創立以来大きな節目毎(30年、50年、80年、100年)に開催された
周年事業をWEBで振り返る
伊勢崎織物組合は明治13年(1880)に伊勢崎太織会社としてスタートし、
今年、令和2年(2020)まで140年継続している
明治初期は法が未整備のため伊勢崎太織会社として設立したが、その後法の整備や
政治的・経済的な理由で組合の名称は度々変わっているが、組合員や事業内容継続されている
伊勢崎織物工業組合 伊勢崎市を中心に決められた地域の機屋で構成されている
設立の条件は厳しく、同じ地域内に同様の組合は設立出来ない
伊勢崎織物協同組合 地域は工業組合と同じとするが、組合員の構成は機屋を中心に
関連する業種(糸商、買継商、染色業、整理業等)が広く加入
している また、協同組合の設立は容易である
組合員数は工業組合の約2倍
西暦 | 和暦 | できごと |
1880 | 明治13 | 伊勢崎太織会社(伊勢崎織物業組合の前身)創立 |
1886 | 明治19 | 伊勢崎織物業組合設立、初代組長に下城弥一郎氏就任 |
〃 | 〃 | 染色講習所(県立伊勢崎工業高校の前身)設立 |
1887 | 明治20 | 伊勢崎産地にフランス産の絹紡糸を導入 |
1888 | 明治21 | 伊勢崎太織を伊勢崎銘仙と呼称 |
1891 | 明治24 | 組合事務所洋式2階建落成 |
1893 | 明治26 | 絹紡糸の使用で下城弥一郎氏と森村熊蔵氏が一時対立 |
1908 | 明治41 | 乃木希典将軍が学習院の制服に伊勢崎銘仙を採用 |
1910 | 明治43 | 伊勢崎織物同業組合創立30周年 下城弥一郎・森村熊蔵 功徳碑の建立 |
1912 | 大正 元 | 伊勢崎は銘仙景気で大正9年にかけ芸妓が150人を超えた |
1914 | 大正 3 | 群馬県物産陳列館(伊勢崎繊維工業試験場の前身)発足 |
1921 | 大正10 | 伊勢崎銘仙の生産高3,530万円で群馬県予算の6倍となる |
1922 | 大正11 | 組合事務所新館落成 |
1924 | 大正13 | 大正13年から昭和6年までを第1期黄金時代と呼ぶ |
1928 | 昭和 3 | 人気女優水谷八重子(初代)を宣伝ポスターに起用 |
1929 | 昭和 4 | 機織歌「からりこ節」制作 作詞 北原白秋、作曲 町田嘉章(伊勢崎出身) |
1930 | 昭和 5 | 伊勢崎銘仙の生産高456万反を記録する |
〃 | 〃 | 伊勢崎町長 石川泰三氏「銘仙週間」を実施し芸妓に銘仙を着用させる |
1931 | 昭和 6 | 伊勢崎織物同業組合創立50年祝賀会並びに 「伊勢崎織物同業組合史」発行 |
1932 | 昭和 7 | 伊勢崎織物工業組合設立 |
1933 | 昭和 8 | 組合構内に手織試験場を設置 |
〃 | 〃 | 千代田お召し全盛時代 |
1941 | 昭和16 | 伊勢崎織物同業組合を解散し伊勢崎織物工業組合だけとなる |
1943 | 昭和18 | 機屋下嶋喜次郎氏は前橋連隊に戦闘機一機(伊勢崎下島号)を献納する |
〃 | 〃 | 牛久保海平氏機屋を転業し三共電器(現 サンデン株式会社)を設立 |
1944 | 昭和19 | 伊勢崎織物工業組合は群馬県織物工業統制組合に統合される |
1945 | 昭和20 | 戦災により組合事務所焼失 |
1946 | 昭和21 | 伊勢崎織物工業協同組合設立 |
1947 | 昭和22 | 組合事務所落成 |
〃 | 〃 | 「上毛かるた」発行され「銘仙織出す伊勢崎市」と読まれる |
1951 | 昭和26 | 伊勢崎織物協同組合設立 |
1953 | 昭和28 | 緯総(よこそう)絣が主力製品となる |
1956 | 昭和31 | 戦後の黄金時代292万反の生産 |
1962 | 昭和37 | 組合事務所新館落成 |
〃 | 〃 | ウール着尺が主力製品となる |
1962 | 昭和37 | 伊勢崎織物協同組合創立80年祝賀会並びに 「伊勢崎織物史」発行 |
1967 | 昭和42 | 第2次 伊勢崎織物工業組合設立 |
1975 | 昭和50 | 国の伝統的工芸品に「伊勢崎絣」が指定される |
1980 | 昭和55 | 伊勢崎織物協同組合創立100周年記念式典並びに 「伊勢崎織物組合百年史」発行 |
1999 | 平成11 | 第2次伊勢崎織物工業組合解散し伊勢崎織物協同組合だけとなる |
2001 | 平成13 | 伊勢崎銘仙復刻プロジェクト発足 |
2004 | 平成16 | 第3次 伊勢崎織物工業組合設立 |
2012 | 平成24 | 伊勢崎市観光物産協会が毎年3月第1土曜日を「いせさき銘仙の日」 と定める |