伊勢崎銘仙アーカイブス

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PROFILE  人物紹介へもどる


 高橋孝太郎物語  没後50年



  高橋孝太郎(たかはし こうたろう) 伊勢崎市出身
    医学博士 労働衛生学の先駆者
    滋養強壮ドリンク「どりのこ」生みの親

   明治19年(1886)12月20日~
   昭和45年(1970)12月14日 享年83歳
   2020年現在 生誕134年 没後50年





    高橋孝太郎氏はどんな人物か? 滋養強壮ドリンク「どりのこ」とは何か?
    皆が興味を持つ



先ず、管理人が興味を持った
のは華蔵寺公園の野球場
西駐車場に「佐波郷友会」の
石碑に高橋孝太郎の芳名が
記名されていたことによる














東京都大田区雪谷の
法人会法「ゆきがや」
令和元年夏号 坂探訪
より

田園調布一丁目に「どりこの
坂」がある 「どりこの」を
開発した高橋孝太郎医学博士
の屋敷が坂付近にあったこと
に由来する・・・
「どりこの」と高橋博士に
非常に興味がある(要旨)







 筆者の宮島英紀氏がたまたま通りかかった
 大田区田園調布一丁目の「どりこの坂」
 変わった名前で調べはじめ・・・出版にまでなった

 伝説の「どりこの」
 著者 宮島英紀
 発行所 角川書店
 発行日 平成23年11月

  「どりこの」は上州コンビ
  伊勢崎出身の高橋孝太郎博士が生みの親で
  桐生出身の講談社初代社長 野間清治が育ての親
  だと語る







 高橋孝太郎が生れ育った当時の生家

 現在の足利銀行伊勢崎支店の東側に
 生糸商 吉野屋 高橋惣吉があった
 惣吉が父である
 隣りが肥料商 中沢豊七である

 当時の住所 伊勢崎町1065番地
 現在の住所 伊勢崎市本町2番














明治32年頃、前中受験準備の高等小学校時代

後列左から2人目の白い着物が高橋孝太郎
前列左端が膳桂之助








  高橋孝太郎年譜
 西暦  年齢  出来事
 1886
明治19年
 0  12月20日 佐位郡伊勢崎町1065番地
  高橋惣吉・ぬいの次男として誕生
 1891
明治24年
5   4月 伊勢崎尋常小学校予習科入学
一歳年下の膳桂之助と同級
   -    群馬県立前橋高等学校 同窓会名簿に1906(明治39年)卒業生
 高橋孝太郎の名前が記載されている 住所は大田区田園調布
前橋中学校を膳桂之助と一緒に放校処分になり、京北中学へ転校した
ものと考えられる?
 1906
明治39年
20   3月 東京 私立 京北(けいほく)中学校卒業
現 東洋大学京北中学高等学校、中島徳蔵の紹介か?
千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部)
 1911
明治44年
25   11月  千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部)卒業
 1912
大正元年
26   6月 陸軍三等軍医
 1913
大正2年
27   ドイツ・ミュンヘン大学留学 専攻 産婦人科
 1914
大正3年
28   陸軍軍医学校普通学生
 1915
大正4年
29   陸軍軍医学校専攻学生
9月 陸軍二等軍医
 1916
大正5年
30   大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)付
 工場法施行
 1920
大正9年
34   4月 一等軍医 近衛輜重兵大隊付
農商務省嘱託(予備役陸軍一等軍医)
 1925
大正14年
39   7月 大阪帝国大学から学位授与 医学博士
課題「エネルギー代謝試験よりする本邦工場作業の研究」
 1927
昭和2年
41   12月 含糖栄養剤「どりこの」製造法 特許74843号
 1930
昭和5年
44  佐波郷友会の在京学生宿舎を目黒区洗足に新築移転 
宿舎の監督を中島徳蔵から高橋孝太郎が引継ぐ
12月 大日本雄弁会講談社(現 講談社)社長 野間清治
で「どりこの」を販売
 1944
昭和19年
58   戦時下で砂糖が入手困難となり「どりこの」生産中止
 1945
昭和20年
59   同郷の膳桂之助 高田馬場の自宅空襲で焼失
高橋孝太郎は田園調布の自宅を貸す手配
 1970
昭和45
83   12月 逝去



 高橋孝太郎の医学論文・著書
  大正5年 (1916)工場法の施行




農商務省工務局編集
「疲労と労働能率」
著者 嘱託 高橋孝太郎
工政会出版部 大正13年12月 発行














 医学論文(抜粋)
 某兵器大工場職工二百名と兵士百名に於ける尿中の窒素量を比較論し職工の
生活状況推定に及ぶ 
  余の求めし体力消耗率(仮称)より体重及び年齢を基準となし工(名)種を
選定せんとす
  某兵器大工場内電話送話口の細菌数に就て (附)送話口より結核菌を発見
せし六例
  某兵器大工場手(機)鍛工の肺気量に就て
  所謂東洋のマンチェスター大阪市上下層気流中の炭酸瓦斯に就て
  某兵器大工場大作業三ヶ年間の統計上に現われたる肺結核患者発生率と作業
塵埃との関係に就て
  某兵器大工場に於ける昼夜作業の身神に及ぼす影響に就て




 「どりこの」とは?
   「どりこの」は高橋孝太郎が研究した疲労回復効果のある清涼飲料水
  「どりこの」の名前の由来は、

    DORIG    ドイツ人のアーノルド・ドーリック(1872~1961)
    KOUTAROU  高橋孝太郎
    NAKAMURA  中村松雄(一番助手) 「どりこの」共同特許権者
    O        ?   (二番助手)


 「どりこの」の製造方法と成分
  「どりこの」ビン入り 450cc 定価1円20銭
   原液を5~7倍に水や湯で薄めて飲む コップで15杯程
   色は黄金色で甘く少し酸味がある

 成 分  100分中(%)
 ぶどう糖  32.34
 果糖  31.46
 しょ糖  1.45
 灰分  0.11
 PH(5倍希釈)  3.5


 大日本雄弁会講談社(現 講談社)社長 野間清治
  明治11年(1878)~昭和13年(1938)享年59歳
  群馬県山田郡新宿村(現 桐生市新宿) 明治40年(1907)東京帝大法科大首席書記
  明治42年(1909)大日本雄弁会創立 明治44年(1911)講談社創業
  「少年倶楽部」、「現代」、「婦人倶楽部」、「キング」の雑誌を次々と大ヒット
  「私設文部省」、「雑誌王」と呼ばれた
  桐生市立図書館に野間文庫がある


 講談社の販売戦略



高橋孝太郎博士は「エネルギー代謝や疲労」の研究の成果
物として「どりのこ」の開発に至り、
商売気は無く、当初は病人等に無料で配っていた

昭和5年頃、講談社の野間清治が「どりのこ」の独占販売
を行い、新聞、雑誌、ポスター、コマーシャルソング、
劇場での試飲会、チンドン屋、広告塔等でのあらゆる広告
宣伝で昭和6年(1931)には年間220万本を販売
した


     水谷八重子のポスター







 出典・参考図書

  労働科学72巻6号 P227~P238
  「日本の労働生理学の先駆者高橋孝太郎」 松藤元著 1996年(平成8年)

  伝説の「どりこの」 著者 宮島英紀 発行所 角川書店 2011(平成23年)

  関西大学「文学論集」第66巻第3号
  「世紀転換期ミュンヘン大学で医学学位を取得した日本人医学者」
  朝治啓三著 2016(平成28年)