伊勢崎銘仙アーカイブス

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 吉沢惟雄物語


 吉沢惟雄(よしざわ これお) 伊勢崎市出身の結核治療医、 県会議員、俳人、俳画
  明治18年(1885)~昭和49年(1974) 享年89歳
      2020年現在 生誕135年 没後46年


語り伝えたい 吉沢惟雄先生 
 
「赤ひげ先生」の如く、貧しい人からは診察代・薬代は受け取らなかった

 東京帝国大学医学部出身の医学博士で結核の先端医療を行い、患者は関東一円からも
訪れ、両毛線 伊勢崎駅の乗降者の半分は吉沢先生の診察が目的であった

 吉沢広瀬の雅号で俳句を詠むほか、文学・芸術を通して伊勢崎市の文化に多大なる
貢献をされた








 吉沢惟雄(よしざわ これお) 雅号 広瀬
  生家の場所は同じですが、合併等による住居表示変更
  出生時        佐位郡安堀村374番地
  明治22年4月1日  佐位郡三郷村大字安堀
  明治29年4月1日  佐波郡三郷村大字安堀
  昭和30年1月10日 伊勢崎市安堀町(現在)








 氏名 専門 生没年   経歴
 吉沢惟雄
よしざわ これお
 結核治療
県会議員
俳句
 1885
明治18
 ~
1974
昭和49
 母は小暮英三郎(伊勢崎銀行 初代頭取)の三女、
明治37年前中卒、旧制一高、大正元年東京帝国
大学医学部卒、同大にて結核の研究 医学博士
関東大震災で帰郷し三郷村安堀に吉沢医院を開業
昭和17~22年県議会議員、雅号を「広瀬」
広瀬川畔に句碑がある



 吉沢広瀬句碑
「一睡の夢の明るさ合歓の下  広瀬」
 いっすいのゆめのあかるさねむのもと
 *句集には 合歓の花 とある
 所在地 伊勢崎市図書館西 広瀬川畔
 建立日 昭和53年3月26日(除幕式)
 建立者 吉沢先生を偲ぶ人々
     会長 大沢一郎
 施工  柏井建設株式会社
 石工  井田石材店




 句碑裏面翻刻 吉沢先生句碑建立のこと

  故広瀬 医学博士吉沢惟雄先生は 安堀町の生家において医院を開業し 結核病治療の
  権威として 県内外に高名を馳せながらも利を逐わず 仁術としての医業を完うした
  また 天賦の詩性をもって 俳句 俳画に独自の境地をひらき 童心ともみえる純粋さ
  は おのずから指標となり 文化運動を推進し 図書館新築の気運を醸成した
  生前 日課のように広瀬川のほとりを散歩し 図書館を訪れたが そのステッキを手に
  した温容は 先生亡きあとも われわれのまぶたから消え去ることはない
  ここに先生を敬慕するもの相集い 早春のいちにち 記念の句碑を建立する次第である
  昭和四十九年十月二十二日歿八十九才

                昭和五十三年三月  吉沢先生を偲ぶ人々


 献呈のことばより抜粋(管理人がお世話になった方)

  柏井作次郎
   昔今の四季に変りなく
   広瀬の川面は
   只一筋に流れゆく

  岡部宇一郎
   広瀬川流るゝ岸の桜かな
   いつの世も変らぬ色や草紅葉




 昭和45年10月15日 日本俳画協会 展覧会
 において金賞を受賞

 俳画「ぼたん」
  春昼の 光溢るゝ 道 彼の日

  春昼(しゅんちゅう)
  溢るゝ(あふるる)
  彼の日(あのひ)






 吉沢惟雄年譜
 西暦  年齢  出来事
 1885
明治18年
 0  8月25日 父 吉沢浜雄、母 和歌の長男として誕生
 1893
明治26年
8   1月28日 父 浜雄32歳(伊勢崎赤石小学校校長)結核で逝去
 1899
明治32年
14   4月 群馬県立前橋中学校入学
同級生には野球の鈴木惣太郎を雇用し米国に派遣した小松晋助、
我が国で最初の資本論完訳者 高畠素之
前中の寄宿舎に5年先輩の山田伊三郎と同舎
クリスチャンの叔父に連れられ伊勢崎教会の富永徳磨牧師の説教を聞く
 1904
明治37年
19   3月 同校卒業
 1908
明治41年
23   3月 東京第一高等学校卒業
4月 東京帝国大学医学部入学
佐波郷友会寄宿舎へ入舎 監督 中島徳蔵、寮長 武孫平、同寮舎 中沢豊七、
 徳江交次 等
 1912
大正元年
27   12年 東京帝国大学医学部卒業
千駄ヶ谷の下宿に移転、後に中沢豊七と同居
東京帝国大学医学部 内科副手、東京市養育院内科勤務
時々、同郷の高橋孝太郎 等とテニスをしていた
 1916
大正5年
31   5月15日 篠沢克子(21歳)と結婚、媒酌人 中島徳蔵
仲介者 山田伊三郎 所帯を篠沢家に持つ
東京帝国大学伝染病研究所において結核病及び細菌血清学の研究に専念
 1918
大正7年
33   3月 ソ連 ウラジオストクの米国赤十字社に1年勤務
 1923
大正12年
38   3月5日 東京都千代田区麹町に吉沢内科医院開業
9月1日 関東大震災で病院焼失、三郷村安堀へ家族で身を寄せる
 1924
大正13年
39   1月 生家を一部改築し三郷村安堀で吉沢内科医院開業
2月 佐波看護婦学校で細菌学を講義
7月 東京帝国大学医学部より博士論文「実験的結核病に対するツベルク
リン及び結核病体成分の影響」が通過し医学博士授与
 1942
昭和17年
57   7月 群馬県会議員に当選
 1947
昭和22年
62   5月 母 和歌 逝去 83歳
 1955
昭和30年
 70  11月 群馬県知事より功労者表彰
結核病治療に尽力された功績
 1960
昭和35年
 75  1月 恩師 倫理学者 中島徳蔵先生 分骨墓石碑建立
 1970
昭和45年
 85  日本俳画協会 展覧会において俳画「ぼたん」が金賞を受賞
 1973
昭和48年
 88  吉沢広瀬句集「合歓の花」刊行
 1974
昭和49年
 89  10月22日 吉沢惟雄 逝去 89歳 菩提寺 普光寺(ふこうじ 安堀町)
 遺志により戒名は謚られず 吉沢惟雄霊とある
 1978
昭和53年
   3月 故広瀬吉沢惟雄先生句碑建立記念誌
 発行所 伊勢崎郷土文化協会
 1979
昭和54年
   3月 郷土人物叢書③ 吉沢惟雄伝 編著者 長谷川龍雄
 発行所 伊勢崎郷土文化協会
 1987
昭和62年
   11月21日~23日医学博士吉澤惟雄先生遺作展 於 三郷公民館
 主催 伊勢崎市社会福祉協議会三郷支部





   主な公職・団体役職等  就任
 1  群馬県会議員  昭和17年~昭和22年
 2  伊勢崎市教育委員  昭和30年
 3  群馬県原水爆禁止運動協議会会長  昭和30年
 4  伊勢崎郷土文化協会会長  昭和37年
 5  伊勢崎市立図書館新館舎建設促進協議会会長  昭和38年
   校医、村医、  大正13年
   伊勢崎庭球クラブ会長  昭和6年
   伊勢崎俳句研究会主宰  昭和25年
   伊勢崎チャーチル会会長  昭和40年






 赤城の言霊碑(あかぎのことだまのひ)

 「都をば垂り穂と伏して拝みけり  広瀬」

 所在地 伊勢崎市華蔵寺公園
     華蔵寺裏山(通称)
 建立年 昭和16年
 建設資金は吉沢広瀬の拠出
 吉沢広瀬の首唱 句数表裏42句中に広瀬
 の句は10句刻まれ内8句は赤城山を詠む












 表面上段の俳画 あやめ は礒部草丘
 書は宇野菜花洞(柳八)による





























 礒部草丘(いそべ そうきゅう) 宮郷村宮古出身 日本画家
  本名 礒部覺太 雅号 草丘(そうきゅう)句号 尺山子(しゃくざんし)
  明治30年(1897)3月24日~昭和42年(1967)1月9日 享年69歳

 宇野柳八(うの りゅうはち) 宮郷村宮古出身 小学校教師 礒部草丘の恩師
  句号 菜花洞
  明治4年(1871)8月15日~昭和18年(1943)5月1日  享年72歳




 出典・参考図書

  故広瀬吉沢惟雄先生句碑建立記念誌 発行所 伊勢崎郷土文化協会 昭和53年
  郷土人物叢書③ 吉沢惟雄伝 編著者 長谷川龍雄 発行所 伊勢崎郷土文化協会 昭和54年
  医学博士吉澤惟雄先生遺作展 主催 伊勢崎市社会福祉協議会三郷支部他 昭和62年