伊勢崎銘仙アーカイブス
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 今井町 今昔

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  諏訪神社

   旧 北今井村 村社 諏訪神社
     (きたいまいむら そんしゃ すわじんじゃ)



 緯度 N36°18′04″  経度 E139°10′41″  〒372-0823 群馬県伊勢崎市今井町213番地
   




 村社 諏訪神社(明治43年 名和郡名和村郷土誌より)
   場所 群馬県上野国那波郡北今井村字北
   祭神(さいじん 祭っている神様)) 建御名方命(たけみなかたのみこと)
   由来 不詳とあるが、大正12年 群馬県佐波郡誌より
      和銅5年(712)国司が信州国諏訪明神の分霊(ぶんれい)を奉遷(ほうせん)
   社殿間数本社 間口5尺、奥行5尺  拝殿 間口3尺、奥行3尺
   境内坪数 百八十四坪、官有地第一種



 最新の資料 「わたしたちの今井町区小史」令和2年度より抜粋

   祭神(さいじん 祭っている神様)
         主祭神     建御名方命(たけみなかたのみこと)
         配祀(はいし) 主祭神に添えて他の神を祀(まつ)る
                 保食命(うけもちのみこと)
   境内神社(けいだいじんじゃ)
         八坂神社
         赤城神社
         日枝神社
         菅原神社
         秋葉神社  秋葉山碑 伊勢崎風土記には12座が両郡中に散在とある
   境内地 948.85㎡(287.53坪)
   神職名 中根重久




 北今井村 村社 諏訪神社の年表

 和銅5年
712
 諏訪神社 国司が信州国諏訪明神の分霊(ぶんれい)を奉遷(ほうせん)
 *大正12年 群馬県佐波郡誌P160
 安永7年
1778
 7月 諏訪神社 本殿が建てられる
 *本殿 棟札(むねふだ)に記述 西光寺住法院栄範 他
 寛政3年
1791
 7月27日 諏訪神社 元 西光寺の境内から現在地へ遷座(伝承)
 嘉永5年
1852
 7月 諏訪神社 本殿の覆屋(おおいや)が再建される
 *覆屋 棟札に記述 別当 西光寺
  神仏習合(しんぶつしゅうごう)の江戸時代は西光寺が管理した
 明治6年
1873
 諏訪神社 村社に列す
 *明治政府による 神社の統廃合と格付
 明治9年
1876
 西光寺 火災により本堂・古文書等を焼失
 明治22年
1889
 町村制施行により、周辺10村が合併し那波郡名和村が成立
 明治29年
1896
 郡統合(佐位郡と那波郡の統合)により佐波郡に属する
 明治40年
1907
 9月4日 大字内の無格社 飯玉神社を合祠し現在に至る
 明治41年
1908
勅令220号 内務省訓令「一町村に一社を限りとして存続せよ」 
10月 諏訪神社に「日露戦役紀念碑」建立
 大正4年
1915
諏訪神社 神饌幣帛料共進神社(しんせんへいはくりょうきょうしん
じんじゃ)に指定  氏子数65戸
 昭和9年
1934
 10月17日 社号標 建立
 昭和10年
1935
 奉納 田畑七段七歩を神社用地として寄進 寄進者 不明
 昭和21年
1946
 1月 GHQより「神道指令」により「社格制度」廃止
神社本庁が伊勢神宮は別格と仰ぎ、他の神社は平等となる
 昭和30年
1955
 3月25日 名和村は豊受村、宮郷村とともに伊勢崎市へ編入
合併による区域の名称
 佐波郡名和村大字北今井 → 伊勢崎市今井町
 昭和43年
1968
 3月31日 諏訪神社 改築竣工 記念碑 建立
総工費44万5千円、戸数144、宮司 中根重邦 氏子一同
 平成7年
1995
 10月17日 コンクリート製 鳥居 建立





































   拝殿の西前 石像物群 7基









 

   石像物名 建立年  西暦・元号 銘文  備考 
 1  雷電大神
らいでんだいじん
不明  重忠拝書(中根重忠神官)
奉祀(ほうし)総氏子中
 石碑型
P525
 2  日露戦役紀念碑 明治41年(1908)10月  不明
 3  奉納 田畑七段七歩 昭和10年(1935)  神社用地として寄進
寄付者名判読不能
 
 4  諏訪神社改築記念 明治43年(1910)3月31日  諏訪神社改築記念  
 5  不明 不明  不明  
 6  奉献 不明  大谷  
 7  道標 不明    

                        


   境内北東 石像物群 4基
  表(南)より 右の石祠が樹木に隠れる        裏(北)より
   




   石像物名 建立年  西暦・元号 銘文  備考 
 1  秋葉大神
あきばだいじん
明治4年(1871)歳次
辛未 2月吉日
栗博渕謹書 
総村中
 石碑型
P704
 2  石祠(せきし) 嘉永5年(1852)子11月吉日
惣村中
 ー  石祠
 3  石祠(せきし) 不明  ー  石祠
 4  石祠(せきし) 不明  ー  石祠






    境内北西 石像物 1基

    石祠(せきし) 詳細 不明









 諏訪神社年間行事
 開催日  行事名
 1月1日  諏訪神社 新年祝賀式 初詣
 4月3日  諏訪神社 春の祭典(例大祭)
 10月17日  諏訪神社 秋の祭典(例大祭)











 日露戦役紀念碑

 場 所 伊勢崎市今井町213番地
     諏訪神社 境内
 建立年 明治41年(1908)10月
 碑表書 乃木希典(のぎ まれすけ)
 建立者 北今井村一同

 北今井村から日露戦争(明治37年~38年)
 に出征された方の名前が刻まれている









  碑陰(碑の裏)  出征軍士

   陸軍歩兵曹長         勲七等   常味千頴(つねみ ちかい)
   陸軍歩兵上等兵        勲八等   西村英雄
   陸軍歩兵一等卒              内山田之七
   陸軍輜重輸卒(しちゅうゆそつ)勲八等   西村義三
   陸軍砲兵輸卒(ほうへいゆそつ)      黒埼惣次郎


   明治四拾壱年拾月吉祥建設
     大字北今井村一同
   松濤千頴● 書 沼田籐三郎 刻



建御名方命(たけみなかたのみこと)
建御名方命は、大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子で、八重事代主命の弟です。国譲り神話において、父の大国主命が高天原(タカマガハラ)の天照大神(アマテラスオオミカミ)から国の禅譲を迫られたとき、これに最後まで抵抗したのが建御名方命でした。剛力無双の神として知られていましたが、国を譲られて出雲から信濃の諏訪湖あたりに移り、その後、諏訪に定住して開拓を始められます。そのおりに害獣を退治したり、農耕・養蚕の業を広めたりされたので、「お諏訪さま」と呼ばれて、耕作の神、五穀豊穣の神としてだけでなく、狩猟の神、また武神としても崇敬を集められました。ことに神功皇后の新羅遠征のときの活動、坂上田村麻呂の東征守護、元寇のとき龍神としてのご神威の発揚などの話が広く伝わり、鎌倉時代以降は八幡神と並んで霊験あらたかな軍神として大いに崇敬され、全国各地に諏訪信仰が広まり、諏訪神社が祀られるようになりました。
相撲に縁のある神様




 末社(まっしゃ) 本社に付属する小さな神社
 摂社(せっしゃ) 
 扁額(へんがく) 鳥居  かける額
 参道(さんどう) おまいりに行くっためにつくられた道
 社号標(しゃごうしょう) 神社名を石柱などに刻んで建てたもの
 鳥居(とりい)  神社の参道入り口に立てて神域を示す
 拝殿(はいでん)
 幣殿(へいでん)
 本殿(ほんでん)
 御札(おふだ) 神符(しんぷ) 神社から氏子等に授与する護符(ごふ) まもりふだ
 大麻(たいま おおぬさ) 伊勢神宮及び諸社から授与する御札
 配祀(はいし)  同じ社(やしろ)の
 分祀(ぶんし)
 小祀(しょうし) 小さなほこら、小さな社(やしろ)




 参考・引用文献

  定本 伊勢崎風土記  寛政10年(1798) 関重嶷(せきしげたか)著
             訳文 篠木弘明 平成6年10月1日 俳山亭文庫

  佐波郡 名和村郷土誌 明治42年9月25日 群馬県訓令第60号による 明治43年6月
             復刻版 昭和61年(1986) 伊勢崎郷土文化協会

  群馬県佐波郡誌    大正12年(1923)3月 佐波郡役所 編集
             復刻版 平成14年(2002)11月 第3版 (株)千秋社

  伊勢崎の社寺建築   昭和58年(1983)12月 伊勢崎市

  伊勢崎の近世石像物  昭和60年(1985)4月  伊勢崎市

  伊勢崎市史 通史編2 近世 平成5年(1993)3月 伊勢崎市

  令和の御大典奉祝記念 伊勢崎佐波の神社誌
             令和2年(2020)10月 群馬県神社庁伊勢崎佐波支部