明治22・23年の頃、大和国高市郡八木村(奈良県橿原市八木町)の深瀬某なるもの
茂呂村島田某に寄寓(きぐう)しやがて同村に移住し板締絣の染法を伝授したり
しかし、成果充分ではなく幾多の改良を加え明治38年の頃より漸く使用せられたる
この方法を以て製産するや、その柄合非常に自由にて、工費低減、工程日数短縮が図れ
板締絣の効用が漸く世人に認められる(伊勢崎織物同業組合史より要約 P18)
明治27年頃、茂呂村の某氏括り筬台絣の研究完成する 大絣の緯絣の種糸製法と同一の
方法で非常に好評であった(伊勢崎織物同業組合史より要約 P17)
本組合は明治22年中に新築の必要に迫り組合員は勿論各地の有志に寄付金を募集
当時建設地の候補として伊勢崎町と茂呂村であがり、時の郡長大野和信氏等の尽力の末、
伊勢崎町に決定する
茂呂村では北千木町(現)の北部で何もない畑を予定したが最終的には茂呂村が折れた
明治22年には伊勢崎駅が開設し伊勢崎町での組合事務所建設は正解であったと言える
(図書 下城弥一郎より要約 P57)
機業戸数 | 63 |
賃織戸数 | 384 |
職工数(男) | 96 |
〃 (女) | 458 |
機台数 | 記載なし |
産額 (純絹織) | 69,281反 |
〃 (絹綿交織) | 41,530反 |
価格 | 348,820円 |
明治 9年 | 3,028反 | 明治9年度書上書より |
明治38年 | 44,676反 | 明治43年茂呂村郷土誌より |
39 | 96,694反 | 〃 |
40 | 88,446反 | 〃 |
41 | 91,020反 | 〃 |
42 | 110,810反 | 〃 |
種 目 | 数 量 | 単位売価 | 売価総額 | 一戸当 | 一人当 |
米 | 3350石 | 14円 | 46900円 | 59.00円 | 10.13 |
麦 | 4350石 | 6円 | 26100円 | 33.29円 | 5.63 |
豆 | 500石 | 10円 | 5000円 | 6.37円 | 1.08 |
栗 | 25石 | 13円 | 325円 | 0.41円 | 0.07 |
繭 | 1497石 | 28円 | 42700円 | 54.46円 | 9.23 |
織物 | 110811反 | 3.16円 | 348820円 | 444.93円 | 75.37 |
機業其他 雑収入 |
ー | ー | 73521円 | 93.37円 | 15.89 |
合 計 | ー | ー | 543366円 | 693.09円 | 117.40 |