伊勢崎銘仙アーカイブス


TOP  topページへもどる

 肉弾の桜井忠温 物語


 桜井忠温(さくらい ただよし 筆名 さくらい ちゅうおん) 愛媛県松山市出身
  陸軍軍人、 作家(戦記文学・戦争文学)、
  画家 絵画筆名:落葉、 自宅の呼称:落葉村舎(らくようそんしゃ)
  明治12年(1879)6月11日~昭和40年(1965)9月17日 享年86歳
          2024年現在 生誕145年 没後59年


   広辞苑より一部抜粋
 
 桜井忠温:陸軍軍人、作家 日露戦争の旅順包囲戦に参加、その体験を書いた 
 「肉弾」「銃後」が好評を得た。

 肉弾:桜井忠温の戦記「肉弾」による語






 なぜ、桜井忠温か?
  私(管理人)の父(金光 明治43年生)が
 桜井忠温の愛読者で、親交があり
 戦中生まれの長兄・次兄の名付親である。
  私が中学生の時 父に連れられて東京・成城
 の桜井忠温宅を訪問すが、既に故郷の
  松山市へ転居されて後でした。














明治37年(1904)2月 日露戦争開戦
5月21日 日露戦争に松山歩兵第二十二連隊の連隊旗手
として従軍、 遼東半島に出征、乃木将軍の指揮下 旅順攻
囲戦
8月19日から24日にわたる旅順要塞第一回総攻撃で
桜井忠温は銃創八ヶ所、骨折三ヶ所、右手首を飛ばされ、重傷を負い戦死したと思われた
































 桜井忠温が陸軍士官学校時代の
器械体操の教官が等々力中尉で、
中尉が高崎十五連隊時代に妙義山
の絶壁で逆立ちをしたので
「トドロキ岩」
の名が付いたと云われる

 (絵葉書の書は桜井忠温の実筆)








「君烈万古」?

 高崎観音山 乃木将軍銅像

 (絵葉書の書は桜井忠温の実筆)











 上記 絵葉書の宛名面


  桜井忠温 実筆の「乃木将軍」










 伊香保温泉にて


 (絵葉書の書は桜井忠温の実筆)










「八紘一宇」
 はっこういちう

世界を一つの家とすること
戦時中日本の海外進出を正当化
する標語

(絵葉書の書は桜井忠温の実筆)







桜井忠温 原作・脚本
映画「赤城の夕映え」
モデル橋本園太(はしもと そのた)
現 前橋市文京町在住
前橋監獄(刑務所)看守
更生保護施設開設

(絵葉書の書は桜井忠温の実筆)







平成6年(1994)9月
中国・大連市にて(管理人撮影)

大連市旅順口区には203高地
(乃木将軍当て字で爾霊山)
164高地(乃木将軍が高崎山
 と命名)






  日露戦争は日本軍戦死者11万人を超え、兵力、武器弾薬、食糧など国力 の限界まで消耗
 して戦う近代総力戦、なかでも旅順攻撃のための203高地(爾霊山)攻略は激烈で、コン
 クリートでかためた要塞を 日本軍歩兵が攻撃し、5千人以上の戦死者・1万人以上の負傷者
 を出しまし た。
  明治37年(1904)8月13日から、高崎の陸軍歩兵第十五連隊は 203高地北方
 の164高地を攻撃し、568人の犠牲者を出す激戦のすえ占領し、旅順 攻略を有利にし、
 乃木希典第三軍司令官が同高地を「高崎山」と命名しました 。

    *203高地・164高地は海抜(m メートル)


 桜井忠温のファミリー
続柄 名前 ことがら
 父  桜井 信之  士族 大正2年(1913)逝去
 母    カヅ  明治43年(1910)逝去
     
 長兄(長男)    彦一郎  明治5年(1872)生 筆名 桜井鴎村(おうそん)
翻訳家・英文学者
明治39年(1906)弟 忠温の「肉弾」の校正と発行(丁未
出版社)を引受ける
明治41年(1908)新渡戸稲造の英文「武士道」を和訳
津田梅子と女子英学塾設立 昭和4年(1929)逝去56歳
 本人(三男)    忠温  明治12年(1879)6月11日~昭和40年(1965)
9月17日 享年86歳
 弟 (五男)    忠武  明治20年(1887)生 海軍中将
昭和20年(1945)3月戦死57歳
 妹 (次女)  木村すゑ 明治27年(1894)生 松山に在住し、兄の忠温や甥の武男
の帰郷先
昭和38年(1963)逝去 69歳
     
 先妻  森田 千町子  明治42年(1909)28歳で逝去
 長男     武男  明治41年(1908)生 
父 信之の本家を継ぐ、聖カタリナ女子短大助教授
     
 後妻  森  志つの  静野 明治44年(1911)2月 結婚
女子英学塾(現 津田塾大学)卒
昭和34年(1959)享年77歳
 長女     渥子 明治44年(1911)生
昭和7年(1932)3月 22歳、廣田藤四郎 28歳と結婚
 長女の夫  廣田 藤四郎  
 孫     忠廣 昭和8年(1933)生 昭和9年 桜井忠温と養子縁組
昭和35年(1960)桜井忠温と分籍
平成18年(2006)享年72歳





 桜井忠温年譜
 年  歳  ことがら
 明治12年
1879
  0 6月11日 桜井信之・カズの三男として生まれる
 明治25年
1892
 13 4月 松山中学校に入学
 四条派の絵師 松浦巌暉(がんき)に師事
 明治28年
1895
 16  4月 夏目漱石 松山中学校に英語教師として赴任
4月 日清戦争 勝利し日清講和条約を締結
 明治31年
1898
 19 4月 松山中学校5年
 明治32年
1899
 20 3月 松山中学校卒業
陸軍士官学校を受験、合格発表まで、神戸税関に勤務
12月 陸軍士官学校に合格
松山歩兵二十二連隊に入隊に一年間在籍
師匠 松浦巌暉から破門
 明治33年
1900
 21  12月 陸軍士官学校(東京)13期入学
器械体操の先生が等々力中尉(妙義山トドロキ岩の由来)
 明治34年
1901
 22  12月 陸軍士官学校 卒業
 明治35年
1902
 23 6月 少尉
 明治37年
1904
 25 2月 日露戦争開戦
4月 日露戦争に松山歩兵第二十二連隊の連隊旗手として従軍
5月 遼東半島に出征、乃木将軍の指揮下 旅順攻囲戦
8月 歩兵中尉に昇進(旗手の任務解かれる)小隊長として陣頭
8月23日
 大連から担架で香川県善通寺まで運ばれ1年余の入院療養
 明治38年
1905
 26 5月28日 日本海開戦 勝利 
6月 松山歩兵第二十二連隊に中隊長として原隊復帰
8月 新設の陸軍経理学校(東京)の生徒隊長を命じられる
9月 日露戦争 勝利しポーツマツ条約成立
 明治39年
1906
 27 4月 森田千町子(25歳)と結婚
4月25日 「肉弾」を丁未出版社より発行 
6月25日 明治天皇拝謁(肉弾を天覧」
 明治41年
1908
 29 3月 長兄 彦一郎(鴎村)新渡戸稲造の英文「武士道」を和訳
  丁未出版社より発行
6月 長男 武男誕生
 明治42年
1909
 30 6月 妻 千町子(28歳)逝去
 明治43年
1910
 31 10月12日 母 カズ 逝去
 明治44年
1911
 32  2月15日 森静野(しづの)と再婚
11月5日 長女 渥子(あつこ)誕生
 明治45年
1912
 33 7月 明治天皇 崩御
乃木希典(のぎ まれすけ)妻 静子と殉死
 大正 2年
1913
 34 3月 田中儀一(たなか ぎいち 後の陸軍大将)から執筆再開を薦め
られ 第2作「銃後」を出版
8月6日 父 信之 逝去
 大正13年
1924
 45 陸軍省新聞班長(以降 昭和5年までの7ヶ年間 新聞班に所属)
 昭和 2年
1927
 48 11月 日活映画「赤城の夕映え」原作・脚本
 昭和 3年
1928
 49  休暇を利用し、かっての戦場をたずね「草に祈る」を朝日新聞に掲載
 昭和 4年
1929
 50  2月27日 兄 彦一郎 逝去
 昭和 5年
1930
 51 8月1日 少将に進級待命(予備役) 退役執筆に専念
 昭和 6年
1931
 52 3月 武者小路実篤 主宰「砧人会(ちんじんかい)」参画
3月5日 誠文堂から「桜井忠温画集」を発行 砧村閑居
9月18日 満州事変、読売新聞の正力松太郎より従軍を依頼される 
 昭和 7年
1932
 53 3月10日 長女 渥子 廣田藤四郎と結婚
5月14日 チャップリン来日 暗殺計画を桜井忠温の助言で回避
     (チャップリン来日最初に皇居を拝む)
5月15日 犬養毅首相暗殺 
9月14日 誠文堂が桜井忠温《肉弾》の出版につき
《桜井忠温全集》の検印紙を流用して訴えられた事件、
正力松太郎らの調停により円満解決。
 昭和 8年
1933
 54 3月22日 孫 廣忠 誕生
9月桜井忠温が「鉛と血」を発行した際に武者小路が本の装幀を行った
 武蔵野郊外 落葉村舎
 昭和 9年
1934
 55 1月9日 孫 廣忠夫と養子縁組
 昭和20年
1945
 66  8月15日 終戦
 昭和22年
1947
 68  公職追放戦犯
 昭和27年
1952
 73  2月14日 公職追放解除
 昭和28年
1953
 74  1月 軍人恩給復活
 昭和32年
1957
 78  10月5日 大島松太郎の企画で桜井忠温の講演会を倉賀野小学校で
開催する
12月 文芸春秋新社から「哀しきものの記録」を発行
 昭和33年
1958
 79  3月5日 桜井忠温から群馬県倉賀野町の大島松太郎を通じて
父(金光)へ女中を探して欲しい旨の手紙が届く
 昭和34年
1959
 80 2月9日 妻 静野 逝去(77歳)
6月 故郷の愛媛県松山市に帰る
 昭和35年
1960
 81 1月 長男 桜井武男が松山市山越に新築住居を「落葉村舎」と名付け
長男夫婦と同居
 昭和36年
1961
 82 5月25日 父(金光)へ桜井忠温から近況を伝える手紙が届く
 昭和37年
1962
 83 5月~7月 愛媛新聞 夏目漱石「坊ちゃん」を掲載
 桜井忠温が挿絵を担当する
9月24日 「松山坊ちゃん会」設立 初代の名誉会長
 昭和40年
1965
 86 9月17日 愛媛県松山市一番町菅井病院にて逝去
墓は三ヵ所存在する
 松山市三番町 桜井家の菩提寺「正安寺」
 東京・多摩墓地
 松山市道後 市営鷺谷墓地







 五十嵐金光 宛
 長男 桜井武男 氏より

 戒名 双樹院殿誠誉義徹忠温大居士



















 桜井温忠の関係者
     桜井忠温との関係
 乃木希典
のぎ まれすけ

陸軍大将
第10代学習院長
嘉永2年
1849
  ~
大正元年
1912
(62歳)
 
 夏目漱石
なつめ そうせき

小説家 英文学者
教師
慶応3年
1867
  ~
大正5年
1916
(49歳)
松山中学時代 桜井忠温の英語恩師で1年間学ぶ
昭和37年(1962)
5月~7月 愛媛新聞 夏目漱石「坊ちゃん」を掲載
 桜井忠温が挿絵を担当する
9月24日 「松山坊ちゃん会」設立 初代の名誉会長
 橋本園太
はしもと そのた

前橋監獄(刑務所)看守
更生保護施設開設
万延元年
1860
  ~
昭和18年
1943
(83歳)

現 前橋市文京町在住
桜井忠温 原作・脚本の映画「赤城の夕映え」の
モデル
 武者小路実篤
むしゃのこうじ さねあつ

作家 画家
明治18年
1885
  ~
昭和51年
1976
(90歳)
武者小路が現 東京成城に「砧人会(ちんじんかい)」
を設立、桜井忠温も参画
昭和8年(1933)に桜井忠温が「鉛と血」を発行
した際に武者小路が本の装幀を行った
 正力松太郎
しょうりき まつたろう

読売新聞社社主
日本テレビ放送網社長
プロ野球の父
衆議院議員
明治18年
1885
  ~
昭和44年
1969
(84歳)
大正13年 読売新聞を買収
昭和6年9月18日 満州事変、読売新聞の正力松太郎
より従軍を依頼される
昭和7年誠文堂が桜井忠温《肉弾》の出版につき
《桜井忠温全集》の検印紙を流用して訴えられた事件、
正力松太郎らの調停により円満解決
読売新聞 拡張のため、各地で講演会を依頼される
戦後、公職追放 軍人恩給停止で生活困窮するが、
正力松太郎が経済的助成を行った
 水野広徳
みずの ひろのり

海軍大佐 軍事評論家
著作家
明治8年
1875
  ~
昭和20年
1945
(70歳)
 水野広徳と桜井忠温は同郷・松山市に生れる
また、 松山中学校の同窓
明治44年(1911)「此一戦」がベストセラー
反戦・平和主義者
 大島松太郎
おおしま まつたろう

教育者 俳人
明治39年
1906
  ~
昭和57年
1982
(76歳)
 群馬県倉賀野町(現 高崎市)




 桜井忠温 原作の映画
 製作年  作品名  映画会社  
 明治42年
1909
 肉弾    
 大正13年
1924
 肉弾    
 大正14年
1925
 秩父の山美し  日活  あらすじは 桜井忠温全集第3巻
「煙幕」に掲載P109~
 大正15年
1926
 軍神橘中佐  日活  
 昭和 2年
1927
 赤城の夕映え  日活  脚本も桜井忠温が手掛ける
主人公の橋本園太は前橋の人
 昭和 3年
1928
 肉弾決笑記  マキノ  
 昭和 5年
1930
 草に祈る  マキノ  
 昭和 7年
1932
 陸軍大行進  松竹  


 橋本園太(はしまと そのた)
   人を信じ、人を生かす
     群馬の厚生保護の先駆者 橋本園太
   著者 黒澤明彦 平成14年10月 発行 群馬県保護司会連合会


 戦後そして晩年は「孤独な悲劇の老軍人」であった
   1,戦後、昭和22年(1947)公職追放、軍人恩給停止、極端なインフレ
     GHQによる著作物の焚書(ふんしょ)処分等で、私財を売却し生活をした
   2,最愛の妻 志つのさんが、病床6年、昭和34年(1959)77歳で逝去
   3,妻 志つのさんの方が、長生きするものと考え、成城の450坪の邸宅の
     名義を妻名義していたので、相続人が桜井忠温、長女 渥子、養子 忠廣の
     3人で三等分となり、松山へ帰郷
   4,昔の古傷が痛むうえに、晩年は片方の眼がほぼ失明、左の腎臓の摘出


我はただ一人なり 

   画業を志して筆を捨て 文を愛してその域に達せず 戦場に臨んで寸功なく
   死中再生恥多く 戦友と共に死すべかりしを あああの日あの時 生命は泥の
   ごとく 腥風血雨(生臭い風と血の雨)の惨酷に泣けり 友よ安らかに眠れ
   我また老いたり 東都(東京)にあること五十春 故山を慕うて帰る
   旧蘆(昔の住まい)滅びて跡なく 友は多く世を去る 
古城はひとり我を悲しむ
 


  陸軍省新聞班の業務分掌
    桜井忠温は大正13年(1924)~昭和5年(1930)までの7年間 陸軍省
    新聞班に所属する
    陸軍省新聞班は陸軍の宣伝広報活動と新聞検閲を行う部局である
    新聞・雑誌・映画・講演会・ラジオ等を活用し国民(大衆)宣伝の先駆け

  桜井忠温とキリスト教
    長兄の桜井彦一郎(鴎村)は、津田梅子と女子英学塾(現 津田塾大学)を設立
   キリスト教主義学校である
   妻 志つのさんは同校の卒業生
    晩年、松山へ帰郷してからの雑誌に
   「妻はいつもわたしとともにいる。わたしは毎あさ彼女の写真の前で、バイブル
    読み聞かせている」とある

  故郷 松山で歓待を受ける
    昭和36年(1961)5月25日 父(金光)へ桜井忠温から近況を伝える手紙が
   届く、妻を亡くした悲しみ、30年住み慣れた東京成城の我が家を、娘夫婦に追い出さ
   れた無念さが綴られていた・・・

    長男 桜井武男が松山市山越に新築住居を「落葉村舎」と名付け長男夫婦と同居




 出典・参考・蔵書

  父の蔵書(遺品
   「鉛と血」  著者 桜井忠温 昭和8年(1933) 発行所 河出書房

    「大将白川」 著者 桜井忠温 昭和8年(1933) 発行所 松嶽会

    「流血の丘」 著者 桜井忠温 昭和11年(1936) 発行所 新潮社

    「新戦場」  著者 桜井忠温 昭和13年(1938) 発行所 春秋社

   「乃木大将」 著者 桜井忠温 昭和18年(1943) 発行所 偕成社

   「肉弾」    著者 桜井忠温 昭和53年(1978) 発行所 国書刊行会

   「銃後    著者 桜井忠温 昭和53年(1978) 発行所 国書刊行会

   「乃木将軍詩歌集」 編者 中央乃木会 昭和59年(1984)発行所 日本工業新聞社

  管理人の蔵書
   「哀しきものの記録」 著者 桜井忠温 昭和32年(1957) 発行所 文藝春秋新社

   「帝国軍人の反戦」 著者 木村久 典 平成5年(1993) 発行所 朝日新聞社

   「坂の上の雲 八」 著者 司馬遼太郎 平成11年(1999) 発行所 文藝春秋

   「文藝春秋 特別企画 平成21年12月臨時増刊号」『坂の上の雲』と 司馬遼太郎

   「現代文 肉弾」 著者 桜井忠温 平成22年(2010) 発行所 国書刊行会

  図書館から借りたもの、閲覧したもの

 伊勢崎市図書館

   「明治文学全集97 明治戦争文学集」 著者代表 桜井忠温 昭和44年(1969)
        発行所 筑摩書房

   「桜井忠温画集」 著者 桜井忠温 昭和6年(1931) 発行所 誠文堂

   「人を信じ、人を生かす 群馬の更生保護の先覚者 橋本園太」 著者 黒澤明彦
        平成14年(2002) 発行所 群馬県保護司会連合会前橋保護観察所

   「群馬文化 通巻第103号」昭和44年(1969)8月号 群馬県地域文化協議会 編
        P12~23 「悲劇の肉弾将校」 大島松太郎 著

   「群馬文化 通巻第96号」昭和43年(1968)2月号 群馬県地域文化協議会 編
        P9~12 「桜井忠温先生と私」 大島松太郎 著

 群馬県立図書館

   「桜井忠温全集 第1巻~第6巻」6冊全て 著者 桜井忠温 平成12年(2000)
        発行所 日本図書センター

   「戦間期日本陸軍の宣伝政策」 著者 藤田俊 令和3年(2021) 発行所 扶桑書房

 国立国会図書館

    桜井忠温   1125件(ヒット数)
    著者 桜井忠温 507件(ヒット数)