伊勢崎銘仙アーカイブス
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 伊勢崎地域別 旧佐波郡 茂呂村(もろむら)









 明治22年(1889)4月1日
町村制施行により茂呂村、今泉村
が合併し佐位郡茂呂村が発足

 明治29年(1896)4月1日
郡統合(佐位郡と那波郡の統合)
により佐波郡に属した

 昭和15年(1940)9月13日
茂呂村は伊勢崎町、殖蓮村と合併
し伊勢崎市となる










  現在の町名は 今泉町1丁目、今泉町2丁目、北千木町、南千木町、茂呂町1丁目、
 茂呂町2丁目、美茂呂町、茂呂南町、新栄町


 茂呂村では絣技法の開発が盛んに行われた

  明治22・23年の頃、大和国高市郡八木村(奈良県橿原市八木町)の深瀬某なるもの
 茂呂村島田某に寄寓しやがて同村に移住し板締絣の染法を伝授したり
  しかし、成果充分ではなく幾多の改良を加え明治38年の頃より漸く使用せられたる
  この方法を以て製産するや、その柄合非常に自由にて、工費低減、工程日数短縮が図れ
 板締絣の効用が漸く世人に認められる(伊勢崎織物同業組合史より要約 P18)

  明治27年頃、茂呂村の某氏括り筬台絣の研究完成する 大絣の緯絣の種糸製法と同一の
 方法で非常に好評であった(伊勢崎織物同業組合史より要約 P17)



 組合事務所の新築で建設場所を巡り伊勢崎町と茂呂村でバトル


  本組合は明治22年中に新築の必要に迫り組合員は勿論各地の有志に寄付金を募集
 当時建設地の候補として伊勢崎町と茂呂村であがり、時の郡長大野和信氏等の尽力の末、
 伊勢崎町に決定する
  茂呂村では北千木町(現)の北部で何もない畑を予定したが最終的には茂呂村が折れた
  明治22年には伊勢崎駅が開設し伊勢崎町での組合事務所建設は正解であったと言える
                         (図書 下城弥一郎より要約 P57)
  
  (参考)伊勢崎織物業組合事務所・講習所新築寄付者に新町紡績所が記載
                     (伊勢崎織物同業組合史より要約 P362)
      新町紡績所 三越 保右衛門 100円
      新町紡績所 役員 鶴見良憲  50円
     新町紡績所から絹紡糸を伊勢崎産地で購入した理由である

 茂呂村郷土誌(明治42年 群馬県訓令により作成)より抜粋


 機業戸数 63 
 賃織戸数  384
 職工数(男)  96
  〃 (女)  458
 機台数 記載なし 
 産額 (純絹織)  69,281反
  〃 (絹綿交織)  41,530反
 価格  348,820円


  現今其の総産額は一箇年約百五十万反(伊勢崎産地全体)にして、金額が実に五百円を
 算するに至る。其の中約一割は本村の占有する所にして、既往数年間に於ける本村の産額は


 明治38年  44,676反
   39  96,694反
   40  88,446反
   41  91,020反
   42  110,810反

  如斯其の産額は年々増加しつゝありて本村の発展上実に有望なる事業なり。


  生産額及び其の一戸一人当
 種 目  数 量  単位売価  売価総額  一戸当 一人当
 米 3350石  14円  46900円  59.00円  10.13 
 麦 4350石  6円  26100円  33.29円  5.63 
 豆 500石  10円  5000円  6.37円  1.08 
 栗 25石  13円  325円  0.41円  0.07 
 繭 1497石  28円  42700円  54.46円  9.23 
 織物 110811反  3.16円  348820円  444.93円  75.37 
 機業其他
雑収入 
ー  ー  73521円  93.37円  15.89 
 合 計 ー  ー  543366円  693.09円  117.40 

    *明治42年12月末日現在 戸数 784戸、人口 4511人
    *茂呂村生産総額に占める織物の生産額は64.2%と高い