伊勢崎銘仙アーカイブス

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 中島徳蔵物語


  中島徳蔵(なかじま とくぞう) 伊勢崎市出身の教育者(倫理学) 雅号 唯我堂
  元治元年(1864)2月2日~昭和15年(1940)5月31日 享年77歳
      2024年現在 生誕160年 没後84年

  東洋大学は2024年に群馬県の板倉キャンパスからの撤退を表明
  伊勢崎市出身の中島徳蔵は東洋大学に40年間携り第六代目学長に就任
  東洋大学の「中興の祖」と言われ、学長時代に大学の危機を乗り越えた
  また、中島徳蔵の葬儀は初の東洋大学葬が挙行された

 倫理学とは  哲学館事件とは
 
倫理学とは
 社会的存在としての人間の間での共存の規範・原理を考究する学問

哲学館事件
 明治35年 哲学館(現 東洋大学)で倫理学教授を務める中島徳蔵 師範学校教員無試験
検定の資格が与えられる卒業試験において、中島徳蔵の担当した倫理学の問題で
「動機善にして悪なる行為ありや」に対して一学生の答案の中に
「動機が善ならば弑逆(しいぎゃく・主君や父を殺すこと)も許される」と解答
これに対して文部省は国体に反するとして、師範学校教員無試験検定の特典を取り消した
中島徳蔵は哲学館(現 東洋大学)並びに東京高等工業学校(現 東京工業大学)教授を辞任





  出生地住居表示の変遷(合併等による)

 元治元年(1864) 佐位郡今井村214番地
 明治22年(1889)佐位郡赤堀村今井(合併による)
 明治29年(1896)佐波郡に所属(合併による)
 昭和61年10月1日 町制施行
 平成17年1月1日  伊勢崎市に合併
            現 伊勢崎市赤堀今井町









 誕生から伊勢崎時代
   元治元年(1864) 父 中島泰三郎、母 かよ(後妻) 家業は農業 中農である
             母 かよ(後妻)での第一子で、先妻の子で兄と姉(2人)がいた

   3歳の時、疱瘡(ほうそう)に罹り、顔に痘痕(あばた)を残す

   明治7年(1874) 地元に出来た 今井小学校(初代校長 吉田輪三郎) に入学
             6月30日 母 かよ 逝去 42歳

   明治12年(1979) 吉田輪三郎校長は成績優秀で向学心旺盛な苦学生 徳蔵を
             授業生(代用教員)として採用、更に吉田校長は父兄を説得させ
   明治14年(1981)に群馬県立中学校に入学



 語り伝えたい 中島徳蔵先生 

 子供の頃に友達から「痘痕面(あばたづら)では大人になってお嫁さんが来ないよ」とか
らかわれた 徳蔵少年は「勉強をして偉くなり、綺麗な嫁をもらってやる」と言い返した
 これは今でも村では語り草として残っている

 明治31年(1898) 郷里出身の在京学生寄宿舎「佐波郷友会」を中島徳蔵先生自宅
(東京市本郷区)近くの借家で設立 先生は宿舎の会長(監督)を務め、経済面や保証人等
まで30年余にわたり面倒をみた 徳蔵が苦学生で教育者になったから出来たことであった
 昭和5年(1930)に高橋孝太郎氏が会長(監督)を引き継いだ

 「身の上相談」の回答者・・・著書「明治女大学」の好評や、「佐波郷友会」宿舎学生
の相談に応じていたのを買われて、大日本雄弁会講談社(現 講談社)発行の女性向け大衆
月刊誌「婦人倶楽部」の「身の上相談」の回答者を大正後期から昭和初期にかけて担当した
 相談の一例
  恋に狂乱する高女四年生へ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年4月1日
  異国人に恋されて悩む青年へ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年6月1日
  姉婿との恋に苦しむ婦人に答ふ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年7月1日
  遂げ得ぬ恋に泣き明す娘へ(中島徳蔵 )「婦人倶楽部」大正15年1月1日   
  恋に泣く男爵令嬢に答へて(中島徳蔵 )「婦人倶楽部」大正15年3月1日
 *親身な相談に直接訪れる方もあり、相談者にお金を渡したこともあったと聞く



 氏名 職業 生没年   経歴
 中島徳蔵
なかじま とくぞう
教育 
倫理学
 1864
元治元年
 ~
1940
昭和15
 佐位郡今井村(現 伊勢崎市赤堀今井町)に生まれる
明治18年群馬県中学校(現 前高)卒、
明治27年帝国大学哲学科専科終了、哲学館
(現 東洋大学)、東京工業学校(現 東京工業大学)
等で倫理学の教鞭をとる
徳蔵を有名にしたのが明治35年哲学館事件である
大正元年東洋大学学長に就任
日本における倫理学の第一人者



  苦学生の中島徳蔵 4歳年下の同じ中学・大学卒の大塚保治と比較すると
 帝国大学卒業までの年齢に8年の差がある
  郷里で教員・校長をして学費を稼ぎ帝国大学(現 東京大学)を卒業している
   中島徳蔵  大塚保治
 誕生  元治 元年(1864)5月  明治 元年(1868)12月
 群馬県中学卒業  明治18年(1885)22歳  明治17年(1884)16歳
 帝国大学哲学科卒業  明治27年(1894)31歳  明治24年(1891)23歳
  帝国大学は明治30年(1897)に京都帝国大学の設立により東京帝国大学に名称変更



  中島徳蔵が教鞭を執った学校(在任期間においては哲学館事件で一時辞任)
   在任期間  当時の学校名   現在の学校名  講義科目
 1 明治28年 ~  ?  浄土宗高等学院 教授  大正大学  倫理 教育 独逸語
 2  明治30年~昭和15年  哲学館 教授 学長  東洋大学  倫理
 3  明治32年~大正10年  東京工業学校 講師  東京工業大学  倫理
 4  明治35年~大正14年  共立女子職業学校 講師  共立女子大学  修身
 5    ?  ~大正10年  日本法律学校 講師  日本大学  倫理
 6  明治41年~昭和11年  跡見高等女学校 講師  跡見学園女子大学  修身



 中島徳蔵 人脈相関図・名簿
  徳蔵、得三、得蔵
  帝国大学文科大学哲学科



 
 名 前  間柄 ことがら 
 中島 泰三郎  父  中農
大正3年3月27日逝去87歳
  〃 かよ  母  後妻 勢多郡粕川村 杉村仙蔵の次女
明治7年6月30日逝去 42歳
  〃 伊之蔵  兄  農業後継ぎ(先妻の子)
 (石井) 若枝  妻 明治29年5月 川越藩士 石井有隣の娘と結婚
 徳蔵33歳、若枝23歳
明治33年11月18日逝去28歳 赤堀村の墓地
 (永井) はな  後妻  明治35年2月7日 佐波郡境町 永井京蔵の長女と再婚
 徳蔵39歳、はな29歳
昭和33年3月31日逝去85歳
 吉田 輪三郎  恩師  今井小学校 初代校長 成績優秀で向学心旺盛な苦学生 徳蔵を
授業生(代用教員)として採用、更に吉田校長は父兄を説得
させ明治14年に群馬県立中学校に入学徳蔵を
 飯塚 春太郎  政治家  中学校同級生 生涯の友 群馬県会議員 衆議院議員
桐生織物同業組合 組合長
 井上 円了  教育者
哲学
妖怪学
 安政5年(1858)~大正8年(1919)
明治20年(1887)哲学館設立(現 東洋大学)哲学者
妖怪学 明治30年5月徳蔵を倫理学講師として招聘
 大塚 保治  美学者  明治元年(1868)~昭和6年(1931)
美学者。前橋生れ 東大卒 東大教授 日本のおける西洋美学
研究の基礎を築く
明治17年(1884)群馬県中学校卒業
 吉沢 惟雄  医師
政治家
俳句
 明治18年(1885)~昭和49年(1974)
 高橋 孝太郎  労働
衛生学
明治19年(1886)~昭和45年(1970)
前橋中学から東京 私立 京北中学校へ転校 、徳蔵が保証人
明治39年卒業(現 東洋大学京北中学高等学校)
千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部)
昭和5年(1930)「佐波郷友会」会長(監督)を徳蔵から
引き継いだ



 中島徳蔵 主な著書
   書 名 発行年   発行所  
 1  倫理学概論  明治31年  哲学館  国会図書館
 2  倫理学講義  明治32年  富山房  国会図書館
 3  デューイ氏倫理学  明治33年  育成会  国会図書館
 4  倫理学綱要(曹洞宗)  明治35年  鴻盟社  国会図書館
 5  教育者の修養  明治37年  同文館  国会図書館
 修身講義  明治37年  東京正則文華中学会  
 明治女大学(巻の1~4)  明治38年  大日本図書(株)  国会図書館
 日本支那西洋倫理学要領  明治40年  大日本図書(株)  国会図書館
 解説 批評ファイト氏倫理学原論  明治41年  丙午出版社  
10  実践倫理講話  明治43年  同文館  国会図書館
11  現代処世指針  大正元年  東洋大学出版部  
12  中等教科 大正修身訓  大正元年  大日本図書(株)  
13  ミューアヘッド倫理学  大正5年  (謄写)  
14  ヴント倫理学綱要  大正10年  丙午出版社  国会図書館
15  中島徳蔵氏大講演集  昭和3年  大日本雄弁会社  国会図書館
16  倫理学  昭和8年  東洋大学出版部  
17  倫理学研究    (謄写)  
18  常識実在論    (謄写)  
19  朱子の倫理学説(東洋大学紀要)  昭和15年  東洋大学出版部  
20  論語の組織的研究  昭和16年  大日本出版(株)  国会図書館









「倫理学者 中島徳蔵先生 分骨墓」石碑
 昭和35年1月建立
 伊勢崎市赤堀今井町1丁目206
 国道50号 赤堀今井町交差点を北上
 約80m左側に中島家先祖代々の墓地
 墓地の中央に石碑が建立されている

 (参考)
  菩提寺「吉祥寺」 東京都文京区本駒込











為思慕(碑陰)翻刻
佐波郷友会
飯塚癸巳三、八田六郎、八田七郎、徳江恭造
徳江敬一、横山義三、吉澤惟雄高橋孝太郎
高橋實二郎、武孫平、武とみ、中澤豊七
中島篤、倉田潮、矢島郡平、町田賢吾、児島荒太
赤石右一、齋藤虎五郎、齋藤幸太郎、篠原福壽
島田守男、日野原英一、森村茂樹
赤堀村賛助員
本間千代吉、小渕方輔、石田長太、織田梧郎
常見熊太郎、久保田元衛、山田金八、松村一義
毒島順作、赤堀健吉
世話人
織田敏太郎、毒島一司









 左より 中澤豊七、山田喜作、吉沢惟雄
 毒島一司、高橋實二郎、織田友則、武孫平









 備忘録
  1、中島徳蔵先生 昭和37年発行 P256 協賛者名に 矢島郡平、齋藤虎五郎の
    芳名の記載がない(記載もれと思われる)
  2、赤字の芳名は管理人が知る人物である
  3、武孫平は第12代武宜聡(よしふさ)、武とみ は妻
  4、高橋實二郎は高橋孝太郎の実弟





 出典・参考図書

 1、中島徳蔵先生 編集発行 東洋大学校友会内中島徳蔵先生学徳顕彰会
   昭和37年発行 非売品

 2、中島徳蔵先生(ダイジェスト版) 編集発行 内山和夫 非売品 平成8年発行
   講演会のレジュメ

 3、風土ー人間学的考察 著者 和辻哲郎 発行 岩波書店 第61刷 定価1010円+税
   平成30年発行

 4、善の研究 著者 西田幾多郎 発行 岩波書店 第10刷 定価900円+税
   平成31年発行

 5、中島徳蔵先生建碑録 佐波郷友会編 非売品 昭和35年発行