伊勢崎銘仙アーカイブス

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 設楽天僕物語


 設楽天僕(したら てんぼく

  医師、教育者、町会議員
  天保12年(1841)1月20日~明治16年(1883)9月15日 享年43歳
  2021年現在 生誕180年 没後138年

 設楽天僕
したら てんぼく
 医者
教育者
 1841
天保12
 ~
1883
明治16
 長崎で西洋医学を学ぶ
郷学「責善堂」の頭取
石川泰三武孫平細野次郎を育てる
赤石学校校長





 遺徳碑建立場所
  華蔵寺公園
  遊園地北駐車場
  入口北側

(伊勢崎市華蔵寺町1)














  遺徳碑の説明版













 
   設楽天僕「遺徳碑」

    設楽天僕(したら てんぼく)医者・教育者
    天保12年(1841)~明治16年(1883)43歳

  設楽天僕は伊勢崎新町(大手町)油・砂糖業七郎兵衛の長男。年少のころから藩校
  学習堂の儒学者新井雀里(あらい じゃくり)に漢学を学び、14歳で志を立てて高崎の
  依田元甫(よだ げんぽ)に和蘭(オランダ)医学を、ついで江戸の戸塚静海(とつか
  せいかい)につき、さらに大阪の緒方洪庵(おがた こうあん)の適塾に入門。最後は
  長崎でポンペにつき蘭医の術を究めた。 21歳で帰郷し医院を開業した。
   30歳で郷学責善堂の頭取、33歳で赤石学校初代校長に就任。また町会議員にも選ばれ、
  身をもって教育に熱意を注ぎ、新しい時代の息吹きを吹きこんだ先達である。
  門下生に石川泰三、武孫平、細野次郎ら伊勢崎の将来に偉大な貢献をした多くの優れた
  人々がいる。
   (墓所・曲輪町/善応寺)
                                 伊勢崎市


   父 七郎兵衛とあるが、勇蔵である
   善応寺(ぜんのうじ) 伊勢崎市曲輪町10-11
   戦後、子孫の移住に伴いその墓石は移転  現 墓所 不明




 



 遺 徳 碑   従五位子爵 酒井忠一題額
設楽先生譚は秀明初名は徳治後天僕と称す天保十二年正月二十日郷里伊勢崎に生れたり
考を七郎兵衛といふ妣は萩原氏年少漢學之雀里新井氏に受け十四歳奮然志を立て家を次弟作次
に譲り高崎なる元甫依田氏に就きて和蘭医學を修め十五歳江戸に出て静海戸塚氏に學び十七歳
浪華に之き洪庵緒方氏に従ひ十九歳遠く長崎に遊び和蘭大医本伯氏に就きて益々其の學と術と
を究め大に得る所ありしが当時巌君の帰郷を促すこと切なりければ二十一歳郷に帰りて医業を
創めたり時に文久元年にして地方に於ける泰西斯業の開祖たり先生最も外科の技に長じ又夙に
種痘の術に熟す故を以て治を乞ひ診を求むる者常に門に満つ三年元甫依田氏氏の死するや恩師
の遺嘱默し難く高崎に赴き其の後を承け事に医業に従ふこと六年にして再び郷に帰る先生の
情義に敦きこと以て見るべし明治三年藩命により責善堂頭取となり子弟を教育す五年學制の
頒布あり翌年赤石小學校の創設せらるゝや先生医業を舎てゝ身を教育に委ね蓋し先生の意医業
と教育とは鈞しく是仁術なれども其の効果自ら大小廣狭の別ありとせしものなるべし然れば
則ち先生の医業を舎てし所以はやがて之を學びし所以に負かざるなり後校長となり叉町會議員
に選ばる十六年九月十五日四十三歳にて病みて歿せられぬ聞く者恂惜せぬはなかりけり先生
資性寛厚篤実風貌雄偉温雅孝友和信備に至る郷人皆仰ぎて之を儀表とす又博學多能にして和漢
の文籍に逐く特に蘭學に精し後英語を修めて之に通ず琴棋書画詩文歌俳いづれも善くせざるは
なし中にも書は最も其の妙を極めたり’実に天縱の才と謂ふべし其の職に居るや恪勤懈らず
屡官府の選奨を受け歿後復追賞せられたり其の人を誨ふるや諄諄として倦ます各其の器に隨
ぴて之を導く是を以て門弟子有用の材となる者多し惟ふに伊勢崎小學校の基礎は全く先生の力
に頼りで成るものにして同校は十七年既に成績優良の故を以て文部省の為に表彰せられたる
ことありき現に町民が教育の事に心を労するを厭はざるが如きも亦先生の余沢存せるに因る
ものなるべし先生斎藤氏を娶るむめといふ子なし門弟子保泉なる小佐野氏の男栄太郎を養ひて
医業を継がしむ令名あり先生後ありと謂ふべし頃者同志の士相謀り碑を伊勢崎公園の勝地に
建て先生の遺徳を表し以て諸を不朽に伝へんと欲し余をして之を誌さしむ語に曰く至誠にして
動かざる者は未だ之あらずと又曰く徳として報ひざることなしと先生と同志の士との謂か余も
亦懇教に浴せし者なり往時を追懐して衷情転た禁ずる能はず不文を以て辞することを得ず乃ち
甞て見聞せる所に據り謹みて行実の概略を叙す
  明治四十四年七月下浣
             茨城県立龍崎中學枝長 正七位勲六等板垣源次郎撰並書


  遺徳碑

 内容  遺徳碑
 所在地  華蔵寺公園遊園地北駐車場入口北側(伊勢崎市華蔵寺町1)
 建立者  建碑委員会 委員長 大野和信(おおの かずのぶ 伊勢崎町長 元 佐位那波郡長)
 建立年  明治44年(1911)7月下旬
 除幕式  大正元年(1912)11月15日午前10時 華蔵寺公園
 題額  従五位子爵 酒井忠一 ( 伊勢崎藩最後の藩主酒井忠彰の息子)
 撰者  正七位勲六等 板垣源次郎
 書者  正七位勲六等 板垣源次郎
 石工  伊勢崎本町一丁目  沼田藤三郎
 寸法  高 一丈(約3m)、幅 四尺五寸(約1.36m)、厚 五寸(約15cm)
 建碑費用  建碑委員会 寄付金 約709円、 建碑費は約300円(決算報告書より)



     *** 明治45年7月30日 = 大正元年7月30日 ***
      明治44年(1911)7月下浣(下旬)に板垣源次郎撰並書、
      除幕式は翌年、年号が変り大正元年(1912)11月15日



 除幕式

 大正元年(1912)11月15日故設楽天僕氏忌日を期し、伊勢崎町華蔵寺公園に於いて
 同氏遺徳碑の除幕式を挙行す。朔風(さくふう 北風)赤城を掠(かす)めて来り満山の紅葉
 既に地に委す、而(し)かも当日此の式典に列するもの二百余名、殊(こと)に小学校生徒
 百五十余名亦来り会す、蓋(けだ)し天僕氏は当初の校長たりしを以てなり、午前10時
 振鈴と共に一同着席するや建碑委員長 大野和信挙式の挨拶をなし委員戸谷清一郎氏経過の
 報告をなすこと詳細にして壇を下る、次で天僕氏の遺孫設楽次郎氏は、祖母設楽むめ、
 母設楽うら、及び義兄美原文二氏等の介添によりて除幕すれば、毅然(きぜん)として建て
 る遺徳碑は参列者の眼前に現れ、崇高(すうこう)追慕(ついぼ)の念轉た禁ずる能はざる
 ものゝ如く一同拍手を以て之を迎へ、祖母設楽むめ氏の如きは今昔の感一層深く双眸(そう
 ぼう 両眼)爲めに湿ひしも亦宜なりき、頓(やが)て委員長大野和信氏は徐ろに立て式辞を
 朗読し、来賓勢多郡長石川泰三、佐波郡長橋本求、小学校長千賀学次、伊勢崎織物同業組合長
 下城栄作、新聞記者設楽吉平、知己(ちき)加藤義質氏の祝辞又は演説等あり、遺族代表
 美原文二氏の答辞にて式を閉ぢ、或は喫茶亭に或は碑前に三々五々酒肴を開き故人の功徳を
 頌(たたえ)し、午後2時全く散会を告ぐるに至り稀に見る盛会なりし。


 出典・参考図書

 「上野国 伊勢崎郷土誌」 発行 伊勢崎町長 大野和信 明治43年((1910)6月
   複製 昭和56年(1981)3月 発行 伊勢崎郷土文化協会

 「設楽天僕氏遺徳碑建設報告書」 大正元年(1912) 建碑委員長 大野和信

 「伊勢崎史話」第6巻 昭和38年(1963)2月 伊勢崎史談会
   P2~7 今村了庵と設楽天僕 渡辺敦 著

 「群馬県佐波郡誌」  昭和51年(1976) 佐波郡役所
   大正12年刊の復刻

 「郷土に光をかかげた人々 Ⅰ巻」 昭和60年(1985)3月 群馬県教育委員会
   設楽天僕 P67~72「オランダ医から子どもたちの教育に」

 「設楽天僕展」 昭和62年(1987) 伊勢崎市図書館
      昭和62年10月27日~11月末日



 設楽天僕 年表

 年代  年齢  ことがら
 1841
天保12年
1   新町の商家に誕生
 1848
嘉永元年
7   新井雀里
 1854
嘉永7年
14   祖父 逝去
高崎の依田元甫(よだ げんぽ)にオランダ医学を学ぶ
 1855
安政2年
15   江戸に出て戸塚静海(とつか せいかい)
 1857
安政4年
17   大阪の緒方洪庵(おがた こうあん)の適塾に入門
 1860
万延元年
20   長崎でポンペにつき蘭医の術を究める
 1861
文久元年
21   帰郷し外科医院「日精堂(にっせいどう)」を開業
 1863
文久3年
23   高崎の恩賜 依田元甫(よだ げんぽ)逝去 享年42歳
伊勢崎の日精堂を閉め、高崎の依田医院を継ぐ
 この頃、白水楼の斎藤七郎平の長女 うめ(天保5年生)と恋愛結婚
する
 1868
慶応4年
28   伊勢崎に戻り、医院「日精堂」を再開
 1870
明治3年
30   12月 郷学「責善堂」の頭取を藩から命ぜられる
 1872
明治5年
32   2月 父 逝去
 1873
明治6年
33   6月 本光寺を仮校舎で「赤石小学校」開校
設楽天僕は教頭に就任 
11月 旧藩邸内の「学習堂」に移転
 1879
明治12年
39   4月 校長職のまま町会議員の当選し、議長に就任
 1882
明治15年
42   11月 新築校舎完成
 1883
明治16年
43   9月15日 設楽天僕 逝去
 1911
明治44年
   7月 華蔵寺公園に「遺徳碑」建立








 伊勢崎市図書館
 「設楽天僕展」資料より
 昭和62年(1987)