西暦 | 年齢 | 出来事 |
1886 明治19年 |
0 | 12月20日 佐位郡伊勢崎町1065番地 高橋惣吉・ぬいの次男として誕生 |
1891 明治24年 |
5 | 4月 伊勢崎尋常小学校予習科入学 一歳年下の膳桂之助と同級 |
- | 群馬県立前橋高等学校 同窓会名簿に1906(明治39年)卒業生 高橋孝太郎の名前が記載されている 住所は大田区田園調布 前橋中学校を膳桂之助と一緒に放校処分になり、京北中学へ転校した ものと考えられる? |
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1906 明治39年 |
20 | 3月 東京 私立 京北(けいほく)中学校卒業 現 東洋大学京北中学高等学校、中島徳蔵の紹介か? 千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部) |
1911 明治44年 |
25 | 11月 千葉医学専門学校入学(現 千葉大学医学部)卒業 |
1912 大正元年 |
26 | 6月 陸軍三等軍医 |
1913 大正2年 |
27 | ドイツ・ミュンヘン大学留学 専攻 産婦人科 |
1914 大正3年 |
28 | 陸軍軍医学校普通学生 |
1915 大正4年 |
29 | 陸軍軍医学校専攻学生 9月 陸軍二等軍医 |
1916 大正5年 |
30 | 大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)付 工場法施行 |
1920 大正9年 |
34 | 4月 一等軍医 近衛輜重兵大隊付 農商務省嘱託(予備役陸軍一等軍医) |
1925 大正14年 |
39 | 7月 大阪帝国大学から学位授与 医学博士 課題「エネルギー代謝試験よりする本邦工場作業の研究」 |
1927 昭和2年 |
41 | 12月 含糖栄養剤「どりこの」製造法 特許74843号 |
1930 昭和5年 |
44 | 佐波郷友会の在京学生宿舎を目黒区洗足に新築移転 宿舎の監督を中島徳蔵から高橋孝太郎が引継ぐ 12月 大日本雄弁会講談社(現 講談社)社長 野間清治 で「どりこの」を販売 |
1944 昭和19年 |
58 | 戦時下で砂糖が入手困難となり「どりこの」生産中止 |
1945 昭和20年 |
59 | 同郷の膳桂之助 高田馬場の自宅空襲で焼失 高橋孝太郎は田園調布の自宅を貸す手配 |
1970 昭和45 |
83 | 12月 逝去 |
医学論文(抜粋) |
某兵器大工場職工二百名と兵士百名に於ける尿中の窒素量を比較論し職工の 生活状況推定に及ぶ |
余の求めし体力消耗率(仮称)より体重及び年齢を基準となし工(名)種を 選定せんとす |
某兵器大工場内電話送話口の細菌数に就て (附)送話口より結核菌を発見 せし六例 |
某兵器大工場手(機)鍛工の肺気量に就て |
所謂東洋のマンチェスター大阪市上下層気流中の炭酸瓦斯に就て |
某兵器大工場大作業三ヶ年間の統計上に現われたる肺結核患者発生率と作業 塵埃との関係に就て |
某兵器大工場に於ける昼夜作業の身神に及ぼす影響に就て |
成 分 | 100分中(%) |
ぶどう糖 | 32.34 |
果糖 | 31.46 |
しょ糖 | 1.45 |
灰分 | 0.11 |
PH(5倍希釈) | 3.5 |