊勢崎市川久保町へ疎開
 1946
昭和21年
 49  酉三の尽力で11月に群馬美術協会 第一回展を伊勢崎市本町の
日野屋デパートで開催
 1949
昭和24年
 52  7月9日逝去 葬儀委員長は礒部草丘、池袋で近所づきあいをしていた
江戸川乱歩から弔電を頂いた
     
      田中(森村)寿々
 1903
明治36年
  0  8月23日佐波郡伊勢崎町字西町(現 伊勢崎市三光町)
蕎麦・料理の藤本楼 須賀長次郎の長女として生まれる
 1920
大正9年
 17 伊勢崎町立 伊勢崎実科高等女学校卒業
(現 群馬県立伊勢崎清明高等学校)
 1924
大正13年
 21  森村酉三(27歳)と結婚
 1949
昭和24年
 46  森村酉三7月9日逝去
 1950
昭和25年
 47  東京藝術大学教授の内藤春治(ないとう はるじ)と
丸山不忘(まるやま ふぼう)に師事
 1951
昭和26年
 48  日展「鋳銅飾花瓶」入選
昭和28、29年に連続入選
 1955
昭和30年
 52  洋画家 田中佐一郎(55歳 900~1967)と再婚
 1967
昭和42年
 64  夫 田中佐一郎逝去 享年67歳
 1972
昭和47年
 69  現代工芸展に出品した「青銅花瓶・初夏」が代表作
母校 現 県立伊勢崎清明高等学校に寄贈
 1993
平成5年
 90  7月自叙伝「さゝ舟」出版
 1999
平成11年
 96  6月森村方子氏の案内で手島仁氏面談
 2001
平成13年
 97  4月8日逝去










  2019年(令和元年)秋
  没後70年「森村酉三とその時代」
  群馬県立近代美術館 開催

















 森村酉三の作品をインターネットで鑑賞
 
伊勢崎市インターネット 美術館 森村酉三






 森村酉三制作 「関川機関兵胸像」
場所 伊勢崎市昭和町1645 天増寺
関川家の墓地

 昭和10年(1935)11月空母「赤城」
の機関破裂の事故で殉職した関川武治(21歳)
海軍一等機関兵の死を悼んで両親が中心となり
森村酉蔵に制作を依頼
関川武治の次兄は関川勝三郎で
プロレスラー ミスターポーゴは勝三郎の末子




  胸像裏

 関川武治像
 昭和11年3月
    森村酉三作

 酉三39歳の作品で、戦時中の供出から
 免れた









 大正14年(1925)7月4日建立
 森村酉三 27歳
 板垣源次郎先生胸像制作

 場所:伊勢崎市華蔵寺公園(戦前は 伊勢崎公園 )
    華蔵寺裏山(通称)
 除幕式:大正14年11月4日










 説明板より抜粋

   板垣源次郎先生胸像

  板垣源次郎 教育者
  慶応2年(1866)~大正12年(1923)57歳

  ここには、大正14年(1925)に郷土の鋳金家、
 森村酉三(もりむらとりぞう)作による胸像が建てられ
 ていたが、昭和18年(1943)3月23日戦時中の
 金属回収令により供出された。








  伊勢崎市の旧宮郷公民館
 (伊勢崎市田中島町1164)
  の敷地に森村酉三の胸像が建立

  1978(昭和53)7月22日除幕式
  内閣総理大臣福田赳夫書
  制作者 DOBASHI
  土橋恒夫(前高、東京芸大卒)









  森村酉三・寿々 研究の第一人者
   手島 仁(てしま ひとし)氏

  管理人とは手島氏が群馬県立歴史博物館に
 勤務されている時に「伊勢崎銘仙」貸与の件
 で何度かお会いしたことがあり、色々と調べ
 て頂いたことがあります。

  平成25年(2013)NHK大河ドラマ
 「八重の桜」の放映で前橋市役所へ勤務
























    鋳金工芸家・森村酉三とその時代
         手島 仁 著

    みやま文庫 平成26年(2014)発行

  平成11年(1999)森村方子(まさこ)
  の案内で田中寿々(すず)と会い、インタビュー
  を行った








 三酉会(さんとりかい)
  森村酉三、礒部草丘、横堀角次郎の三人は大正4年群馬県立前橋中学校に入学し同級生
 である 森村酉三と横堀角次郎は転校し前中を卒業していない
  酉年生れの三人が三酉会を結成し、この三人が中心となり昭和16年に群馬美術協会の
 創設に尽力する


 森村酉三・須賀寿々と結婚

 高崎白衣大観音のモデルは妻の寿々( すず)説がある?(諸説あり)


 大正13年 佐波郡伊勢崎町字西町
(現 伊勢崎市三光町)の須賀寿々(すが すず)と
 結婚 酉三27歳、寿々21歳。寿々は料亭 藤本
 の一人娘

 須賀寿々 明治36年(1903)8月23日 誕生
 森村寿々 大正13年(1924) 森村酉三と結婚 昭和24年酉三逝去

 田中寿々 昭和30年(1955)
 洋画家 田中佐一郎と再婚 昭和42年佐一郎逝去

 平成13年(2001) 4月8日 97歳









  須賀寿々の生家「藤本楼」の場所
 明治37年3月刊行 群馬県営業便覧 より

 地図の左下、広瀬川に架かる新橋の橋際
 「生そば 御料理 藤本楼 須賀長次郎」

 町田佳聲の生家とは同じ町内で約100m
 くらいの距離
 町田佳聲の妹一二三と寿々は同級生であり、
 寿々は「佳聲さんのような芸術家」に憧れ
 たという・・・手島仁氏講演会より

 寿々は酉三の逝去後、夫の制作を手伝った
 経験を活かし、東京芸大教授の内藤春治・
 丸山不忘に師事し日展に連続入選した









昭和47年
現代工芸展に出品した「青銅花瓶・初夏」
母校 現 県立伊勢崎清明高等学校に寄贈












 地元出身の芸術家  誕生日  逝去日 享年
 森村酉三
  鋳金工芸家
 明治30年(1897)
6月12日
昭和24年(1949)
7月9日  52歳
 礒部草丘
  日本画家
 明治30年(1897)
3月24日
 昭和42年(1967)
1月9日 53歳
 横堀角次郎
  洋画家
 明治30年(1897)
2月17日
 昭和53年(1978)
12月22日 81歳
 田中(森村)寿々
  鋳金工芸家
 明治36年(1903)
8月23日
 平成13年(2001)
4月8日 97歳
 町田佳聲
 邦楽・民謡研究家 
 明治21年(1888)
6月8日
 昭和56年(1981)
9月19日 93歳




  
 佐藤藤三郎 明治12年(1879)~昭和19年(1944)享年65歳
  地元画家の金井烏洲(かない うじゅう)小室翠雲(こむろ すいうん)等のコレクターで、
  森村酉三の支援者(パトロン)

  佐藤治作の長男として明治12年7月5日誕生
  父 治作は本町3丁目の交差点北西の角で機業をしていた
     明治37年3月発行 「群馬県営業便覧」P251

  明治30年(1897) 藤三郎 18歳 792疋製産
     昭和6年11月発行 「伊勢崎織物同業組合史」P138
     明治30年に於ける年産五百疋以上製産者並其の分布より

  明治35年(1902) 藤三郎 23歳
     糸商の佐藤籐三郎商店が伊勢崎町に開業する
     伊勢崎市史 通史編3 付録「年表・索引」P18

  明治40年(1909) 藤三郎 28歳 伊勢崎織物同業組合 議員
     昭和6年11月発行 「伊勢崎織物同業組合史」P340
     当選者名簿より
  大正7年(1918)2月の当選まで続く

  昭和初期 昭和6年11月発行 「伊勢崎織物同業組合史」P105
     現在伊勢崎地方の撚糸工場より  15戸中上位3戸を抜粋
 工場名  場所  撚機  台数  錘数  備考
 上毛撚糸会社  伊勢崎町  洋式    14,592  製造販売
 佐藤籐三郎  同  八丁  25  500  同
 小保方栄次郎  同  折衷及び八丁   1,100  同





 題字 子爵 渋沢栄一閣下 陸軍中将 佐藤鋼次郎閣下
    男爵 石黒忠悳閣下 第百銀行頭取 池田謙三先生

 佐藤藤三郎著
「戦後経済界に於ける不安時代」
 大正10年(1921) 42歳の時に発行

 編集人兼発行人
 群馬県佐波郡伊勢崎町字栄町522番地
 佐藤藤三郎









 佐藤藤三郎商店の社屋
 伊勢崎栄町
 3年の年月をかけ大正13年(1923)
 1月に完成した

 建物は鉄筋コンクリート造二階建
 大理石等も使用され豪華に造られている







 酉三は1階の噴水装置の鋳物と2階の窓
 上にあるブロンズ製草花置物を制作

 織姫のステンドグラスは東京美術学校の
 教授がデザインした





   昭和4年(1929)9月30日 群馬県立工業学校(現 県立伊勢崎工業高等学校)
  の講堂の落成を記念して、渋沢栄一揮毫(きごう 書画をかく)の額「克孝」教育勅語
  を佐藤藤三郎の息子の佐藤鉄司・佐藤謹二が本校の卒業生で寄贈した
  佐藤藤三郎が渋沢栄一に揮毫を依頼したもので、現在も校長室の掲げられている


   世界恐慌から県内各地で労働争議の勃発
   昭和7年(1932)3月 佐藤撚糸工場の(より糸争議)労働争議
 昭和7年  東京朝日新聞群馬版 見出し
 3月18日  より糸争議 要求を一蹴解雇したので伊勢崎町に突発
 3月19日  遂に物別れ 伊勢崎佐藤工場争議
 3月20日  より糸争議 仲裁 職工側折れず
 3月22日  より糸争議 永びく 調停遂に決裂
 3月23日  やっと手打ち きのふ双方歩み寄って 伊勢崎より糸争議
 5月10日  工場を爆破 佐藤より糸の職工密謀 ばれて三名取調べ



 出典・参考

   「続 群馬の苗字」朝日新聞前橋支局 昭和44年発行
   「八十五年 私の見聞録」森村知孝著 昭和50年発行 自費出版
   「さゝ舟」田中寿々著 平成5年 自費出版
   「上州風 7号」時代を生きた女性たち 上毛新聞社 平成13年発行
    ぐんま史料研究第22号「森村堯太とその生きた時代」石原征明著
                    平成16年 群馬県立文書館発行
   「私論 上州伊勢崎 五十嵐一族小史」五十嵐基興著 平成23年発行 自費出版
   「森村酉三とその時代」 群馬県近代美術館 令和元年