伊勢崎銘仙アーカイブス

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 今井町 今昔

 諏訪神社

 真光寺


  西光寺
 










 現在の基本的事項
   真義真言宗         (しんぎ しんごんしゅう)
   今井山 慈心院 西光寺     (いまいさん じしんいん さいこうじ)
   本 尊   阿弥陀如来     (あみだにょらい)
   伊勢崎市今井町3番1      (いせさきし いまいちょう )
   伊勢崎佐波観音霊場第13番札所
   電話 0270-26-0099
   緯度 N36°18’19” 経度 E139°10’43”



 伊勢崎佐波 観音霊場めぐり



 第十三番 今井山慈心院西光寺、千手観音

古(いにし)えも また行く末も今井寺(でら)
    西の光りに などか漏(も)れなん







 山門・仁王門 観音堂(旧 本堂) 
   



 伊勢崎風土記(原漢文)  
   
 西光寺  
 在北今井村。  北今井村に在り
 真言宗小俣鶏足寺末派  足利市小俣町の鶏足寺(けいそくじ)の末派(まっぱ)
 大同元年円光阿闍梨開山。  大同元年(806)円光阿闍梨(あじゃり)が開いた
 号今井山大坊西光寺。  今井山 大坊 西光寺と号する
 後年焼亡(欠年月)。  後年焼亡する(年月は不明)
 応永二年再建之。  応永二年(1395)之を再建する
 本仏有銘曰御首大江広元。  本仏に銘有り、曰(いわ)く御首は大江広元
 御胴円光阿闍梨作。  御胴は円光阿闍梨の作
   
 安養院  
 在中町。  中町に在り
 真言宗西光寺門徒  真言宗西光寺の門徒(下に属する寺院)



   明治43年6月発行「名和郡名和村郷土誌」P48より

    群馬県上野国那波郡北今井村字村内
       下野国足利郡小俣村鶏足寺客寺 真言宗真義派  西光寺
    一、本尊 大日如来
    一、由来 伊勢崎風土記と同じ
    一、堂宇間数本堂 間口 六間三尺
             奥行 四間
    一、境内坪数   千六百六拾七坪 官有地第四種
    一、境内仏堂   無之
    一、境内庵室   無之
    一、境外所有地  八筆(ひつ) 八ヶ所




   大正12年3月発行「群馬県佐波郡誌」P179より
 寺號  西光寺  
 大本山  長谷寺(はせでら)  真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山
 宗派  真言宗豊山派  
 所在地  名和村大字北今井  
 檀家数  五十六戸  
 寺領土地 官有境内  五反五畝十七歩  1,667坪
 寺領土地 宅地  六畝十六歩  196坪
 寺領土地 田  九反三畝三歩  3,603坪
 寺領土地 畑  二反八畝五歩  845坪
 沿革概要  本尊 大日如来  だいにちにょらい




 西光寺の石造物
薬師堂の東裏に石像物 案内板 石造物群 
   



 案内板より
 伊勢崎南部の最古の石像物
   この五輪塔は赤城型五輪塔といって1331年(南北朝時代)頃のもので、伊勢崎南部
  の最古の石造物といわれています。また、前列の左の像はもっと古いものだそうです。
  後ろの歴代和尚の墓はいくたびかの戦によって半分以上が失われ、現存している約20基
  です。西光寺の開基は約1200年前の大同元年、失われた墓については後の調査研究が
  待たれます。
                               西光寺総代会


1,赤城塔 2,千手観音
   
   
 5,馬頭観音 7,六地蔵菩薩立像
   



  伊勢崎の近世石像物  昭和60年(1985)4月  伊勢崎市
   石像物名 建立年  西暦・元号 銘文  備考 
 1  赤城塔 不明  102×38×35  P22
 2  千手観音 明和4年(1767)    P56、P81、P561
 3
講による造塔
文久3年(1863)  89人の寄付連盟
3ヶ寺名
 P64
 4  聖観音立像 不明  73×38×24  P80
 5  馬頭観音 文久3年(1863)    P106
 6  地蔵菩薩立像 文化8年(1811)    P172
 7  六地蔵菩薩立像 不明  25×35×15.5  P183、P563
 8  庚申塔  享和元年(1801)    P372
 9  六十六部回国塔  安永7年(1778)    P625





  西光寺の年表
 大同元年
806
 円光阿闍梨(えんこう あじゃり)が開山(かいさん)
西光寺をはじめた僧
 応永2年
1395
 焼亡の後、再建する
 寛永10年
1633
「 関東真言宗真義派本末寺帳」に下野国足利郡小俣村鶏足寺
の末寺として宝幢院(伊勢崎市連取町)と並列にある
 明和4年
1767
 千手観音 建立
 安永7年
1778
 7月 諏訪神社 本殿が建てられる
 *本殿 棟札(むねふだ)に記述 西光寺住法院栄範 他
六十六部回国塔 建立
 寛政3年
1791
 7月27日 諏訪神社 元 西光寺の境内から現在地へ遷座(伝承)
 享和元年
1801
 庚申塔 建立
 文化8年
1811
 地蔵菩薩立像 建立
 嘉永元年
1848
 西光寺 住職 沙門聖僕(過去帳より)
 嘉永5年
1852
 7月 諏訪神社 本殿の覆屋(おおいや)が再建される
 *覆屋 棟札に記述 別当 西光寺
  神仏習合(しんぶつしゅうごう)の江戸時代は西光寺が管理した
 文久3年
1863
 講による造塔 建立
馬頭観音 建立
 明治9年
1876
 本堂 焼失 明治年間は無住状態
昭和32年(1957)までは仮本堂
 不明  西光寺 第41世住職 大塚慶真 後に 宝勝寺(高崎市新町)住職に遷移
 昭和26年
1951
 西光寺 第42世住職 太田隆海 宝幢院(伊勢崎市連取町)より遷移
 昭和32年
1957
 旧 本堂(現 観音堂)旧 庫裏(くり 台所・居間)建立
 昭和53年
1978
 納骨堂 鉄筋コンクリート造り「西光寺霊殿」建立
 平成6年
1994
 本堂 庫裏(くり)建立
 平成30年
2018
 12月26日 山門 「仁王門」 建立




























 村を守った即身仏の伝説



 場所 伊勢崎市今井町38
















 現地の説明板

  明和(1764)の頃、北今井村にも疫病が蔓延し、また子供の川流れも続いた。
 西光寺の和尚様がそれを見かねて村の北東(鬼門)に穴を掘り、即身仏となって
 村を守るべく穴に入った。
  空気穴の竹筒からお経が聞こえ、その竹筒から水と少しの食べ物をいれてコンコンと
 たたくコンコンと返事が返ってきた。やがて返事がなくなる頃、疫病は収まって、
 川流れもなくなった。
  村のお母さんたちはその塚に桜を植えた。そして供養塔はここに立てた。

                             西光寺総代会

   石像物名 建立年  西暦・元号 銘文  備考 
 1  如意輪観音像
にょいりんかんのんぞう
1766 
明和3年丙戌11月吉日
 供養
女人 講中
 笠付型(一面二臂)
P263
 2  庚申供養塔
こうしんくようとう
1742 
寛保2壬戌年10月21日
 当村中  自然石
P324
 3  丸彫り地蔵立像
まるぼりじぞうりつぞう
1731
 享保16年天
 南無阿弥陀仏  台石
P578
 4  丸彫り地蔵立像
まるぼりじぞうりつぞう
 不明    

                         参考:伊勢崎の近世石像物




 参考・引用文献

  定本 伊勢崎風土記  寛政10年(1798) 関重嶷(せきしげたか)著
             訳文 篠木弘明 平成6年10月1日 俳山亭文庫

  佐波郡 名和村郷土誌 明治42年9月25日 群馬県訓令第60号による 明治43年6月
             復刻版 昭和61年(1986) 伊勢崎郷土文化協会

  群馬県佐波郡誌    大正12年(1923)3月 佐波郡役所 編集
             復刻版 平成14年(2002)11月 第3版 (株)千秋社

  伊勢崎の社寺建築   昭和58年(1983)12月 伊勢崎市

  伊勢崎の近世石像物  昭和60年(1985)4月  伊勢崎市

  伊勢崎市史 通史編2 近世 平成5年(1993)3月 伊勢崎市