伊勢崎銘仙アーカイブス


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 夏目漱石(なつめ そうせき)


 夏目漱石の小説に「伊勢崎銘仙」が登場する

 また、漱石が恋した・・才色兼備の大塚楠緒子(おおつか くすおこ)は
 礒部草丘の叔父 大塚(旧姓 小屋)保治の妻
 大塚保治は「吾輩は猫である」に登場する美学者 迷亭のモデルと言われている
 



「吾輩は猫である」、「坊っちゃん」で知られる明治の文豪
 本名 夏目金之助(なつめ きんのすけ) 現 東京都出身
 慶応3年(1867)2月9日
      ~大正5年(1916)12月9日 49歳で逝去

 2024年現在 生誕157年 没後108年





 発表年  作品名  登場する言葉
 明治39年(1906)  草枕(くさまくら)  銘仙(めいせん)
 明治40年(1907)  虞美人草(ぐびじんそう)  伊勢崎(いせざき)
 大正 4年(1915)  道草(みちくさ)  伊勢崎銘仙(いせざきめいせん)


 夏目漱石の「道草」に伊勢崎銘仙が登場





  大正4年(1915)に朝日新聞に掲載した「道草」
 では伊勢崎銘仙が八十六章と八十八章に登場する

 「道草」は著作権切れのためネットで閲覧出来ます
         青空文庫 道草

 「道草」は夏目漱石の自伝とされ
 「世の中に片付くなんてものはんどありゃしない。略」
 で終わる






                  八十六章から抜粋

彼はまた本郷通りにある一軒の呉服屋へ行って反物を買った。織物について何の知識もない彼はただ番頭が見せてくれるもののうちから、い加減な選択をした。それはむやみに光るであった。幼稚な彼の眼には光らないものより光るものの方が上等に見えた。番頭にいの羽織と着物をえるべく勧められた彼は、遂に一匹の伊勢崎銘仙を抱えて店を出た。その伊勢崎銘仙という名前さえ彼はそれまでついぞ聞いた事がなかった。


                  八十八章から抜粋

彼はまたぴかぴかする一匹の伊勢崎銘仙を買うのに十円余りを費やした。


   *匹(ひき 疋と同じ) 2反を単位として数える語  1匹 = 2反




 夏目漱石の「草枕」に銘仙が登場







 「道草」より早く明治39年(1906)の作品である
 「草枕」には銘仙が出てくる

 「草枕」は著作権切れのためネットで閲覧出来ます
         青空文庫 草枕









 「智に働けばが立つ。させば流される。意地をせば窮屈だ。とかくに人の世は
 住みにくい。」で始まる「草枕」の十二章に銘仙が出てくる



                  十二章から抜粋

のずんぐりした、色黒の、づらと、くっきりった細面に、の長い、撫肩の、華奢姿。
ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着銘仙さえしなやかに着こなした上、
腰から上を、おとなしくり身に控えたる痩形。はげた茶の帽子に、藍縞尻切出立ちと、
陽炎さえ燃やすべき櫛目の通ったの色に、黒繻子のひかる奥から、ちらりと見せた帯上の、
なまめかしさ。すべてが好画題である。



 夏目漱石は伊勢崎をいせざきと読んだ ?

  

 

 群馬県民であれば、伊勢崎
いせさきと読む


 群馬県民は上毛カルタで
いせさきと覚えた












 夏目漱石が大正4年(1915)に朝日新聞に掲載した「道草」に伊勢崎銘仙が出てくるが、
 ルビが振られ「いせきめいせん」となっている











  夏目漱石が明治40年(1907)ひ朝日新聞に掲載した「虞美人草」の十章に銘仙
  は出てこないが「伊勢崎(いせざき)」が出てくる

「なかなか追窮するね。それよりか御前今日は大変立派なものを縫ってるね。何だいそれは」
「これ? これは伊勢崎いせざきでしょう」
「いやにぴかつくじゃないか。兄さんのかい」
阿爺おとうさまのよ」

       「虞美人草」は著作権切れのためネットで閲覧出来ます
                青空文庫 虞美人草






 平成21年(2009)に発行した
       銘仙万華鏡

 銘仙の五大産地として伊勢崎に「いせ」とルビが
 振られている
  *昭和時代の国語辞典を参考にされたのでは?












 昭和54年(1979)に発行した
     岩波 国語辞典 第三版

 「いせきおり」漢字で「伊勢崎織り」としている

 昭和の時代まで日本を代表する国語辞典において
 伊勢崎を「いせき」と記載していた








  伊勢崎駅100年史「街とともに歩み明日へ」
      平成元年(1989)発行
 で青木宏氏が伊勢崎を「いせき」と読まれた理由を
 説明されている

  明治22年(1889)に両毛線 伊勢崎駅が開業し
 てから大正5年(1916)まで「いさきえき」
 と呼称していた

  伊勢崎市制十年誌 昭和25年(1950)発行
 に「伊勢崎町長だった石川泰三氏が「イセザキ」と
 呼ばれるのを嫌って、駅名を「いせさき」に改めて
 貰う事を鉄道省に交渉して成功した」とある







   まんが 伊勢崎の歴史 里中満智子 画
   平成7年(1995) 伊勢崎市 発行

  「伊勢崎」の地名の由来が画かれている
  永禄3年(1560)に戦勝した由良成繁が
  三重県の伊勢神宮に赤石郷(現 伊勢崎市の一部)を
  寄進した
  伊勢の地が出来て赤石城を「伊勢前城 いせさきじょう」
  と呼称した
  それが伊勢崎の起源である










   国語辞典に「いせき」とあるのは、言語学的に
  は「伊勢」の後に続くから「き」と発音するようだ
   しかし、地名には歴史があり、地元では古くから
  一貫して「いせさき」としている