倫理学とは 哲学館事件とは |
倫理学とは 社会的存在としての人間の間での共存の規範・原理を考究する学問 哲学館事件 明治35年 哲学館(現 東洋大学)で倫理学教授を務める中島徳蔵 師範学校教員無試験 検定の資格が与えられる卒業試験において、中島徳蔵の担当した倫理学の問題で 「動機善にして悪なる行為ありや」に対して一学生の答案の中に 「動機が善ならば弑逆(しいぎゃく・主君や父を殺すこと)も許される」と解答 これに対して文部省は国体に反するとして、師範学校教員無試験検定の特典を取り消した 中島徳蔵は哲学館(現 東洋大学)並びに東京高等工業学校(現 東京工業大学)教授を辞任 |
語り伝えたい 中島徳蔵先生 |
子供の頃に友達から「痘痕面(あばたづら)では大人になってお嫁さんが来ないよ」とか らかわれた 徳蔵少年は「勉強をして偉くなり、綺麗な嫁をもらってやる」と言い返した これは今でも村では語り草として残っている 明治31年(1898) 郷里出身の在京学生寄宿舎「佐波郷友会」を中島徳蔵先生自宅 (東京市本郷区)近くの借家で設立 先生は宿舎の会長(監督)を務め、経済面や保証人等 まで30年余にわたり面倒をみた 徳蔵が苦学生で教育者になったから出来たことであった 昭和5年(1930)に高橋孝太郎氏が会長(監督)を引き継いだ 「身の上相談」の回答者・・・著書「明治女大学」の好評や、「佐波郷友会」宿舎学生 の相談に応じていたのを買われて、大日本雄弁会講談社(現 講談社)発行の女性向け大衆 月刊誌「婦人倶楽部」の「身の上相談」の回答者を大正後期から昭和初期にかけて担当した 相談の一例 恋に狂乱する高女四年生へ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年4月1日 異国人に恋されて悩む青年へ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年6月1日 姉婿との恋に苦しむ婦人に答ふ(中島徳蔵)「婦人倶楽部」大正14年7月1日 遂げ得ぬ恋に泣き明す娘へ(中島徳蔵 )「婦人倶楽部」大正15年1月1日 恋に泣く男爵令嬢に答へて(中島徳蔵 )「婦人倶楽部」大正15年3月1日 *親身な相談に直接訪れる方もあり、相談者にお金を渡したこともあったと聞く |
氏名 | 職業 | 生没年 | 経歴 |
中島徳蔵 なかじま とくぞう |
教育 倫理学 |
1864 元治元年 ~ 1940 昭和15 |
佐位郡今井村(現 伊勢崎市赤堀今井町)に生まれる 明治18年群馬県中学校(現 前高)卒、 明治27年帝国大学哲学科専科終了、哲学館 (現 東洋大学)、東京工業学校(現 東京工業大学) 等で倫理学の教鞭をとる 徳蔵を有名にしたのが明治35年哲学館事件である 大正元年東洋大学学長に就任 日本における倫理学の第一人者 |
中島徳蔵 | 大塚保治 | |
誕生 | 元治 元年(1864)5月 | 明治 元年(1868)12月 |
群馬県中学卒業 | 明治18年(1885)22歳 | 明治17年(1884)16歳 |
帝国大学哲学科卒業 | 明治27年(1894)31歳 | 明治24年(1891)23歳 |
在任期間 | 当時の学校名 | 現在の学校名 | 講義科目 | |
1 | 明治28年 ~ ? | 浄土宗高等学院 教授 | 大正大学 | 倫理 教育 独逸語 |
2 | 明治30年~昭和15年 | 哲学館 教授 学長 | 東洋大学 | 倫理 |
3 | 明治32年~大正10年 | 東京工業学校 講師 | 東京工業大学 | 倫理 |
4 | 明治35年~大正14年 | 共立女子職業学校 講師 | 共立女子大学 | 修身 |
5 | ? ~大正10年 | 日本法律学校 講師 | 日本大学 | 倫理 |
6 | 明治41年~昭和11年 | 跡見高等女学校 講師 | 跡見学園女子大学 | 修身 |
名 前 | 間柄 | ことがら |
中島 泰三郎 | 父 | 中農 大正3年3月27日逝去87歳 |
〃 かよ | 母 | 後妻 勢多郡粕川村 杉村仙蔵の次女 明治7年6月30日逝去 42歳 |
〃 伊之蔵 | 兄 | 農業後継ぎ(先妻の子) |
(石井) 若枝 | 妻 | 明治29年5月 川越藩士 石井有隣の娘と結婚 徳蔵33歳、若枝23歳 明治33年11月18日逝去28歳 赤堀村の墓地 |
(永井) はな | 後妻 | 明治35年2月7日 佐波郡境町 永井京蔵の長女と再婚 徳蔵39歳、はな29歳 昭和33年3月31日逝去85歳 |
吉田 輪三郎 | 恩師 | 今井小学校 初代校長 成績優秀で向学心旺盛な苦学生 徳蔵を 授業生(代用教員)として採用、更に吉田校長は父兄を説得 させ明治14年に群馬県立中学校に入学徳蔵を |
飯塚 春太郎 | 政治家 | 中学校同級生 生涯の友 群馬県会議員 衆議院議員 桐生織物同業組合 組合長 |
井上 円了 | 教育者 哲学 妖怪学 |
安政5年(1858)~大正8年(1919) 明治20年(1887)哲学館設立(現 東洋大学)哲学者 妖怪学 明治30年5月徳蔵を倫理学講師として招聘 |
大塚 保治 | 美学者 | 明治元年(1868)~昭和6年(1931) 美学者。前橋生れ 東大卒 東大教授 日本のおける西洋美学 研究の基礎を築く 明治17年(1884)群馬県中学校卒業 |
吉沢 惟雄 | 医師 政治家 俳句 |
明治18年(1885)~昭和49年(1974) |
高橋 孝太郎 | 労働 衛生学 |
明治19年(1886)~昭和45年(1970) 前橋中学から東京 私立 京北中学校へ転校 、徳蔵が保証人 明治39年卒業(現 東洋大学京北中学高等学校) 千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部) 昭和5年(1930)「佐波郷友会」会長(監督)を徳蔵から 引き継いだ |
書 名 | 発行年 | 発行所 | ||
1 | 倫理学概論 | 明治31年 | 哲学館 | 国会図書館 |
2 | 倫理学講義 | 明治32年 | 富山房 | 国会図書館 |
3 | デューイ氏倫理学 | 明治33年 | 育成会 | 国会図書館 |
4 | 倫理学綱要(曹洞宗) | 明治35年 | 鴻盟社 | 国会図書館 |
5 | 教育者の修養 | 明治37年 | 同文館 | 国会図書館 |
6 | 修身講義 | 明治37年 | 東京正則文華中学会 | |
7 | 明治女大学(巻の1~4) | 明治38年 | 大日本図書(株) | 国会図書館 |
8 | 日本支那西洋倫理学要領 | 明治40年 | 大日本図書(株) | 国会図書館 |
9 | 解説 批評ファイト氏倫理学原論 | 明治41年 | 丙午出版社 | |
10 | 実践倫理講話 | 明治43年 | 同文館 | 国会図書館 |
11 | 現代処世指針 | 大正元年 | 東洋大学出版部 | |
12 | 中等教科 大正修身訓 | 大正元年 | 大日本図書(株) | |
13 | ミューアヘッド倫理学 | 大正5年 | (謄写) | |
14 | ヴント倫理学綱要 | 大正10年 | 丙午出版社 | 国会図書館 |
15 | 中島徳蔵氏大講演集 | 昭和3年 | 大日本雄弁会社 | 国会図書館 |
16 | 倫理学 | 昭和8年 | 東洋大学出版部 | |
17 | 倫理学研究 | (謄写) | ||
18 | 常識実在論 | (謄写) | ||
19 | 朱子の倫理学説(東洋大学紀要) | 昭和15年 | 東洋大学出版部 | |
20 | 論語の組織的研究 | 昭和16年 | 大日本出版(株) | 国会図書館 |